俺の姉ちゃんは悪役令嬢 2
夜も更けた頃。
港近くのとある町外れの小さな宿屋に、一台の馬車がゆっくりと停止した。
馬車から降り立ったのは、黒い外套を羽織った三十才前後の貴族の男で、彼は宿の前で到着を待っていた長身の男の案内で宿の中に入ると、左端の狭い階段をのぼっていった。
二階の薄暗い廊下を進むと、案内の男は突き当たり奥の部屋のドアを開けた。
ギィとドアが軋んだ音をたてて内側に開く。
部屋の中も小さなランプの明かりが一つだけなので、奥の方まで光が届かず暗かった。
部屋の隅にあるのは粗末な木のベッドで、そこに白い髪の小さな男の子が、まるで人形のようにちょこんと座っていた。両足をまっすぐ下ろしても床には届いていない。
貴族の男は、薄暗い部屋の中、髪も肌も白い幼い子供を見て、おお‥‥と声を上げ、スッっと片膝をついた。
「イリヤ・リ・シャール・スフィル殿下。私を覚えておいででしょうか。一昨年、王城でお会いしたブライアン・オトゥールです」
幼い少年は、じぃ‥‥っとブライアンの顔を見つめてから小さく頷いた。
感情の見えない表情。
見た目は4、5歳ほどにしか見えないが、実際の年齢は7歳になる筈だ。
王家の血が濃いほど成長がゆるやかなのだと、ブライアンは聞いたことがあった。
少年が生まれた国は島国であるが、その歴史の古さはガルネーダ帝国に匹敵する。
そして、帝国と同様に、王家の血筋のみだが特殊な能力が密かに受け継がれているという。
おそらく、王家の直系である彼にもその力は受け継がれているに違いない。
それが何かは、余所者である彼にはわからないが。
かの島は自然が豊かで、人々の気質も穏やか。海に囲まれているため、他国からの侵略も殆どなかったと聞いていた。
まさか、慈しんでいた己の民たちに裏切られ、滅ぼされることになるなど予想もしていなかったに違いない。
そして、裏切った彼らは王族の価値を全く知らなかったのだろう。
でなければ暴力でもって城を襲い、しかも国の要ともいうべき王族に対し刃を向けるなど有り得無い筈だ。
彼らは、いったい何を不満に思って城を襲おうなどと考えたのか。
「手紙でお知らせした通り、城は落ち、王家の方々は殆どが殺されるか自ら命を断たれました。私と殿下は王妃アディナ様のお力で逃れることができましたが」
アディナ様は?とオトゥール侯爵が問うと、男は悲痛な表情で小さく首を振った。
「アディナ様はご自分が残る事で、殿下の存在を奴らから隠すとおっしゃって」
王妃である彼女がいないとなれば、連中は草の根を分けても探し出そうとするだろう。
国王を殺した後、城に攻め入った暴徒らは隠れている王妃と子供たちを探し回っていた。
王妃らを見つければ奴らはひとまず安心する。
幼い王子が一人いなくなっていることなど、彼らは気づくことはないだろう。
そもそも、歴代の国王は、生まれた子供が何人いるかを公にすることはなかった。
社交界にも一定の年齢に達するまで出席させないので、暴徒らは、国王に子が何人いるのかを把握していないに違いない。
それにしても───
なんという事だ、とブライアンは顔を顰め苦しげに唇を噛み締めた。
なんという愚かなことを!
あの国の豊かさと長く続いた平穏な生活が誰の力によるものか、彼らは考えもしなかったというのか。いずれ気づいたとしても、その時はもう手遅れだ。あの国は二度と元の姿に戻ることはないだろう。
あれだけ美しかった王国が滅びへと向かい、やがてテラーリアから消え去る未来を思い、ブライアンは、悲しみよりも怒りを強く抱いた。
「それで、オトゥール侯爵。殿下のことを、お願いできるのでしょうか」
「勿論だ!エミル陛下には返しきれない恩義がある。陛下が亡くなられたというなら、殿下のことはこの私が出来うる限りにお守りするつもりだ」
ああ、有難い!と男は深々と頭を下げた。
「長く他国との交流を控えていたため、侯爵しか頼る者がなく、貴方に断られれば私は、殿下を連れて帝国へ向かうしかありませんでした」
「帝国へ?何故?」
「伝説の方に会うために。アディナ様に、もしもの時は頼れと言われておりました」
「伝説の、というのは、もしや──ガルネーダ帝国の初代皇帝のことだろうか」
不老不死だと言われている?
はい、と男は頷いた。
「お会い出来るかどうかはわかりませんが」
伝説というだけあって、それは千年も前の話になる。殆ど神話であった。
ガルネーダ帝国の建国の父と呼ばれるベイルロード・ラムセス。
彼は不老不死であり、今も生きていると言われているが、おそらくそれは帝国の人間の特殊性によるものだと歴史学者でもある彼ブライアンは考えている。
帝国では、前世の記憶を持って生まれる者が多くいたという。
帝国の繁栄は、彼らの能力によるものが大きいともいわれていた。
多くの歴史書を読んだブライアンが出した結論は、ベイルロードが不老不死というのではなく、彼の記憶を受け継いでいる転生者が生まれているのではないかということだった。
帝国では生まれ変わりは普通のことだというから、不老不死で千年生き続けているというよりはあり得る話だ。
「侯爵には本当に感謝します。殿下のこと、どうかよろしくお願いします」
王子を守っていた男が深く頭を下げた。実は彼は騎士でもなんでもない。
侯爵と同じで歴史が好きな、王宮に仕える文官の一人だった。
たまたま王子の近くにいたということと、オトゥール侯爵と面識があるということで一緒に飛ばされたのだという。
剣は持たされたが、全く使えないので万一の時は自分を盾にするしかなかったと男は苦笑した。
「君は一緒に来ないのか」
「私は帝国に向かいます。私がいると、王子のことが知られる可能性がありますから。不安要素は無い方がいい」
それに、と男は続ける。
「彼を探したい。見つけられるかどうかはわかりません。ですが私は会ってみたい。そして話を聞きたいのです」
子供の頃からの夢なのだと男は言った。
ああ、わかる。わかるとも、とブライアンは頷いた。
「陛下に恩義があると仰られる侯爵だからこそ信頼してます。どうか王子のことを頼みます」
「安心してくれ。信頼には必ず応える」
ブライアンがそう言うと、男はもう一度頭を下げた。
「王子」
男はベッドに座っている少年の方を向いた。
「どうか、我々のことは考えずご自分のためだけに生き、お健やかに成長なさってください。皆、貴方の幸せだけを願っています。それと‥‥そのピアスは大事にして下さいね」
少年の両耳には小さな赤い石がついたピアスが付けられていた。
「それは王家の?」
「いえ。王家に関係するものは一切王子は持っておりません。知られては危険なので。ピアスは、アディナ様が手ずから作られたもので、国を離れる前に殿下に渡されました。知っている者はおりません」
「───そうか」
少年の小さな手が男の方に伸ばされ、首に回された。
耳元で自分の名を呼ばれた男は、泣き笑いの表情になり、大切な王子の小さな身体を抱きしめた。
「殿下‥‥どうか幸せに」
幸せになって下さい。
□ □ □
「あなた、ほんとにうるさいわよ!」
父オトゥール侯爵がイリヤを連れてきてから半年が過ぎた頃、我が侯爵家に新しい関係が生まれようとしていた。
それは、姉のレベッカと居候のイリヤとの関係だ。
イリヤが小言を言い、レベッカが癇癪を起こすというのが日常化したのは、実は俺のせいである。
そのことは、イリヤと俺だけの秘密であり、姉レベッカが知ることはないことだが。
父が連れてきたイリヤが、実は祖父の執事として長く勤めていた男の孫だと知らされた。
町で働いていた彼の一人娘が他国の貴族の火遊びの犠牲となり子供を生んだのだそうだ。
だが、母親は子供を生んで間もなく亡くなり、祖父である彼が引き取ったのだが、その彼も先日亡くなって父が引き取ってきたのだという。
人の良い父らしいと皆信じたようだが、俺は違う。
まあ、身内や使用人の誰も侯爵が愛人の子を連れてきたと考えなかったのは幸いだが。
それは俺も思っていない。
母親に至っては、父に対して絶大な信用があるから誤解など最初からなかったし。
ラブラブで結構なことだ。
俺が疑ったのは、イリヤが祖父の執事だった男の孫だってところだ。
あくまで知識はゲームだが、確かその執事は生涯独身で、祖父が亡くなってしばらくは父に仕えていたが、その後体調を崩したせいで仕事を辞めて故郷に戻ったとなっていた筈だ。
悪役令嬢レベッカの背景として最初に書かれていた設定である。
レベッカが生まれてしばらく、オトゥール侯爵家に執事と言える者がいなかったための説明だったと思う。
現在は、子爵家の三男が父の仕事を手伝っていて、将来の執事候補となっているようだが。
従姉にゲームの始まりから見てみろと無理矢理見せられたが、興味が湧かず殆ど流し読みだった。
それでも間違いはない筈だ。
これが父の考えた嘘の設定なのかはわからないが、まあ、全く我が家と関係のない子供を引き取ったということではないのでうまくいったのだろう。
さすがに辞めた執事と親しかった者には疑われるだろうから、そこは父がちゃんと話をしているのだろう。本当のことを言ったかどうかはわからないが。
この頃、自分が幼児というのを最大限に利用して、俺は邸内をちょろちょろ動き回っては情報収集するのが日課となっていたが、ある日、偶然父がイリヤに対して〝殿下〟と呼んでいるのを目撃した。
いや、びっくりした。
一瞬聞き間違えかと思った。
一回なら聞き間違えと思ったろうが、その後もう一度父が〝殿下〟と呼んだので間違いではないとわかった。
殿下って──殿下って───イリヤが?
父が殿下と呼ぶのは、我がレガール国の王子王女だと思うが、イリヤが?
もしかして、イリヤって、国王の隠し子だったりするのか?
ん?あれ?そんな設定ってあったっけ?そんな設定があれば、従姉が言ってた筈だが記憶にはない。
だいたい、従姉がやってたゲームは最後まで見ていたから、隠し子設定があれば覚えている筈だ。
え?もしかして、後で追加された設定があったりするとか?
ゲームって、リメイクされた時に追加要素ってのがあるからなあ。
新しい事実入れるとか、新キャラが出てきたりとか。
‥‥‥‥‥
うお〜!それって、俺が知ってる展開とは違う展開がきちゃうってことになんねえか?
それって、ヤバいんじゃ‥‥ちょ待‥‥!俺が知ってるゲーム展開で進んでくれよぉ〜〜
う〜ん‥‥?でも少々展開変わっても、ストーリーが変わったりはしないよな。
ん?あれ?
でも俺というイレギュラーがいること自体が、ストーリーが変わる要素になるとか。
いやいや、俺はちゃんとストーリー通りに動くよ?ただ、姉ちゃんの婚約破棄を邪魔するだけで──
‥‥‥‥え?まさか、俺が元凶でストーリーが変わったりとかしちゃう?
「どうした?気分でも悪いのか?」
廊下の隅で頭を抱え込んでいた俺は、突然かけられた声にビクッと肩を震わせ、恐る恐るといった風に顔を上げた。
いつの間にか俺はその場にしゃがみ込んでいたようで、顔を上げると膝を抱えるようにしゃがみ込んだイリヤの顔が間近にあって、俺は思わずヒクリと喉を鳴らした。
声をかけられるまで、こいつがそばに来たことに全然気づかなかった。
というか、なんで俺がここにいるってわかったんだ?
ハッとしてキョロキョロと首を動かす俺に、イリヤがくくっと小さく笑った。
俺はキョトンと目を瞬かせた。実は笑ったイリヤの顔を見たのは初めてだったのだ。
父が連れてきてからイリヤは笑うどころか、殆ど表情を変えることがなかったからだ。
まるで人形のようだと言ってる者もいた。人形のような子供。
喋る事もあまりなく、俺はイリヤからは、はいといいえしか聞いたことがない気がする。
まあ、イリヤは邸内で何かするわけでもなく、何故か父が用意した部屋にこもってることが多かったので、俺も姉のレベッカもイリヤが来て二カ月の間殆ど顔を合わせることはなかったのだが。
こうして間近に見たイリヤは、整った綺麗な顔をしているのがわかる。童顔だが。
銀に近い灰色の瞳が特に印象的で、女なら神秘的とかなんとか言ってきゃあきゃあ騒ぐんだろうなとか俺は思った。
「ブライアンは部屋に戻った。お前がここにいたことには気づいてないから安心しろ」
「‥‥‥‥‥」
うわあ、こいつこういう口調なんだ。しかも、侯爵である父親のことを名前で呼んでるよ。
あ、殿下と呼ばれる身分なら当然なのか。
じっと互いを見てから、イリヤが、ところでと口を開いた。
「お前って面白いな。見た目は赤ん坊みたいな小さな子供なのに、大人みたいな表情をする」
え?と俺は小さな手で自分の顔をペチペチと叩いた。
まじぃ‥‥うっかり素を出しちまってたか。
普段は子供らしくを意識してたが、唐突だったせいでごまかせなかったようだ。
「初めて会った時から、子供の振りをしてるなって感じてたんだが。お前、何者?」
うえっ?最初から気がついてたのかよ。
まあ、俺も珍しくてついガン見してたからなあ。
前世でよく見ていた某アニメキャラのように誤魔化すのもわざとらしいと思い、俺は諦めた顔で首をすくめた。
「イリヤこそ何者?殿下って何?」
イリヤは灰色の瞳を大きく瞠った。
「なあ、イリヤ。こうなったら、誤魔化しはなしってことで、お互い打ち明け話とかしねえか?」
「‥‥‥‥‥」