19
「はい。これ、だわさ」
ブレイシルドが巻物の束をカウンターに置いた。どれも金銀糸の織物で装丁され、表題の教典名は金箔で刻印されている。
「ありがとうございます」
目を輝かせるキビキ。
「まさにこれです。素晴らしい」
キビキは片眼鏡を装着すると、新しい絵本を一度にたくさん与えられた子供のように、巻物を次々と開いては閉じていく。
「助かりました。しかし、長旅になってしまいましたね」
嬉々として巻物を鑑定するキビキを眺め、ブレイシルドの口元も自然に緩む。
「なんだかんだあったけど、長安は活気があって楽しかっただわさ」
「それは良かった」
巻物から目を離せないながらも、微笑むキビキ。対して、ブレイシルドは渋面をつくり、
「問題はあいつだわさ。急に帰るのやめたァーなんて。報酬を持ち帰るまでが仕事だってのに、ほんと身勝手な猿だわさ」
「よっぽど、あのお坊様を気に入ったんでしょう」
「それに、これ!」
ブレイシルドは背負っていた金棒を床に下ろすと、
「ピンチには必ず駆けつけるから、証文がわりに預けとくって……そんなの、おまえが勝手に決めるなってんだわさ」
面倒くさげに壁に立てかけた。店自体がみしりと揺れる。
「まあまあ。これを預けるということは、必ず戻るということなのでしょうから」
「キビキはあいつに甘すぎるだわさ。いっぺん、きついお仕置きをしないと、だわさ」
「そうですね。ただ私の知る限り、彼にお仕置きできる方法が見当たりません」
「尻を引っ叩いてやるだわさ。もっと真っ赤になるまで、こうやって!」
ブレイシルドは鋼の手甲を打ち鳴らして笑う。
「それで、このお経の山。何に使うんだわさ?」
「このまま使うのではなく、当店の商品にします。いずれ、素晴らしい力を備えるはずですから」
キビキはそう言うと、巻物を一巻ずつ大切に、壁際の書棚にしまい込んだ。訳が分からず、ブレイシルドは肩をすくめる。
「ああ、そうだわさ。帰ってくる途中、噂になってたんだけど」
「なんですか?」
「戦が始まるらしいだわさ。呑気なこの国のやつらにしては珍しく、燕姫を殺された復讐だって、盛り上がってるだわさ」
「ああ、その話ですか」
「例の帝国も、ものものしい雰囲気だっただわさ」
「……でしょうね。燕姫に袖にされた第一皇子が、帰路の道中、国境あたりで何者かに襲撃され、殺されたそうですから」
「皇子が持ち帰ろうとして行方不明になったままのダイヤの祟りか、殺された燕姫の呪いだって噂もあるけど、あれは本当だわさ?」
ふん、と鼻を鳴らすキビキ。
「呪いだなんて。バカバカしい」
「もし戦が始まったら、ちょっと見に行って来てもいいだわさ? 強い男がいたら、故郷へ連れて行きたいだわさ」
「戦死者の館へ、ですか? そもそも今の両国にそれほどの勇者がいるとは思えませんが……」
言いかけて、ふと蛮鷹のことを思い出した。彼は、なかなか戦士として見込みがあったように思う。あの時、今は亡き燕姫から預かった、王家伝来のロケットと不格好な指環は、引き出しに入ったままだ。質入れされてから、ちょうど一ヶ月になる。契約者である燕姫が亡くなった以上、このまま何も音沙汰がなければ、品物は自動的に質屋「籠」の所有物となる。
キビキが顎を撫でながら契約書を確認していた時。店のドアが開いた。
「う……」
呻き声とともに入って来たのは、着衣がぼろぼろになった蛮鷹だった。体じゅう擦り傷や打ち身の痕がある。浅いが、刀傷も見受けられる。
「いらっしゃいませ」
ふだん通り、変わらず出迎えるキビキを見つめたまま、蛮鷹はカウンター席へ倒れ込むようにして座った。ふうう、と胸に溜まった息を吐き出す。担いで来た頭陀袋を床へ放り出し、ブレイシルドが供した水を一息で飲み干した。
「……返して、くれ」
かすれた声で、蛮鷹が言った。目がぎらつき、野生の獣のようだ。腰帯に差した鎚に付着している赤茶色は、錆ではなく、誰かの血だろうか。
「聞いてんのか? 返せって言ってるんだよ!」
声を荒げた蛮鷹が、拳でカウンターを殴りつけた。樫の一枚板が軋む。
「あんたねえ……ここをどこだと思ってるだわさ」
「うるせえっ!」
怒鳴った蛮鷹に、眉根を寄せたブレイシルドが詰め寄ろうとしたのを、キビキが腕を上げて制する。
「ブレイシルド。あなたは奥へ」
「だけど……」
「大丈夫です。このお客さまは二度目のご来店。私に任せて、あなたは休んでください」
キビキに命じられたブレイシルドは、やや憮然としながらも踵を返し、店の奥へ消えた。
「さて。改めまして……」
咳払いをして、キビキが蛮鷹を見つめる。
「ご用件は?」
「返してくれ。俺が造った……あいつが……燕がずっと持ってた、あの指環を」
「あちらは燕姫様の所有物です。あなたには返却を請求する権利がありません」
「じゃあ買うからよおっ!」
床の頭陀袋を開き、蛮鷹が取り出したのは、あの巨大ダイヤ、国宝〈八雷〉だった。それを一瞥し、キビキは「ですから」と、ため息をつく。
「先日も申し上げましたが、これはあなたの所有物ではありません。また、執着も思い入れもないお品は、当店ではお取り扱いできかねます」
「いいじゃねえか。これを売れば、ひと財産できるだろ?」
「それなら、どこかで売ってからお越し下さい。指環だけなら、質流れ後に金貨六枚でお売り致します」
「な、なんでだよ。借りたのは金貨四枚だろ?」
「あなたは燕姫ご本人ではありませんから、質流れしたお品をお買い上げいただく形になります。この場合、当店の利益が加算されますので」
「は……」
蛮鷹はカウンターに肘を落とし、頭を抱える。
「……だめなんだ。……知ってるだろ? 俺は、お尋ね者だ。どこへ行っても敵だらけ……こいつを金貨どころか、銅貨一枚に換えるのだって、今の俺には到底無理だ。だから、このダイヤで……」
「たいへん残念ですが、お受けできかねます」
言葉とは裏腹に無機質なキビキの応えに、蛮鷹はうなだれた。カウンターに額をつけ、両手の拳を握りしめる。
「頼むよ……なんとかしてくれよ……」




