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「協力、だと?」
訝しむ狗美姫にうなずき、キビキは上着のポケットから芳名録を取り出した。
「この芳名録で、ただ今ご利用中の品、自恕の祈り手をお買い取りいただきます」
「バカな! 全てを投げ打って手に入れた冥界神の力を、誰がこんなガラクタと……」
回復してきた腕をどうにか動かし、耳からイヤホンを抜き取ろうとした狗美姫の、その指が止まる。
「……なんだ、これは?」
頬を伝い落ちる涙に、目を見張る狗美姫。
「効果が出てきたようですね」
キビキは薄笑みを浮かべながら、
「自恕の祈り手は、どんなに許せなかった相手でも、許せるようになる逸品です」
「こんなものを聞かされたぐらいで、お前を許せるものか!」
「あなたが本当に許せないのは、私ではありません」
「お前以外に誰がいる!」
「あなた自身です」
「な……」
キビキの言葉に、狗美姫は絶句した。
「あなたが許せなかったのは、あなた自身なのです。あなたは、あの子を失ってしまった自分を許せずに、責め続け、訶み続けているのです。あなた自身を」
「違う! 違う、違う、違うっ!」
狗美姫は叫んだ。
「私はいつだって精一杯やった! 何にでも全力でぶつかった! あの時だって……!」
「そうですね。あなたはそういう人です。だから、私はあなたを勇者に選び、共に我々の世界を救ってもらいました」
「そうよ! 魔王を倒した時も、あの子を産んだ時も! 産まれた後も! それにあの日だって、必死になってあの患者を助けたの! 徹夜で治療して。いつものことだった。それなのに、どうしてその、せっかく治療してやったアイツに、あの子を殺されなくちゃならないの! どうしてっ!」
泣きじゃくる狗美姫を前に、キビキは口を結んだ。歯を食いしばり、溢れ出ようとする感情を抑えつける。
「……その通りです。本当に。理不尽にもほどがあります」
「私があの子の側にいればよかったの?」
「いいえ。あなたはあの日、お仕事でしたから。名医を待つ人は、今も昔も世界中に無数にいますから」
「アイツに治療なんかしなけりゃ良かったの?」
「あの時のあなたに、そんなことが出来るわけありません。あんなことになろうとは、誰も知り得なかったのですから」
「私が憎んできたのは、私自身だったってことなの?」
狗美姫が肩を落とした時、イヤホンから流れていた曲が終わった。
「もう、十分でしょう」
立ち上がったキビキが言う。
「今まで、あなたはよくやりました。魔術の才能のないあなたが、今の力を得るまでには想像を絶する努力を積み重ね、試練をくぐり抜けてきたことでしょう。ですが、もう、あなたはあなたを許さなくてはなりません」
「お前はどうだと言うのだ?」
涙を流しながら、狗美姫はキビキを睨みつけた。
「お前は、とうの昔に自分を許していたと? いつものように、お前はとっくに何もかもお見通しで……」
「私は、私を許しません」
キビキは狗美姫の言葉を遮り、
「あの子を取り戻したとしても。もう一度あなたがあの、大輪の花のような笑顔を取り戻すまでは」
「イヤよっ!」
狗美姫は叫んだ。
「契約なんてしないから! もう、一人で待つのはイヤなの! 一人で勝手に決めないで! ねえ? 一緒にあの子を取り戻そうって言ったじゃない! 一人にしないって、言ったじゃない!」
駄々をこねるように頭を振る狗美姫に、キビキは笑みを向ける。
「いつも一緒ですよ。あの子のことも、あなたのことも、いつ、どんな時も、私の心の真ん中にはあなた達がいます」
眉を寄せる狗美姫に、キビキは薄笑みで応える。
「曲の再生が終了しましたので、ご自分をお許しになられたことを確認しました。当店の商品をご使用されましたので、自恕の祈り手はあなたの所有物となり、お代として、こちらの芳名録を頂戴します」
「謀ったわね。あなたって、いつもそう」
「おそれいります。ご利用、ありがとうございました」
キビキが一礼すると、狗美姫は瞼を閉じた。健やかな寝息をたてるその口もとに、ほんのわずか、微笑が浮かんでいた。




