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質屋・籠の備忘録  作者: 甲乙イロハ
ハートのリード
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 さっきまで騒いでいた雷雲は東の空へ去って行ったが、雨は静かに降り続いている。

 町の南西に鎮座する大宍山は、田畑を避けるように敷設された国道で町と隔絶されている。山中に居を構え林業を営んでいた所有者が亡くなってからというもの、荒れ放題だ。

 そんな山深い森の中。

 山道を逸れ、獣道とも判別つかない険しい悪道を登ると、不自然に拓けた場所があった。高い木々に囲まれた空は枝葉に覆われているが、山の頂がほど近いため木洩れ陽が鮮やかだ。

 その広場の中央あたり、一番太陽があたる場所に、大人の腰ほどの高さまで積まれた石の台座がある。その脇には、古い木製のやしろが横倒しになっている。

「よいしょっと、だわさ」

 ブレイシルドは背負ってきた大きなリュックを足元に下ろした。出で立ちはいつものままだ。軽く伸びをして、周りを見渡す。

「これが、キビキの言ってた山神のおやしろだわさ?」

 へし折られた社の柱。屋根板も、美しい格子目が組まれた戸も割れて外れ、あたりに散乱している。どれも古い木で雨に濡れてはいるが、朽ちてはいない。ごく最近、壊されたのだろう。おそらくは、現場に捨てられた、この折れたバットで、だ。

「捧げ物って言っても。この有様じゃ、どこに捧げたもんだか……」

 リュックサックを開けたはいいが、そのまま呆然とするブレイシルド。

『でていけ』

 声が脳に直接響いた。ブレイシルドには覚えのある感覚だ。

『異国の神の眷属よ』

 ブレイシルドの頭の中で、声が更に語りかけてくる。

『我が聖域を侵すこと罷りならぬ』

「あんたに食い物を持って来ただけ。オソナエってやつだわさ」

『信心なきものの供物などで、力は満ちぬ』

「そういうもんなんだわさ?」

『すみやかに去れ』

「うちのオーナーの頼みだから、そういうわけにもいかないんだわさ」

 木立の隙間から立ち上った時期外れのもやが、一所に集まり、なにか大きなものを形作っていく。

「……へえ」

 ブレイシルドは不敵に笑った。

「それがあんたの本体ってわけだわさ?」

 どんどん集まった靄は次第い色を濃くし、ブレイシルドと変わらぬ体高の、巨大な白い猪となった。体重は十倍以上あるだろう。

『去れ。踏み潰してしまうぞ』

「あたしの役目は、あんたにオソナエを届けること。受け取らせるまで、帰れないだわさ。動物は傷つけない主義だけど……」

 ブレイシルドは左右の籠手を打ち鳴らし、身構えた。籠手に刻まれたルーン文字グリーマ・ガルドゥルが光り輝く。

「相手が神なら話は別だわさ」

『不遜なお転婆めが。ふきとばしてくれる!』

 白猪が地を蹴った。まさに猛進。蹄で土と草いきれを踏み荒らしながら突撃してくる。対するブレイシルドは股を大きく前後に割って深く腰を落とした。大きく息を吸い込み、

王神式鐵甲ヤールングレイプル……」

 呪文を唱えるように呟き、体内の息を吐き切った。迫る巨躯を前にしてなお堂々と、正拳をゆっくりと腰だめにし、

穿杭弾スヴィティ!」

 突き放った。拳は白猪の眉間を捉える。両者が激突するや、白猪は跡形もなく四散した。激しい衝突にも関わらず音もない。色濃い靄が、あたりに降り注ぐ。

「……やれやれ。とんだお転婆だぜ」

 靄の中から甲高い声がした。石の台座に、なにかがいる。

「それが正体ってわけだわさ」

 靄が薄れていく。構えを解いたブレイシルドに、

「仕方ないだろ。おいら達の信者は減る一方なんだ。おまけに社まで壊されてよお。最後のパワースポットだったってえのに。これじゃ、いつまでこの山を支えられるか分からねえぞ。ったく」

 台座の上でお座りしている小さな猪は不機嫌そうに言った。

「で、まだやるだわさ?」

「無理無理無理。今の幻術で出がらしだよ。こうなったらジタバタしたって始まらねえ。煮るなり焼くなり、好きにしな!」

 ぷい、とそっぽを向いた小猪に、

「だから。あたしは、あんたにオソナエを持ってきたんだわさ」

 ブレイシルドは倒れたリュックサックを指差した。開いた袋の口から、大根、人参、筍、果物が転がり出ている。

「毒入りだろ。毒殺されるぐらいなら、オイラ、飢え死にしてやる」

 そう言いながらも、小猪の口元からは涎が溢れている。

「あたしが毒殺なんて面倒なことするように見えるだわさ?」

「……むむ」

 小猪はブレイシルドをしげしげと眺めると、

「見えねえな。毒殺より撲殺が好きそうだぜ」

「ご名答だわさ」

「お前、異国の者だろう? てっきり呪術師の式神か、召喚された魑魅魍魎かと思ったぜ」

「……本当に撲殺されたいだわさ?」

「い、いや。いやいやいや。だってオーナーの頼みだとかなんとか言うからよお。てっきりここに変な建物を建てようとしてる輩の回し者かと思うじゃねえか」

「はあ。あたしも見くびられたもんだわさ」

 ため息をつき、ブレイシルドは腕を組んだ。

「それで? どうするんだわさ?」

「なにがだ?」

「お腹すいてるんでしょ? 捧げてやるから、食ったらいいだわさ」

 転がった野菜や果物を、ブレイシルドは顎で示した。

「貴様、神に向かってそのような……」

「続きは腹一杯になってから聞いてやるだわさ」

 ブレイシルドの軽口に、小猪もつられて笑う。

「ようし。満腹になったら再戦だ。今度は絶対に負けねえぞ。今度こそ、貴様が腰を抜かすほどの幻術を使ってやるぜ」

「結局、幻なんだわさ」

 呆れるブレイシルドを尻目に、小猪は供え物にかぶりついた。すごい勢いで食い散らかしていく。ブレイシルドは呆れ顔で、

「あたしのオソナエじゃ、力が満ちないんじゃないの?」

 指摘されたものの、小猪は口いっぱいに食べ物を詰め込んだせいで、言い返せない。

『力は満ちぬが、腹は膨れる』

 小猪に思念で語りかけられ、ブレイシルドは爆笑した。

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