河合一輝の日常1
『カメラの河合』
駅から少し離れた立地にあるその店は比較的住宅街に近く
あまり繁盛はしていないが地域に密着したサービスで
細々と商売を続けている。
元々はカメラの販売がメインだったはずだが
店の隅に飾られたカメラ達が最後に売れたのはもう何年前か
小さなスタジオが併設してあり七五三や成人式などの記念の写真撮影やフィルムの現像などが主な飯の種になっているが
近頃はデジカメどころか撮影は全てスマホ、
データがあればいいと写真にする人も減り、こちらも減少傾向にある
それでも日々のおかずが減ったように見えないのは
ここの店主が元高校教師だったことが大きい。
先輩、後輩、同僚、生徒ともに慕われていたようで
腕がいいカメラマンとして紹介されて
色んな高校や中学の学校行事にひっきりなしに呼ばれては行事に同行して写真撮影を行い
そのギャラが俺の小遣いと日々の生活費に反映されている
店主の名前は河合 夢一
12年前に妻を失くし以来シングルファザーとして
中学三年生の一人息子を養っている。
なんでこの店にそんなに詳しいか
ここまで言えばわかると思うが俺がその一人息子の河合 一輝だからなんだが
グツグツとよく煮えた味噌汁の匂いで目が覚める
今日は親父の食事当番だ。
あーあ、よく煮えちゃってるなこれ
手早く学生服に着替え
二階から階段を降りて、ツカツカと台所に行くと
親父がコーヒーを飲みながら優雅に新聞を読んでいる
痩せているが骨格はしっかりしているというか肩幅もあり
座ってコーヒーを飲んでるだけでなんだか絵になる。
その絵になる様が逆に腹が立つわけだが
俺は沸騰している味噌汁の火を消して
親父にボヤく
「親父さ、味噌汁は沸騰させちゃ駄目っていつも言ってるよな?
駄目だって、それからワカメは火を止める直前くらいでいいんだよ昆布じゃないんだから」
「ああ、そうかすまん」
親父は軽く後ろを振り向いてこちらを見たあと座り直して再びコーヒーを飲む
コーヒーを淹れるのは上手いんだよな
「料理は完全に抜かれてしまったな」
「俺もこんな所帯じみたこと言いたくないし身に付けたくなかったよ。」
火を止めて無意味に味噌汁をかき混ぜる。いくらかき混ぜても味は変わらない
我が家の食事当番は元々半々だったのが、親父が手軽で高価なコンビニ飯で済まそうとしたり
いい加減な男料理に納得いかず
週に5日は俺が料理、親父が料理をつくるのは2日だけにしてしまった。
朝を少し早く起きるストレスより、親父の料理のストレスが勝るからだが
まさか狙ってやってるんじゃないだろうな…
親父は何食わぬ顔でコーヒーを飲んでいる、自分の分は食べ終えているらしい
今日は撮影で早く出掛けるといっていたしな
「あーあ、母ちゃんがいれば起きてキッチンにいくだけでそこには美味しい味噌汁とご飯があるのになー」
「なんだお前、お母さんが欲しいのか」
親父殿はいつも通りのあまり抑揚のない口調で意外そうにいう、
「俺だって夜に洗濯かごに衣服を放り込んでおくと、
なにもしなくても翌日の夕方には洗濯されて綺麗にタンスにたたんでしまってあるという不思議な体験をしてみたいわけよ」
そういいながら俺は煮たった味噌汁とグリルに入っていた焼き魚をテーブルにおいて炊きたてのご飯をよそう
炊飯器の中で光沢をつけてピンっと立った旨そうな米を見ると顔がにやける
米はうまく炊けてるな、俺が昨日水に浸しておいたからだがね
「お前が俺には父さんだけでいいっていったんじゃないか」
席について飯を喰っている俺に親父が不思議そうにいう
これだよ、この人は人の感情の機微を察することが出来ない
母さんが亡くなってからずっと独身なのも頷ける。
きっと母さんが奇跡で女には縁のない生活だったんだろうな
物心ついた頃には母さんが病気で亡くなっていて
男手一人で俺を育ててくれてる親父にむかって
「俺母ちゃん欲しいわ」なんておいそれと言える訳がないだろう
子供だってそれくらい察するわ
ぶっちゃけ別に今さら母親なんていても困惑するだけだ
「今日からお母さんと呼んで」と知らん人に言われても反応に困る。
しかし、このままじゃ俺がこの家を出ていったら親父一人になってしまう。
親父殿にはそろそろ、面倒な子育てから解放されて生涯の伴侶を探してもらいたい
そこまで先が見通せるほど俺も大人になったのだよ。
俺は箸を止めずに深い意味などまるでなさそうに軽く返す
「そんなの昔の話だろ、あーあ、俺も母ちゃん欲しいなぁ」
すると親父は考えこんでしまい
「そっか母親が欲しいのか」「子供の気持ちはわからん」とかブツブツ言っている
ふっふっふっ、せいぜい頑張ってくれたまえ。
ピンポーン!ピンポーン!
ドアチャイムがなる
こいつの鳴らせるドアチャイムは普通の1,5倍くらいうるさい気がする
チャイムを鳴らせるとガチャリとドアを開けてそのままこちらにくる足音が聞こえる
「カズ君!おじさま!おはよう!」
シュタっと手を挙げて
幼なじみの香菜が勝手に家に入ってきた。
「今日はおじさまの当番かぁ食べたいけどダイエットしてるからなぁ」
「いやお前の分ないから」
「ひどい!」
香菜が来たことで考えるのを一時中断した親父が香菜に話しかける
「香菜ちゃんおはよう」
「おはようございます!おじさま」
「香菜ちゃんが来たってことはそろそろ時間なんじゃないのか?」
時計を見ると結構な時間になっていたヤバいな
親父をいじくりすぎたな
箸を茶碗でカツカツと鳴らして残ったご飯を食べきる。
「はい、ごちそう様!行ってくるわ~」
「ああ、今日は撮影で遅くなるから夕飯は自分のだけ頼むな」
「あいよ、なに作ろっかな」
「香菜はカズ君のハンバーグがいい!」
「お前の分はないから」
「ひどい!」
そんなコントのような会話をしながら玄関に向かう
出掛ける前にもう一度親父殿が
「いってらっしゃい。香菜ちゃん、一輝を頼むな」
そういうと香菜が
「…はい、おじさま♥️」
とやけに艶っぽく答えた。
___________________________________________
「ねえ見て見て!あのコンビニ、『おでん始めました』だって早くない?まだ7月だよ」
「ライバルのコンビニが始める前に始めたいからどんどん早くなるんじゃないか?」
「そしたらもっと早くなって4月とかにおでん始めるのかな?一周回って冬になるかも」
こんな下らない話を楽しそうに話す山城香菜は
今でもいってきますのチュウを欠かさない
錬一、香澄ラブラブ夫妻の一人娘として生まれ、溺愛されて育ち、
お母さん譲りの美しさと可愛らしさで誰からも愛される
天真爛漫という言葉がぴったりの一つ下の俺の幼なじみだ。
出会いは俺が幼稚園児だったころ
砂場で遊ぶ俺の方にテクテクと近づくと俺を指さし
「かなはね、あなたとけっこんするの!」
そういって再びテクテクとお母さんのところに戻っていった。
呆然とした俺を残して
この奇妙な出会い以降、香菜はずっと俺の後ろを着いてくるようになった。
親父が撮影でどうしても遠出するときは俺は山城家に預けられ
香菜と一緒の布団で寝た、お風呂も一緒だったことは内緒だ。
そんな二人の関係が最近ギクシャクしてきている。
一つは俺が原因
胸大きさが学年で一番になって(本人が申告してきた)
日に日に女として意識せざるを得なくなってる香菜にどう接していいかわからない
なんでか突き放すようにぶっきらぼうに接したくなってしまうのだ。
昔はこんなんではなかったのに
もう一つは香菜が原因
「そうだ!今日はおでんにしようよ!私作るから!
女の手料理だよ~愛情もこもってるよ~」
「なあ、香菜」
「ん?なあに?」
俺が唐突に話題を変える
「お前んちから俺んちを通って学校にいくのって一度学校を通りすぎてから俺んちに来てるんだよな?」
「そうだね直接学校の前を通るわけじゃないけど」
「朝の忙しい時間に大変じゃないか?」
香菜は一瞬きょとんとしながら笑顔で否定する
「そんなことないよ、朝の登校時間はカズ君と二人きりで話せるしすっごく楽しみ!全然面倒なんかじゃないよ~」
「カズ君だって一人で学校行くより私といくほうが楽しいでしょ?
なんならおんぶしてあげようか?うりゃ!」
そういって逆に俺にのし掛かる。
ムニっと心地よい感触が背中に
む、胸が当たってる
「いや、なんでお前が乗るんだよ……」
「次の電柱で交代しよ!」
いやお前が俺をおんぶとか無理だろ……
そんな姿を同じ中学のやつらがクスクスと笑っているような気がする。
瞬間的に顔が赤くなる、恥ずかしい
俺は居たたまれなくなってつい強い口調で香菜に言ってしまう
「そうじゃなくて俺が恥ずかしいんだよ、幼なじみとは言えいつまでも迎えに来てもらうなんてさ!
もう、明日から迎えにこなくていいから!」
言った後、すぐにしまったと思った、『命令調』になってしまったからだ。
香菜はのし掛かるのをやめて俺の顔を見ると、俺の被害妄想だろうか?どこか空虚な笑顔で
「うん!わかった!」
そう答えた。
香菜は俺が強く『命令』したことに一度として逆らったことがない
子供のころから香菜は俺への好意を隠さなかったから
俺は単純に俺のことが好きだから俺の言うことを聞いてくれるのだと思っていた。
しかしこの年になって女と男、彼氏彼女の関係を俺が意識し始めて
改めて考えると
どうしてもある違和感をぬぐえない。
あれだけ楽しみにしているといっていた一緒に朝の登校をすることも
昼休みに俺のクラスにくることも、
止めろというと二つ返事で了承する。
冗談で自分の夏休みの宿題を全てやっておけというと、本当にやってしまう。
子供の頃公園に遊びに行く道すがら、砂場で遊ぶおもちゃを忘れたことに気づき家に取りに行こうと思い
「そこで待ってて」と香菜を残して家に帰ったことがある。
家に帰ると丁度見たかったアニメの再放送がやっており
それを見ているうちに
香菜と遊びにいく約束をすっかり忘れてしまった。
夜になり香菜のお母さんから俺の家に連絡が入り、
香菜が家に帰って来てないという。
はっ、と約束を思い出して香菜に「そこで待ってて」といった場所に走って向かう。
その場所
公園に向かう途中の薄暗い電灯のついた電柱の下に香菜はいた。
決して俺を責めるでもなく
「あーカズ君だ~待ってたよ~」
そう笑顔で俺を向かいいれた。
俺に好意を持ってくれているのも事実だと思う。
ただ俺の言うことを聞くことは好意によるものではなく
俺の言うことは必ず聞かなければならないという何か固定観念のようなものが先にあり、それに従ってる感覚を受ける。
独り善がりでも勘違いでもなんでもなく
もし俺が告白をしたら香菜はやはり二つ返事で「うん!わかった」といってくれるのだと思う。
それでもどうしてもある疑念が拭えない
もしかしたら香菜は俺を好きになれと言われたから俺を好きになったのではないか
考えれば考えるほど何かボタンの掛け違いのような違和感が見つかり
それが香菜とこのまま付き合ってしまっても本当にいいのだろうかと俺を躊躇させていた。
「は?アホか?最高じゃねーか」
思い悩んだ俺が思いきって昼休みに学食で友人に相談をした結果がこれである。
「いや、ちゃんと聞いてたか?どう考えても異常だろ」
「聞いとるわ、あの山城香菜ちゃんがあの胸で
あんなエロいことやこんなエロいことでもなんでもしてくれるってことだろ?」
なんかズレてる気がするがおおよその事情は理解したようだ
「いやそれが好意や愛情によるものなら問題ないんだがどこか違う気がするんだ」
「お前、あんだけむこうが好意丸出しで来てるのに好意があるかどうかわからんって本気で言ってんの?
接点ないやつはみんなお前らが付き合ってると思ってるぞ」
「いや好意を持ってくれてるのはわかるんだ。ただ例えば俺が今日からお前と付き合えと香菜に言えば、
二つ返事で付き合ってしまいそうなそんな感じがするんだ。」
「言えよ、今すぐ言え!
あと俺の言うことも聞けと言ってくれ、あとパンティおくれ、あとこの中島様を不老不死にしろ、」
「それはお前がボールを7つ集めて叶えろよ、デカイほうを」
「あーもうやっぱり惚気かよ、真面目に聞いて損したわ」
やってられんとばかりに中島は大袈裟に手で顔を覆う
「俺は本気で悩んでるんだよ」
「知るか、なんだその悩みは!ギャルかてめーは
『わたしぃー彼にぃー本当に愛されてるかー不安でー
こんなこと親友の友美にしか話せないしぃー』
って男がいない女に自虐風自慢してるバカ女と寸分違わないわ」
押してはいけないボタンを押してしまったらしく中島のターンは終わらない
「で?何がしたいの?彼女のいない俺に喧嘩売ってるの?」
俺の奢りの購買の飲み終えたパック飲料をなおも吸いながら気だるそうに中島がいう
「だからアドバイスを」
「告れ、付き合え、とりあえずやることやってから後のことは考えろ以上」
「真面目に答えてくれよ」
「充分真面目に答えてるよ、発言に裏付けが欲しいんなら糞童貞の俺じゃなくて十字にでも聞けよほら、そこにいんじゃん」
中島が顎で指した先には
この学校で一番のイケメンの十字がいた。
「十字 蔵人」の周囲には女子が群がっている
中島曰く十字がモテるのはルックスの良さだけではなく
この年でモテるためには何をすべきか知っていてそれを実践しているからだそうだ。
とにかくマメでLINEの返事はすぐ返す、最後は必ず自分。
(表面上は)可愛い女の子とそうではない子と分け隔てなく話す
むしろそうではないほうの女の子のほうを立てる。
とにかく人の話を聞く
この辺はそりゃそうだろと思うことや言われればなんとなく理解ができるのだが
これが一番大事なことなんだそうだが
『大切なことは何一つ言わないこと』
なんだそうだ
意味がわからないので中島に聞きかえしたら
「お前もそのうちわかる」と意味深に返された。
お前だってモテないくせにと言ったら
「俺は何をすればモテるかわかっていて敢えてしないんだよ」と言ってのけやがった。
そんなやつは神龍に女と付き合いたいなんて願わない。
「おーい十字ー!なんか一輝が話があるってよ」
おい呼ぶなそんな仲良くないぞ俺は
十字を呼ぶと、当たり前のように取り巻きの女たちも数人ついてきた。
「なに?中島、河合」
男に対してもにこやかな笑顔を崩さない十字はお前らが来いとは言わずにこちらにくる。
おれなら絶対言うのに。
「なんかよー、この一輝様様はかくかくじかじかでさー
香菜ちゃんが本当に自分のことが好きかどうかわかんないんだって
そんでどうすれば本当に香菜ちゃんが自分のことを好きかどうかがわかるか知りたいんだってよ」
中島はこれまでの俺の話をごく簡単にまとめて十字に話す。
若干いってることがズレてるが大まかには合っているのでそのまま十字の反応を待つ。
すると十字は少し困ったような顔をして
「なんでも言うことを聞きすぎて怖いってことか?
うーんいくつか方法はあるけど、どれも人を試すようなやり方だしあまり関心はしないな
男から告白をすべきじゃないか?」
といいながらさりげなく取り巻きの顔を伺う。
うんうんと頷いている取り巻きをみてから再度こちらを見直して
「なんかあんまりご期待に添えなくて悪い、じゃあな」
そういって学食を出ていった。
中島は少しばつが悪そうな顔で飲み終えたパック飲料をゴミ箱に放り込んで
「あーこの状況だったらあいつだったらこう言うに決まってたなスマン、
まぁ結局のところ、お前がどうしたいかってとこが重要なんだと思うぞ
俺達もそろそろ戻ろうぜ」
そういって学食を後にした。
放課後になって
夕飯の準備をしようとスーパーに行く途中で
LINEが来る、連絡なぞとったこともない十字からだった。
奴ならグループなり、ツテをたどれば俺のIDなど余裕で入手出来るのだろう。
スマホを開けてまっさらな画面に一つだけ文章があり、既読マークがつく
「昼休みの話、一ついい方法があるぜ。
俺が香菜に河合から付き合ったらといわれたから付き合おうって告白してやるよ」
そう書いてあった。