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「そう仰られましても」
細い顎に指をあてるキビキ。しばし考え、ふと思いついて口を開く。
「燕姫様ご本人から、あなたに所有権を委譲なさる旨、ご連絡をいただければ、金貨三枚とお利息の銀貨三十枚でお渡しすることはできますが……」
「ふざけんな!」
蛮鷹はうつむいたまま叫んだ。
「燕は死んだんだよっ! 死んだんだ!」
「聞き及んでおります」
「死んじまった人間と話なんか……」
「できませんね」
肩をすくめるキビキ。
「まさにそこが問題なのです」
「じゃあ、どうしろってんだよ」
「冥府と連絡を取る方法があれば良いのですが」
「あるのか?」
「今のところ、手立てはございません」
「ないのかよ」
「将来的には可能性がゼロではないと信じております」
「なんなんだよ、くそっ……」
要領を得ないやり取りに力が抜けた蛮鷹は膝を折り、そのまま床に座り込んだ。
「……ひでえ状態だったんだ」
独り言ちる蛮鷹。拳を握る。強く。爪が肉に食い込むほど。
「嫌な予感がして、来るなって言われたけど行ってみたら、もうとっくに息がないってのに、めちゃくちゃに弄ばれて……あの野郎がやりやがったんだ。あの野郎だけじゃねえ、薄汚ねえ取り巻きどもも……だからあいつら、俺が……こいつで……」
はっ、と顔を上げた蛮鷹が、腰に差してあった鎚を抜き取り、カウンターに置いた。
「こいつを質入れさせてくれ。死んじまった親父にもらった、俺の宝物だ。いくらになる?」
「拝見致します」
片眼鏡をかけたキビキは、血が付着した鎚を、白い手袋をつけた手で持ち上げ、しばし眺めてから、
「こちらであれば、金貨一枚をお貸し致します」
「足りねえじゃねえか! なんでだよっ! なんでっ!」
「そう仰られましても、このぐらいが相場ですので」
「宮廷鍛治師だった親父が造った鎚だぞ? ……ガキの俺が造った、あんなガラクタに金貨三枚もつけたくせに、おかしいじゃねえか!」
「品物の美醜巧拙は関係ありません」
キビキはぴしゃりと言った。
「ご契約者である燕姫様の指環へ思い入れが、それほど強かったということです」
言われた蛮鷹の頬を、涙が伝い落ちる。
「金はねえ……だけど、俺はずっと……ずっと燕と、燕の指環と一緒にいたい……。そのためなら、なんだってする。……だから」
「なんだってする。そうおっしゃいましたね?」
静かに確認するキビキ。蛮鷹はのろのろとうなずく。
「それならひとつ、方法があります」
キビキの言葉に、蛮鷹の濁っていた眼に光が灯った。
「ご契約者さまが当店の貸した金銭の返済ができないにも関わらずお品を取り戻したい場合、あるいは当店の商品の購入をご希望であるがその対価をお持ちでない非契約者のお客さまの場合、いずれの場合も、その方の魂と交換に品物をお譲りすることが可能です」
「……魂?」
うなずくキビキ。
「魂を失ったら、俺はどうなる?」
「正確に言えば、魂を失うのではなく、魂が肉体と切り離されるのです。魂と切り離されたあなたの肉体は、ただの抜け殻。記憶も、感情も、思考もなにもかも、時間さえ失い、老いることなく、冥界の神の管理下から離れ、ただ私の命ずるがままに動く人形……傀儡となります。あなたの心だけが肉体を離れ、永遠に出られない牢獄に閉じ込められる、そんな感じですかね」
「心の……牢獄?」
「おやめになりますか? 牢獄というのは、つらく、苦しいもの。私も決しておすすめはしませんが」
淡々と言うキビキを、蛮鷹が見つめる。
「だけど……そうすれば……そうすれば俺の体は燕と、あの指環と一緒にいられるんだな?」
「肉体と物品が接触している、という意味では、まあ、そうなりますね」
「なら、頼む」
迷いなく言った蛮鷹に、
「……承りました」
キビキは静かにうなずくと、引き出しを開け、鋼鉄の指環を取り出した。
「どうぞ。先にお品をお渡し致します」
蛮鷹は指先をふるわせながら、その不格好な指環を手に取った。愛しげに眺め、さする。
「燕……」
呟いてから、ぎゅっと掌に握りしめた後で、唯一サイズのあう自分の左手の小指にはめた。
「もう思い残すことはねえ。……やってくれ」
目を閉じた蛮鷹は大きな口を開け、ゆっくり深呼吸した。浮かぶのは愛嬌のある微笑み。
「世話になったな」
「こちらこそ。良いお取り引きをさせていただきました」
にっこり微笑むキビキ。
「ご利用、ありがとうございました」
キビキが一礼する、と同時に、蛮鷹の顔から表情が消えた。感情の残滓と呼べるのは、頬を伝った涙のあとだけ。命の証であるはずの生々しい傷跡さえ、よくできた特殊メイクのようだ。等身大の人形と見まがうほど、ぴくりとも動かないが、呼吸はしており、確かに生きている。
『……あーあ。取られちゃった、だわさ』
店の奥からブレイシルドの声が響いた。
『なかなか見込みがある奴だと思ったのに、だわさ』
「あなたにならお譲りしてもいいですよ。どうなさいますか?」
『んー、じゃあ、仮押さえしといてだわさ』
「手付け金が必要ですが」
『それじゃ、あんたのお願いを一つだけ叶えてあげるだわさ』
「契約成立です。あとで契約書を作成致しましょう」
『あとで?』
「ええ。ちょっとその姿のままで、働いていただくことになりそうですから」
不穏な気配。耳を澄ませば、店の周りの下草を踏みしめる音と、ひそめた呼吸音がかすかに聞こえる。武装した帝国の兵士たちだ。先日の近衛兵のような軽装ではない。鷲獅子が刻印された鋼の胸甲と鱗鎧をまとい、円月刀以外にも槍や盾など、戦でも始めるかのような出で立ちだ。
「さて。それではカイライ、初仕事です」
言ってから、キビキは少し驚いた。見開いた眼で、己が前に立つ、かつて蛮鷹と呼ばれていた男を見上げる。命じられぬ限り何も考えず、何もしない傀儡となったはずの蛮鷹が、自ら鎚を手に、床を踏みしめ、迎撃に向かおうとしていたからだ。
「カイライが勝手に動くとは、不思議なこともあるものですね……ブレイシルド!」
キビキの号令で、壁にかけられていた凧型盾の形をした大剣〈ブレイシルド〉が、受け具を外れ、弩弓の矢のごとく射出された。カウンターに立つキビキの傍らを通過し、カイライの足元に突き刺さる。
「相手の数が多すぎます。戦乙女の大剣を使いなさい」
『よろしくね、だわさ』
キビキの言葉に続き、大剣からブレイシルドの声が響く。カイライは無言で、大剣の柄を手に取った。
店を取り囲んだ帝国兵たち。その数は百を越す。彼らに命じられたのは、燕姫の持参金として王国に貢がれるはずだった国宝〈八雷〉を奪還し、帰国途上の第一皇子を暗殺した犯人の首級を持ち帰ること。
指揮官の号令を受け、一斉に質屋〈籠〉へ突入する兵士たち。
彼らは一人として、母国の土を踏むことはなかった。




