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質屋の少年の言葉通り、店を出ると目的地のカフェCoCoonは目の前だった。
アンティーク調のドアには「本日貸切」の札が提げられ、イーゼルに載せられた黒板には、チョークで相合傘と西野純也、そして千恵の名前が描き込まれている。
「あ、サキ!」
遠目から手を振ってきたのは、クラスメイトの真由子だ。都会でお菓子づくりの勉強をして、地元に戻って開いたカフェ。照明は最低限を残して全て落とされている。後片付けをしているようだ。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「連絡もらってたから。サキの分、ちゃんと残してあるよ」
「ひっさびさだわ! ケーキバイキング!」
「高校生の頃は、三人で行ったわよね」
「そうそう。夜ご飯が食べられないぐらい詰め込んだっけ」
「サキはチョコ系が好きだったよね。チエはフルーツ系で」
「マユはがっつり系!」
「そりゃそうよ。まず元を取らなくちゃ! さあ、どうぞ」
笑い合いながら、ドアを開けた真由子に促され、店に入る。店内中央の四角いテーブル二台に、椅子が十六脚。スポットライトのように明るく照らされている。
「すぐ用意するね。いっぱい食べて、元取ってよね」
大皿を抱えてキッチンへ向かう真由子に、
「みんなは?」
尋ねた早希に、真由子は肩越しに振り返って微笑んだ。
「みんな、三次会だって言って、カラオケ行ってるよ。ここの四階。帰った人もいるけど。三階のバーにも何人か行ったかな。二階は会員制のスナックだから、さすがに誰も行ってないと思う」
「……チエは?」
心配そうな早希に、真由子は吹き出した。
「なに言ってるの。そりゃもちろん居るわよ。西野も一緒にね。あと残ってるのはエリと櫻井と持田、小島に山田夫妻。須藤と……」
「須藤?」
「うん。あとは渡辺とアヤ、岡村と……あと、巧も」
「そうだ。マユこそ、桂木とどうなのよ? 遠距離恋愛を成就させた身として、これからの意気込みは?」
「成就っていう感じじゃないかなあ、ズルズルっていうか。まあ、ぼちぼちやってくわ」
「えらい! 都会には良い男なんて腐るほどいただろうに」
「ほら私、男見る目ないからさ」
「じゃ、その目を借りたいんだけど」
「私でよかったら鑑定して差し上げますわよ」
「では改めてまた後日、ご相談に参ります、なんて」
「お待ちしております。あ、カフェオレでいい?」
「うん」
「みんな呼ぼうか?」
「いや、いいよ! 給食食べきれずに一人だけ残されてるみたいになるし。せっかくのケーキだもん。ゆっくり堪能したいわ」
「そっか。じゃ、すぐ用意するね」
厨房へ消えていく真由子。白のコックコートが似合っている。ほどなく、大皿に並べられた色とりどりのケーキとともに、真由子が戻ってきた。
「わーすごい、ぜんぶ美味しそう!」
手を叩く早希に、真由子ははにかんだ。
「本当にパティシエになったんだね」
フォークを取り上げ、どれから食べようか目を輝かせる早希に、
「早希だって、すごい仕事できる女、って感じするよ」
「そんなことないよ。毎日ミスと失敗と、そのフォローばっかり」
「たいへんだね」
「仕事だもん。みんな、そんなもんでしょ。さあ、いっただきまーす!」
早速ケーキにかぶりついた早希にホットカフェオレを供し、真由子は隣の席に座った。
「やっぱチョコからなんだ」
「当然!」
口の周りにチョコクリームをつけて笑う早希を、真由子は嬉しそうに見つめる。
「それで、さ。大丈夫なの?」
早希の顔色を窺う真由子に、
「ん? 何が?」
ケーキを口に頬張ったまま問い返す早希。
「ほら。サキとチエ、色々あったじゃない」
「ああ。わたしと純也が昔付き合ってたって話? たしかに高校時代は付き合ってたけど、卒業してすぐに別れたからね。チエが付き合ったのはその後じゃん? 私がとやかく言う立場じゃないよね」
「それはそうなんだけどさ。ほら、そんな理屈どおりに割り切れるもんじゃないじゃない?」
「うーん」
もぐもぐと口を動かしながら、早希は虚空を見上げた、
「そりゃ、ね」
ブランデーの効いたスポンジ部分を、ごくん、と飲み下して続ける。
「肚に何もないかって言われたら、何かはあるよ。何かモヤモヤはあるけど、その何かが分からないって感じかなあ。でも誓って、チエや純也に怒ってなんかないよ」
「なら良いんだけど。サキが無理してたら心配だなって」
「だいじょうぶ、ありがと。さあ、次はどれにしよっかな」
次のケーキを選びながら、目の端で鞄から見えているiPodを見下ろした。あの日、純也からプレゼントにもらったものだ。唯一、保存してあった一曲は、ずっと消さずに保存されたまま。躯体は傷だらけになったし、電池も何度か交換したが、いまだに現役を続けている。
「……帰ってきたかな?」
三つ目のケーキを早希が平らげたところで、外が騒がしくなってきた。店のドアが開かれる。
「みんな、おかえりー! サキが来たよ!」
「遅くなってごめんねー」
真由子と早希が立ち上がると「わ、ひさしぶり!」「元気だった?」などと声を掛け合いながら、とめどないガールズトークが始まる。
「ちょ、ちょっと待って! 積もる話は後からゆっくり!」
真由子が大声をあげて、全員を制する。
「早希、ほら」
促された先に、千恵がいた。少し酔っているようだ。ほんのり頬が赤い。早希は鞄の横に置いていた紙袋を持ち上げると、
「チエ、ひさしぶり。結婚おめでとう!」
元気よく言って、紙袋から花束を取り出した。瑞々しいオレンジ色の薔薇が五本、リボンで束ねられている。
「ありがとう!」
千恵は満面の笑みで花束を受け取り、早希に抱きついた。事情をよく知る友人たちのなかには、涙ぐむ者もいる。
「はいはい、積もる話、始めていいよ。まだケーキあるからね。イケる人は座って、座って!」
真っ先に席に着いた巧を、真由子が肘で小突く。
「いてっ」
「あんたはもっと遠慮しなさいよ」
高校時代から変わらない二人のやり取りに、みんな笑いながら想い想いの席に着いていく。千恵は早希の斜め前、純也の隣に座った。飲み物の準備に席を立った真由子に代わって、須藤が座る。
「あー、酔っ払っちゃった」
呂律が怪しい。
「大丈夫? お水もらってこようか?」
席を立とうとした早希の袖を、須藤が引っ張った。
「そんなのいーから、話聞かせてよおー」
「話?」
「そーそー。元彼と友達との結婚祝うのって、どんな気分なのー?」
「……なに?」
「ちょっとお、そんな怖い顔しないでさーあ。西野くんに振られた女同士、ゆっくり話そーよお」
急に高笑いする須藤に、
「須藤って、純也のこと好きだったの?」
「そりゃそーじゃん。全国ベスト8のバスケ部のキャプテンでエース。勉強もできて文武両道。好きにならない女なんていないでしょ」
「まあ、そうよね」
曖昧に笑う早希に、
「……なに?」
今度は須藤は早希を睨んだ。目が座りきっている。
「自分は付き合ってたから、もっと西野くんの深いとこまで分かってますよー的な? 付き合うことさえできなかったお前と一緒にすんなとでも言ーたいわけえっ!?」
須藤は声を荒げて立ち上がった。拍子に足元がふらつき、上体をテーブルに突っ伏させる。がしゃーん、と大きな音を立て皿やケーキ、カップがその中身ごと盛大に撒き散らかされる。悲鳴。
「大丈夫! すぐ掃除するから下がって。あ、割れ物には触らないで!」
真由子の一早い指示に従い、みんな壁際に退避する。テーブルに突っ伏したままの須藤を起こそうとした早希の手を、
「触んな! この人殺しっ!」
須藤が振り払った。
「ねえ。さっきから、何なのよ」
怒りより半ば呆れる早希に、
「知ってるんだからね! 高校の時、あんたが純也の赤ちゃん堕したの!」
須藤が叫んだ。しん、と静まり返る店内。
「……なに言ってんの? あんた?」
強張った笑みを浮かべる早希に、
「とぼけんな! 私、この目で見たんだから! 隣町の私の爺ちゃん家の隣の産婦人科へ、あんたが通ってるとこ!」
「あの変な噂広めたの、あんたなの?」
「そーよ! 悪い? 本当のこと言っただけだしー! で、どーなのよ、本当のとこ」
「あの頃は体調が悪かったのよ。女なんだから色々あるじゃん。あんただって分かるでしょ?」
「いーや。なんでわざわざ、あんな遠い病院に通うんだよ! 知られたくなかったからだろーが?」
「いやいや、そりゃ知られたくないでしょ。思春期だよ。恥ずかしいじゃん」
笑う早希。
「笑ってんじゃねー!」
どん、とテーブルを叩いて立ち上がる須藤。
「しばらく通ったら、急に来なくなったくせに!」
「そりゃ、治ったら病院に行かなくなるじゃん」
「堕したんだろ! 堕したから、行かなくてよくなったんだろ!」
「だから違うって。いい加減にしないと、怒るよ?」
「私だって、西野くんのこと好きだったのにー! 西野くんの子供なら、自分の子供じゃなくても育ててあげたかったのにー!」
再びテーブルに突っ伏して泣きじゃくる須藤。
「なんなの、ほんと……」
須藤とは高校時代、ろくに話した記憶もない。下の名前も覚えていないほどだ。肩をすくめる早希に、
「ねえ、サキ」
千恵が声をかけた。
「ちょっと二人だけで話したいんだけど、いいかな?」




