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「いらっしゃいませ」
顔を向けるキビキ。鑑定中の懐中電灯をデスクの上に広げたシルクの上に大切に乗せると、片眼鏡を外して立ち上がった。
(なんだ、ここ?)
質屋に来ること自体はじめてだが、なにか違う。ブランド物やアクセサリー、骨董品などが並んでいるものと思っていたが、並んでいる物は、なにもかもガラクタにしか見えない。
「本日はどのような御用向きでしょうか?」
外見に不相応な、落ち着いた声。薄紫色の瞳は吸い込まれそうに澄んでいる。
「あ、いや。店に用があるわけじゃなくて。あの、お母さんは?」
「母? 私の、ですか?」
「うん。ブレイシルドさんに用事があって」
「ほう」
キビキは少し目を見開いた。
「ブレイシルドのご友人ですか。それはそれは」
「ご友人ってほどじゃなくて、犬好き仲間っていうか……」
勇希は違和感を感じた。この子、母親を名前で呼んでる? しかも呼び捨てで?
「なるほど。ですが生憎、彼女は外出中でして。もうじき戻って来るとは思いますが……店内でお待ちになられますか?」
頭を振る。ブレイシルドはこの子の母親ではないようだ。てっきり母親のブレイシルドに店番を任された子供だと思ったのだが。不用意な言葉だったかもしれない。反省しつつ、
「急ぎの用じゃないから、また来ます。その……ごめんなさい」
いたたまれず踵を返した時、壁に掛けられていた物に目を奪われた。大小様々なハート柄が散りばめられたピンク色のリード。
「これって……」
あの写真の、ゲンタのリードにそっくりだ。
「お目が高いですね」
靴音を鳴らし、背後からキビキが歩み寄ってくる。
「いのちの手綱といいます。質流れ品ですので元通りというわけには参りませんが、きっとお気に召していただけますよ」
「うちで犬を飼う予定で。ちょうどリードを探してて」
リードを手に、呟く勇希。
「おいくらですか?」
「そちらは二十円になります」
「え? 二十円?」
思わず聞き返す勇希に、
「元の所有者が、お金にご興味なくて。格安で仕入れができましたので。お値段は大特価ですが、性能は素晴らしいですよ」
「じゃあこれ、ください」
言葉の端々に違和感を感じながらも、勇希はキビキに十円玉を二枚手渡した。
「ご利用、ありがとうございました」
キビキが深々と頭を垂れた。リードを手に店を出た勇希は、すぐに家へ戻った。
「ただいま」
言うが早いか、まだ犬と戯れている両親の元へ向かう。
「これ、ちょっと見てくれる?」
犬に飛びつかれながら勇希が差し出したリードを見て、両親は目を丸くした。
「これ、ゲンタのと同じやつじゃないか!」
「よく見つけたわね! これ、限定生産だったのよ! すごいじゃない!」
喜ぶ両親に、
「違うんだ。ほら、ここ」
リードの持ち手のあたりに、消えかけてはいるが黒マジックで書かれている文字は、
「ゲンタ? ゲンタのリードなの、これ?」
「まさか……なくなったと思ってたのに。どこにあったんだ?」
勇希は質屋の話をした。が、
「父さんは生まれてからずっと大宍で暮らしてるが、この町に質屋なんてないぞ」
「でも、確かにそこで買ったんだ」
「まあまあ。それは後でもいいんじゃない?」
母が割って入る。
「うちのお嬢さんを散歩に連れて行ってあげて。ずっとお待ちかねよ」
そうだった。勇希はじゃれついてくる犬の首輪にリードをつけた。急ごしらえのお散歩バッグも手渡され、
「じゃ、行って来ます」
家を出ると、雨はやんでいた。ちょうど雨雲の切れ間で、陽も差している。運がいい。犬に引かれ、国道沿いを歩いて行く。昨日は足を引きずっているように見えたが、大きな怪我ではなさそうだ。でも、とりあえず急いで獣医の予約を取らないと。
国道沿いにまっすぐ行って、カーブミラーに着いたら右へ曲がって。ゲンタとの散歩コースだ。
しばらく歩き、去年まで営業していた駄菓子屋の角を曲がり、一軒も営業していないシャッター商店街を抜けようとしたところで、行く手を車に塞がれた。ゴールドのボディの高級車。
「おう、桝谷!」
車から降りてくるなり、公望は嗤いながら言った。
「どいてくれ」
毅然と言う勇希に、公望は肩をすくめる。
「そう毛嫌いすんなって。ああ。先に礼を言わなくちゃな」
「礼?」
「うちの犬を保護してくれて有難うよ」
「やっぱり、飼い主はお前なのか?」
「そうだ。手広くやり過ぎてな。お役所の手入れが入って、全部ご破産だ。残ったのはそいつだけってわけさ。ほら、来い! オラ!」
公望に呼ばれても、犬は勇希の陰に隠れるだけだ。
「オラ、てめえ、さっさと来ねえとぶっ飛ばすぞ!」
大声で怒鳴られて、犬は尻尾を巻いて震え出す。
「大声を出すな。怖がってるじゃないか」
「へっ。飼い主気取りかよ? まあいいぜ。お前がどうしてもその犬が欲しいってんなら、くれてやってもいい」
「じゃあ、そうしてくれ」
「その代わり、ホテル建設賛成の書類にサインしろ。自治会長としてだ」
「するわけないだろ、大体、僕がサインしたところで、みんなの意志は変わらないぞ」
「知るかよ。俺が請け負ったのは、自治会長の賛成だけだ」
「請け負った?」
公望は小さく舌打ちし、
「どうするんだ? サインするのか?」
「イヤだ。断る」
勇希が言い終わる前に、公望がその手からリードを奪い取った。
「じゃあ、こいつは渡せねえ。帰ってネチネチ反対運動でもしてやがれ」
「返せよ!」
「うるせえ。俺の犬だっつってんだろが」
「返せって言ってるだろ!」
つかみかかる勇希を、
「ふざけんな、このオトコ女がっ!」
公望は真正面から蹴り倒した。仰向けに倒れた勇希をさらに踏みつけようと、公望が上げた足に、
「痛ってええっ!」
犬が噛み付いた。靴の上、靴下を履いていない公望の足首に、がっちり食らいついている。
「離せ、コラ! 離しやがれ、こいつっ! 飼い主様に向かって、よくもっ」
公望は噛まれていない方の足の踵で、犬の鼻っ面を蹴り飛ばした。掠れた悲鳴をあげ、犬が後ずさったところを更に蹴り上げ、踏みつける。苦しげに鳴き、倒れこむ犬。立ち上がれない。
「くそっ、あぁ、痛ってぇ」
公望は悪態を吐きながら、足を引きずり車へ向かう。ドアを開け、運転席に膝をかけ、助手席を探っている。
「公望っ!」
勇希が叫んだ時、
「うるせえよ」
振り向いた公望は、真新しいバットを握っていた。




