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質屋・籠の備忘録  作者: 甲乙イロハ
芳名録
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「いったん退がって、回復しなさい」


 キビキの刀が、侍の太刀を押し返す。わずかに浮ついた体勢を整えつつ、後ろ摺り足で距離を取る侍。


それをカイライに渡すだわさ。あんたは店に戻って……』


「退がりなさい」


 キビキの深紫に染まった瞳で見つめられ、大剣ブレイシルドは押し黙った。


「当店の貴重な品に、よくもここまで」


 キビキは刀を手に、無造作に足を踏み出した。


無料ただでは済ませませんよ」


 全くの素人の動きに、侍は容赦なく刃を繰り出した。棒切れでも振るうような速さで放たれた袈裟斬り、と見せかけての胴薙ぎを、ほぼ棒立ちながら見事に刃で弾き返すキビキ。

 侍はさらに高速の斬撃を放つ、が、それもまた、完全に腕が伸びきった姿勢で受け止められる。どころか、その不安定な体勢のままキビキが稲妻のごとき突きを放った。その切っ先が侍の被る面をかすめる。乾いた音を立て、火男ひょっとこの面が割れた。現れたのは生前、剣聖と呼ばれた侍だ。


「……なるほど」


 自ら手にした自在刀と、侍の皺が刻まれた素顔を見比べ、独り言ちるキビキ。


「あなたでしたか」


 侍は応えずに刀をひと振りして刀身の露を払い、対するキビキは高々と自在刀を掲げた。点火前の聖火ランナーのようだ。あまりにセンスのない、それ故に動きの読めないキビキを、侍は攻めあぐねていた。その口元が綻ぶ。剣と剣との勝負で先が読めないことなど、達人と呼ばれるようになってからは一度もなかった。

 すう、と摺り足で進み出る侍に対し、ただ単に歩み寄っていくキビキ。無為に縮まる間合い。それが互いの切っ先が届く距離に達した瞬間、火花が散った。

 刃と刃が打ち交わり、甲高い擦過音が鼓膜を叩く。連なる音はさらに大きく、激しさを増し、その間隔を狭めていく。散っては咲き、また散っては咲く火花には、その美しさと裏腹に、一輪一輪に必殺の力が込められている。

 現代まで受け継がれてきた様々な剣技の演武よろしく刀を振るう侍に対し、キビキの方はといえば、完全に刀のオマケだ。引きずられているどころではない。ぶら下がっているだけだ。そしてそれが、侍には理解できない。本来、剣は身体の延長にあるものであり、当然ながら攻守ともに身体を介して行われる。しかしキビキの自在刀にはそれが全くない。気の起こりどころか、技すらない。有り得ない軌道で放たれる斬撃と、有り得ない体勢で為される防御。


「この剣には」


 自在刀に振り回されながらキビキが言う。


「史上最強と謳われ、最初の剣聖と讃えられた剣士の全ての技、奥義が込められています。つまり、あなたの」


 やはり。思い、侍は無言で微笑んだ。研鑽を積みに積んだ自分自身と戦える喜び。まさかそんな日が来ようとは。


「そこまでよ」


 侍の高揚を察した狗美姫が釘を刺す。


「遊びは終わり。決着をつけなさい」


 侍は顎を引いて肯き、心の内で嘆息した。千載一遇の機会なれど、主人あるじの命ならば絶対だ。とは言え、相手は剣聖とまで呼ばれた自分と同じ技を使う、紛うことなき強敵。しかも本体キビキは体捌きが出鱈目すぎて、狙いを定められない。負けはしないが、勝ち筋も容易くは見つけられない。

 一つを除いて。

 侍の肚は決まった。なんとも口惜しいが、やるしかあるまい。最上段に振りかぶった刀を、存分に気合を入れて振り下ろす。三度の兜割りに反応した自在刀が刀身を添わせて受け流しに来るや、右手に力を込めて軌道を強引に切り替えた。

 清々しいほど鮮烈な短い金属音をあげ、侍の刀と自在刀が真っ二つに折れた。驚くキビキに対し、狙い通りだった侍はすでに腰から脇差を抜いていた。一閃。


『させないだわさっ!』


 突っ込んできたカイライの大剣が、侍の脇差をへし折った。背後に跳んで距離を取る侍めがけ、万全の体勢で振り下ろされた大剣が侍をとらえた。


『……ウソ、だわさ』


 百戦錬磨の戦乙女の口から有り得ない言葉が漏れた。侍は己の背丈ほどもある大剣を、ただ両手で左右から挟み込み、その威力を完全に封じていた。無刀取り。あるいは白刃取りと呼ばれる、ほとんど空想上ファンタジーの技だ。

 驚きが冷め止まぬ間に、侍は手首を返した。途端、横転するカイライ。丸まって受け身をとったものの、その拍子で握っていた大剣ブレイシルドの柄から手を離してしまう。


「カイライ、剣を!」


 叫んだキビキを尻目に、侍は両手で挟んだ大剣を器用にくるりと回転させ、正眼に構えた。


『かっ、勝手にひとを装備し(つかっ)てんじゃないだわさっ!』


 怒り心頭のブレイシルドは人間形態への転身を試みた、が、まだ闘気が足りない。暴れて揺れる大剣ブレイシルドの刀身に、侍は掌底を宛てがって抑えつけると、狗美姫の背後へ退いた。


「お還りなさい」


 狗美姫はそう言うと、芳名録に記された侍の名を指先で上から下へなぞった。途端、侍の姿が闇に溶けた。その手にしていた大剣ブレイシルドと共に。

 眼を見開き、言葉を失うキビキを見て、


「まあ」


 狗美姫はわざとらしく口元に手を当てた。


「子守りのお姉さま、いなくなっちゃったわね」

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