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質屋・籠の備忘録  作者: 甲乙イロハ
ハートのリード
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「ほら、早く食べちゃいなさい」

 急かされても、時間はまだある。勇希はジャージ姿で椅子に腰掛けている。母の作った、遅い昼食のホットドッグから湯気が上がっている。勇希の大好物だ。

「昼夜逆転生活なんだから、せめて食事ぐらいは決まった時間に摂らないとダメなんだからね」

「分かってるって」

 勇希はホットドッグをつまみ、かぶりついた。自然に視線はテレビに向かう。天気予報。明日から大雨になるらしい。

「なんか、思い出しちゃうね」

 不意に母が言った。その視線を追い、勇希はテレビではなく、写真立ての中の、だいぶ色褪せたゲンタのことを言っているのだと気づく。

「あんた、お年玉でリード買ったのよ。ピンクのハート柄の、すごく可愛いやつ」

「ふうん。そうだったっけ? あんまり覚えてないんだよね」

「どこ行っちゃったんだろうね。母さん、絶対に捨ててないのよ。ほんとに」

「分かってるよ」

 母が野菜ジュースを出してくれた。勇希は一口飲んでから、

「ゲンタのこと、やっぱ、あんまり思い出せないんだよね。お父さんが叔父さんとこから貰って来てくれてから……子犬の頃のことはよく覚えてるんだけど……」

「そう? なら、別に良いんだけど」

 美味そうにホットドッグを平らげる勇希を見つめ、母が微笑む。その目尻のシワを見て、歳をとったな、と思う。ずいぶん白髪も増えた。 勇希は長い髪を後ろで括ると、

「ごちそうさま」

立ち上がって玄関へ向かった。欠伸をしながら花柄のお気に入りのサンダルを履き、外へ出る。まだ陽が高い。

「昨日も遅かったんだろ。あんまり無理するなよ」

 庭の手入れをしていた父が振り返って言った。

「父さんこそ無理しちゃ駄目だよ。血圧高いんだから」

 勇希が言うと、父は笑ってうなずく。勇希は外壁に埋め込まれた郵便受けを開け、なかを確認した。入っていた請求書といろんな広告チラシを引っ張り出した時、チラシの一枚がひらひらと地面に落ちた。拾い上げようとして、ふと、郵便受けの下に大きめのフックが埋め込まれているのに気づいた。

「なんだ、これ?」

 不思議そうに呟くと、

「おいおい、それも忘れたのか?」

 父は驚いて言った。

「ゲンタがシャンプーを嫌がるから、繋いどくために付けてくれって、お前が言ったんだぞ。中学の時だったかな」

「ふうん」

 記憶にない。

「じゃ、行って来ます」

 勇希は郵便物を持ったまま家を出た。家の裏がすぐ職場だ。ガソリンスタンドを改装したバー。地下に埋め込んだ燃料タンクの交換に多額の費用がかかるとかで廃業した後、脱サラした勇希が引き継いだ形だ。忙しい時は、年金暮らしの両親も手伝ってくれる。

 店のドアを開け、カウンターに郵便物を置き、冷蔵庫の食材を確認する。少し野菜が足りなさそうだから、明日には市場に買い足しに行かないと。

 空き瓶の詰まったビールケースを外に出していると、

(また来てる)

 痩せた柴犬が店の裏口をうろうろしているのに気づいた。ゴミ置き場は金網で囲われているため、漁ることはできないのだが、よほど腹を空かせているようだ。

(似てるな)

 今朝たまたま見たゲンタの写真と重なる。なんとなく懐かしくなり、

「おいで」

 声をかけられた犬は耳を立てた。静止して、じっと勇希を見つめる。

「おまえ……」

 近づこうとした途端、犬は慌てて反転して駆けて行った。山の中へ駆け込み、姿が見えなくなる。

「よっ、おはようさん」

 軽トラに乗ったまま声をかけて来たのは川本だった。川本酒店の三代目の看板娘。軽トラを停め、運転席から降りてくる。

「あいつ、最近よく見るよな」

 荷台から瓶ビールのケースを下ろす。

「飼い犬かな?」

「さあ。どうだろ。ずいぶん汚れてるし。野良じゃね?」

「首輪してるように見えたんだけど」

「んじゃ、どっかから逃げてきたのかな? どっかで轢かれなきゃいいけど……」

 言いかけて川本は急に口をつぐんだ。ビールケースをもう一つ下ろす。

「どうした?」

「いや、その、大丈夫かなーって」

「ん? なにが?」

 不思議そうに首を傾げる勇希。

「ああ、うん。いや、大丈夫ならいいんだ。あれ。なんの話だっけ」

「さっきの犬」

「ああ、そうそう。もしかしたら、あいつの犬かも」

「あいつ?」

「あ、まだ知らないんだ。ほら。中学の頃、公望っていたじゃん? 公望蔵太。車屋の、キンモチ オートセンターの息子」

「ああ、あいつね」

 渋い顔で返す勇希。中学の時、取り巻きを引き連れた公望に、いじめとまでは行かないが何かにつけて絡んでこられ、卒業間際、学校へ行くのが嫌になった時期があった。

「入院した父親の容態が良くないから、大宍こっちに帰って来てるらしいよ。どっかでブリーダーやってたって話だから、もしかしたら、あいつの犬かも。時期も一致するし」

「あー、あの馬鹿なら、ありえそう」

「ま、あいつももう大人だから昔みたいにガキっぽい真似はしないと思うけど……」

「うん」

「まあ、その……気をつけて。何かあったら相談に乗るからさ」

「ありがとう」

 じゃあ、と手を振って別れた。公望がいなくなって、初めてできた友達が、同級生の川本だった。男勝りで姉御肌な性格が、妙に勇希と合った。川本酒店の軽トラが国道を走り去っていくのを見送っていると、入れ替わりに、背後から耳障りな爆音が聞こえて来た。

 聞き覚えのある排気音。振り返ると、外国産のセダンが店の前に横付けしたところだった。ピカピカのゴールドのボディ。空ふかしの排気音がやかましい。運転席の窓が下りていく。

「よお。久しぶりだな」

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