最終部
あいつが出て行ったあと、俺は昨日着た服をそのまま身に着けて朝一で部室に出かけた。二階までの階段をそっと上り、中に誰もいないことを祈りながら、慎重にドアノブを回した。無人なことに安堵しながらも、どこかであいつや彼がいることに期待していた自分に気づいた。中から鍵を閉め、電気をつけないまま朝日の差し込む部室をぐるりと歩き回る。無秩序に並んだ楽器からは、何の声もしない。やはり、俺には音楽の才能などなかったのだろう。もう触れようとも、手にしようとも思えなかった。もうここには何の未練もあるまい。ポケットにあった幾重にも折りたたまれた退部届を取り出して、床に散らばっていた楽譜にはさんだ。彼と、あいつを含む4人のバンドが学園祭で演奏する曲の。盛り上がる曲ではない。失恋をテーマにしたラブソングだった。この曲を選んだのはあいつだと聞いた。この曲は、最後まで俺のものにはならなかった。俺にラブソングなんて不必要だった。もしかすると、音楽さえも。だから、簡単にここを手放せる。俺が欲しかったものは、もうどうやっても手に入らない。
部室から出ると、扉の前で彼と鉢合わせた。
「伝えてくれたみたいだね」
俺は彼の眼をしっかりと見据える。面と向かって話したことがないので気づかなかったが、彼は華奢で、身長も俺よりずっと小さかった。
「愛花は、樹のものになった?」
こいつも、俺と同じだ。手に入るものから、逃げて、遠ざかって、見えている自分を否定しようとして。肯定するために。音楽なんて、こいつにとっては手段に過ぎないのかもしれない。俺が向き合おうとしては苦しんできた過程も、こいつにはなんて事のないもので、俺が拾おうとしたものをこいつは捨てようとしてきたのかもしれない。そう思うと、晴れやかな気持ちになった。求めているものは手に入らない。しかし手に入るものは、欲しくなかった。彼も、そして俺も。しかしそれも今日で終わりだ。
俺は、質問には答えないで足早に部室を後にした。行きたい場所は決まっていた。
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