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質屋・籠の備忘録  作者: 甲乙イロハ
ギンガムチェックの包み紙
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「……小林さま?」

 キビキに声をかけられ、真由子ははっと我に返った。

「わ、わたしは……」

 うろたえた末、真由子は目の前の契約書をつかんだ。考えるのは後だ。先に神父との約束を果たさねば。キビキが声を上げるより早く、真由子は手にした契約書を握りしめ、踵を返した。ドアに吊られた鈴がけたたましく鳴り響く。転びそうになって店を飛び出してきた真由子を、

「オー! ワンダフル! よくやりましたネ、小林サン!」

 神父は喜色満面、両手を広げて迎えると、

「あっ!」

 真由子の手から契約書をはぎ取った。

 真由子が戸惑ううちに、

「小林さま」

 背後から声をかけて来たのは、キビキだった。ドアを開き、道路に並ぶ真由子と神父を見比べる。

「……あなたの差し金ですか」

 キビキはため息交じりに言った。

「出てきましたネ、コモリキビキ!」

「まだお品は当店にございます。お代さえご用立ていただければ……」

「黙レッ!」

 突然、大声を張り上げた神父に、真由子はびくっとして後ずさった。先程までの穏やかな笑顔が嘘のよう、顔を真っ赤にし、鬼のごとき形相でキビキを睨みつけている。

「コモリキビキ!」

 神父は契約書を突き出し、叫ぶ。

「ワタシの翼を返セッ! 貴様に翼を奪われたせいで、ワタシは……」

「失敬な。奪ってなどいません。あなたが仰ったのですよ? あの大地震の時……このままでは、この国は自ら作り出した毒に覆われ、滅びてしまう。だから、お金がいる。人々は皆、口を揃えて、お金があればなんとかなると言っているから、自分はそれをかなえてやりたい、と。私はそれにお応えしたまでです」

「金など、幾らあったところで、すぐなくなってしまウ! いくらあっても足りナイ! もしあのままワタシに翼があれば、もっと多くの人を救えたンダ! あの翼は……到底、金なんかに換えられないものダッタ! 貴様はそれを知っていて、ワタシを騙したンダ!」

「騙したとはまた、人聞きの悪い」

 キビキは眉をひそめ、店から歩み出た。

「当店は正当な契約に基づいて、お品をお預かりしたまで。質流れまで、まだ二一九年と八十五日ございます。こちらは特別に長い期間を設定しており……」

「うるさイ! 貴様と言い争うつもりはナイ! さっさとワタシの翼を出セ!」

 神父はポケットから取り出したライターに点火すると、揺らめく火を契約書に近づけた。

「いいノカ? 貴様の大切な契約書が灰になるゾ!」

 キビキは肩をすくめた。

「どうぞ、ご自由に。書類など、また作れば良いだけ。契約は書面だけで結ばれているわけではありませんから」

 動じないキビキに対し、神父は明らかに動揺している。

「……私が思うに、あなたは立派なしもべでした」

 おだやかに、キビキは言った。

「私の知る限り、父なる神のしもべのなかで、あなたほど人知れず、自らの力の及ぶ限り……ええ。まさに精根尽き果てるまで迷える人々のため懸命に尽力した方は、そういません。あなたが自らの翼を差し出すと仰った時、私は感動を覚えたのですよ。心から。だからこそ……」

「そんなことはもうどうでもイイッ! さっさとワタシに翼を返セッ!」

「そのように脅迫されましても……」

「脅しじゃないゾッ!」

 神父は契約書とライターを投げ捨てた。空いた腕を真由子の首に回して引き寄せ、手でポケットを探る。取り出したのは果物ナイフだった。その冷たい刃が喉元にあてられると、真由子の体は反射的に硬直した。息が詰まり、暑くもないのに汗が噴き出して来る。

「……困りますね。当店の大切なお客さまを」

 ふだんは紫水晶のようなキビキの瞳が、暗く曇る。氷のような眼差しで見据えられ、神父は息を呑んだ。そこへ、

「やめろおっ!」

 場違いなほど真っ正直な声が上がった。神父が声の方を振り返る、と同時に、その顔面に正拳突きが打ち込まれた。

「アウッ……!」

 ひしゃげた高い鼻から血を流し、後ろにたたらを踏む神父。怪我もなく解放された真由子は、

「……巧?」

 駆けつけると同時に神父を殴った巧。その腹に、さっきまで真由子の喉にあてられていたナイフが突き刺さっていた。

「……あ……?」

 声を漏らし、巧は崩れるように倒れた。

「きゃああああっ!」

 真由子は悲鳴を上げ、巧に駆け寄った。道路にじわじわと広がって行く血だまり。今頃になって体ががたがたと震えだす。

「……いってえ……」

 青ざめた顔で、巧は呟いた。

「どうして? どうして来たのっ?」

 携帯で救急車の番号を押しながら、真由子は言った。つながらない。圏外? そんな馬鹿な! いくら田舎だからって、そんなはずがない!

「……追っかけろって、うるさくって……さ。斉藤と、田中が……」

 飛び出して行った真由子を心配したサキとチエが、巧に命じたらしい。何も言えない真由子に、

「でも……来て、よかった。小林さん、早く逃げて……」

「巧!」

 気を失った巧に、真由子は呼びかけた。携帯電話はまだ繋がらない。その間にも、巧の顔色はみるみる真っ青に変わっていく。真由子はハンカチを取り出し、刺さったナイフの周りを塞いだ。ハンカチはあっという間に真っ赤に染まる。

「誰か……誰か、救急車をよんでっ!」

「ぎゃあぎゃあ喚くナッ!」


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