「むかしむかしあるところ、おじいさんとおばあさんが住んでおりました」
その日から、ダンカンとステーシーはドライブに出た。
中規模地方都市でエンジニアと会計士をやっていた二人は、久しぶりの休暇を郊外にある果樹園型シェルターアトラクションで過ごすことにしていたのである。
「メインシーズンを外したお陰でチケットがすぐ取れて良かったよ。バカンス先で人に揉まれるのはまっぴらだからね」
運転をオートドライブに任せ、二人はクルーザーから望む屋外の景色を眺めながら、そう話していた。
都会から離れると空はオレンジ色に輝き、遠景は灰色に霞んでいる。
二人はそれを不思議とも不気味とも思わなかった。過激な宗教結社のテロルが安価な小型核を使った物に変わってから、空には汚染物質の塵が滞留するようになっていたからだ。
都市は空気と水の浄化装置を完備し、第一次産業の多くは無人化が促進された。
人々は遊ぶために野菜を作り、魚を獲り、家畜を育てるようになった。
そのための施設が地下に作られ、それは汚染から隔離されて運営された。それがシェルターアトラクションである。
二人を乗せたクルーザーは郊外を走るハイウェイを抜け、やがて地下へと乗り入れて止まった。
「さあ着いたよ。楽しいバカンスの始まりだ」
「まったく貴方ってばはしゃぎ過ぎよ。んー……でも、良い所ね」
ガラガラの駐車スペースに立った二人の鼻孔を芳しい果物の甘酸っぱい香りが刺激する。
完全循環型シェルターアトラクション『アンプロジア果実園』で二人は都会の喧騒を忘れて愉しんだ。そこは温度・湿度・日照量を人工的に調整された果物の楽園だった。
様々な種の果物を施設の中央コンピュータが操縦するドローンで管理されており、彼らはゲストを温かく出迎えた。
「おはようございます、ダンカン様」
ルームヘルスを担当するドローン『マック』がベッドルームから現れたダンカンを出迎える。
「おはようマック。ステーシーは?」
「ステーシー様はただ今ご入浴中でございます」
「ということは暫く出てこないな……」
軽い息を吐いてダンカンは朝食を依頼する。オーガニックフルーツオイルを用いたジャグジーバスとスキンマッサージはステーシーの心を大層掴んでいた。
バナナソテーをサンドしたサンドイッチやしぼりたてのフルーツジュースを咀嚼しながら、ダンカンはマックから今日の新聞を受け取る。
「ソイミルクで仕立てたカフェオレは如何ですか?」
「頼むよ。うーん、エコロジスト団体のビル占拠事件、これで八件目だな」
カフェオレを啜っているダンカンの前にステーシーが戻って来た。
「おはようダンカン。面白いニュースでもあったかしら?」
磨かれてしっとりと潤んだ肌と髪のステーシーにキスと抱擁を送りながら、ダンカンは彼女に新聞の見出しを説明した。
「見てごらん、各地のミクロニューク関連の会社を狙った襲撃事件だ」
「最近多いわね。会社が狙われなきゃいいんだけど」
「大丈夫さ。警察もガードマンも最近は核武装してるからね。迅速に対処してくれる。この記事に乗ってる会社は、経費をケチってたんだろ」
二人はのんびりと朝食を摂り、ゲストルームのポーチには人造太陽光が柔らかに降り注いでいる。
そこからはドローンに世話された美しい果物畑を眺めることが出来た。
その日も二人は、そこでのどかな休日を過ごすつもりだった。
正午頃には果樹園に降り、適当に好きな果物を取って食べ、その後はゲストに解放された畑地をガイドに沿いながら世話し、ドローンたちの演奏する伝統楽器によるオーケストラや舞台を見るのだ。
そのように過ごすはずだった……。
僅かに施設の外壁に振動が走った。少なくとも足元に、地下にあるジェネレーターとは違う振動を感じ取ったのはダンカンだった。
何だろう、と思う間もなく、施設全体に響くようなけたたましいサイレンが鳴った。
「なんだ?」
驚くダンカンとステーシーに、マックが応えた。
「緊急対応アナウンスが発信されました。当施設は緊急時におけるゲストの安全を守るためのマニュアルに従い、お客様の移動を制限させていただきます」
柔和だが無機質な口調のドローンに、二人の緩んだ気分が冷や水を浴びせられた。
「ただ今中央コンピュータが事態の把握に努めております。お客様には各自のゲストルームでの待機をお願いいたします」
「分かったわ……」動揺するステーシーをダンカンが抱きしめてやった。
二人はゲストルームに帰り、一日を終えた。
翌日。ダンカンはマックを問い詰めることとなった。
「状況不明ってどういうことだ!」
「説明できません。中央コンピュータはお客様のために最大限の努力をしております。今しばらくお待ちください」
「畜生。なんだってんだ……」
「落ち着いてダンカン。きっとすぐ自由になるわ」
そうは言ったものの、ステーシーも気がかりなことがあった。外との連絡が取れないことだ。
施設内から外部へ連絡を取るには、中央コンピュータを経由する必要があったが、今ではそのラインは制限が掛けられていた。
「町の様子が気がかりね……何かの災害が起きたなら、仕事場のみんなが心配だわ」
「……そうだな。何とかしてみよう」
「どうやって?」
「君は僕の仕事を忘れたのかい? 牛乳配達夫じゃないんだぜ」
ダンカンは自分の所持品を詰め込んでいたトランクから展開式タブレット端末を取り出し、起動させた。
「僕はどこへ行く時でも、有線接続用のケーブルだけは持っていくことにしているよ」
ケーブルを繋いだ端末を、マックに付いている有線接続部へと繋ぐ。
「マック。君は中央コンピュータと常に連絡している。そうだね」
「はい。ダンカン様」
「つまり君には固有のアドレスが割り振られていて、そこからの情報はほぼノーガードになっているはずさ」
マックのメモリにクラッキングしたダンカンは、そのままマックのアドレスを偽装したまま中央コンピュータにアクセスし、そこから外部のネットワークに繋ごうとした。あとはこっちの電話なりメーラーなりで連絡が取れる。そう思っていた。
が、そうはならなかった。
「……おかしい。こっちのPINGが弾かれる」
「どういうこと?」
「物理的にアクセスできないんだ。どうなってるんだ……」
そこでダンカンは手当たり次第に外部ネットワークのホストサーバーにPINGし、反応を得ようとした。
だが殆ど無駄だった。すべて応答はなく、物理的要因による切断状態と診断された。
冷や汗が額を濡らした。ダンカンは最悪の事態を想定する。
一縷の望みを掛け、ダンカンはアトラクションシェルターの警備システムに接触した。
「何してるの?」
「外の様子をモニターしたい」
施設にはチケットを持たない人物を侵入させないよう各種カメラやセンサーによる警備システムが用いられている。ダンカンはその一部を操作しようとした。
「……よし。成功だ。そこのモニターに送るよ」
様々なソフトフェアを経由しながら引き出された、外部カメラの映像は不鮮明なものだった。
だがそれでも、それを見た二人はそれが何を意味するのかを理解できた。理解して、恐怖した。
外は嵐の後のようだった。太く強固な高速道路の陸橋が見える限りどこまでも、崩落している。
オレンジ色だった空に赤黒い火球が低く浮かびあがり、空気を震わせている。
丁寧に刈り込まれ整備されていた街路樹が黒く炭化してへし折れているのが見えた。
「だ……ダンカン、ねぇ、これって」震えるステーシーの声。
それに応える直前、ダンカンはモニターに更なる不吉の兆候を見た。
「……雪だ」
「え?」ステーシーは聞き、そして彼女も見た。
モニターに見える風景の遠くで、何かが空から降っていた。ゆっくりと降り注ぐそれはあっという間にモニターの前まで積もっていった。灰色の、不気味な雪だった……。