おしかけ老婆と箒の魔女(2)
昼間の酒場は物悲しい。客は居るものの盛り上がりに欠ける。気怠そうなエルフの店員がカウンターにぼうっと腰掛けている。だが、他人が働いている時間に飲む酒は美味いと聞く。暇を持て余す貴族商人に混じって葡萄酒を注文する。「あいよ」無愛想な店員は消え入りそうな返事でカウンターの奥に消える。良い席はすでに埋まっている為、適当な長机の端の席をとる。暫く周りの客を眺めながら暇を潰す。客の会話に耳を傾けると各国の懐事情を噂する声が聞こえる。王国の羽振が悪いだの帝国の値切りが横暴だのと情報交換が盛んである。公国に関しては宿場町の質が悪いと耳がいたい話が肴になっている。宿場町はバッセンハイム家の管轄だ。面倒事を下請けの商人に任せていたらいつの間にかマフィア街になっていた事は反省している。
かれこれ小一時間ほど暇を弄んだ頃、俺は一欠片の疑問を抱いた。「注文が来ていない」待てど暮らせど酒は来ない。文句を言いにカウンターに向かうが気怠そうなエルフは見当たらない。「あのー。店員さん?」控えめに呼ぶが返事は無い。周りの客の様子を伺うが平然とした様子やテーブルの上に無造作に置かれた代金を見るにこれが平常運転なのだろう。だがこれだけ待たされてこれが平常だと言われても承服できない。文句の一つも言わなければ俺の腹の虫が治らないと言うものだ。
一度店を出た俺は直接文句を言ってやろうと裏口へ回る。心が小さい奴だと思われるのは心外だ。仮にも帝国代表の貴重な時間を無駄にしたツケは払ってもらおう。
細い路地を周り店の裏口を叩こうと手を伸ばした時、「ふざけるんじゃ無いよ」扉の向こうから女声の怒鳴り声が聞こえる。まさか文句を言わんとする俺の気配を感じ取った店員が牽制を仕掛けてきたと言うのか。まさかそんなはずはない。襟を正しもう一度扉に向かう。「代表だか何だか知らないけど迷惑なんだよ」再び怒鳴り声が轟き、がしゃん、がしゃんと食器や鍋が打ち付けられる音がする。確かに聞こえた「代表」の文言に怯んだ俺は静かに踵を返した。
今はその時ではないだろう。日を改めてまた来よう。そう自分をなだめた時、扉が勢いよく開き何者かが飛び出したと共に後からあの店員が鬼の形相で飛び出してきた。「二度と来るんじゃないよ!」彼女の視線は俺を一瞥した後、路地を左右に確認して再び俺を睨んだ。「お客さん、何してんの」小一時間前の気だるげな様相とは見ても似つかない苛立ちの形相に文句の一つも出てこない俺は「あー、便所を探してて」格好のつかない言い訳をする。「その辺ですれば。見てないから」苛立ちが垣間見える台詞を吐いて彼女は扉をバタンと閉めた。
どうしたものか。小一時間も待って酒の一滴も飲まずに帰るのは忍びない。とはいえ、のこのこ店に戻ると言うのも・・・。そう思案していると「お客さん?もしかして待たせちゃった?」そう背後で声がする。「いえ、大丈夫ですよ」ふと振り返るとそこには先ほど俺を睨みつけたあの店員が気立の良い笑みを浮かべて立っていた。その怪異に俺は幻かと自分の頬をつねるが、どうやら現実のようだ。
「またお客さん待たせちゃったのかと思って」
「あんたはあれか、くしゃみをすると性格が変わったりする類のエルフなのか?」
俺の言葉に首を傾げた彼女は何か気づいたかのように大きく目を開き笑い出す。
「違いますよ、双子なんです」くすくすと笑い始めた彼女は徐々に腹を抱えて笑い出す。「ハハ、私が妹で・・・。ぷはっ、くしゃみ?ハハ」何が面白いのか暫く笑った彼女は満足したのか平静を取り戻し「お客さん、サービスするから飲んでってよ」そういうと裏口に消えた。失礼も過ぎれば爽快である。文句を言う気も失せた俺は彼女の言葉に乗って再び店に入った。
話から察するに気さくな彼女と気怠げな店員は双子の姉妹で、怒鳴り散らしていた方が姉で初対面の客を笑う失礼極まりない方が妹だと言うことらしい。姉妹というだけあって客への無礼具合はそっくりだ。
物悲しい酒場は閑散としている。店を出るまでに居た客はすっかり居ない。その代わりに不機嫌なあのエルフが腰掛け葡萄酒を啜っていた。「お客さん、帰ったのかと思って飲んじゃったよ」客の酒を飲むその太々しい姿はこの店の行く末を暗示しているようにも思える。
「お姉ちゃん、また仕事サボってたんでしょ」奥から妹が箒とバケツを抱えて出くる。「ほら掃除して。お客さんはそこに座って」勧められるままにカウンター席に座る。「お客さんポルケピの人?」一息つく間もなく投げかけられる質問にペースを乱される。
「一応、帝国で働いて」帝国の代表である事は黙っておいた方がよさそうだ。うっかり素性を話て仕舞えば彼女のペースに飲まれ何を聞き出されるか分からない。慎重に会話をしなければ。
「ヘーすごい!」食い入るように反応が返って来た。「私はニナ、お姉ちゃんはリナっていうの。お客さんの名前は?」
「マー・・・クです」此処は偽名で通そう。「マーク・バイゼルです」
「マー君だね、よろしくね」木の実の盛り合わせとグラス一杯の葡萄酒が差し出される。「サービスだから気にしないでね」微笑む彼女は姉との対比からか心に癒しをもたらしたかのような錯覚を覚えた。
烈火の如く繰り出される彼女の会話に終始圧倒される俺は姉のレナが気怠げな理由が少し分かった気がした。