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あの日。いつものようにここで遊び、帰る途中。国道で車の爆音に驚いたゲンタが駆け出した。瞬間、リードの金具が壊れ、飛び出したゲンタは歩道へ割り込んできた車に撥ねられ、轢かれた。車は一瞬だけ止まったが、勇希が駆け寄ってくると同時に、再び爆音をあげて急発進した。勇希は咄嗟に、その金色の車のナンバーを確認した。知っている。さっきも見た、公望の自家用車の番号だった。
警察や親には言えないと思った。公望が経営するキンモチオートセンターは、桝谷サービスステーションの上得意先。その社長の公望の車に飼い犬を轢かれた、だけではなく轢き逃げされたと言えばどうなるか。良い事など一つもない。来年高校に進学する勇希には、もう分かる。分かってしまう年齢になっていた。
降り出した雨に気づいて、勇希は山を降りた。曇天であたりが暗くなる中、県道に出る手前に、ぽつんと山小屋、ではなく、古びた店があるのに気がついた。
一枚板の看板に、質一文字が円で囲ってある。
「質屋……?」
あんなところに質店などあっただろうか。いつも通っていた道なのに、今まで気にしたことがなかった。記憶を手繰っているうちに、雨が激しく降り出した。勇希は質屋の軒下へ駆け込んだ。なんとかずぶ濡れにならずに済んだが、しばらく止みそうにない。ため息をついた時、背後で店のドアが開いた。
白熱灯の黄色い光が背後から差し、ドアにかけられた鈴が静かに鳴る。
「良かったら中へどうぞ」
顔を出したのは黒いスーツ姿の、勇希より年下の少年だった。
「いや、僕は……」
「しばらく雨はやみそうにありませんし、ご覧いただくだけでも結構です。意外な掘り出し物があるかもしれませんよ」
誘われ、勇希は店へ入った。
「ようこそ、質屋〈籠〉へ」
慇懃に頭を垂れる店主。店に並んでいる品物は、何に使うか分からない代物ばかりだ。
幼児向けの目覚まし時計に、使い込まれたトランプ、百円ライター、名前の書かれた給食袋、割れた眼鏡、虫かご、冥界電話、万年筆、シンバルを持つ玩具の猿、傀儡、燭台、古新聞、乳酸飲料の容器で作られた恐竜、ミサンガ、鹿の角、壁にかけられた戦乙女の大剣、ネットに入ったビー玉、松葉杖。棚に並べられた壷や鉢、食器、アクリルケースに入れられた懐かしのヒーロー人形、使い込まれたアルミ製のスーツケース、銭湯にありそうな大きな体重計、アイドルの顔写真が貼られた団扇、学習机、羽なしの扇風機、ノーブランドの万年筆、大小様々の試験管、アルコールランプ、ベル式の目覚まし時計、跳び箱の八段目、半畳の畳、半分に割られた竹、レトロな姿見、すのこ、炊飯ジャー、真新しい剣道着、如意金箍棒、高級そうな竹箒、額縁に入れられた賞状、どこにでもありそうな土鍋、百均にありそうな薬缶、マトリョーシカ。
(なんだろう、この店?)
質屋に入るの自体初めてだが、明らかに変だ。ブランド物のカバンや時計、貴金属など、金目になりそうな物が何一つない。勇希が呆気にとられていると、
「おそれいりますが」
「わっ!」
不意に背後から声をかけられ、びっくりした。あまりに静かだからか、いつの間にか、他に誰もいないような気になっていたのだ。
「私、店主の籠忌引と申します。今お持ちのそちらのお品でございますが、宜しければ鑑定をさせていただけませんか?」
「お品って、これ……ですか?」
ゲンタのリードを見下ろす勇希に、キビキは大真面目にうなずき、
「たいへん興味深い品物です」
「別にいいけど、鑑定なんかしてどうするの?」
「そちらを質草に金銭を融通いたします。期日までにご返済いただけない場合、そちらのお品は当店の所有物となります。詳細はこちらの契約書をお読みください」
差し出された契約書には、びっしりと書かれた細かな文字を、勇希はきちんと読みきった。読みきった上で、
「これ、本当なの?」
「なにがでしょう?」
「ここに書いてある、質流れしたら、その品物とそれにまつわる記憶を失うってところ」
「もちろんです」
勇希は顔をしかめた。こんな話、到底、信じられない。だが悪戯にしては手が混みすぎているし、ただの中学生である勇希にここまでする理由が誰にもない。
「分かった。質入れします」
「本当ですか。良かった。それでは鑑定を……」
「鑑定はしなくて良いです。お金も要りません。その代わり、記憶だけ消してください」
「そういうわけには参りません」
「どうして? お店に迷惑はかからないでしょ?」
「当店には、当店のルールがございまして。大きく逸脱してはならないのです」
「僕はこのリードと、その記憶を忘れられたら、それで満足なんだ。だから、お金は要らない」
「困りましたね。それでは品物をいただくわけには参りません」
「じゃあ十円で。それならいいでしょ?」
「さすがに安すぎます」
「売る方の僕がいいって言うんだから、それでいいよ。それにこの契約書には、金額については触れられていないし」
「……承知しました」
「必ず忘れられるんだよね?」
「それは保証いたします。それではこちらのお品を質入れおよび質流れ品として、当店の所有とさせていただきます」
キビキはどこからか十円玉を一枚取り出すと、勇希に手渡した。そして、
「ご利用ありがとうございました」
深々とお辞儀した。




