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1話

 蜜柑ちゃんの希望により、俺の家へ向かうこととなった。


 蜜柑ちゃんは俺の荷台に載せた。交通ルールは知っていても、やはり相手は幼女。一人、もとい一台のまま目を離すのは危なっかしい。


 走行中、俺は実験を試みた。


 まず、車中に音楽をかける。演歌やら軍歌やら、そういうジャンルのものしかなかったのは当然と言うべきか。


『蜜柑ちゃん。いま音楽かけてるんだけど聴こえるか?』

『んーん。なんにも』


 その後、俺が蜜柑ちゃんの方へ意識を向けると『あっ! なんかヘンな歌が聞こえてきた!』と言ってきた。予想はしていたが、無人のクルマ同士ならば念ずることで聴覚を共有できることが分かった。蜜柑ちゃんのお父さんの声が俺にも聞こえてきたのはこのおかげだったんだろう。


 今度はいったんコンビニの駐車場に停まり、道行く通行人に俺の声を念じてみる。思考を相手に飛ばすイメージを思い描いた。


『この声が聞こえたら、手を挙げて下さい! お願いします! 手を挙げて下さい!』


 しかし誰もが無反応だった。やはり、こちら側の意志を相手に伝える手段は、かなり限られているというわけか……。


 だが、意識を集中させることでコンビニの店内にいる人たちの声を拾うことはできるようだった。レジ打ちの店員が、しきりに「唐揚げ出来立てでーす!」と呼びかけているのが聞こえる。


 これらをまとめると。


 俺と蜜柑ちゃんは離れていても会話が出来るし、聴覚を共有することも出来る。こちらの言葉は人間には伝わらないが、人間の声はある程度離れていても聞くことが可能。


 受動的な部分には長けているが、能動的な部分に乏しいことが改めて浮き彫りとなった。


『ねえおにいちゃん。うんうん唸ってるけどどうしたの? おにいちゃんの家に行くんでしょ?』

『あ、ああ。そうだな。行かなきゃな……』

『おにいちゃんのおうち、どんなかなー!』


 太陽のように明るい蜜柑ちゃんの声に対し、俺はどんどん気持ちが重くなっていった。今置かれている状況が悪すぎるというのもあるが、それ以上に……。


 デコトラはどんどん実家へと近付いていく。しかし途中から、まるで質の悪いガソリンを入れたかのように動きが鈍くなっていった。


 俺の家族。父さんと母さんと俺の、三人暮らしだった。家はごく平凡な住宅地にある。手頃な中古物件を見つけた父さんが、ローンを組んで買ったのだと聞いている。


 俺が死んだあと家族がどうなっているのか。当然だが何も知らない。


 いつしか俺のことを叱ってもくれなくなった母さんは、泣いて悲しんだのだろうか?


 いつしか俺のことを構ってもくれなくなった父さんは、少しくらい後悔をしたんだろうか?


 行きたくない。知りたくない。怖い。けれどこのまま、何も分からないままでいいのか。


 デコトラは、ぐるぐると同じ所を走っている。思考もまた、同じ考えが巡っていく。


 ああ、日が暮れてきたじゃないか。暗くなる前に切り上げたっていいだろう? 俺は今日、これだけ頑張ったんだから。続きは明日にしよう。それか明後日に。いやもっと先がいい。もっともっと、先延ばしにしたい。俺が部屋に籠もっていた、あの時のように。


 ……けれど、俺は実家へとたどり着いてしまった。引きこもりのニートだった頃と決別したいなんて、そんな未練がましい気持ちもあったのかもしれない。けれど、何の結論も導き出せないままだった。


 閑静な住宅地に突如としてデコトラが現れたせいで、近隣の住民が奇異の目線をぶつけてくる。しかし、俺が魂の入ったクルマであると察せられることはないだろう。車内の照明はすべて消してあるし、夜も更けている。運転席は見えないはずだ。


『ねえねえ! 着いた? おにいちゃんのおうち着いた? 出てもいいよね!』


 興奮を隠しきれない様子の蜜柑ちゃんだったが、俺は『いや。まだ中に居てくれ』とだけ答える。


 家の前で路上駐車するわけにもいかないので、周囲を適当に走り回ることにした。


 こんな形で里帰りするだなんて、思ってもみなかった。どうにか知恵を絞って、家族に俺の存在をアピールしてみるか? いや、そもそも母さんや父さんに知ってもらったところで、それでどうなる? 死んだ息子がデコトラに生まれ変わったなんて、そんな突拍子も無いこと……。


 考えていると、たまたま家の玄関から母さんが出てくるのが見えた。仕事が終わった父さんと家の前で話をしているようだ。


 二人ともついこの間まで見ていたはずなのに、ものすごく久し振りのように思えた。


 ここからではよく見えないが、母さんや父さんの顔に「しわ」の一つでも増えていたら……それだけでも少し、救われた気持ちになる。確認に、行こうか。


 ……いや。あまりに近づきすぎても怪しまれてしまう。このまま遠巻きに二人の話し声を拾おう。


 意識を集中させる。すると、指向性マイクのように、玄関にいる二人の声だけが俺の耳に届いた。




「……しいわね、あなた。仕事はもう終わったの? いつもだったら平気で夜の十時を過ぎるじゃない」

「これからは、できるかぎり残業を減らすつもりなんだ。あんなこともあったから」

「……そうね」




 あんなこと、か。まず間違いなく、俺のことだろうな。二人とも悲しんで、くれているのか?




「お前に家庭のことを任せっきりにしていたのは悪いと思っている。今さら言ったところで遅すぎる話だが、本当に後悔しているんだ」

「私も同じ想いだわ」

「俺たちは、選択を間違えてしまったんだろうな」




 選択を? 間違えた、だって……?




「俺もお前も、いま必要なのは時間だ。だから今日も早く帰ってきた。お前もパートを辞めて、今はゆっくりしてくれ。何だったら、二人で旅行でも行こうか?」

「えっ、それは嬉しいけど……。でも大丈夫なの。その、あなたの仕事とか、お金とか」

「大丈夫さ。あいつの事故で、加害者から慰謝料が出ることが確定したんだ。弁護士とも話は詰めてあって、およそ二千万円はくだらないってさ。忌引きは終わったが有給は残ってる。やろうと思えば二十日は休めるかな」

「……そうなの。じゃあ、考えてみるわ」

「せっかくなら海外はどうだ? 新婚旅行のとき以来だろ。ヨーロッパでもイギリスは……」




 俺はこの時点で、聞くのを止めてしまった。


 俺の死は……。二人の人生に、何の爪痕も残せていなかったんだ。


 強いて言えば、俺というゴミクズニートが、二千万という大金に化けたってこと。まさに夢の錬金術。よく出来た孝行息子じゃないか! そのうえ「選択を間違えた」だって!?


 俺は、俺は……ッ!!




 なんのために生まれてきたんだ?




『ねえ~! おにいちゃんまだ~?』


 俺があらかじめ蜜柑ちゃんを荷台に載せていたのは。「こうなること」が、最初から予想できていたからじゃないのか?


 この有様を見せたくないなんて、そんな下らないプライドを守ることで必死だったんだろう?


『ここ、暗いし揺れるしさあ~! おにいちゃん、もう出してよ~!』


 もう、二度とここへは来ない。


 蜜柑ちゃんには、適当に嘘をついて誤魔化そう。しょせん俺は、その程度の奴だから。全てを知られて平静でいられるわけがないんだ……。


『ところで、さっきの声っておにいちゃんのお父さんとお母さん?』


 おい。


 今……。


『きっとそうだよね! 声の感じがちょっと似てたし! それに旅行へ行くんなんていいなあ! そうだ、これから二人で北海道にでも行ってみようよ! でっかいどー、でっかいどー!』


 聞いたんだな。お前は。勝手に、俺の無様を……!


 何かが。


 俺の中で、切れた。




 俺はデコトラの荷台を開けた。


『あっ、ようやく出してくれた~! もう、ずっと閉じこめるなんてヒドいよ~!』

『ほら、どこへでも行けよ』

『えっ?』

『行けって言ってんだよッ!』


 感情が、もう抑えられない。向こう見ずな言葉ばかりが出てくる。


『俺はな。お前みたいに家族から愛されることなんかなかったんだ! むしろ、死んだことで初めて「価値」が生まれた!』

『なんの、はなしなの……?』

『お前、ずっと聞いていたくせにしらばっくれる気か? 生きてるうちからずっと必要とされてきたやつには分かんねえ話だよッ!!』


 こんなの八つ当たりだ。しかも、相手は俺よりずっと小さな子供。


 けれど、もう心が限界で。耐えられなかった。叫びだしたかった。このままじゃ、俺の精神が摩耗して擦り切れそうだ。


 醜悪な感情の赴くがまま、俺は矢継ぎ早に言葉を吐き出した。


『笑えるだろ? 俺は死んだことで母さんをパートに出させなくって済んだ! 父さんの激務を減らせた! 夫婦仲を取り留めることに成功した! 俺は、この世から消えることでようやく価値が生まれたんだとさ! いてもいなくても変わんねえ存在だと思ってたけどよ、死んだほうがよっぽどマシだったなんてなあ! こんなこと分かってたら、もっと早くに死んでやったよ! きっと母さんや父さんもそう願っていたに決まってるさ!』

『お、おにいちゃん……。わたしも、よく解らないんだけど。でも、おにいちゃんのお父さんやお母さんは、きっとそんなこと考えてなかったんじゃないかな』

『はあ? よく解らないんなら口を挟むんじゃねえよ! そもそも、お前の「幸せいっぱいでお綺麗なものさし」で俺を勝手に図るんじゃねえ! 虫唾が走るんだよ! 俺とお前じゃ、すべてがまるっきり違うんだ。死んでから悔やまれるやつと、死んだことで喜ばれるやつとじゃあなぁ!』

『おにいちゃん……』

『とっとと降りろ! 俺の実家が見たけりゃ見せてやるよ! そしてもう二度とその姿を見せるんじゃねえ!』


 俺はこんなだから。


 だから駄目で、クズで、ニートだったんだろう。


 罵声を浴びせたあと、俺はその場を走り去った。


 翌日、ようやく自身の愚かしさに気付き、蜜柑ちゃんを探してクルマを走らせた。けれど。


 後悔の念が芽生えたときには、すでに遅く。




 蜜柑ちゃんはもう、どこにもいなかった。

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