坑道を下る1-1
蒸し暑い真夏の空気が、筑豊の町を揺るがした。
けたたましく、自転車のベルが鳴り響く。
白いシャツに学生ズボンの集団が、盗んだ自転車を駆って我先にと逃走した。
「停まりんしゃい、あんたら。逃げとーなら逮捕すっからね!」
職務質問を懸けた白石夏海巡査長は、大声で少年たちを制止した。
駐輪場を飛び出した自転車が、駅前いっぱいに広がった。たちまち白シャツの群れが駅前広場を埋め尽くす。
ペダルを回す乾いた音が、閑散とした駅前の空気を騒然とさせた。
同行した主任の繁原允俊警部補が、警察無線に第一報を入れた。
「集団盗難事件発生。田川駅前駐輪場より、大量の自転車が盗まれた。マルヒ、駅前を逃走中!」
無線で話しながら、繁原が公用自転車に駆け寄った。
「追い懸けるぞ、白石。ぜったいに逃がすな」
「了解です。主任。任せて下さい。チャリなら中坊なんかに負けません」
夏海はサドルに飛び乗った。少年たちを追って、全力でペダルを踏んだ。
一日前に地域課から福岡県警田川警察署の生活安全課少年係に配転された。新人だった。初めての補導見回りだ。警察学校で教わった職質の実習を、夏海は思い返した。
繁原の自転車に並んだ。逃走する少年たちの背中を睨む。夏海はペダルを踏んで、シャフトの回転を上げた。
白シャツの背中に、繁原が大声で怒鳴った。
「停れぇ! お前ら、警察ん指示に従わんつもりかぁ」
サドルから立ち上がって、夏海は集団の様子を確認した。
夏の青空の下に、無数の白いシャツがはためいた。
交差しながら走る集団の中に、夏の制服とスカート姿の女子が混じっていた。市内の中学校の制服だった。
一人だけ、場違いな学ランの姿があった。改造された短ラン。色はピンクだ。
パトカーのサイレンが聞こえた。応援の到着だ。
白シャツの少年たちが、電車の高架下に飛び込んでいく。
〈見失って堪るか。ぜったいに捕まえてやる〉
天井が低い。赤錆びたJRの線路を潜り抜けた。
『此の先、日本国に非ず』
汚れて崩れかけた煉瓦の壁に、スプレー文字が大きく乱暴に書かれていた。
〈無茶を言わないでよ。筑豊だって、紛れもない日本だわ〉
高架下を飛び出した。直角に曲がった道が、盛り上がる入道雲に向かって登り坂になった。坂道の先に、赤い竪坑櫓が見えた。
赤色灯を回転させた面パトが、坂を下りてくる。
白シャツの群れが流れを変えた。舗装された通りから、隣接した空き地に飛び込んでいく。
噎せ返るような草いきれの中に、砂埃が立ち昇る。
〈叢の中に、封鎖された廃坑の入口がある。地下に張り廻らされた迷路に逃げ込むつもりだ〉
後方からもサイレンが追い上げてきた。新たな機動捜査隊の面パトが、何台も夏海を追い越していく。
原付バイクの交番巡査も後に続いた。
「この先を左です。廃坑口に向かって逃走中です」
追い抜いて行く機動捜査隊に向かって腕を振り、夏海は大声で指示をした。振り返ると、繁原が坂道に手を焼いている。
道の先でパトカーが停まった。車止めが侵入を阻んでいた。ドアが開いて、機捜隊員が飛び出した。
空き地に入った中学生たちが、盗難自転車を投げ出した。叢に包まれた坑口に向かって、次々と走っていく。
中学生の群れに向かって、巡査が呼子を鳴らした。
「止まれ! 止まりない! 坑道に入っちゃいかんちゃ」
巡査の言葉に、白シャツの群れが足を停めた。
全員が一斉に振り返った。強い視線が、それぞれに、夏海を、取り囲んだ機捜隊員を、交番巡査を睨んだ。
夏海は白シャツの群れに足を踏み出した。
「退きない。誰かば、匿っちいるんね」
無言の中学生の群れを掻き分けて、夏海は坑口に向かった。
目立った抵抗はなかった。だが、あえての協力もない。
遅れて到着した繁原が、追い付いた。
「誰かが、制御していますね。中坊なのに落ち着き過ぎです」
「わかってる。ガキのくせに雑談ひとつしないなんて、ありえない」
近くに見える坑口なのに、なかなか辿り着かない。前屈みになった。前を睨んで夏海は白シャツを掻き分ける。