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町はずれの森の中に、ぽつんと一軒だけ建つ質屋「籠」は、控えめに言って、たいそうヒマである。
先頃、天竺へ経典を取りに行くという奇特な僧侶に、馴染みの猿怪を護衛に付けてしまったうえ、残った唯一の話し相手である戦乙女ブレイシルドも遣いにやってしまい、今、キビキは店に一人きりだ。品物を磨いたり、棚を整理したり、店内を掃除したり。一応、毎日やるべきことはやる。ゆえに、やらなくてもいいぐらい、全てに手入れが行き届いている。なにせ、過ぎるべき時間だけはたっぷりある。呪わしいほど、ゆっくりと。
やるべきこともなくなり、本でも……そうだ。中断していた戦記物を読みながらお茶にしようかと思った時。呼び鈴が軽やかに鳴り、店のドアが開かれた。
「いらっしゃいませ」
常に退屈なキビキは、来客を待ちわび、心底歓迎し、真心こめて接客している。
「鑑定してもらいてえんだが」
この国の民に特徴的な、赤銅色の肌をした男が言った。歳はまだ二十歳をこえていないだろう。美形ではないが、店内を見回しきょろきょろする焦げ茶色の瞳や、太く短い鼻、大きな口に愛嬌がある。銀色の硬い髪を、頭に巻いた手ぬぐいに押し込んでいるのは、垂れた汗が目に入らないようにするため。巨漢ではないものの、背は高い方だ。鍛えられ、均整のとれた体つき、なにより分厚い掌とそこに残るまめの痕が、この男が専ら己の肉体を使う職業であることを物語っている。
「お品は?」
一通り客の鑑定を終えたキビキが問う。この店に質入れされる品物の価値は、所有者の人格や生き方により大きく変化する。人物像の見極めが肝心だ。
「見て驚くなよ。こいつだ」
どっ、と鈍い音をたて、ぼろ布にくるまれた、キビキの頭ほどの大きさの物がカウンターに置かれた。
「拝見致します」
キビキは片眼鏡をかけると、絹の手袋をはめた手で、ぼろ布を丁寧にほどいていく。
「……ほう」
滅多に驚かないキビキが声を漏らすほど、それは大きく、純粋な、まるで水の固まりのように透明な、正八面体の石だった。
「ダイヤモンド、ですね」
キビキが言うと、男は得意げにうなずき、
「そう、ダイヤだ。こいつを質入れしたら幾らになるか鑑定を……」
「だめです」
即答したキビキに、呆気にとられる男。
「これの持ち主は、あなたではありません。本物の所有者をお連れください」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
宝石を元通り布で包もうとするキビキに、男が食い下がる。
「なんで、おまえにそんなことが分かるんだよ!」
「分かるのです」
「だ、だとしても、品物は品物だろ? 預かってくれよ!」
「だめです」
「代金は、はした金でいいから!」
「だめです」
「ただでもいいから……」
「だからこそ、だめなのです」
キビキは男の言葉を遮って言った。
「このお品に対し、あなたはなんの執着……どころか、興味すらない。そんな品物を当店でお預かりする訳には参りません」
「くそっ。融通が利かねえな! でかいダイヤだぞ? 大人はいねえのか、大人はっ!」
話がこじれた時に客が必ず吐く台詞に、キビキがうんざりと肩をすくめた時、
「あっ、見つけたぞ!」
開けっ放しになっていたドアを覗き込むや、武装した近衛兵たちがずかずかと店内に上がり込んで来た。男と違い、近衛兵たちは青白い肌をしており、鼻梁は高く、耳は先端がやや尖っている。儀礼用の革鎧の左胸に装飾された鷲獅子の紋章。この国と国境を接する、帝国の民だ。
「いらっしゃいませ」
キビキの言葉がまだ終わらぬうちに、最初に声を上げた近衛兵が、腰に差した円月刀をすらりと抜いた。最上段に構えたのはただの威嚇ではなく、斬り捨てる意志を表している。対する男は、
「おいおい、店の中だぜっ」
身をたわめたかと思うと、獣のような俊敏さで近衛兵めがけて飛び出した。
「こ、このっ!」
反射的に近衛兵が振り下ろした刃は、入り口すぐに渡された天井の梁に半ばほどめり込み、木片を散らせた。
「けんか慣れしてねえな、兵隊さんっ!」
嘲笑いつつ男は軽く跳び、空中からの突き刺すような直蹴りで、梁から刀を抜こうともがく近衛兵の顔面、兜の面頬の隙間にのぞく鼻っ柱を蹴り砕いた。
床に倒れ悶絶する同胞の姿に息を呑みつつも、残りの二人の近衛兵は互いに目配せして左右に分かれつつ、後ろ手に短剣を抜いた。
「挟みうちってわけかい」
鼻下を指でこすり軽口を叩く男に、呼吸を合わせた近衛兵二人が左右から同時に躍りかかる。左の近衛兵が突き出した短剣は、男の鮮やかな右回し蹴りでその指から跳ね上げられ、高くない天井に突き刺さる。
「馬鹿めっ! がら空きだ!」
完全に真後ろを向いた状態の男の背に向かい、右の近衛兵は短剣を腰だめに突撃した。
「あまいっ」
勢いよく突っ込んできた近衛兵を軽く身をひねってかわした男は、交錯の刹那、隠し持っていた鍛造用の鎚を、たたらを踏む近衛兵の鳩尾に打ち込んだ。体をくの字に折り曲げ、嘔吐する近衛兵。小振りとはいえ、鉄の塊である鎚をまともに受けたのだ。近衛兵が装備した、見栄えだけの薄い革鎧程度では、その衝撃を防ぎようもない。
「……そんな腕じゃ、大事なご主人様を守れねえぞ。あんたら」
苦しむ近衛兵たちを見下ろし、男は嗤った。
「き、きさまっ! 言わせておけばっ!」
残った無傷の近衛兵が腰の円月刀を抜刀したところで、
「おやめなさい!」




