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「ようっ!」
「……なに?」
ことさら明るく挨拶してみたのだが、巧の反応は真由子が予想していたどれでもなかった。大好きな笑顔でも、そんなに嫌いじゃない膨れっ面でもない。
無関心。
ほとんど知らない他人から声をかけられたような戸惑いと他所他所しさを、全身から放っている。教室だし、クラスの友達もいるから照れてるのだろうか。……いまさら?
「わたし、やっぱり製菓学校へ行く」
真由子は言った。
「それで、一人前のパティシエになる。やっぱり、それがわたしの夢だから」
決意をもって告げた真由子を、巧は不思議そうに見つめ、
「……行けば?」
事も無げに言った。
「行けばって……巧、そんな簡単に……」
「ちょ、ちょっと、ごめん。小林さん。そもそもおれたち、名前で呼び合うような仲じゃないだろ? ……ああ、そっか。なんかの冗談? じゃなきゃ、ドッキリ?」
あっけらかんと笑う巧を、真由子は血の気の引く思いで見つめた。二人が付き合っていることを知っている周りの男友達や空手部の後輩たちも、さすがにどん引きで、悪い冗談止めろよ、愛しの彼女が泣いちゃうぞ、先輩シャレになんないすよ、などとフォローしてくれるが、巧は口をへの字に結んで腕を組み、
「おれ、別に小林のこと嫌いじゃないけど、付き合ってなんかねえよ!」
言った。とたん、
「ひっどーいっ!」
「おめえ、それでも男かよっ!」
近くで聞き耳を立てていたサキとチエの怒濤の援護射撃。まさにマシンガンのように乱射される二人の言葉に、巧はうろたえ、言い返すことさえできない。
「あっ……マユっ!」
「ねえ、待って!」
チエの制止も聞かず、真由子は逃げるように駆け出した。
(そりゃ、たしかに一週間も口きいてないけどっ……!)
廊下を全力で駆け抜け、
(この町で漁師になる巧を置いて、わたしは都会へ行っちゃうけどっ……!)
階段を駆け下り、
(だからって、今までなにも、なにもかもなかったみたいに、あんな態度とらなくたってっ……!)
涙があふれて来た。泣きながら、校舎を飛び出していく。教室の騒ぎはすでに遠く、聞こえない。急激に、全てが過去の出来事に変わっていく気がする。だから、走った。もう過去になってしまったなら、もう戻れないなら、さっさと遠くに離れ、忘れてしまった方がずっと楽だ。
校門を飛び出したところで、誰かに思いっきりぶつかった。よろめきながら、
「ご、ごめんなさいっ!」
とにかく謝った。相手が誰であれ、泣いているのを見られたくなくて、顔を伏せたまま再び駆け出そうとしたところを、
「待ってくだサイ!」
妙なイントネーションの日本語で呼び止められ、強く肩をつかまれた。
「いたっ……!」
痛みに顔を歪めると、ぶつかった相手は真由子の肩をつかんでいた手を緩め、
「オー、ソーリー」
深々と頭を下げた。
「……神父、さま?」
震災以降、親を亡くした生徒の心のケアのため、定期的に学校を訪れている外国人牧師だった。希望者には無料で英会話の手ほどきもするので、英語が苦手な真由子は何度かお世話になった。すらりと背が高く、モデルのような細身で、金髪碧眼のイケメン。女生徒にはファンも多い。たしか名前は……だめだ。思い出せない。
「ひさしぶりですネ。小林サン」
神父は真由子に手を貸し、立ち上がらせると、
「小林サン、最近、奇妙な出来事にまきこまれてませンカ?」
腰を落とし、神妙な面持ちで聞いて来た。
「奇妙な……?」
「そうデス。急に何かを忘れたトカ、誰かが急に話が通じなくなったトカ……」
「あ、あります!」
真由子はうなずいた。
「たった今……」
真由子はさっきの教室での出来事を、巧の急変ぶりを話した。自分で話してみても奇妙な話だが、神父は疑う素振りすら見せず、真剣に最後まで話を聞き終えると、
「……小林サン」
声を潜めて言った。
「あなた最近、アンティークショップ、行きませんでしたカ?」




