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唐突に、学習机の引き出しが開いた。隙間から這い出た細い手が引き出しの縁をつかむ。
と、壁掛けから外れたブレイシルドが艶かしい人型に転身し、引き出しから伸びた手首をつかんだ。そのまま、
「おかえり、だわさ」
大根でも引き抜くようにキビキを持ち上げる。
「おつかれさまです」
言ったキビキを、ブレイシルドが不思議そうに見つめ返す。
「……どうしました?」
「あんた、笑ってるだわさ」
指摘されて、キビキは宙吊りのまま、空いた手の指先で頬に触れた。
「おや、これは……」
床に降り立ち、たった今出て来た、時空を越える学習机、時空机の上に、持ち帰って来た懐中電灯を置く。
「ふむ。興味深い」
自らの頬をさすり、確かめる。たしかに、笑っている。客向けの愛想笑いでも、感情を抑えるための作り笑いでもない。
「予定よりずいぶん遅いお帰りだったけど、何かいいことあったんだわさ?」
「いえ、別に」
キビキはにやけるブレイシルドから視線を逸らし、
「実は、例の守護者の冊子に振り回されましてね」
「へえ」
「まいりました。でもまあ、お客さまあっての当店ですから。無償奉仕も良いものです。たまには」
「たまには、ねえ……」
ブレイシルドはますます笑みを深めた。が、キビキが口元に手を当て咳払いした途端、
「ちょっと、あんたっ!」
ブレイシルドはキビキの手首をひっつかむと、
「なんだわさ、これっ!」
金切り声をあげた。キビキの上着の袖が、わずかに長い。ぴったりに仕立ててあるはずのスーツの丈が、肘を曲げているにも関わらず、余って手の甲にかぶさっているのだ。
「ちょっと、見せるだわさ!」
ブレイシルドはキビキの黒いスーツに鼻先が触れるほど顔を近づけ、睨み殺すかのように見つめた。飛び散った血が付着した痕跡。わずかに残る鉄と火薬の匂い。
「あんた、死んだだわさ!?」
ブレイシルドは眉を吊り上げて叫んだ。
「ええ、まあ」
「ええ、まあ。じゃ、ないだわさっ! あれだけ気をつけろって言ったのに! だからついて行くって言ったんだわさ!」
「時空机は一人用ですから。今のところ」
「なら行かなきゃいいだわさ!」
わずかに肩をすくめるキビキ。
「まあまあ。そんなことより……」
「そんなこと!?」
激昂するブレイシルドにキビキは肩をすくめる。
「大丈夫ですよ。ほうっておけば、歳はまた取りますから」
「すぐには取れないだわさ。もう、しばらく外出禁止だわさ」
「そういうわけにはいきません。色々とやらなければならないことが……」
「店で大人しくしとくだわさ」
ブレイシルドはぴしゃりと言った。
「文句があるなら、そこらに縛り付けてやってもいいだわさ」
ブレイシルドの剣呑な微笑みに、キビキは苦笑するしかない。
「わかりました。それでは。私の代わりにお遣いをお願いできますか? 運ぶのが少々、たいへんですが……」
「相手はどこの誰だわさ?」
ブレイシルドはキビキの視線をたどり、段ボール箱に目を止めた。産地直送、と印刷されている。
「神様です」




