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 年の瀬が近づく古都。

 細長い路地に昔ながらの小さな店が軒を連ねる市場では、威勢の良い物売りたちの正月料理の材料や飾り物を売る声が飛び交っている。蒸しあがったばかりの饅頭の湯気をくぐったところで、

「みてみて! 父さま!」

 袖を下に引かれ、人ごみに妻の姿を探していた秀三は視線を落とした。

「あの海老、甲冑つけとるわ!」

 魚屋の店先に、茹で上げられた朱色の大きな海老が、たしかに鎧武者よろしく鎮座している。

「ああ。あれは伊勢海老っていうんだよ。海の底にしかいない、珍しい生き物なんだ」

「へえ、そうなんや」

 垂れた鼻水を袖で拭い、治之助はるのすけは破顔した。つられて笑みが浮かぶ。四十歳近くになってから授かった息子は、少し体は小さいが、利発だし、なにより愛嬌がある。

(親バカ、と言うのだろうな)

 独り言ち、小さな手で自分の手を握りしめ、先を急ぐ治之助とともに歩みを進める。

「母さま!」

 喧騒のなか一際大きな声で叫んだ治之助に、小さな店へ入ろうとしていた女が振り返った。

はるぼん。みーつけた」

 微笑む妻、なつの元へ駆けていく治之助。

「母さま、あっちに武者海老がおったで」

「武者海老?」

「伊勢海老だよ」

 やって来た秀三が言い添えると、治之助は頬を赤らめて「伊勢海老が」と訂正した。

「ほんま、武者みたいな格好しとるからなあ。治ぼんはお見立てが上手やわ」

 頭を撫でられ、治之助は一気に上機嫌だ。

「伊勢海老って美味しいん?」

「そうやねえ」

 なつは微笑んだまま、

「うちはお餅の方が好きやなあ」

はるもお餅がええ! きな粉の! きな粉! きな粉!」

 囃しながら、なつの周りをくるくる回って笑う治之助。

「もち米は買えたのかい?」

 小声で尋ねる秀三に、なつは小さくかぶりを振る。

「ちょびっとだけ、足りひんかったんよ。今年は不作で値上がりしとるそうやから」

「……そうか」

 肩を落とす秀三に、

「そやから、ここで融通してもらお思て」

 なつが目の前の店を指差した。一枚板の看板に、質一文字が円で囲ってある。

「質屋? こんなところにあったかな?」

 最近できたにしては、店構えが古めかしい。戸板も異国風で、変わっている。首をかしげる秀三に、

「うちもよう覚えてへんのやけど、昔っからあったんやろねえ」

 なつは戸を押し開けると、躊躇なく店のなかへ入って行った。戸の上に掛けられた鈴が軽やかに鳴るなか、秀三と治之助が続いて入店する。

「いらっしゃいませ」

 片眼鏡を外し、キビキが席を立った。眺めていたギンガムチェック柄の紙を懐にしまい込む。

「本日はどのようなご用で?」

 バーカウンターまでやって来た洋装の少年に面食らう秀三たちに、

「質草は、そちらでしょうか?」

 なつが手にしている袱紗を、キビキが指差して言った。

「ああ、そう。そうなんやけど」

「拝見してよろしいですか?」

「ああ、えっと……はい」

「それでは」

 キビキに促されるまま、なつが袱紗を解く。

かんざしですね」

「ええ。飾り簪の翔燕桜。本金やと聞いてます」

「なるほど」

 キビキが白い絹手袋をはめた指を簪に伸ばそうとしたところで、

「なつ、それはいかん」

 秀三が割って入った。

「その簪は、お前の家の代々の嫁入り道具じゃないか」

「だから、もう要らんやないの。治之助は嫁入りせえへんのやから」

 なつは笑って言い放ち、

「この簪を質入れしたいんや。おぼっちゃん、悪いんやけど大人の人、呼んできてくれる?」

 眉をひそめるキビキ。店の奥から愉快そうな女の笑い声が上がった。

「当店の鑑定は、私が行います」

 きっぱりと言うキビキに、

「だめだ」

 秀三が再び割って入った。キビキの表情が明らかに曇る。

「私の鑑定がご不満でしたら、お引き取りいただいても結構ですが……」

「いや、違う。そうではなくて」

 秀三が慌てて言い添える。

「その簪は、妻が亡き祖母から受け継いだ大切な形見。それを質入れするわけにはいかんと申したまで」

「そやけど……」

「是非もない。それはしまっておきなさい」

「ほんなら、どないするんよ。お給金いただけるのは年明けやし」

 困り顔をする妻なつに「大事ない」と微笑みかけ、

「代わりに、これを」

 秀三は腰から鞘ごと刀を抜き出し、カウンターへ置いた。打刀と脇差。

「拝見します」

 キビキは片眼鏡をつけると、慣れた手つきで刀の鞘を払い、柄も外し、刀の色艶や刃紋を確認していく。

「銘こそありませんが、備前の名刀ですね」

 重ねた羽二重に刀の峰を乗せ、刃元から切っ先を見つめる。

「すばらしい。手入れも行き届いています」

「手入れだけは得意でして」

 自嘲する秀三に、

「秀さん」

 なつが袖を引いた。

「あかんよ。刀は侍の命やないの」

「構わんさ」

 秀三はなつの手をそっと押し戻し、微笑みかける。

「もうすぐ刀の時代は終わる。刀を手放す時が、少しだけ早まっただけさ。これからは勉学の時代だ。治之助の勉学のためにも、少しでも多く金を貯めておかねば」

「よろしいですか?」

 片眼鏡を外して確認するキビキに、秀三がうなずく。

「それではこちらの品を質草としてお預かりして、お貸し出しをいたします」

 キビキが差し出した大判二枚を見下ろし、秀三となつは揃って目を丸くする。

「こ、こんなに?」

「ええ。お客様は勿論、お客様のご先祖様も代々、とても大切にしてこられたのですね」

「……はい」

 秀三は愛おしげに刀を見下ろし、

「尊王攘夷派の悪漢に討たれた父が、今際の際に譲り渡してくれた伝家の守り刀で」

 昨日のことのように、その時のことを思い出した。家禄を召し上げられ、自分の非力さに打ちひしがれていた時も、許嫁のなつは秀三を見捨てなかった。物思いにふける秀三の前で、キビキは外した刀身の代わりに手際よく竹光を仕込み、鞘に戻して格好を整えていく。

「わしのような下手くそでなければ、こいつももっと役にたったろうにな」

「なに言うてはるの!」

 なつが怒って言った。

「刀が強いだけが男やおまへん。頭が良いのが、秀さんのええとこや。ええとこ使うて誰かのお役に立てたら、それでええやないの」

「そうだな。なつの言う通りだ」

「心配せんでも、次の仕官先かて、すぐ見つかるわ」

「なつにそう言われると、そんな気がしてくるよ」

「そやけど、秀さん」

 なつが悪戯っぽく笑う。

「見る目のあるお人を探さなあかんえ」

「ああ。頑張るよ」

「あんじょう、おきばりやす」

 にっこり微笑む妻にうなずき、秀三は大判をなつに手渡した。なつは額でそれを拝んでから、神妙に袱紗に包み込んだ。

「情けのない話なのですが、この金は返せる見込みがありません。このまま質流れにしてもらえると有難い」

 秀三は言った。

「よろしいのですか?」

 キビキは契約書を取り出し、秀三に見せた。

「約定?」

「そうです。ここに書いてありますが」

 キビキは契約書に記された細かい文字を指差しながら言う。

「利息を滞納、あるいは期日までに返金されなかった場合は、品物の所有権およびそれに付随する一切を当店に譲渡することになります」

「それに付随する一切?」

「そうですね。今回の場合、この刀にまつわるお客様の全ての記憶や思い出、あらゆる感情、といったところですかね」

「忘れようとしても忘れられんさ。質流れで頼みます」

「結構です。それでは、こちらの乙欄にご署名を」

 細筆を渡された秀三は、初めて見る横書きの日本語に戸惑いつつも、優れた筆運びで佐々木秀三と記した。キビキはそれを確認すると、竹光になった打刀と脇差を秀三に手渡した。

「では、ごめん」

 竹光を腰に差し、背を向けた佐々木一家に、

「ご利用、ありがとうございました」

 キビキが静かに頭を垂れた。

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