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「この魔法のアイテムは、私が手に入れたの! 私に使う権利があるの!」
「わ、分かってるよ」
「誰があんたと一緒に使うって言った?」
「え? だ、だって……」
「その店員、二人までは大丈夫だって言ってたけど、修理品でしょ? 念には念を入れて、わたし一人で使うわ」
「早希?」
「なに? 自分も助かるって思ってたわけ? バーカ! 親友の元彼とデキ婚するようなやつ、もう友達でもなんでもないわ!」
「なに言ってるの、サキ? 急に、どうしちゃったのよお」
涙ぐむ千恵の頬を、早希が張り飛ばした。目を見開いた千恵は、叩かれた頬を震える手で押さえる。
「須藤の話は本当だよ! 純也と別れた後に、生理がこないから産婦人科行ったら、赤ん坊が出来ててさ。いまさら純也とヨリ戻すのも無理だったし、堕したんだよ。いつか純也には復讐してやろうと思ってたけど、まさかこんな形で夢が叶うなんてねっ!」
早希は高笑いをあげた。
「あー、長かったあ! ずっとモヤモヤしてたのが、すっきりしたわ!」
うなだれる千恵。震える指を握り締める。
「あんたみたいにとろいのが母親だなんて笑っちゃう。待てよ。純也も昔よりずっとイイ男になってたし、あんたが死んだらアタックしてみんのもアリかなー」
ウイングコートを天女の羽衣のように纏い、くるくると踊りながら店を出て行く早希に、
「うわああっ!」
怒号をあげた千恵が泣きながら突進した。空中に舞うウイングコートの裾をつかみ、引っ張る。
「何すんのよ、あっ!」
片足だけで踊っていた早希は足を滑らせ、転倒した。その隙にウイングコートを奪い取った千恵が、店から駆け出ていく。
「ちょっと、待ちなさいよ! このクソ女っ!」
泡を飛ばして怒鳴る早希。千恵は前だけ向いて一心不乱に駆けた。
「返しやがれっ! それはわたしのだっ!」
追いかけてくる早希の鬼の形相を想像して、縮みあがりながらも歯を食いしばり、ウイングコートに袖を通す。とたん、ふわりと身体が宙に浮いた。とん、とん、と床を蹴り、ふわり、と転落防止柵の上へ着地する。
眼下は地上五階。もちろん、これまで飛び降りたことなどない高さだ。本能的な恐怖心が湧きあがり、千恵はごくりと生唾を飲んだ。膝が笑い、足がすくむ。
「待てえっ!」
背後から早希の、聞いたことのないような金切り声。
「返せっ! 助かるのは、この、わたしだああっ!」
その怒号に押されるように、千恵が跳んだ。
跳んだ拍子でウイングコートの浮力に巻かれて振り返った千恵は、早希がまだ、さっき転んだ場所に座ったまま、笑顔で手を振っているのを見た。
「サキっ! いやあああっ!」
夜空に燃え爆ぜるビルの屋上から、千恵が黒煙を割ってゆっくりと降りて行くのを見送った早希は、喧騒の中、下で上がる歓声を聞いた。視界を覆い尽くす煙で見えないが、千恵は無事、助かったのだろう。
「良かった……」
はあ、と安堵の息を吐き出した早希は、
「元気な赤ちゃん、産むんだよ」
言った。修理品のウイングコートの重量は二人まで。それなら助かるべきは、千恵と赤ちゃんだ。
「その選択で、悔いはないのですか?」
キビキが言った。早希の背後の物置の、開いた引き戸の向こう側にある質屋の店内は、火事の影響を全く受けていない。
「そりゃ、あるわよ」
早希は振り返らずに言った。
「わたしだってまだ、死にたくないもん」
近づいてくる炎。熱い。死の恐怖に自然と身が震える。
「それなら……」
「だけどさ」
早希は煙の昇っていく夜空を見上げながら、
「こうしなかったら、きっと、もっと後悔しただろうから」
そう言って笑みを浮かべた時、
「あ……」
唐突に気づいた。胸に抱き続けてきた、モヤモヤの正体に。
「やっぱり私、怒ってたんだ」「
咳き込む。ずっと、許せなかった相手の正体が、今はっきり分かった。煙が回ってくるなか、
「興味本位でたいへん恐縮ですが」
店内からキビキが問いかける。
「どなた様を?」
早希は顔を向けず、
「わたしが許せなかったのは、チエでも、純也でも、ほかの誰でもなくて……」
状況にはそぐわないが、早希は晴れがましい気持ちで天を仰いだ。
「わたしだ」
「ご自分、ですか」
「そう。大切な人たちと、今まで通りには未来を歩めなくなったわたし自身を、わたしはずっと、ずっと、許せなかったんだ。それが分からないまま、わたしは、わたしに怒り続けてたんだ」
「なるほど」
キビキは顎に指先をあて、うなずいた。
「あなたは、変わった方ですね」
「そうなのかな? 私は別に……」
もうもうと噴き出てくる煙で息苦しい。頭も朦朧としてきた。
「……でも。もう自分を許してあげよっと……」
薄笑みを浮かべたキビキが、優雅に頭を垂れる。
「ご利用、ありがとうございました」




