◆第二十七話『古き友とともに』
レグナスは半ば無意識にまぶたをゆっくりと持ち上げた。視界がぼやけてなにも見えない。何度か瞬きをしていくうち、ようやく輪郭が鮮明になる。
「レグ……?」
なにより先に映り込んだのはペトラの顔だった。だが、そこには普段の元気はなく、いまにも泣きそうだ。
どうしてそんな顔をしているのか。ぼうっとした頭でそんなことを考えていると、ペトラが思い切り抱きついてきた。
「よかった、よかった……全然目を覚まさないから……あたし、心配で……心配で」
「ペトラ……苦しい」
「ご、ごめんっ」
ペトラが慌てて離れたのを機にレグナスはゆっくりと半身を起こした。
どうやらベッドの上で寝ていたらしい。周りを見ると、石造りの部屋の中、四台のベッドが置かれていた。とても質素なところだ。窓にはカーテンがかけられているが、隙間から夜空を覗くことができる。
「ここは……?」
「王都近くの町の診療所だよ。レグたちが倒れてたところにちょうどあたしたちが通りかかって、それでここまで運んできたの。もうほんとに心配したんだから」
ペトラの話を聞いて、ようやく意識を失う前のことを思い出した。突風にあおられ、墜落。そして――。
レグナスは自身の頭に手をやり、いつの間にか巻かれた包帯の感触をたしかめる。そこではっとなってペトラの両肩を掴み、詰め寄る。
「ピナは!? ピナは無事なのかっ!?」
「お、落ち着いてレグ。ピナちゃんなら大丈夫だからっ」
ペトラがそう答えたとき、かちゃんと扉が開けられた。入ってきたのはいまや見慣れた少女――ピナだ。彼女は入ってきたときこそ暗い顔だったが、こちらを見るなりぱあっと明るくした。たたた、と駆け寄ってくる。
「レグナスさん、目を覚ましたんですね……!」
「……ピナ、怪我はなかったのか?」
「はいっ。少し足にすり傷ができたぐらいで、ほかはなんともありません。レグナスさんが守ってくれたんですよね」
ピナは嬉しいのかばつが悪いのか、複雑な顔を向けてくる。
彼女が無事だった。その事実を聞けただけで充分だった。レグナスは全身から力が抜け、ベッドに身を預けなおした。そんな姿を見てか、ペトラが優しく微笑みかけてくる。
「クゥはお父さんが連れ帰ってくれてる。ちょっと足首やっちゃったみたいだけど、2、3日で治るだろうって」
「……マルクさんに感謝しないとな。ペトラもありがとう」
「うん。ほんと、2人が無事でよかった」
そうして3人で無事を喜んでいると、慌しい足音とともに勢いよく扉が開けられた。
レグナスは思わず目を疑ってしまう。姿を現したのはピナの父親であるオルバーン侯爵だったのだ。彼は必死になって視線を巡らせてピナを見つけると、駆け寄って彼女の体を強く抱いた。
「ピナッ!」
「お、お父様……? どうしてここに」
「ここの者がオルバーンの名を聞いて報せてくれたんだ」
しばらくして侯爵はピナを離した。ピナの無事を確認できたからか、部屋に入ってきたときに比べれば落ちついているようだった。だが、その顔は入れ替わるように静かな怒りで塗り替えられていた。侯爵がこちらのベッド脇に立った。
彼の拳は強く握られ、震えていた。先日、『ピナをよろしく頼む』と言われたばかりだというのに、ピナを危険な目に遭わせてしまったのだ。
殴られてもしかたない。レグナスは覚悟を決めて待ち構えていたが、ピナが慌てて間に割り込んできた。
「わたしが無理にお願いして乗せてもらったんです! だから、レグナスさんのせいじゃありません!」
「いえ、自分の責任です」
レグナスはピナの言葉を遮るようにぴしゃりと言い切った。言い訳のしようがない。侯爵の鋭い目を見返しつづける。
侯爵が体をわなわなと震わせながらも、あくまで冷静に言葉を紡いでいく。
「危険があることをわかった上で認めていた。それが、この子のためになるならと目を瞑っていた。だが、実際に起こったら話は別だ」
言い終えるやいなや、こちらに背を向けた。
「ピナ、今日限りで竜舎での仕事は終わりだ」
「そんな……お父様、わたしは――」
「ピナ」
それは静かながら言い聞かせるような声だった。
「わたしはもう……家族を失いたくないんだっ。わかってくれ……っ!」
侯爵が妻を亡くした話は聞いていた。そして、その侯爵の辛さを誰よりも知っているのはピナだ。だからか、彼女がそれ以上なにかを言うことはなかった。侯爵に手を引かれ、部屋を出ていく。
やがて扉が閉められる際、ピナが一度だけ振り向いたが、なにも言葉を発することはなかった。静かになった部屋の中、ペトラが切羽詰ったように声をかけてくる。
「レグ、いいの? ピナちゃん、行っちゃうよ」
「しかた……ないだろっ」
彼女を危険な目に遭わせた自分に止めることはできない。レグナスは毛布越しに自身の脚を強く握りしめる。
「なにが風を呼ぶ男だ……ッ」
――俺は、風に嫌われた男だ。
◆◆◆◆◆
レグナスは黙々と朝番をこなしていた。ウェンディ、ロードン。そしてクゥの糞の処理を終え、汚れた敷物を通路へとかきだしていく。翠竜の場合、敷物は藁なので出すのは簡単だった。
あとは交換用の敷物を持ってくれば朝番は終わりだ。レグナスは竜房の仕切り棒をまたいで通路に出ようとする。と、クゥが名残惜しそうに頬を腰にすりつけてきた。クゥ、と鳴きながら真っ直ぐに瞳を向けてくる。
なんだか心の奥底まで見透かされているようでレグナスは思わず目をそらしてしまった。「ごめんな」と声をかけつつひと撫でしたあと、今度こそクゥの竜房から出る。立てかけていたシャベルを持って外へと向かおうとした、そのとき。
「……ギルトア大祭典まであと7日しかないよ。練習……しないの?」
後ろからペトラの声が聞こえてきた。
レグナスは下唇を噛み、手に持ったシャベルをぐっと握る。
「あんなことがあったあとに、のうのうとレースに出られるわけないだろ……」
ラギア記念後に墜落したあの日から1度も騎乗していなかった。トラウマが蘇ったわけではない。ただ、自分が再び空に上がることでまた誰かが犠牲になるかもしれないと思うと、怖くてしかたなかったのだ。
「俺は空に上がるべきじゃなかった。……アルテを飛ばせなくなったあのときに諦めるべきだったんだ……」
「クゥは飛べなくなったわけじゃ――」
「いまは少し放っておいてくれないか」
ペトラは悪くないというのに思わず突っぱねてしまった。自分が情けなくてしかたない。そう思いつつも素直になれなかった。
「……悪い」
そう言い残して逃げるように去ろうとしたとき、マルクが竜房の通路に現れた。いかめしい顔立ちでじっとこちらを見つめてくる。
騎手として復帰させてもらったというのに自分勝手にまた降りてしまった。やめろ、と言われてもしかたないことをした。
にもかかわらずマルクはなにも言わずにルグリン竜舎に置いてくれている。感謝してもしきれないが――いまは後ろめたい気持ちで一杯だった。
「マルクさん……すみません、俺――」
「今日はもういい」
深く深呼吸をしたのち、マルクはこちらに背を向けた。
「レグナス、ちょっと付き合え」
◆◆◆◆◆
マルクに促されるがまま馬車の荷台に乗ってから、いったいどれほどの距離を進んだろうか。朝から出発して昼を越えてもまだ進み続けている。かなり遠いところまできているのは間違いない。
「ついたぞ」
やがて御者席に乗ったマルクから声がかかった。
ようやくか、と思いながらレグナスは外に出て辺りを見回す。と、思わず目を見開いてしまった。ルグリン竜舎と似たような牧草地が広がっていたのだ。
遠いところに目を向ければ、散歩中の飛竜の姿がぽつぽつと見える。伸びをするように翼を広げたり、歌でも口ずさむかのように鳴いたりととても気持ち良さそうだ。
「……ここは?」
「俺の古い知り合いが経営してる竜舎でな。運送用の飛竜を育ててる」
「あの翠竜……もしかして」
とても見覚えのある翠竜を見つけた。
ありえないと思いつつも確信していた。
3年……いや、もう4年前になるか。
ギルトア大祭典をともに翔けた翠竜。
「……アルテ、ですか?」
「そうだ」
「でも、もう飛べないから引き取り手はないって……」
「実は無理を言って引き取ってもらってたんだ。黙ってて悪かったな」
きっとルグリン竜舎が費用を負担をしていたに違いない。だから心配をかけまいと黙っていたのだろう。本当に感謝してもしきれない。
翼を失った飛竜が野生で生きることはできない。だから、当時は諦めていたが……こうして元気に生きている姿を見られた。それが嬉しくてたまらなかった。
ただ、それ以上にとてつもない罪悪感に駆られてしまった。
アルテが飛べなくなったのは、ギルトア大祭典で墜落したときに翼を怪我してしまったことが原因だ。あのレースに出ていなければ、アルテが翼をなくすことはなかったのだ。飛竜として生きていられたのだ。
レグナスは心臓をしめつけられたような感覚に襲われ、胸元を右手でぎゅっと掴んだ、そのとき――。
アルテが翼を大きく広げた。そのままバタバタと動かすと、そのままふわりと体を持ち上げ、空へと飛び立っていく。
「と、飛んだ……? マルクさん! アルテがっ、アルテが飛んでます!」
「ああ……最近、ぎこちなくも飛べるようになったそうだ。さすがにレースは無理だが、生きていく分にはもう問題ない」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥底にたまっていたあらゆる感情がせりあがってきた。目頭が熱くなり、鼻の奥がつんとしはじめる。唇も震えだした。もれそうになった嗚咽を口を閉じて必死にこらえる。
視界の中、悠々と飛んでいたアルテが急に進路を変えた。クァァと甘えるような鳴き声をあげながらこちらに向かってくる。やがて近くに下り立つと、のしのしと歩み寄ってきた。
「ははっ、もう大分経ってるってのにアルテの奴もお前をしっかり覚えてたみたいだな」
マルクが笑う中、正面に立ってアルテが真っ直ぐにその顔を向けてきた。クゥよりもわずかに小柄な体に短めの翼。右のまぶた辺りに入った人間の爪程度の切り傷も残っている。
間違いなくアルテだ。
「あんなことがあったのにお前は俺を許してくれるのか」
返事はなかった。ただアルテはその場に屈み込み、首を下ろした。その健気な姿にレグナスはまたも胸を締めつけられたような感覚に見舞われた。
「飛んでやれ、レグナス」
「でも、鞍が」
「こんなこともあろうかと……ほらよ」
マルクが荷台のほうから2個の荷袋を取ってくると、剥くようにして中を見せつけてきた。鞍やら銜やら必要なものは全部揃っている。同じ荷台にいたというのにまったく気づかなかった。いかに周りが見えていなかったかがわかる。
それからはもう、アルテとの飛行をただただ楽しんだ。気にしていたトラウマも再発しなかった。久しぶりにアルテと飛ぶ空だからか。それともアルテが再び空に戻れたことを知れたからか。いずれにせよ……。
最高の空だった。
レグナスは地上に戻ったアルテから降りたのち、ずっと待っててくれていたマルクの前に向かった。居住まいを正してから勢いよく頭を下げる。
「もう一度チャンスを下さい! お願いします!」
騎手を諦めようとしたのはアルテの墜落時に続いて今回のクゥの墜落で2度目だ。ルグリン竜舎には迷惑をかけてばかりいる。失望されてもおかしくはない。だが――。
「チャンスもなにもこっちはお前を下ろしたことは一度もねぇよ」
返ってきたのはため息交じりの言葉。そして顔を上げれば、そこにはいつもと変わらないマルクのからっとした笑顔が待っていた。
「サボった分、時間はねぇぞ」
「はい……っ!」




