表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
質屋・籠の備忘録  作者: 甲乙イロハ
ハートのリード
48/82

48

「な、なんだ?」

 公望は焦った。コラか? そんなはずはない。自分が飼った犬は全て、うるさくしないように声帯を切除していた。もちろんコラも例外ではない。見れば、やはりまだ部屋の隅でうずくまっている。

「痛てっ!」

 公望は自分の手を見た。リードの金具がありえないほど開き、公望の親指に噛みついている。

「な、なんだこれ?どうなってんだ、くそっ!」

 公望は金具を指から無理やり引き剥がし、ベッドに投げつけた。リードはするすると蛇のように勇希の手から解けると、再び公望に飛びかかった。

「ひっ」

 飛んでくるリードを避けようとした公望は、脱ぎかけのズボンに足を取られて転倒した。さらに大きく変形したリードの金具は、まるで狼の顎のようにガチガチと開閉させながら、公望の全身に次々と噛みつく。

「痛い、痛い! やめてくれっ! ぎゃあっ!」

 のたうち回る公望。何が起きているのか分からないまま、勇希は身を起こした。痛む頭を片手で支えながら、なんとかベッドから降りて立ち上がると、部屋の隅、伏せた犬のところへ駆け寄った。

「良かった」

 生きている。だが衰弱して、ぐったりしている。怪我もしているようだ。優しく抱きかかえ、立ち上がった。

「うぎゃあああっ!」

 リードの金具に急所を噛まれ、悶絶する公望。完全に公望が動けなくなったところで、リードは勇希のところへ戻ってきた。

『クゥーン』

 甘える鳴き声。いま抱いている犬ではない。大きくなっても変わらなかったその鳴き声は、今でもはっきり覚えている。

「ゲンタ?」

 言った勇希の右手に、リードの持ち手が絡みついてきた。ほとんど反射的に握った途端、ぐい、と引っ張られる。

「な、なんだこれ?」

 何も繋がれていないリードに引っ張られ、駆け出す。戸惑いながらも、どこか懐かしく感じる。

「やっぱり、ゲンタなんだな」

 勇希が言うと、ワン、とリードが吠えた。

 公望の実家は大宍山の中腹の、元別荘地だ。伸び放題の木々に囲まれ、真っ昼間でも薄暗い山道を駆け下りていく。

「ちょ、ちょっと待って。息が」

 勇希が言うが、リードは引っ張るのをやめない。むしろ速度を上げた。さらに獣道に入っていく。ほとんど崖だ。降り続いた雨で地面もぬかるんでいる。

「あっ」

 すぐに足を滑らせた。滑り落ちる、と思った瞬間、ふわりと体が浮いた。

「え? え?」

 落ちているのだが、地面には着かない。さらに目の前に急カーブ、今度こそ本当の崖だ。体が空中へ放り出される。

「うわあああっ!」

 悲鳴を上げる勇希。つま先が空を掻く。落下し始める直前、リードが勇希の腰に巻きついた。ふわっと視界がひらける。

大宍山の斜面から見下ろす雨上がりの町が、陽光を反射してキラキラと輝いている。

(最後に見る景色がこれなら、悔いはないな)

 諦めて、微笑む勇希。色々あったけど、楽しい人生だった。

 しかし、終わりは訪れなかった。勇希の体はなにかの力に引っ張られ、宙に浮いたまま、ジップラインを使っているかのように山裾へ向かってゆっくり降りていく。勇希は考えるのをやめた。考えたって、どうせ分からない。それより。

「ゲンタなのか?」

 身体に優しく巻きついたリードに向かって話しかける。

『クゥーン』

 懐かしい鳴き声。やはりゲンタだ。ゲンタが助けてくれたんだ。涙がこみ上げる。

「僕、お前のことあんまり……子犬の頃のことしか覚えてないんだ。忘れちゃって、ごめんな」

『クゥーン、クゥーン』

 ゲンタの鳴き声。

「なに言ってるか、わかんないよ」

 勇希が泣きながら笑ったその時。背後で轟音が鳴り響いた。

「な、なんだ?」

 肩越しに振り返ると、大宍山が頂上から東向きに土砂崩れを起こしていた。

「うわ……あ……」

 まるごと飲み込まれたキンモチオートサービスが、大宍川まで押し流されていく。山の中にあった別荘地、公望の自宅もあの土砂の中だろう。おそらくは、公望ごと。ほかに巻き込まれたのは道路と、一部の畑だけ。勇希の家も店も無事だ。

 地面に足が着いた。中空を漂うリードを手に、呆然とする勇希。生まれてから一度も土砂崩れなど起こしたことがない大宍山の崩壊を目の当たりにして、言葉も出ない。まさか、こんな事が起きるなんて。

「あーあ。崩れちゃっただわさ」

 勇希の肩をポンと叩き、ブレイシルドが言った。空になったリュックサックを右肩にかけている。

「あんたも、ずいぶん酷い目にあったみたいだわさ」

 頭から血を流し、全身汚れた勇希を眺め、ブレイシルドは事もなげに言った。

『ワン!』

 不意に、足元でなにかが吠えた。勇希が胸に抱えた犬の掠れ声ではない。見下ろせば、リードの先にゲンタが座っていた。

「ゲンタ!?」

 犬を抱えたまま、目を丸くして屈む勇希。

「ゲンタ、ごめんね。僕、ちゃんと守ってやれなくて。僕のせいで、僕が……」

 顔を近づけようとした時、ゲンタの姿が揺らいだ。

「行くな! 行っちゃダメだ!」

 勇希は叫んだが、ゲンタの姿は次第に薄らいでいく。

『ワン! ワンワン!』

 もう一度、ゲンタが吠えた。しっぽを盛大に振っている。

「もう大丈夫だねっ、て言ってるだわさ」

 そう言ったブレイシルドを、見上げる勇希。

「え?」

「これからはその子が一緒だから安心だって」

 勇希は慌てて、ほとんど透明になったゲンタににじり寄る。

「ゲンタ、ダメだ。待って! 行かないで!」

『ワンワン! ……ワン!』

「ずっと大好き。……またね」

 ゲンタの姿が完全に消え、リードから力が抜け落ちる。

 と同時に、勇希が忘れていたゲンタとの記憶、思い出、その全てが鮮明によみがえった。貯めたお小遣いでリードを買ったあの日から、リードを手放すことになったあの日まで。

「……ゲンタ……」

 泣きながら声を絞り出す勇希。

「……ありがとう。またね」

 応じるように、どこかで犬が遠吠えを上げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ