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指摘されてはじめて、神父は自分の翼が、まるで影のように真っ黒に染まっていることに気づいた。
「な、なんだ、コレハ……!?」
ふくよかで柔く美しかった翼が、いつしか蝙蝠の羽根のように薄くなり、乾いて、硬く、尖っている。
「い、嫌ダ……ワタシは……ワタ、シ……ハ……」
神父の双眸から血の色の涙があふれ、地面に滴り落ちる。盛り上がった筋肉によって司祭服が破れ、巨大化、あらわとなった肌も硬質化し、灰色から漆黒へと変じていく。
「憎イ……なにもカモ人間の……人間ノせいダ……人間ガ……憎イ……」
「だから言ったでしょう。堕天する、と」
以前の倍以上、四メートルを超す巨躯を得た神父を見上げ、やれやれ、とばかりに頭を振るキビキ。落ちた影で辺りが暗い。
「ニンゲンがあああああああアアアアアアアアアアッ!!!」
神父であった頃の面影など消え失せた堕天使が、獣のごとき雄叫びをあげた。びりびりと空気が震えるなか、黒い羽根を羽ばたかせた堕天使が飛び上がった。燃えるように赤く輝くその眼球が見据える先にいるのが自分であることに気づき、真由子は息を呑んだ。黒い巨人のごとき堕天使が、深く裂けた口にずらりと並んだ牙をむき出しにして突っこんで来る。
「ブレイシルド」
「はいだわさっ!」
おののき動けない真由子の前に、ブレイシルドが立ちはだかった。迫りくる堕天使の軌道を見極めたブレイシルドが、カウンターの拳を放つ。拳は見事に堕天使の顎をとらえた。ぐしゃりと歪んだ頬の上で、堕天使の、瞳のない真っ赤な眼球がぎょろりと動く。
「こいつっ……?」
効いていないことに気づき飛び退いたブレイシルドに、堕天使が左右の爪をふるった。刀のように研ぎ澄まされた爪が、躱すブレイシルドの頬を、肩を、二の腕を切り裂き、甲冑をはぎ取る。ほとんど半裸になったブレイシルドは、血飛沫を散らしながら着地すると、
「ひさしぶりに骨のある相手だわさっ!」
ぺろり、と自らの血を舌で舐めとり、拳を構えた。
「お嬢ちゃん!」
すぐ背後の真由子に声をかける。
「ここはあたしが食い止めるだわさ! 彼氏を助けたかったら、キビキと交渉するだわさ!」
咆哮し、再び羽を振るわせ頭から突っ込んで来た堕天使を、左右の篭手を交差させて受け止めたブレイシルドは、そのまま堕天使の首根に腕を回して捕まえようとした、が、逆に堕天使は両腕をブレイシルドの細腰に回し、がっちりと固定したまま、地を蹴り、上空へ飛びあがる。
漆黒の羽根を激しく羽ばたかせ、どんどん高度を上げていく堕天使。
「こ、このっ……!」
急上昇による重力負荷に動きを制限されながらも、ブレイシルドはその肘を、堕天使の頭や顔面に何度も撃ち込んだ。怒った堕天使は首をもたげ、ブレイシルドの肩にかみついた。そうしてもみ合いながら、両者は雲の中へ突っ込んでいく。
天空から堕天使の咆哮とブレイシルドの雄叫びが降り注ぐなか、
「小林さま」
キビキが真由子を呼んだ。傷口を塞ぎながら巧を抱きしめ、少しでも体温を保とうとしていた真由子が顔を上げる。
「このままでは、桂木巧さまは死んでしまいます」
真由子は頭を振った。だめだ。そんなの、耐えられない。訳の分からないことに巻き込まれて、なにも覚えていない巧と、このままお別れなんて、絶対イヤだ。その気持ちを察したキビキは、
「桂木巧さまを助けるには、この生命の秘薬を使うしかありません」
懐から茶色の小瓶を取り出した。一見、おなじみの栄養ドリンクに見える。
「なんでもいいから、巧を助けて!」
懇願する真由子に、キビキはうなずいた。
「かしこまりました。お代として、お預かりしております金銭を諦めていただくことになりますが……」
「お金なんて要らない! 早く巧を助けてっ!」
「念のため申し上げますが、その場合、桂木巧さまはただ死を免れるだけ。記憶は戻りませんが、宜しいですね?」
迷わなかった。命には変えられない。たとえ自分のことを覚えていなくても、付き合っていなくても、別れたとしても、巧には生きていてもらいたい。真由子ははっきりとうなずいた。
「契約成立です」
キビキはそう言って、真由子に歩み寄って来た。
「こちらがご希望のお品です」
差し出されたドリンクを奪うようにして蓋を開け、巧の唇の隙間から流し込む。瑠璃色に発光する液体が、巧の喉の奥へ流れ落ちていく。
ドリンクが空になり、真由子は巧を見つめた。見違えるほど肌の血色が良くなっている。血の流出もとまり、荒かった息も次第に落ち着いていく。
「……巧……」
素人目にも、助かったのが分かる。ただ眠っているだけのような巧の姿に、真由子は安堵の息をついた。
その時だった。
「……まずいですね」
キビキは空を見上げ、顎を撫でた。堕天使に抱えられたブレイシルドは、堕天使の爪や牙、羽根についたかぎ爪で全身を無惨に切り裂かれ、血まみれになっている。
「戦乙女なら天使とは同格。堕天使にも遅れは取らないはずですが、空中では、少々、分が悪いと見えます」
「あ、あの……」
真由子に呼ばれ、キビキが振り返る。
「あの人、大丈夫なんですか?」
助けてくれたブレイシルドの身を案ずる真由子に、
「いえ。十中八九、だめでしょう」




