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質屋・籠の備忘録  作者: 甲乙イロハ
懐中電灯
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 にぎわう飲み屋街から少し先に広がる、古い工業団地。

 一昔前は大手機械メーカーがこぞって工場を建設し、そこで働く人々がたくさん暮らしていたが、今は見る影もない。そこを抜けると、古い低層アパート群が現れる。もともと工場の労働者たちが暮らすために並行して造られた団地だが、工場がほとんど閉鎖された後も、周辺に比べて格安で借りられるため、かつての最盛期には程遠いが、部屋はそれなりに埋まっている。

 そんな団地の中心地に、その公園はあった。一つだけある街灯は電球が切れかけで、月のない夜に陰を揺らがせている。

 生い茂る雑草。すべり台、シーソー、ベンチ。鉄棒、硬い砂場、ブランコ、ベンチ。それらに囲まれて中央に設置された水飲み場に、小さな二つの影があった。

「いっぺんに飲むな。吐いちまうぞ」

 水を飲む弟の背中の服をつかんで、兄が言う。

「ほら、もう! だめだって」

 兄に服を引っ張られ、尻もちをつく弟。小さな噴水よろしく打ち上げられた水が弟を濡らす。

「わっ!」

「ご、ごめん!」

「だから言っただろ! おまえ、濡れちゃったじゃねえかっ!」

「お、おばちゃんに、怒られるかな……」

「たぶんな! だから一気に飲むなって言ったのに! ほら、脱げ!」

 濡れた赤色のシャツを脱いだ弟に、兄は自分の青色のシャツを着させた。二人とも、体に骨が浮いて見えるほど痩せている。

「に、兄たん、寒くない?」

「おれは大丈夫だ。きたえてっからな!」

 鼻水をすすり、兄は弟の、濡れた赤いシャツを一絞りして、手を通した。

「帰ってさっさと寝るぞ。水で腹が膨れてる間にな。明日の給食まで、なんとか保たせないと」

 兄弟は顔を見合わせ、お互いの真剣な表情に、なぜか笑ってしまった。

「あ、で、でも、兄たん」

「なんだよ?」

「あ……う、うん。な、なんでもない」

 もじもじする弟に、兄は苛立った。

「はっきり言えよ、寅泰! おまえ、そんなだから学校でバカにされるんだぞ! おれの弟なら、もっとシャキッとしろよ!」

「ご、ごめん。兄たん」

 弟は慌てて言った。

「兄たんってのもやめろって言っただろ。おれは隆一。隆一って呼べ! 二年のおまえが四年生の兄ちゃんを呼び捨てしてたら、おまえのクラスの奴らだってびびるからよ! わかったか?」

 弟の寅泰はうなずいて、兄の顔を見つめた。

「そうだ。喋るときは相手の目を見るんだ。びびんじゃねえぞ」

 兄の隆一に褒められ、寅泰の緊張が解けた。すう、と息を吸い、口を開く。

「おばちゃん、言ってたんだ。今月はきびしいから、ぼくらの給食代ははらえないって」

「……え?」

 隆一の表情が曇る。給食は唯一の安定したエネルギー源だ。その代金が支払われないとなると、今後、兄弟は満足に食事が摂れないことになるのではないか。おそろしい考えが小さな兄弟に圧しかかる。

「なんとかして金を集めないと……」

 隆一の切羽詰まった顔を見て、

「に、兄たん……」

 不安になった寅泰の声が震える。

「おう、ガキども。おめえら、そんなとこでなにやってんだ?」

 夜の静寂をだみ声で破ったのは、小柄だががっしりした、スーツ姿の男だった。これ見よがしに金銀糸が縫い込まれた派手なブランド物のスーツに、時間帯を無視した真っ黒なサングラス。金無垢の時計に、ただの飾りでは有り得ない、ごつい、髑髏と十字架の指輪。何よりその身から発散される暴力の気配に、幼い兄弟は息を呑んだ。

「こわがんなくていいぜ。俺は桃井ってんだが……」

 男がサングラスを外すと、思いのほか円らな眼が優しげに弧を描いていた。

「どうした? なんか困ってるのか?」

 桃井が言った時、兄弟の腹がぐう、と鳴った。桃井が笑う。

「腹、減ってんのか」

 答えない兄弟に、

「辛えよなあ。腹ペコってやつはよお」

 桃井は尻ポケットから取り出した本革の財布から一万円札を引き抜き、突き出した。

「ほら、こいつで何か買って食え」


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