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居眠りをしていた。
夕刻はとっくに過ぎているし、とにかく疲れた。それに、のろのろ走るバスの、長い西陽に照らされ温くなった座席は、まるで揺りかごのようだ。まどろみの中、
『本馬三丁目、本馬三丁目です』
聞き馴染んだ停留所のアナウンスに飛び起きた。ここだ。まずい。
「降ります!」
早希は鞄をつかむと、バスから駆け降りた。停留所はずっと前に改装されたらしく、昔の面影はまるでない。ただの時刻表がサイネージに変わり、バスの現在位置が表示されるだけでなく、定期的に広告動画も映る。唐突に時間の経過を突きつけられたようで、思わず足が止まる。
(しっかりしろ、わたし)
早希は心の中で自分を鼓舞した。
(行くって決めたんだから!)
ぎゅっと口を結び、足を前に送り出しつつ、上着のポケットを探る。
「……せっかく招待してくれたんだから」
呟きながら、取り出した招待状を見下ろした。ため息に、笑みが混じる。幼稚園の頃からの親友、千恵から送られて来た、結婚式の二次会のお知らせ。直筆の丸っこい文字が懐かしい。住所を確認し、再びポケットに突っ込むと、
「よし、行くか!」
色気の欠片もないビジネス鞄からiPodに繋がれたイヤホンを引っ張り出し、耳に押し込んだ。再生。いつもの曲が流れ始める。
(このあたりも、ずいぶん変わったなあ)
高校生の頃に大好きだった曲を聴きながら、歩いて行く。
久しぶりに訪れた地元の景色は、一変していた。まず、通っていた高校の校舎が新しくなっている。隣には大きな図書館も出来ているし、周辺のお店も、見違えるほどお洒落になった。今日の目的地も、そんな新しい店の一つだ。雑居ビルのなかの、屋上テラスのあるカフェ。今日は貸切らしい。
それでも、見知った場所はそこかしこにある。勘を頼りに、うろ覚えで住所を探すうち、
「まいったな……」
迷った。方向音痴は自覚している。雑居ビルはどこも似たような形だし、ビル名を示す看板を探すのも、なかなか難しい。スマホのナビを使ってもみたが、電波が悪いのか、処理が遅いのか、矢印がくるくる回っている。自分が今どっちを向いてるのかも分かりゃしない。
こういう時は結局、誰かに聞くのが一番てっとり早い。早希は耳からイヤホンを外して肩にかけると、偶然、目の前にあった質屋のドアを開けた。ドアに掛けられた鈴が、軽やかに鳴り響く。
「いらっしゃいませ」
ウイングコートを修繕中のキビキが顔を上げ、
「本日のご用向きは?」
尋ねた。
(子供なのに、ずいぶん大人っぽい喋り方ね)
早希は内心驚きつつ、
「……あれ?」
首を傾げた。なんとなくだが見覚えがあるような、ないような。
幼児向けの目覚まし時計に、使い込まれたトランプ、百円ライター、名前の書かれた給食袋、割れた眼鏡、虫かご、古いダイヤル式の黒電話、万年筆、シンバルを持つ玩具の猿、コスプレっぽい衣装を着た銀髪男のマネキン、燭台、古新聞、乳酸菌飲料の容器で作られた恐竜、ミサンガ、鹿の角、壁にかけられた大きな盾、両端に金箍が嵌まった金棒、ネットに入ったビー玉、松葉杖。
「つかえねー」
思わず呟くと、千恵の笑顔が浮かんできた。既視感にしては、生々しい。そうだ、高校時代に確か……
「なにかお気に召した品がございましたか?」
キビキに問われた瞬間、何か思い出しかけていたものが霧散してしまった。過去に飛びかけていた意識も現在に戻ってくる。
「ああ、ごめんね。お客じゃないの。えっと、なんだけ。そう! ちょっと道を聞きたくて」
「左様ですか」
キビキは名残惜しげに修繕の手を止め、
「ご住所をお教えいただけますか?」
「あ、これなんだけど。分かるかな?」
あまり期待せず、千恵からの招待状を差し出す。キビキは、ふむ、とうなずき、
「ここなら当店を出て、すぐ目の前ですよ」
「えっ、本当に?」
そんなことがあるだろうか、と思いつつも、
「ありがとう。それじゃ」
出て行こうとした早希を、
「お客さま」
キビキが呼び止めた。
「宜しければ、そちらのお品を拝見できませんか?」
「これ? 別にブランドものじゃないよ?」
長年愛用しているビジネス鞄を指差す早希に、キビキは頭を振った。
「いえ、お鞄ではなく、中に入っている音楽の……」
「iPod?」
「はい。拝見できますか?」
キビキの薄紫色の瞳が弧を描く。
「まあ、いいけど」
道を教えてもらったもんね。早希は、鞄からiPodを取り出すと、
「はい、どうぞ」
イヤホンごとキビキに手渡した。最新のiPodとは言え、iPod自体が廃盤になってもう何年にもなる。この少年の年頃なら、iPodの存在自体、知らなくても不思議ではない。。
「見たことある?」
後々なにかで、会話のネタになるかもしれない。ちょっぴりわくわくする早希に、
「はい。存じ上げております」
キビキは無表情にうなずいた。それなりのリアクションを期待していた早希にとっては無反応に等しい。残念がる早希を他所に、
「それでは、拝見いたします」
片眼鏡をかけ、白絹の手袋を嵌めたキビキが、手にしたiPodを丁重に鑑定し始める。斜めにしたり、真横から見つめたり、片目を瞑って細かな傷や差込口を覗いたり。
(いっぱしの鑑定人気取りね)
込み上げる笑いを堪えているうち、だんだん不思議な気分になってくる。照れ臭いような、恥ずかしいような。使い込んだiPodを通じて、今までの人生を覗かれているような。
「百万円です」
唐突に、キビキが言った。
「……え、なに?」
問い返す早希に、顔を上げたキビキが微笑む。
「当店は質屋ですので。もし、こちらのお品を質入れいただいた場合にお貸出しできる金額を申し上げました」
「百万円、なの?」
「はい」
「一万円札が、 百枚だよ」
「存じ上げております」
「大金だよ」
「たしかに」
大真面目にうなずくキビキに、
「いやいやいや……」
早希は頭を振った。そう。子供にとって大金といえば百万円だ。自分も小さい頃はそうだった気がする。この子もきっと、大人の真似をしたいんだろう。
「いかがでしょうか?」
尋ねるキビキに、
「申し訳ないんだけど、これは売れないんだ」
せっかく子供が背伸びしているのに、ぶち壊したくない。早希は少し考えて、
「これって、もうそこらへんに売ってないから、簡単に手に入らないし」
「そうですね。よって、先ほどの金額が妥当かと」
「いや、百万なんて、さすがに」
「では1割、十万円を上乗せ致します」
「ええっ、嘘でしょ?」
「めっそうもありません」
とん、と事も無げにカウンターに置かれた札束。
「一、二、三……」
もうひと束から十枚、数えられた一万円札が添えられる。
(……マジで?)
心が揺れる。
普通のiPodなら、即答で売り払っただろう。だがこのiPodには、特別な思い入れがある。高校生の頃に大好きだった曲が一つ、保存されているのだ。あまりメジャーなアーティストではないものの、今も活動しているみたいだし、この曲だけは少しヒットしたから、何らかの動画サイトで検索すれば見つからなくはない。どうしても聞きたくなったら、そうすれば良いのだが……
(いやいや。いやいやいや! なに考えてんだ、私は! 子供だよ。本物のお金のはずないじゃん!)
早希は頭を振って思い直すと、
「やっぱり、やめとく。ちょっと説明しにくいんだけど、訳ありでさ」
「なにか、手放されたくない理由がおありですか?」
「ああ、うん。まあ、そうね」
「お聞かせいただいても?」
見つめてくる薄紫色の瞳は神秘的なほど透き通っている。まるで何もかもを吸い込んでしまうような……
「ずっと前から、分からないことがあって」
子供を傷つけないよう適当に誤魔化そうとしたのに、思いがけず自分の口から滑り出した言葉に早希自身が驚いていると、
「分からないこと、ですか?」
するりと先を促され、
「そう。何て言うか……」
早希は唇が勝手に言葉を紡ぎ出しているような奇妙な感覚を覚えつつ、
「なんか、モヤモヤしてるのよね」
「モヤモヤ、ですか」
「うん。わたし、怒ってるのよ。たぶん」
「なるほど。どなたにお怒りなんでしょう?」
「そこなの。それが分からなくてさ。この曲を聴いてたら、誰なのか分かりそうな気がするのよね」
「……ふむ」
キビキは少し肩をすくめ、
「私には理解できませんが、まだこちらの品を手放されるおつもりはないということですね」
「だね」
「残念です」
キビキは名残惜しげにiPodを早希に返しながら、
「もし気が変わられたら、いつでもお越しください」
「分かったわ。じゃ、おうちの人によろしくね」
早希は踵を返し、店を出た。ドアの鈴の音が鈍く鳴った。




