無愛想な朝と新生活(2)
サンドイッチは大味だった。爺さんが作ったにしては大したものだが、俺の方が幾らか上手く作れるだろう。ハンカチは涙と鼻水で見るも無惨だ。俺が持ち主なら洗っても返して欲しくは無い。しかし、爺さんだと言うのに花の刺繍のハンカチを持ち歩くとは酔狂なものだ。他人の趣味をとやかく言うのは野暮だが、この奇妙な気持ちの行く宛はどうしてくれたものだろうか。
机上に積み上げられた紙の束は帝国人たる振る舞いを説くものから各国諸侯の嗜好から下の事情まで事細かに記されていた。我がローエル公の項目には『細身の少年が好み』と驚愕の内容が綴られていた。思い返せば幼少期き良く殿下主催のお泊まり会に友人等と参加した折に、男子のみ殿下の寝室に呼ばれ気付けば眠っていた程にカードで遊んだ記憶が在る。眠った後に何があったのか・・・・・・。背筋が凍った。
それはきっとでたらめだろうと心を落ち着かせ、書類に向き直る。そして本日の業務内容に辿り着いた。
『ダリア法国ポッチャリノ・ビットリオ陸軍大臣との会談』内容はダリア東の隣国エスター王国との紛争解決に向けての支援要請だそうだ。学生時代に学んだダリア法国像は魔法を崇敬の対象として調和の実現目指す平和主義的宗教国家だったのだが、表と裏は違うらしい。書類によれば王党派と近年出来た軍派閥との対立が目立っているそうだ。差し詰め帝国の差し金か北方連合王国の調略だろう。後者であった場合は注視が必要だ。帝国と連合は不仲であるから、東方連邦との喧嘩で手隙の無い所を南北から攻められては帝国とて安心では無い。帝国が勝手に滅びるのは構わないが、大戦となれば公国も無傷ではいられないだろう。それだけは避けなければならない。今回会談する相手は表向き軍派閥であるから本当に帝国寄りなのか帝国寄りを装った法王派なのか、はたまたそれらを装った連合のスパイなのか。とは言え、俺の仕事では無いので差し出がましい事をするつもりは無い。不干渉が信条である。
「入るわよ」ノックへの応答を待たずベルナーが入ってくる。
「失礼します」ハインツも彼女の後から入り静かに扉を閉めた。
「ハインツさん、さっきは有難うございました。サンドイッチ美味しかったです、ハンカチは洗って返しますね」普段礼を言い慣れていないせいか少し声が強張ってしまった。
「それはよかったです」彼はにこりと笑う。「ですが、礼は私ではなくベルナー様に。得意でないお料理を頑張られたのですから」彼はにやりと顔を背けるベルナーを見る。
「あ、アタシはなにもして無いわよ」背を向けた彼女の表情は分からないが耳と尻尾が慌ただしく動いている。「ちょっと、余計なこと言わないでよ」ひそひそとハインツを嗜める彼女は大きな咳払いをすると此方に向き直った。
彼女の顔は若干赤面している。
「あ。大味で良かったよ」彼女の手製だと分かりつい本音が出てしまった。何か気の利いたことを言わなければ「それと、あの芸術的な切り口は帝国美術館以来の感動だったよ」
彼女の顔は赤面している。
「貴方。恋人出来たことないでしょ」ぎゅっと握られた拳は一瞬緩み再び握られる。「ばか」その一言と、伏した耳と揺れぬ尻尾。そして静かに閉まる扉の音で俺は状況を飲み込んだ。
言葉選びを間違えたらしい。ほんの冗談のつもりだったのだが、冗談にはならなかったようだ。
「ベルナー様は勝気に振舞われておりますが、あれでもレディーですので。どうか喧嘩腰では無く紳士的に振る舞っては頂けないでしょうか」
困った表情の彼が言うことはもっともである。女性関係の少なさからつい男の仲間内の調子になってしまった。
彼女の言葉よりも、爺さんの言葉に自己嫌悪してしまった俺は静かに天を仰いだ。天井の蜘蛛の巣は今の俺より幾らか立派だった。