◆第二十六話『夕焼け空の向こうへ』
『なんという独走状態でしょうか! 他の追随を許しません! ラギア記念第1戦の優勝者はもうこの組で決まりでしょう――』
ラギア記念は2戦行われ、どちらのレースからも2位以上が優先して本戦であるギルトア大祭典の枠を得られる仕組みとなっている。
クゥは第2戦の出走予定だった。第1戦が行われているいま、レース場からほど近い場所で待機している。
『ククシエル・ルーファ! 黒竜アステリオとともに優雅かつ力強い飛行で戻ってきました!』
レース場のほうへ目を向ければ、木の幹を縦に割り、横倒しにしたようなものが置かれていた。王都ギルトアが誇る大陸一の観客席だ。
そこからやや視線を上げると、レース場のゴール地点へと真っ直ぐに向かっていく一頭の竜の姿が見ることができた。
隣にいたマルクが険しい顔つきでその竜を見やる。
「レグナス、あれがククシエル・ルーファ本来の飛行だ。そして黒竜アステリオ――黄竜と同じバランス型だが、すべてにおいて黄竜のそれを上回る」
「……純粋に強いですね」
「間違いなく最強の相手だ」
これまで対戦してきたどの騎手、飛竜よりも間違いなく強い。
あれが無敗の王者。
ナハキド大賞で負けたときの記憶が蘇り、思わず拳を握ってしまった。そんなこちらの心情を読み取ったのか、クゥが頬を擦りつけてくる。その優しさに感謝しつつ、レグナスは気を引き締めた。いまはレースに集中することがなにより大事だ。
『黒竜アステリオ、他を圧倒して悠々とゴールイン! そしてまたひとつ無敗記録を伸ばしました、ククシエル・ルーファ! ギルトア大祭典連覇に向けて視界良好! あとはもう飛ぶだけです!』
レース場の歓声が一気に跳ね上がった。
どうやら第1戦は予想どおりの結果となったらしい。
「そろそろ中に行くぞ、レグナス」
「はいっ」
マルク先導のもと、クゥとともにレグナスは会場のほうへと足を向ける。と、後ろから「レグーッ!」と呼ぶ声が聞こえてきた。振り返った先、縄で区切られた向こう側でピナとペトラが手を振っている。
「レグナスさん、頑張ってください! クゥも頑張ってね!」
「いつもどおりに飛べばきっと勝てるよ!」
「行ってくる!」
「今日もたくさん応援しますっ!」
「頑張れーっ!」
レグナスは手を振って応じたのち、今度こそ会場のほうへと向かって歩きだした。
◆◆◆◆◆
ラギア記念で沸いた王都ギルトアの空も落ち着きを取り戻していた。
訪れた穏やかな夕刻の中、王立仮設竜房にてレグナスは撤収作業を行っていた。のちほど馬車に繋ぐ荷車に積荷を運び込んでいく。ほかの飛竜たちもラギア記念に向けて王都入りしたこともあって、そこかしこで同じような作業が行われていた。
ふと、ひとりの男が荷車を引きながらそばを通り過ぎようとしていた。レグナスは作業の手を止め、頭を下げる。
「おつかれさまでした」
「……本番、頑張れよ」
「はいっ!」
レグナスは元気よく返事をして、彼が仮設竜房を出ていくまで見送った。ペトラがそばに寄ってきて話しかけてくる。
「一緒のレース、飛んでた人だよね」
「3着だった人だ」
「さっきの感じだと、総賞金足りてないのかな」
「たぶん、そうなんじゃないか」
仮に本番で出るようなら、あんな言葉をかけてくることはないだろう。
ラギア記念の第2戦を優勝した身として、本戦のギルトア大祭典に出られない者たちの分までしっかりとした飛行を見せなければ――。
そうして人知れず気持ちを引き締めていると、ピナが顔を覗き込んできた。
「レグナスさんはやっぱりクゥに乗って帰るんですか?」
「ああ、さすがに飛竜に長距離を歩かせるのは負担になるからな」
「あ、あのっ、わたしも一緒に乗って帰ってもいいですか? 王都や周辺の空を飛んでみたいなって……」
飛竜は人間ひとり程度乗せたところで負担にはならない。2人でもピナ程度ならまったく問題なく飛べる。ただ――。
「っても、ピナ用のベルト持ってきてないだろ」
「大丈夫ですっ」
たたた、と走ってピナは荷車に上半身を乗せると、足をぱたつかせながら自身のリュックを漁りはじめた。やがて目当てのもの――ベルトを持ってきて目の前で得意気に見せつけてくる。
「……初めから乗るつもりだったのか。でも、リダムまでかなり距離あるぞ。尻、痛くなるけど我慢できるか?」
「うっ……が、頑張りますっ」
ピナが両手に拳を作って返事をすると、そばで待っていたクゥがまるで乗れと言わんばかりに首を下げた。それを見てピナの表情が一気に期待に満ちる。
「クゥも乗り気みたいだし、いいんじゃない」
「おい、レグ! レイナに帰るのは明日の昼頃になるって伝えといてくれ」
ペトラはともかくマルクも反対する気はないらしい。2人の加勢を得て、ピナの目はさらに輝きを増していた。レグナスはため息をついたのち、微笑を浮かべた。
「じゃ、行くか」
「はいっ」
◆◆◆◆◆
赤みの差した王都の街並みがどんどん小さくなっていく。昼の陽射しによって温められた風はなりを潜めはじめ、少しひんやりとした風が吹きつけてくる。
「円状になっているのは知ってましたけど……こんなに綺麗だったなんて……」
ピナが髪を躍らせながら「うわぁ」と感嘆の声をもらした。相変わらず興奮したら周りが見えなくなるようで落ちるのではないかと思うぐらい地上を覗いている。しかたないな、と思いながらレグナスは両腕でピナを支える。
「ほら、あそこ。ピナの屋敷だ」
「わ……こうして見るとすごい小さく感じます」
「それでも周りに比べたら充分でかいけどな」
王城や王立施設を除けば、オルバーン侯爵家の屋敷よりも大きな建物はほとんどない。それほどの大きさとあって上空からでも見つけるのは容易だった。
「レース場もよく見えますね」
ピナの視線が王都の東側へと移った。そこには今回、ラギア記念でスタート、ゴールで使ったレース場がある。彼女はレース場を指差すと、そこから東側へと向けてゆっくりとずらしていく。
「ルーモン荒野から始まって大風壁を迂回。ミドナ川をなぞるように進んでグアド渓谷。そしてベスティビア大樹をぐるっと回って折り返し、ですよね」
「……ギルトア大祭典のコースか」
はいっ、と元気よく返事をするピナ。
「あと2週間もあるんですよね。いまから待ち遠しくてしかたありません」
「俺としては2週間しかないって感じだけどな」
今度のギルトア大祭典に出走するのはレースに出はじめてから2年以降の飛竜ばかりだ。まだ1年目のクゥとでは完成度にかなりの差がある。
調整期間も込みで考えれば実際は2週間もないが、その中でできるかぎり連携を高めていかなければならない。
「ナハキド大賞よりも少し距離が長いんですよね。体力、大丈夫でしょうか」
「風がほとんどないって場所はないから、むしろギルトア大祭典のほうが翠竜的には楽だったりするんだ」
「よかった……」
ほっとしたようにピナは息をついた。
それからしばらく無言の間が続いた。聞こえてくるのはクゥが翼をはばたかせる音。吹きつける風の音のみ。やがて振り返っても王都の姿がほとんど見えなくなった頃、彼女がぽつりとこぼす。
「わたし、レグナスさんみたいな騎手になりたいです」
「……初めて聞いたな。前から決めてたのか?」
「いえっ。いま、初めて思ったんです」
前々からその行動力には驚かされてばかりだったが、まさか騎手になると言い出すとは思いもしなかった。
騎手には大きな危険がつきまとうため、一般的な家庭では親から反対されるのが常だ。しかし、同じぐらいの歳に騎手を目指そうと考えた身として頭ごなしに反対はできなかった。ただ――。
「でも、俺みたいにって……普通はククシエル・ルーファみたいなのに憧れるだろ」
「あの人は嫌いです。レグナスさんにひどいことを言ってましたから」
「し、私情がかなり入ってるな」
後ろからでもわかるほどピナは両頬を膨らましていた。よほど以前の出来事に腹を立てているらしい。今後はククシエルを見ても近寄らせないようにしたほうがよさそうだ。
「でも、飛び方もやっぱりレグナスさんみたいなのがいいです。風に乗って、ぐんって伸びるあれ……見ていてすごく格好いいな、気持ち良さそうだなって思いますから。それに――」
ピナが頭を後ろに倒し、こちらを見上げてくる。
「ずっと……ずっと前から……風を呼ぶ男は――レグナスさんはわたしにとって1番で憧れの騎手ですからっ」
弾けるような笑みとともに告げられた。
あまりに真っ直ぐな言葉に、レグナス思わず目を瞬かせてしまう。
ドラゴンレースが好きなことは聞いていた。風を呼ぶ男のことを知っているのも聞いていた。だが、〝1番で憧れの騎手〟と思われていたとは知らなかった。
まるでときが止まったような、そんな感覚に見舞われたとき。
ぞくりとした。いつか、どこかで経験したことのある感覚だ。脳裏に蘇るギルトア大祭典の光景。ルーモン荒野の空を翔け抜けようとしたときに吹きつけてきた。
――ギルトア周辺にごく稀に吹く突風。
どんっと全身を鈍器で叩かれたような感覚に襲われた。いったいなにが起こったのか。頭で理解するよりも早く、逆さまになった景色が飛び込んできた。そこでようやく理解できた。いま、地上に向かって落ちているのだ、と。
視界の中、目を瞑った彼女の横顔が映っている。
「ピナッ!」
だめだ。完全に気を失っている。
「クゥ! クゥ! 頼む! 目を覚ましてくれ! クゥッ!」
レグナスは必死に腕を伸ばしてクゥの首を叩きつづける。その間にも地上は近づいていた。このまま激突すれば怪我どころではすまない。最悪の場合、死が待っている。心臓の鼓動がさらに早まる中、ほぼ殴るようにクゥの竜心を叩いた。
耳をつんざくような音が聞こえた。
目を覚ましたクゥがあげた鳴き声だ。
クゥが慌てて体勢を立て直し、翼を広げてはばたきはじめる。だが、飛竜の体を持ち上げるには距離が足りなかった。
クゥが足から勢いよく地上に落下し、地鳴りのような音を響かせた。さらに体勢を維持できず、そのまま横に倒れてしまう。
衝撃で鞍が外れてしまったのか、レグナスはピナとともに投げ出された。ピナだけは絶対に守らなくてはならない。その一身で彼女を抱きながらごろごろと地面の上を転がる。
やがて勢いが止まったのを機に、レグナスは腕を開いてピナの姿を確認する。たくさんの砂がついているが、見たところ大きな外傷はない。だが、安堵はできない。なにしろまだ目を覚ましていないのだ。それにクゥの状態も心配だ。
……助けを呼ばないと。
レグナスは起き上がろうとするが、体が上手く動かなかった。さらに視界がどんどんぼやけ、狭まっていた。意識も朦朧としている。そういえば頭が重い。もしかしたら落ちたときに打ってしまったのかもしれない。
呑気にそんなことを思いながら、ついにレグナスは眠りにつくように目を閉じた。




