傀儡の王子様
同盟本庁舎のてっぺんに在る鐘はポルケピ全てに正午を知らせる。此処で働く者はその音と共に一斉に昼休憩に入る。ある者は商業街で飯を食い、ある者は其々の外交館や同盟本庁舎内の大食堂で腹を満たす。そしてある者は便所で暇を弄ぶのだ。帝国外交館第三便所には開かずの扉があると言う。そこの先住民とは仲良くなれそうだ。などとくだらない思考に現実逃避する俺が居るのは同盟庁舎三階、『第三会議室』である。今朝眺めたばかりの此処にこんなに早く来る事になるとは思わなかった。即席の心の準備もままならないのに大丈夫だろうか。
目の前にいるのはダリア法国陸軍大臣ビットリオ何某とブロンドの可愛らしい少年。両者ともエルフで後者は法国外交館の代表だ。到底子供にしか見えない体躯とダリア人には珍しいブロンド髪への興味から前のめりになる俺をベルナーが静かに蹴って嗜める。
「先任のフリードリヒ卿の大臣就任と新しき外交代表の就任、お祝い申し上げます」小太りの愉快なエルフは不愉快な笑みで脂汗を拭った手を差し出す。
「ポッチャリノ卿、そしてローランド代表。この度はご足労有難うございます」ベルナーは見事な作り笑顔で俺の手を引っ張り握手に差し出す。
「マールベルク・フォン・バッセンハイムです・・・」彼の手は適度な温もりと湿り気を帯びており俺の笑顔を歪ませる。
大臣の要求は事前の書類に忠実だった。俺の返事は用意された作文通りに丁寧に遠回しに紡がれた『検討』の言葉だ。彼は満足げに抱擁を捧げて来たがこの会談は彼の思う結果では無いだろう。帝国の本当の答えは『東方連邦に手を焼いている現状において、補給線の南方に位置するエスター王国を刺激する事は出来ない』だろう。意図の伝わらないお断りである。そんな勘繰りを始めて十分が過ぎた。大臣もベルナーもとっくに退室した。しかし俺は未だに会議室に居る。そして目の前には何故か法国外交代表ローランド氏が未だ座っている。じっと静かに。まるで人形の様に。ベルナーが去り際に耳打ちで残した「話が有るそうだけど余計な事漏らさないでね」の言葉が意味する所は彼の接待をこなせと言うことなのだろうか。だとすると「話がある」と言うのに無言のまま十分も見つめ合うのは正解では無いだろう。
「あぁ。ローランドさん?いかがお過ごしで?」会議の時らか絶えることの無い彼からの視線に向き合う心の準備がようやく整う。
「初めまして、ローランドです!」彼は勢いよく立ち上がる。「ボクに手を振ってくれた人ですよね!?」
「あぁ、そうですね。バッセンハイムですよろしく・・・」
「ボクはキミより先輩だからわからない事があったら何でも教えてあげるね!」
手持ち無沙汰な俺の手を鷲掴み、激しく握手を交わす彼の目は異様に輝いている。俺の苦手なタイプである。
「じゃあボクがここを案内してあげるよ!」早速先輩風を吹かす彼は俺の手をぐいぐいと引っ張り庁舎内の螺旋階段をどんどん駆け上がる。薄暗い踊り場。壁のランプが静かに灯る。「とっておきがあるんだ」彼は古びた梯子をなぞり天井を指差した。梯子の先には薄く光の漏れる天井扉が見えた。
「屋根裏部屋?ですか・・・」埃くさいのは嫌いだが、ここまで来たからにはとっておきのそれが鼠の骸でも見ずには帰れない。
「登ればわかるよ!」
彼に急かされるまま何故か俺が先頭で梯子をのぼる。固く閉まった扉を力一杯押し開ける。ガタンとっ軋む扉は埃を巻き上げる。咄嗟に息を止め目をぎゅっと瞑る俺の顔を突風が撫でた。
「すごいでしょ!?」
静かに目を開ける。真上には巨大な鐘があった。鐘楼に出たのだ。その圧巻の大きさには息を呑む。だが、彼の言うものがそれでない事はすぐに分かった。視線を水平に向ける。そこには絶景が広がっていた。梯子から静かに這い出した俺は鐘楼の縁に立つ。東を向けば雄大な山脈。北を向けば広大な湖があり、西から南へとポルケピの街並みを見渡せば国際色豊かな街並みがステンドグラスを思わせる。まるで世界を一度に回っている様な感覚は俺を童心に返らせ、無邪気にはしゃぐ子供の様に見物させていた。
「すごいな・・・」
「気に入ってくれたみたいで良かったよ」
彼のしたり顔に正気に戻された俺は一気に羞恥心に苛まれる。そんな俺にジリジリと詰め寄る彼は更にニヤリと笑う。「じゃあ、とっておき。見せてあげる」彼は俺の手を引き鐘楼から飛び出す。「これがとっておきじゃなかったのか?」その問いへの答えは無く、庁舎の屋根上を一直線に走り屋根の縁で思いっきりジャンプする。景色はゆっくりと移ろい足元は遥か下の地面を目指して落下する。
「じゃあ行くよ!」
「どこに逝くってんだよ!!」
彼は懐から小さな玉を取り出し宙に放り投げた。それは刹那に閃光し煙幕を吐く。俺は覚悟を決めた。胴を何かに締め付けられ方向も分からないまま視界が晴れる。「マー君、見て!」やけに距離感の近い呼びかけに疑問を抱きつつも俺の思考は目の前の大きな疑問に釘付けになる。双翼の奇妙な生物に鷲掴みにされた俺はポルケピ上空を見るみる上昇している。
「お尋ねしたいのですがこれは・・・」
「ボクは傀儡師なんだ。これはアーラちゃんだよ!」奇妙なゴーレムは彼の言葉に反応して雄叫びをあげる。
傀儡師は噂でしか知らなかったがここまでとは思わなかった。ローランドが特質して能力があるのか、これが法国の通常兵力なのか。後者であるなら格別の注意が必要だろう。とは言え、俺が案じる程度のものなら特段問題では無いだろう。
ゴーレムは広大な空と広大な湖の狭間を優雅に遊覧飛行する。
「お尋ねしたいのですが。どこまで行くのでしょうか」
「んー。もうそろそろ終わりかも」
「お尋ねしたいのですが、それは何を意味して_____ 」
それはすぐに分かった。アーラちゃんなるゴーレムは再び発光し爆散した。
「この子ね、長く飛べないんだ。落ちるよ」彼の笑顔は狂気に満ちている。
翼を失った我々は眼下の湖面に急降下を始める。「もちろん、事故じゃないよな?」いくら狂人でも無計画ではないだろう。きっとこれもサプライズの一つだ。俺の問いかけに彼は何か言っているが風圧の喧騒に掻き消され全く聞こえない。
湖の中心で巨大な水飛沫が立ち上る。「もちろん。事故じゃないよー」彼の笑顔は狂気に満ちている。巨大な人型ゴーレムに抱えられた我々は静かに湖面に浮いている。
「お尋ねしたいのですが。このゴーレムは・・・」
「これはゴリちゃんだよ。ちなみに水にすっごく弱いんだ・・・」
ゴーレムは静かに溶け、ローランドの狂気の笑顔は静かに沈んでいった。
法国代表ローランド。彼はポンコツ傀儡師だった。