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質屋・籠の備忘録  作者: 甲乙イロハ
懐中電灯
35/82

35

 五階建ての雑居ビル。二台の監視カメラでしっかりすぎるほど防犯対策が施された一階は、ずっとテナントが未入居のままだ。二階から上は全て「あすなろ総合企画」が借りている。

 かなり古い建物なのでエレベーターはない。階段を重い足取りで上がって行く、長身の男。老舗和菓子店の紙袋を提げている。

 二階で足を止めた。老朽化した建物に見合わぬ最新式のカード式ロックが施された、頑丈な鉄扉をノックする。

 小さな機械音とともに開錠されたドアを開け、部屋に入る。正面の大きな姿見でスーツの乱れを整えると、その長い指先で、かけた銀縁眼鏡を押し上げた。

「失礼します」

 緊張してはいるものの、慣れた様子で入室する男。

「よお。きたか。教頭先生」

 重厚な樫の木のデスクに、ぴかぴかの真っ赤な革靴を乗せ、同色の、革張りの分厚いソファに背を預ける桃井。煙草を一服、紫煙をくゆらせる。室内だと言うのに真っ黒なサングラスはかけたままだ。

「預かっていたものを持ってきました」

 教頭と呼ばれた長身の男は、持ってきた紙袋をデスクの隅に置いた。重量に見合った重い、金属音。

「なかみは、見てねえだろうな。教頭先生よ」

 桃井に問われ、細い顎を引いて答える教頭。

「よし」

 破顔した桃井が立ち上がる。

「ご苦労だったな。教頭先生。またガサが入った時は頼むぜ?」

「……」

 返答しない教頭に、桃井の表情が曇る。

「おい、どうしたってんだ?」

「……こういうことは、今回を最後にしていただきたい」

 教頭の言葉に、桃井は沈黙をもって応えた。教頭を凝視したまま、再び紫煙をくゆらせると、火口を灰皿に押しつぶした。机の天板から足を下ろす。

「……なんだって?」

 静かに言う桃井。ごくり、と唾を呑む教頭。

「で、ですから」

「なあ、教頭先生よ」

 桃井はゆっくり立ち上がると、教頭に歩み寄り、親しげにその肩を抱いた。

「そんなこと言わずに、頼むぜ。あの時は俺が骨を折ってやっただろ? こっちだって、あんた息子さんのために、いや、あんたのために、ずいぶん危ない橋を渡ってやったんだぜ?」

「それは……」

「あの時、あの事件が明るみに出てりゃ、あんたは今、教頭なんかにゃなれてねえ。せいぜいが当時の学年主任、いや、教師って立場も危ういか」

「も、もう十年も前の話じゃないですか!」

 教頭は喉元に止まろうとする言葉を、決死の思いで外へ押し出した。

「毎回毎回、なんだかわからない荷物を預かって、隠して。自宅にあれば綺麗好きの妻が見つけてしまうし。履歴が残らなくて、カメラもない隠し場所を探して。それでも誰かに見つかるかもしれないと怯えて暮らすのは限界なんです。いつまでも、あなた方に協力し続けることはできません。今回限りで、もう……」

「おいおいおい、そいつは仁義に反するってもんだぜ」

「最初にお金はお支払いしたじゃないですか!」

「あれは相手方に渡した示談金だ。あんたの息子が怪我をさせたあの娘はなあ、奨学金で学校に通っててよ。詫び金は少しでも多く渡してやるのが人の道だろ。うちは一円だって貰っちゃいねえ」

「で、ですが、金額は倍にしてお渡ししたはず。半分はそちらでお納めくださいと」

「ガキの給食代をネコババした金なんざ受け取れるかよ!」

 桃井は激昂した、

「そ、それは……」

「教頭先生よ。問題なのは、あんたがあの時の俺の親切心を、そんな汚れた金で買おうとしたってことなんだよ! だから、俺は受け取らなかった。それが間違ってたってのか!?」

「そ、そういうわけではなくて……」

「そうか。なら、いいんだ」

 サングラスを外し、破顔する桃井。

「俺はあんたの悩みを聞き入れ、解決した。あんたは俺の悩みを聞き入れ、解決する。これで五分と五分だ。これからもよろしく頼むぜ、教頭先生」

「……」

 うなずかざるを得ない教頭。一礼して部屋を辞そうとした時、階段を上がって来る二つの足音が聞こえてきた。

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