69
真っ暗だ。
でも、会える! もう一度会える!
蛮鷹は駆けた。緩やかな坂を、下へ、下へ降っていく。
もう二度と会えない、と諦めていたのに。
闇はますます濃くなり、視界はほとんど得られない。自分がどこにいるのかさえ分からない。体は動かしているが、そもそも自分が本当に存在しているのかも疑わしくなる。
それがどうした。
ただ駆ければ良いのだ。もっと遠くへ。より深くへ。果てまで探し続ければ、必ず彼女はいるのだから。もうどこにもいなくなったはずの、彼女が。
どれほど駆けただろうか。さすがに息が切れ、悲惨なほど渇いた喉の痛みに足を止めた。胸いっぱいに息を吸い、吐き出す。噴き出た汗を腕でぬぐい、ふと見渡せば、遠くにぼんやりと、四角く輝く光がいくつか見える。それが窓から漏れる灯りだと気づき、蛮鷹は再び駆け出した。
「燕っ!」
掠れた声で呼びながら、明かりの漏れる扉を押し開け、建物に入った。ドアに提げられた呼び鈴がしゃらん、と軽やかに鳴る。
「おや」
ちょうど新しいスーツに着替え終えていたキビキが声をあげた。
「ようこそ。質屋〈籠〉へ」
微笑むキビキに、
「あんた……。なんで、またここに……」
呆然とする蛮鷹。
あれほど走ったにも関わらず、一歩も進んでいなかったということなのだろうか?
「前進されていますよ。間違いなく」
蛮鷹の当惑を察してキビキが言った。
「当店を出発し、目的地の途中で、再び当店にたどり着かれたにすぎません」
「戻って来ちまったわけじゃないのか?」
「通常概念の距離という意味では、あるいはそうかもしれません。ですがお客さまが当店にたどり着かれたということは、お客さまが必要とするものが当店にある、ということでございまして」
「俺に必要なもの?」
「ええ。逆もまた真なりではありますが」
キビキは両手を腹の前で重ねる。
「冥界はたいへん広く、底知れず深い。今のままではお望みの場所へたどり着くことは叶わないでしょう。年老いて足が使い物にならなくなるまで遮二無二駆け続けたとしても、到着できる可能性は万に一つ、有るか無しか」
「……それでも、やるさ」
眼光の衰えない蛮鷹に、うなずくキビキ。歩いて蛮鷹の脇を通り過ぎ、扉の木枠の横にフック掛けされてた懐中電灯を手にとった。
「そこで、こちらのお品はいかがでしょう?」
差し出された懐中電灯を受け取り、蛮鷹は首をひねる。
「なんだ、こりゃ?」
「発見灯といいます。持ち主が見つけたいものの場所まで連れて行ってくれます」
「買う!」
蛮鷹の答えにうなずくキビキ。
「発見灯のお買取りですね。承りました。対価となる金品はおもちですか?」
「金はねえ。持ってるものって言っても……」
そもそも持っているものがない。完全に無一文だ。
「そちらの指環は?」
「だから、こいつは駄目だって!」
子供のように手を背後に回す蛮鷹。咳払いするキビキに、
「じゃ、借りるだけ。ちょっとだけでいいから貸してくれよ。そうだ。この鎚を預ける。な? 幾らかにはなるんだろ?」
「お貸し出しは承っておりません」
「なあ、頼むよ。あとで何でもするから」
「当店の商品はその性質上、ご使用により変質することがございますので」
「じゃ、どうすればいいんだよ」
「まず発見灯の対価として、以前と同様にお客さまの魂を質入れしていただきます」
「わかった」
即答する蛮鷹。
「発見灯を期限までにご返却いただければ、お客さまの魂の所有権はお返しいたします。期限は契約成立から三日」
「三日!?」
目を剥いた蛮鷹に、キビキは肩をすくめる。
「いかんせん、場所が冥界ですので、お客さまがそのままお亡くなりになる可能性が非常に高く。ご納得いただけないのでしたら、お断りいただいて構いませんが」
「いいさ、わかったよ。三日だな」
「はい。三日後、発見灯が当店に返却されなかった場合、お客さまの魂は質流れとなり、正式に当店の所有物となります」
「それでいい」
うなずくキビキ。
「契約成立です。お急ぎでしょうから、契約書はのちほど作成致しましょう。さあ、どうぞ」
キビキから受け取った発見灯を、蛮鷹は大きな両手で大切に握り、食い入るように見つめる。しばらくして、
「……なんだこりゃ?」
「懐中電灯という、電気の力で光を得る道具を基にしております」
「どうやって使うんだ?」
「そちらのスイッチ、ええ、そうです。その突起を後ろ側から前側へスライド、押し出していただきますと……」
懐中電灯の明かりが点くや、蛮鷹は腕を背後に強く引っ張られた。
「な、なんだ?」
点灯した発見灯が引っ張っているのだと気づく。
「こっちってことか!」
発見灯の引っ張る力が増す。真っ暗な闇を数歩先まで、灯が照らしている。
「ご利用、ありがとうございました」
頭を垂れたキビキの声を背に、蛮鷹は再び駆け出した。




