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質屋・籠の備忘録  作者: 甲乙イロハ
婚約指環
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 城門までの参道に連なる、様々な屋台。掲げられた無数の提灯で、昼間さながらの明るさだ。野菜や酪の揚げ物、焼けた蹄獣肉の香ばしい匂い。糖菓子の甘い香り。行き交う人々の笑い声。


「おもしろかった!」


 先を行く少女は爪先を軸にくるりと、舞うように振り返った。鍛造場からの帰路。すっかり打ち解けた二人は、まるで幼馴染だ。


「これ、本当にもらっていいの?」


 手のひらを広げ、親指に嵌めた不恰好な指環を見せる少女に、うなずく蛮鷹。


「もっと上手に打てるようになったら、また作り直すからさ」

「ううん」


 少女は頭を振って、両手を握りしめる。


「わたくし、これがいい」

「変なやつだな、おまえ」


 そう言いながらも、蛮鷹は嬉しそうに微笑んだ。少女も同じように微笑みながら、


「それにあの、剣に、槍に、斧!」

「甲冑と兜もな」

「ええ。あんなにすごい武具があれば、この国は安泰ですわ」


 おどけて後ろ向きに歩きながら、拍手で讃える。


「あんなもんぐらいで驚いてもらっちゃ困るな」


 得意げに胸を張る蛮鷹。


「今日見せたのは、ほんの一部なんだからさ」

「へえ! あの大きな斬馬刀より?」

「当たり前だ。もっと、ずっとすげえ武器があるんだぜ」

「そうなの!?」

「へへ。びっくりだろ。そうだ。今度、特別に武宝殿の内に入れるように、親方に頼んでやるよ」

「わあ。本当ですか?」

「おう。親方は王家御用達の宮廷鍛治師だからな。俺の父ちゃんなんだ」

「お父様は火司の長なのですね!」

「ああ。おまえの父ちゃんは、お城で何やってるんだ?」

「わたくしの父は……」


 少女は顔を曇らせ、くるりと前を向いた、その時。


「きゃっ」


 前から歩いてきた男にぶつかってしまった。


「ごめんなさい!」


 転んで尻餅をついたまま、頭を垂れる少女。


「あーあ、まったく。なにやってんだよ。ほんと、すみませ……」


 少女と一緒に謝罪しようとした蛮鷹を、


「このクソガキがあっ!」


 男は怒鳴りつけざまに蹴り倒した。


「てめえら、俺様を誰だと思ってる! 帝国の士官さまらぞっ! はるばるこんな田舎まで出向いてやったってえのに……」


 呂律の怪しい帝国士官は、足元も覚束ない。酔いと怒りで真っ赤な顔が、起き上がった少女を一目見るなり、


「ん……お? おお?」


 蕩けた。


「なんだ、なんだ。よく見りゃあ、すげえ可愛いじゃねえか。ぶつかったのは許してやるからよ。ほら、おじさんと遊ぼうぜえ」


 にやけた帝国士官は少女の襟元をつかんで立ち上がらせると、荒っぽく抱き寄せた。


「やめろよ! 謝っただろ!」


 蛮鷹は突っかかったが、帝国士官の空いた手で張り飛ばされた。突っ込んだ屋台に並べられていた果物が棚から転がり落ち、あたりに散乱する。


「いってえ……」


 鼻血を手首で拭いながら、蛮鷹は腰帯に手を伸ばした。いつもの習慣で持ってきてしまっていた、鍛造用の鎚を抜く。正式に鍛治師の徒弟として認められた証に貰った大切な物。本来、喧嘩に使うなどもってのほかだ。しかし……


「よしな、坊や」


 果物屋台の主人が声を潜めて言った。台から落ちて潰れた果物を拾い集めながら。蛮鷹と目も合わせない。


「あの男に手を出したら、ただじゃ済まないぞ」

「帝国の人間だったら何したっていいのかよ? 悪さをする奴は、ぶん殴りゃいいんだ!」

「それこそ帝国の思う壺だ。帝国があいつに与えた役目は、祝典で姫様に祝辞を奉じることじゃない。この国で揉め事を起こすことだ。王国の人間があいつに手出しすれば、それを口実に難癖をつけるつもりなのさ。だから万一殺されても構わないように、無能で、素行の悪い、ああいうのを寄越してきてるんだ」

「んなこと分かってるさ!」

「今もどこかで、帝国の間諜があいつを監視して、機会を窺って……」


 帝国士官に頬を寄せられた少女は、恐怖ですっかり固まっている。


「だからって放っとけないだろ!」


 蛮鷹は叫んだ。


「あいつは友達なんだ!」

「おい、よせ!」


 果物屋が伸ばした制止の手を振り切り、駆け出した。鎚の打突部を握り、中指と薬指の間から柄を突き出させる。かける力が同じなら、面積を小さくするほど、打撃力は上がる。急所でなくてもいい。どこでもいいから当てれば、一瞬、必ず隙ができる。そしたら、すぐに逃げるんだ。少なくとも、怯え過ぎて泣くこともできないあの娘は逃がさなくちゃ。

 蛮鷹は帝国士官に向かって雄叫びをあげながら突進、突き出した鎚の柄は、鞘で撥ね上げられて宙を舞い、呆気なく地面に落ちた。


「どうした、おちびちゃん」


 唐突に得物を失って狼狽える蛮鷹を、帝国士官は見下ろしながら嘲笑う。


「俺は元々、傭兵でな。帝国に腕を買われれ士官したが、今でもしょっちゅう実戦で鍛えれる。昼寝してたってガキに遅れをとるかよ。平和ボケしたおまえらと違ってなあ!」


 帝国士官は腰に差した円月刀を抜いた。周囲から悲鳴が上がる。


「ほら、見ろよ。へっ。抜き身を見ただってのに、どいつもこいつも腑抜けヅラの腰抜けだらけ……」

「こらっ」


 帝国士官の背後から、脳天に拳骨が落ちた。ただの拳ではない。甲冑の籠手、鋼鉄に覆われた拳だから堪らない。白目を剥いた帝国士官は、どさりと仰向けに倒れこんだ。


「子供相手に、そんなもん抜いてんじゃないだわさ」


 訛り口調で言った女戦士は、拳を開き、肩にかかった燃えるような赤髪を払いのけた。気絶した帝国士官の腕に囚われたまま呆然とする少女を冷たい目で見下ろす。


「あんた、全然抵抗しなかったけど、なんでだわさ?」


 硬直したまま、救いを求めるように視線を彷徨わせる少女に、


「女だから? 子供だから? 勝てそうにないから? 戦ったことなんてないから?」


 畳み掛けるように問うが、少女から応えはない。女戦士は忌々しげに舌打ちして、


「戦わずに諦める理由なんていくらでもあるけど、せめて戦ってから諦めるだわさ」


 吐き捨てるように言うと、ぷいと顔を背けて歩き出した。


「あたしはアスガルドの戦乙女ヴァルキリー、ブレイシルド」


 歩きながら、ブレイシルドは誰にともなく声を張り上げた。


「文句があったら、いつでも来いだわさ」


 不敵に笑い、拾った林檎にかじりつく。


「え? うまっ!」


 林檎を口いっぱいに頬張ったブレイシルドは、揚々と人混みに紛れて行った。屋台の灯火に照らされ踊るその赤い髪は、闇夜に燃え盛る炎のようだった。

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