「桃から生まれた桃太郎は、鬼退治に出かけました」
ボクはその日も、昨日までと同じく暮らしていた。
濃いピンク色に熟した桃を傷めないように丁寧に切り取り、バスケットの中に並べる。
手押し車に乗ったバスケットを動かしながらその日の収穫を終えると、バナナの収穫を終えた父さんと合流する。
「ペルーシク」父さんがボクを呼ぶ。
「出来具合は、どうだ」
「まずまずなんじゃないかな。ただ、汚染残留値が高いよ。ますます高くなってる……」
バスケットに積まれたセンサーがテンポの速いピッチ音を立ててボクらへ警告していた。
父さんは被りを振った。
「こっちもあまりよくはないな。ま、バナナは初めから食用じゃないから、それでもいいんだが」
ボクらはそう話しながらシェルターのバックヤード……主要な設備へ電力や水を供給するための設備に至る。
正規のメンテナンスを20年以上受けていないここの機械はどれも古ぼけていて異音と異臭を放っている。父さんはそこに開けられたダストシュートにバナナを房ごと落とし込み、僕も桃の大半を落とした。
父さんがレバーを降ろすと、シュートの口が締まり、けたたましい機械音と共に中で果物が攪拌され、加熱される。
配管から漏れる蒸気からは甘ったるい臭いがした。
「これで……えーと、1800時間分の余剰電力が確保できたな」
父さんが手動で計算した数字をボードに書き加え、僕らはその場を一旦後にした。
「またバルブが緩んできているな……そろそろパッキンが限界かもしれんな」
「交換するの?」
「そうしたいが、予備品が底をついてる」
父さんの頭の中にはこのシェルターにある、ありとあらゆる機械装置についての情報が詰まっていた。
どこに何があって、どれがどうつながり、どんな機能を果たしてシェルターを維持しているのかちゃんと把握していた。
ボクは生まれてからずっと、そんな父さんの手伝いをして育ってきたんだ。
父さんは天井のパネルを指さした。
「18番パネルの調子がおかしいな。見て来てくれないか」
「分かったよ」
昔は父さんの仕事だったことも、今はボクがやることが多い。父さんも年だしね。
ボクが天井パネルの裏側に回って配線や回路をチェックする間、父さんは別の畑を世話していた。
そこからはシェルターの全体が見渡せて、悪くない景色だった。
だだったぴろい畑が不格好に区分けされて、休耕地と耕作地の帯が出来ている。
その先に煤けてはいるが、小奇麗なメインフロントが建っている。バックヤードはその下で、畑に供給するミネラルや水を廃棄物から合成している。電力も同様に、そこから発生する蒸気でタービンを回して取り出していた。
この仕組みを作ったのは父さんだった。バックヤードの奥にある、現在は非常用電力として温存してある中型ニュークバッテリーが、本来の電力源だったそうだ。
ボクがパネルから降りてきた頃、父さんは刈り取った麦を結んで干し掛けているところだった。
「どうだった?」
「鼠が磁気に吸い寄せられて挟まっていたよ。ほら」
ボクの手には丸々と太った鼠がぶら下がっていた。この閉鎖環境では貴重なタンパク源だ。
「よし。今日はそれをディナーにしよう。母さんも喜ぶぞ」
父さんが捌いた鼠を、ボクが調理した。
それに慎重に抽出したビタミンブロックを付けたものが今日の食事だった。一日二食、食べるのはそんなブロックばかりだった。
ただし、ボクだけは特別に生の桃やオートミールが食べられた。ボクは二人の子供としてとても大事にされていた。
そのことをボクはよく理解していた。ボクは彼らにとって希望そのものだった。
二人が20年前に起きたD-day……甚大な核汚染によってシェルターアトラクション『アンブロシア』から脱出することが叶わなくなったことで、ここは本当の意味でのシェルターになった。
二人は最初、やがて誰かが救助に来てくれるだろうと楽観していたそうだ。けど、シェルターでの生活が365日を超えた頃からそれを諦めるようになった。
二人が何よりも心苦しかったのは、シェルターの外を見るためのカメラが活きていたことだった。そして同時に、外気に残留する核汚染センサーが致死レベルの線量を計測し続けたことも。
赤黒い火球が八か月に渡って上空に滞留し、同時に汚染物質を含んだ雪が降った。雨と雪が大地を汚していき、徐々にそれらがシェルターへ浸透していく中、ボクの両親は互いの知恵と勇気を発揮して生き続けた。
そして、僕が生まれた。
二人がそれに気づいたのは、僕が三つか、四つになった頃だったと思う。
その頃には既に、シェルター内の農場は節電のためにドローンではなく人力で維持されていたんだけど、そのせいか、土壌の一部が汚染され、生物濃縮が起こるようになった。
毎日シェルター内の汚染度合いを確認していた父さんは、収穫できた桃の一つが高い汚染状態にあるのを知り、それを廃棄する前に、自分の研究室に持ち帰って成分を分析することにした。
研究室と言っても、無数にあったゲストルームの一つを改造し、自前の器具類で満たされた粗末な部屋だった。
そこはボクにとっては遊び場だった。そこにはドローンから取り外したカッターやドリルがあったし、低出力レーザー発振器とか、自作のスペクトル分析器とか、とにかくいろんな機械があった。
そこに、とても美味しそうな匂いがする果物が半分に切り取られて無造作に置かれていた。
父さんはほんの少しの間席を外していた。だからボクは思わずその果物に手を伸ばしたんだ。
ボクが口いっぱいに甘酸っぱい果汁を愉しんでいるのをみた両親は、恐怖の叫びをあげた。
その日から三日間もの間、母さんは泣きながらボクを抱きしめて暮らしていたが、やがて父さんがボクの身体が、汚染物質に対する強固な耐性を獲得していることを発見して以来、そんなことはなくなった。
母さんの元へ食事を運んだあと、低線量シャワーで身体を殺菌させていたボクを父さんが呼んだ。
「母さんの事について話そう」こっそりと自作していたアルコールを開けながらそう言った。
「やっぱり悪いの?」
「かなり悪い。抗体アンプルの製造が追っつかないんだ」
母さんの身体は日に日に衰えていった。父さんはボクの骨髄から抽出培養した抗体を作って、母の病状を抑えていた。
「ここにある器具類では、これ以上の治療は無理だろう……」
きついアルコールにむせながら話す父さんを見て、ボクは言った。
「父さん。ボクが外に出て必要な道具を探してくるよ。ボクは外の環境に適応できるはずなんでしょう」
「……そうだ。お前は破滅した外部の世界に適応できる、新しい人類だ」
「なら、ボクは外を探検して、もしかしたら助けを呼べるかもしれないし、必要な道具を探すことも出来る。そうでしょう」
濁ったアルコールの水面を睨みながら、父さんは暫く黙っていた。
最後に残った一口を呑み込んでから、ボクを真正面に見据えた。
「……頼む。母さんを、ステーシーを助けてやってくれ」
いつかこんな日が来るんじゃないか、と思っていなかったとは言えない。
ボクの身体が父さんたちとは違っていると知った時から、その思いは少しずつ膨らみ、今日までには固まっていたんだ。
旅立つ日。ボクは父さんから抗体アンプルを貰った。
「外の環境は未知数だ。お前の身体に異変が起こった時、それを使え。無理はするなよ」
「うん。必ず必要な物を手に入れて帰ってくるから。……行ってきます」
シェルターの駐車場から伸びるスロープを昇り、変形したシャッターをレーザーで切った。
20年ぶりに開かれた、外界への入口。ボクにとっては生まれて初めての、地上の世界に踏み出した。
埃っぽい空気、貧相な植物相、割れたアスファルトの道路がどこまでも錆色の地平に伸びている。
空は毒々しい青空が広がっていた。