65
翌日のテレビのワイドショー番組はどの局も、火事のなか、ビルの最上階から飛び降りたにも関わらず奇跡的に無傷だった新婦の話題で持ちきりだった。視聴者から寄せられた動画を見ると、まるで鳥の羽が舞い落ちるように、なかば浮かび上がりながら、ゆっくりと落下していく姿がとらえられている。
『友達が、助けてくれたんです。詳しくは、思い出せないんだけど』
生還を果たした新婦の加工された音声は、昼休憩の会社員で賑わう蕎麦屋のテレビでも流れていた。
「この友達って、営業課の主任なんだって?」
ざる蕎麦をすすった作業着姿の男が言った。
無言でうなずき、洟をすする若い男。こちらはスーツ姿だ。
「なんだよ、お前。泣いてるのか?」
「だってさ。主任っていっつもそうなんだよ。ぶっきらぼうで、言いたい事言ってるみたいだけど、いつも陰でフォローしたり、助けてくれてるんだよ。周りどころか、助けられた本人も気づかないくらい、自然に、さらっとさあ」
「ふうん」
「俺なんて、毎日ミスばっかでさ、その度にフォローしてくれて。代わりに主任が泥かぶってさ」
作業着の男は無言でうなずき「食えよ」と割り箸を差し出す。
「昨日だって俺のミスなのに、半休返上で、取引先まで謝りに行ってくれたんだ。自分の教育不足で申し訳ないって。担当を主任に戻すのが取引継続の条件だって言われたのに、彼はまだ仕事に慣れていないだけで優秀だし、なにより誠実な人間だからって、土下座して頼んでくれたんだって」
「取引先から聞いたのか」
「うん。俺には、週明けにやるって言ったんだ。俺なんかに気を遣わせないために……」
「へえ。うちの上司にも見習ってもらいてえよ」
「俺、次の休みに病院へ見舞いに行くよ。全身火傷ならICU(集中治療室)だろうから、会えないかもだけど」
「そうだな。主任、助かるといいな」
スーツの若い男は涙をこぼしてうなずいた、その背後の席で、
「……ふうん」
少女が呟いた。
「その娘、いいわね」
紅を引いたような唇は、夕暮れに浮かぶ下弦の月のようだ。長い睫毛に縁取られた薄紫色の大きめの瞳。烏の黒髪は真っ直ぐ、腰のあたりまで流れている。丈の長い、真っ黒なスカートのフォーマルスーツは、華奢な身体にぴったりフィットしている。
喪服のような装いに不釣り合いな、それでいて年齢相応とも言える赤いタータンチェックのポシェットを斜めがけにして、席を立つ少女。誰もその存在に気づかない。完食された昆布蕎麦の器はそのままに、お会計に列なす客たちの傍を通り、レジを打つ店員の前を悠然と通り過ぎたところで、
「ごちそうさま」
言い置いて、応えを待たずに暖簾をくぐった。やや薄暗い電球色の店内から、真っ白なLED照明の部屋へ移動したため、少女は眩しさに目を細めた。
「まあ」
集中治療室に着くや、少女は思わず声を上げた。心電図が弱々しくも一定のリズムで鳴るだけの部屋で、中央のベッドに横たわった早希の身体は、全身のあちこちにガーゼを充てられ、包帯で覆われていた。
「これは大変…」
舐めるように早希の身体を見回してから、
「すてき」
ほう、と唇から吐息を漏らす。
「仕込み甲斐がありそう。早くこちらへおいでなさい」
少女が早希の頭をそっと撫でる。と、心電図に強い反応が出た。
「あら、ごめんなさい」
少女が手を引っ込めると同時に、ICU(集中治療室)のドアが開き、慌ただしく看護師が駆け込んできた。心電図をしばらく見つめ、息を漏らす。点滴と早希の様子を確認する看護師に、
「だめね、私ったら。愛しくて、つい触れちゃったわ」
少女は囁きかけたが、看護師は気づかない。再び心電図の規則的な音だけが鳴り続ける。少女はあくびをして、ベッドに横になった。早希の口元につけられた呼吸器に手を伸ばした時、ICU(集中治療室)のドアが再び開いた。
現れたのは、戦乙女の大剣を肩に担いだカイライ、そして、
「ルール違反ですよ、縋 狗美姫」
キビキだった。




