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◆第八話『信じたものに』

 ルグリン竜舎で翠竜を受け入れたあと、速やかに治療を行った。


 治療とはいっても消毒と止血をしただけだが、相手は竜。少し暴れるだけでもこちらは大怪我をしかねないとあって、まさに命がけの作業だった。


 いま、翠竜は竜房でぐったりとしている。


 黄竜とは違い、敷物には藁を使用している。

 翠竜の好みということでマルクが近くの農家からもらってきてくれたのだ。


「脚のほうは竜の回復力ならすぐに治りそうですね」

「ああ。問題は翼角だな……」


 マルクが翠竜の右翼を見やった。


 根元から伸びた前面の骨。

 それが最初に曲がる場所を翼角というが、そこが尖った槍の形で抉られていた。


 改めて見ても竜の爪にやられたのは間違いない。


 いまは粘性の塗り薬で無理矢理に止血している。

 完全に傷が塞がるまでは安静にしてもらうことになるだろう。


「ぱっくり持っていかれちまってる。これは修復どうこうの話じゃねぇ。せめて違う場所だったならな……」


 飛膜ならある程度は再生が見込める。

 だが、竜の骨――それも大部分を失ったとあれば、もはやどうにもならない。


 マルクが肩に手を置いてくる。


「残念だが、もうこの翠竜が空を飛ぶことはない」


 そう言い残して彼は竜房をあとにした。


 ――もう飛ぶことはない。


 その言葉は自分に対して言われたわけではない。

 だが、痛いほど心に響いた。


 ひとり呆然としていると重い足音が聞こえてきた。

 外に出ると、ペトラとウェンディ、ロードンの姿を見つけた。


 翠竜の治療を行っている間、不安が伝播しないようにとウェンディたちを外に連れ出してくれていたのだ。


 竜たちが入りやすいように設けられた竜房の背面口は車輪を回して戸を開く仕組みになっている。


 ペトラがウェンディの竜房の背面口を開ける中、レグナスはロードンのほうを開ける。


「あの子、どう?」

「なんとか。いまは落ち着いてる」

「その様子だと、やっぱり厳しそうだね」


 あの翠竜がまた空を飛ぶのは難しい。

 そのことは、ペトラもさすがに気づいていたようだ。

 まるで自分のことのように残念がっている。


「そういやピナは……?」


 翠竜のことで頭が一杯で、いまのいままで気に留めていなかった。


 辺りに視線を巡らせてみても彼女の姿はどこにも見当たらない。


「あれ、言ってなかったっけ?」

「一緒じゃなかったのか?」

「それが林道を抜けたあと、村長のほうについてっちゃったんだよね。なんかすごい真剣な顔で大事な用があるーって」

「大事な用……?」


 ラガン山の麓で別れたとき、ピナはなにか思いつめた表情をしていた。


 あれとなにか関係しているのだろうか。


「まあ、村長が一緒なら安心でしょ」

「それはそうだが……」


 空に残った赤みはあとわずか。

 夜が訪れるのはそう遠くない。


「ちょっと捜しに行ってくる」


 急いで車輪を回して背面口を開けきった、そのとき。

 馬のいななきが聞こえてきた。


 弾かれるようにして視線をそちらに向けると、村長の馬に乗ったピナを見つけた。


 彼女は村長に頭を下げたあと、こちらに向けて駆けてくる。


 なにやら大事そうになにかを胸に抱いている。


「……ピナ?」

「これで治せますかっ!?」


 ピナは目の前まで来るなり、透明な小瓶を差し出してくる。


 小瓶の中には不思議な液体が入っていた。

 黄や緑の光が蠢き、暗がりでもはっきりとその姿を見ることができる。


「これは……?」

「精霊の秘薬です」


 レグナスは頭が真っ白になった。

 そばで聞いていたペトラも声を失っている。


「ちょっと待ってくれ……これが精霊の秘薬だって?」

「はい。レグナスさんが〝人の力では難しい〟と言っていたので精霊の秘薬なら、と思ったんです」

「たしかにそうは言ったが……」


 まさか精霊の秘薬を持ってくるとは思いもしなかった。


 精霊の秘薬は、あらゆる傷を癒すと言われる幻の薬だ。


 ナーグアルク大陸の中央部。

 レイラント地方の東端にそびえるベスティビア大樹。


 その根元に広がる泉で精霊が水浴びをしているときのみ採取できるという。


 だが、精霊は滅多に姿を見せない。

 それゆえ非常に入手が困難な代物として有名だ。


「こんなもの、いったいどうやって」

「オルバーン家の名を使って王都から急いで取り寄せてもらいました」


 村長と行動をともにしたのもそのためか。

 ペトラがまじまじと小瓶を観察しながら恐る恐る訊く。


「でも、精霊の秘薬ってすごく高価なんだよね?」

「お父様からいただいたお金を貯めていたんです」


 たとえ入手の仕方がどうあれ彼女の金だ。

 こちらがとやかく言うことではないが……。


「いいのか? それはピナ自身に使ってもらうために渡されたものだろ」

「そうかもしれません……ですが、わたしが選んだことならきっと理解してくれると信じています」


 自分のためではなく、他者のために。

 それも今日出会ったばかりの竜に、だ。


 自分の道を信じて疑わない。

 本当に真っ直ぐな子だ。


 ふとピナが小瓶を持ち上げた。


「使ってくれないのなら割ります」

「ま、待て待て!」


 レグナスは慌てて小瓶を押さえた。

 あっさり動きを止めたピナがじっと見つめてくる。


「使ってくれますか?」

「ったく……どうしていつもこう強引なんだ。もしかして父親もこうなのか?」

「いいえ、母親ゆずりだと聞いています」


 彼女の父親もさぞかし苦労していそうだ。

 レグナスは腰に手を当てながら、大きなため息をついた。


「わかったよ」

「本当ですかっ」

「ああ。地面に落とされて雑草が増えでもしたら困るしな」


 そう軽口を混ぜて答えると、ピナが花開くような笑みをこぼした。


「お願いします……!」


 レグナスは精霊の秘薬を受け取ったのち、ピナとともに急いで竜舎に向かう。


「ペトラ、悪いけどもう少しだけウェンディたちを頼む」

「りょーかい! ……ウェンディ、ロードン。ごめんね、あとちょっとだけ外で待っててくれるかな。あたしも付き合うから」


 ペトラがウェンディたちをなだめながら竜舎から離れていく。


 ウェンディたちを待たせている分、手早く終わらせなければならない。


 翠竜が横たわる竜房へと戻ってきた。

 先の治療で体力を大幅に奪われたからか、こちらを見ても目だけしか動かさない。


「いいか、いまからこれでお前の翼を治す。痛むかもしれないが、我慢してくれ」


 精霊の秘薬を見せながら話しかけたあと、傷ついた翼角がよく見える場所に回り込んだ。


 白濁した塗り薬はすでに固形化していた。

 その奥側にはうっすらと赤い傷口が窺える。


 精霊の秘薬を使うには塗り薬をはがさなければならない。貼りついてしまっているので、かなりの痛みを伴うだろうが……我慢してもらうしかない。


「わ、わたしにもなにかできることはないでしょうかっ」


 通路からピナが訊いてきた。


 本来なら「危ないから離れていろ」と注意すべきだろう。


 だが、あまりにも必死な顔を前に言い出せなかった。


「……たぶん、これから痛がると思う。だから、目の前で見守っててやってくれ」

「はいっ」


 ピナは大きく頷いた。

 もとより精霊の秘薬を持ってきたのはピナだ。


 この機会を作った身として彼女には見届ける義務があるかもしれない。


 一旦、精霊の秘薬をピナに預けたあと、レグナスは翼角の周辺を撫でる。


「いくぞ……我慢してくれよ……!」


 塗り薬の一端をはがした。

 途端、翠竜が甲高い咆哮をあげ、頭部を左右に振りはじめる。


 このまま長引かせたら苦痛になるだけだ。

 そう思い、一気にすべてをはがした、直後。


 逃げる間もなくレグナスは翠竜の首に弾き飛ばされた。

 竜房の壁に勢いよくぶつかり、大きな音が鳴る。


「レグナスさんっ」


 ピナの悲鳴にも似た叫びが竜房に響き渡る。

 木造の壁とあって衝突音こそ大きかったが、それほど痛みはなかった。


 レグナスは頭を振りながら、すぐに立ち上がる。


「……俺のことより、ピナはしっかりこいつの目を見ててやってくれ」

「は、はいっ」


 先ほどより弱まっているものの、翠竜はいまだ慟哭のような声をあげていた。


 塗り薬が取られた傷口からは血が滴り落ちている。


「大丈夫です! わたしがついてます!」


 両手をぐっと握りしめながら、ピナが翠竜に話しかける。


 その声が通じたか、翠竜は段々と勢いを失くして再び横たわった。体を大きく上下させながら、じっとピナを見つめ続けている。


 その機を見計らってレグナスはピナから精霊の秘薬を受け取り、翠竜に接近した。


 塗り薬はすべてはがしたので、あとは精霊の秘薬をこぼすだけだ。


 素早く蓋を取り、いまも血を流している箇所へと小瓶を傾ける。きらきらと輝きながら流れ落ちた液体が傷口へと付着していく。


 かすかな痛みを伴ったのか、翠竜が低く呻いた。


 瞬間、赤々とした傷口が秘薬と同様に煌いた。


 うねうねと蠢くように煌きは伸び、元の翼角を形成。瞬きひとつする間には煌きは消え、翼角が完全に復元していた。


 触ってみても竜の肌だ。

 骨もちゃんとある。


「夢でも見てるみたいだ……」


 こんなことが起こり得るのか。

 初めて見る奇跡を前にレグナスは思わず目を瞬いてしまう。


「レグナスさん……」


 後ろからピナの不安な声が聞こえてきた。

 彼女にも見えているはずだが、まだ信じられないのだろう。


 レグナスは振り返り、力強く頷いた。


「ああ、治った。元通りだ」


 その瞬間、ピナは感極まったように口を押さえた。

 目尻には涙が滲んでいる。


 と、騒がしい足音とともにペトラが駆けつけてきた。


「どうだった!? 治った!?」

「治りました! 治ったんです!」

「やったー!」


 抱きあうペトラとピナ。


 感動しているところ悪いが、ひとつ訊かなければならないことがある。


 ペトラが面倒を見ているはずのウェンディたちのことだ。


「あ、ウェンディたちなら安心して。お父さんに見てもらってるから」


 視線に気づいたか、ペトラが得意気に言ってきた。


 どうやらぬかりはないようだ。

 レグナスはほっとしつつ改めて翠竜に向かった。


「もう痛くはないか?」


 クゥ、と翠竜は鳴いて返事をする。

 そこにもう苦痛の色はない。


「治ったのはそこにいるピナのおかげだ」


 翠竜がしゃくるように口を持ち上げると、ピナに向かって鳴いた。


「たぶん、ありがとうって言ってる」


 ピナは気恥ずかしそうに翠竜の礼を受け止めたあと、こちらに視線を向けてきた。近づいてもいいか、と訊いているようだ。


 もう翠竜はピナに心を許している。

 傷つけることはない。

 レグナスは首肯して応じた。


 ピナはゆっくり近づくと翠竜の口先を優しく撫でた。

 翠竜は身をゆだねるように頭部を地面に落とす。


「クゥ」


 そう口にしながらピナが翠竜を撫で続ける。


「クゥ? ってまさかこいつの名前か?」

「はい。クゥクゥって可愛い声で鳴くので」


 たしかに甘え鳴きがはっきり「クゥ」と聞こえる。

 ほかの竜ではあまりない鳴き声だ。


「ダメでしょうか……?」

「いいんじゃない? 可愛いしっ!」


 と、ペトラが深く考えることなく同調する。

 彼女の意見はともかく――。


「もとより俺に決定権なんてない。好きにするといい」


 そう返答すると、ピナが無邪気な子供のように顔を綻ばせた。


 はやる気持ちを抑えきれないといった様子で翠竜に向かって話しかける。


「わたしはピナって言うんだよ。よろしくね、クゥ」


 普段は丁寧な喋り方のピナも翠竜相手には砕けていた。


 なんとも微笑ましい光景だ。


 翠竜のほうもピナの友情を感じとったか、自らの名と同じ鳴き声を漏らした。



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