「御腰に付けた黍団子、一つ私に下さいな」
最初の三日間、ボクが感じたのは絶望しかなかった。
腰に吊るしている汚染検査計からは汚染量を知らせる警告音が絶えず鳴っていたし、嘗ての道路は地震で割れてあちこちで寸断されていた。
荒涼とした世界には嘗ての文明の痕跡が残っていた。道路沿いに遺棄された住宅、店舗、クルーザー用スタンド等が、寂れた姿を見せる。
ボクは日が沈む頃、そんな廃墟を間借りして一夜を過ごすのだけど、悲しいかな、そう言った場所にはいつも先客がいた。
それは大概、巨大に成長した鼠、野生化した犬のような獰猛な動物だったけど、実はそれでもまだマシだったことを四日目に知った。
四日目のねぐらは略奪を何度も受けてがらんどうになった商店だった。陽が傾いてきたころ、ボクはそこを見つけ、中に入ろうとした。
店の中から人影が揺れながら現れた。
深く影が差す屋内にいたそいつは揺らめく頭をもたげて、ボクを見た。ボクもそいつを見た。
ケロイド状に変化した赤褐色の皮膚、濁った緑の目、体毛は一本もなく、嘗て衣服だったらしい布を体にくっつけていて、指先は鋭い鉤爪になっていた。
目が合った瞬間、そいつはボクに襲い掛かってきた。
驚いたボクがドアから飛びのくと、そいつは店の外まで追いかけてくる。乱杭歯の生えた口から涎を垂らしながら、喚きながら走っていた。
怖かった。ここ数日、野生動物におっかなびっくりしていたことなんてほんの子供騙しだった。
ボクは背負ってたサックに結んであった作業用レーザーガンを手元に引き付け、相手に向けた。
機械の配線やプレートの切断にも使えるレーザーを最大出力で発射した。
発振器の震え、オゾンの臭いのあと、赤色の光条がゴーグルから僅かに見え、相手の腹を貫通した。
相手はそのまま仰向けに倒れ、しばらく醜い呻きを上げてから、動かなくなった。死んでしまった、人に似た者が。
そう思ったボクは、さっきとは別の意味で恐怖を感じた。もしかしたら、彼がボクを助けてくれたかもしれないのに!
けど一方で、ボクの中では別の考えも浮かぶ。友好的な存在なら、もっと穏便な手段で接触してくるはずだ。攻撃的な素振りを見せた、相手が悪い。
二つの考えに苛まれながら、ボクはレーザーガンを構えつつ、死体に忍び寄った。
虚ろな目をした怪物がそこにいた。捻じれた骨、破けた皮膚の下から筋肉と骨が露出している。
汚染計が凄まじい汚染量を告げてくる。
そいつはついさっきまで生きていたとは到底思えない程、ぷんぷんと腐敗臭を漂わせていた。
腐りながら、生きていたのだ。
こういうのをどう呼ぶべきか、ボクは知っていた。子供の頃、父さんや母さんが寝物語に聞かせてくれた、昔の映画に出てくる、生きてる死体。
こいつは、ゾンビだった。
その日から、ゾンビと遭遇することが増えた。
ゾンビは例外なく、ボクを見つけたら雄たけびを上げ、鉤爪を振り上げて襲い掛かってきた。
始めの頃、ボクは恐怖に震えながら最高出力のレーザーガンで戦っていた。野犬や大鼠も撃った。
でもそのうち、そんなやり方ではボクは生きていけないということに気付いてしまった。レーザーガンのバッテリーがすぐ空になってしまうし、人を撃ち殺すための道具じゃないから、発振器が駄目になってしまう。
そこで、廃墟を漁って出てきたがらくたを使って武器を作ることにした。
きっとゾンビになる直前まで彼らが使っていたのだろう、たくさんの道具が彼らの巣には転がっていた。
鉄パイプと木片で作った不格好なクロスボウで、見つけたゾンビの手足を撃ってから、拾った錆だらけの大型スパナで殴り殺した。
始めの頃は震えながらしていたことだったけど、次第にボクは無感動になりつつあった。
母さんを治療できる道具や人が見つからないのではないかという気持ちが芽生えながら、ボクは歩き続けた。
引き返さなかったのは、それまでの行程の辛さを無駄にしたくないという、ボクのささやかな意地に過ぎなかった。
そんな旅を、一か月続けた。
崩落した高架道路を道しるべに歩くと、何台もの車が遺棄されたままの施設を見つけた。
父さんたちはボクに外の世界のことをたくさん教えてくれたし、それまでの旅でも色々な廃墟を見ていたから、それが何なのかわかってきた。
長距離移動をする人のための休憩施設で、食事も摂れるようになっている場所だ。
手元の食料が乏しくなっていたし、その日はそこで食べる物を探して夜を明かそうとした。
こういうところには昔の保存食糧が残っていたりするのを知っていた。
戸棚を漁ってみようと、ボクは建物の中へと忍び込んでみて、足を止めた。生き物の気配がする。
そいつは客を迎えるためのカウンターに寄りかかっていた。ゾンビじゃなかった。
大きな口から炎のような舌がはみ出ていた。毛むくじゃらの手足は力なく垂れ、頭の上に生えた耳がピンと立っていて、ボクの方へ向いた。
どんよりと曇った目が開き、ボクを見た。
ボクはクロスボウを構えながら、ゆっくりと近づいた。相手が襲い掛かってくるようには見えない。
そいつの口が動いた。
「そんな玩具で俺を殺せるものか」
ボクは飛び上がった。旅に出て初めて誰かの言葉を聞いた瞬間だった。
「おい。フェラルの馬鹿じゃあるまいし、口くらい聞けるだろう。なんとか、言ってみろ」
「……ボクのことか」
「ここに他の奴がいるのかよ」
我ながらバカな口を利いたものだ、と思う。
「……雨宿りだけなら、放っておいてくれ。俺はもう長くないんだ」
「……なぜ長くないんだ?」
そいつはパッと見、ケガをしているようには見えなかった。ただ弱っていた。
「病気なのか?」
「お前には関係ないだろう……」
確かに、そうだ。
でもボクは、なんとなくそれが気になって仕方がなかった。母さんのことを強烈に思い出させるものだったからだと思う。
「何か手を貸して上げられるかもしれない」
不意に、そんな言葉が出た。
「……中毒だ」ぽつりとそいつは言った。
「中毒? なんの?」
「ニュークだ。腹が空き過ぎて、フェラルの腐った脳みそを食っちまった……ニュークがたっぷり染み込んだ脳みそをな」
フェラル、というのが多分、あの徘徊するゾンビを意味しているんじゃないかと、ボクは理解した。
あいつらは体中から汚染を発散させていた。ボクは両親とはけた違いの汚染抵抗力があるけど、あんなものを食べたらすぐに体内が汚染されてしまうだろう。
まぁ、そんなときのために抗体アンプルも持っているけど。
「うう……」獣みたいな唸り声、それはとても無念そうな、悔しそうなものだった。
ボクは荷物の中からアンプルを取り出して、そいつの腕に注射してやった。
「何しやがる!」
「じっとしてて」
アンプル内の抗体がすぐに体内を駆け巡って、彼の中にある汚染度を減らしていく。
それはぶら下げている線量計がだんだんと静かになっていくのでもわかった。
「……どう? 落ち着いた?」
「……苦しくねぇ」
呆気にとられたように、彼は言った。
ボクと彼は一晩中、お互いについて話した。
彼は自分の名をロボ、と言った。この世界には彼のような人とも獣とも言えない、知性のある生物、カヌーフが暮らす場所が幾つかあるのだそうだ。
他方で、古い世界から生き残った人々がニューク汚染を経て変化したのがフェラルという化け物だった。
古い世界が壊れてからも生き残っていた人達は、汚染された地表で暮らすうちに続々とフェラルへと変貌していったという。
「都市に行けば、今でもフェラルでごった返してるぜ」
カヌーフはそんなフェラルを狩って、食糧としているらしい。それでも内臓だけは食べてはいけない、ときつく言い聞かせられているのだそうだ。
ロボはそれを無視したために、ここで難儀することになったわけだ。
ボクはボクで、これまでの旅について、どこからやって来たかについて話した。
ロボはボクの話を興味深そうに聞いていた。
「古い世界のシェルターがあるのは聞いたことがあるけど、そこで生き残っていた奴は初めて見たぜ」
「生き残ってたというか、ボクはそこで生まれたんだけど」
だからロボが言うところの『新世界』は驚きと発見に満ち溢れていた。両親とシェルター内の記録でしか知らなかった場所、それも荒廃し、破壊し尽くされて変化した世界は、危険でもあり、魅力的でもあった。
夜明けの頃、ボクとロボは束の間の眠りにつき、起きた後、商店に残っていた錆びかかった罐詰を分け合って食べた。
その後、ロボはボクに言った。
「ペルーシク。お前が探してる旧世界の治療道具だけどよ、知ってるかもしれない奴を俺は知ってる」
ロボが出てきたカヌーフの集落に、その者は居るという。
「お前に助けてもらった礼に、俺が案内してやるよ」
ボクらは廃墟を後に、カヌーフの集落を目指した。