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飛竜の風 ~あの日なくした翼を取り戻すため、俺はまた空へと上がる~  作者: 夜々里 春


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◆第二十三話『ナハキド大賞③』

 黄竜のはばたきによって生じた風がぶわっと顔に吹きつけてきた。髪が踊り狂う中、レグナスはゴーグル越しに眼前の黄竜と騎手をじっと見つめる。


 いま、ようやくわかった。大空洞内に入る前に聞こえてきた大歓声。あれは自分たちに向けられたものかと思ったが、本当はククシエルたちに向けられたものだったのだ。おそらくムンバックたちを一気に追い抜いたことで起こった歓声だろう。


 それにしてもなんて流麗な飛行だろうか。上下の揺れがほとんどない。曲がり方もひどくなめらかだ。黄竜ノインの特徴か。……いや、騎手ククシエルの手綱さばきだ。あの飛び方なら飛竜も無駄な体力を使わずに温存できているだろう。


 ククシエルたちの飛行にレグナスは思わず見惚れてしまいそうになったが、手綱を強く握って意識を戻した。いまはレース中だ。あの背中を追い続けていたら優勝はできない。


 だが、いったいどうする。ほとんど風のない大空洞では黄竜に直線では勝てない。いまもどんどん離されている。そもそも、この時点で追いつかれれば勝ち目はないと想定していたはずだ。優勝はもう……。


 ――いや、まだ大渓谷の風がある。ある程度の距離なら一気に詰められる。余すことなく最高の風を選んで掴み切れれば追い抜くことだって可能なはずだ。


 そのためにもこれ以上、離されないように食らいつかなければならない。あの黄色の背中が見えなくなればそこで終わりだ。


「クゥ、もう少し堪えてくれ……!」


 ずっと先行していたこともあってクゥは体力をかなり消耗している。それでも力強く翼を動かしてくれた。きっとクゥもここが我慢時だと悟っているのだ。


 クゥのおかげで黄竜との距離が一定のところで収まった。少しずつ離れているようだが、まだ許容範囲だ。


 視界の両端で変わり映えのない岩肌が流れていく中、レグナスは神経を研ぎ澄ませていく。大空洞を出たとき、最高の風を掴まえるために――。


 やがて前方からかすかなざわめきが聞こえてきた。きっと観客たちの声だ。少し遅れて白い光が映り込む。いよいよ出口だ。


 すでにククシエルたちは大渓谷に出ている。おかげで観客の興奮具合が伝わってくる大歓声が中にまで聞こえてきていた。


「行くぞ、クゥッ!」


 大空洞から飛び出ると同時にカットターンを決めた。


 まだ陽光によって白く塗りつぶされていた視界が一気に晴れる。同時に大空洞内では制限されていた大歓声が一気に耳をついてくる。終盤に差し掛かっているからか、これまで以上の盛り上がりだ。


『先頭で飛び出てきたのは黄竜ノイン、鞍上ククシエル・ルーファ! 続いて翠竜クゥ、鞍上レグナス・ソングオル! いったい大空洞内でなにがあったのでしょうか!? ここにきて、ついに構図が変わりました!』


 いまや見慣れた大渓谷の中、遠くにククシエルたちが映り込んだ。直後、思わずレグナスは目を瞬いてしまう。ククシエルたちは渓谷の内側を翼が触れるかどうかの箇所で飛んでいたのだ。


 もちろん触れれば墜落はまぬがれない。だが、安定した飛行でそんな可能性を微塵も感じさせなかった。大渓谷でムンバックを抜き去ったのもあの飛行だろう。おそろしく高い技術がなければできない飛行だ。


『後続はいまだ出てきません! このB級とは思えないハイペースのレースでは無理もないかもしれません! 優勝はこの2頭のどちらかでほぼ決まりでしょう! とはいえ、すでに大きな差が開いています! いくら翠竜でもこの差を縮めることは難しいかもしれません!』


 たしかにそのとおりかもしれない。だが、諦めるわけにはいかない。レグナスは近くの風に乗り、クゥを渓谷の外側へと運んだ。集まった強い風を掴まえては一気に加速していく。


『内側を飛ぶ黄竜ノイン! 対して外側を飛ぶ翠竜クゥ! なんとも異様な光景ですが、いまだかつてない展開に空気が張り裂けんばかりの大歓声が沸きあがっています!』


 ククシエルたちは相変わらず最短コースを飛んでいるが、速度はこちらが圧倒的に勝っている。ぐいぐいと距離を縮めていく。


『翠竜クゥ、驚異的な追い上げで黄竜ノインに迫ります! これはもしかしたらもしかするかもしれません! 差は6竜身ほどか! 最後の直線に入ります!』


 もっとも観客の多い区画に入り、さらに大きな歓声が耳に飛び込んでくる。


 もうコース取りの有利不利はない。こうなればあとはどちらが速く飛べるかだ。レグナスは風の流れから強い風を探っては飛び込み、クゥにはばたかせる。独特の蛇行でさらに先頭との距離を縮める。


 黄竜ノインとの差は2竜身ほど。あともうひとつ大きな風に乗れれば一気に抜ける。ノスヴェリア大渓谷の強い風は隣り合わせには発生しない。一定の距離を置いて吹き上げている。


 レグナスは肌で風を感じながら、ここぞばかりに右前方に飛び込んだ。右手の平でクゥの首を叩き、翼をはばたかせる。が――。


 まるで勢いが出なかった。

 空振ったような感覚だ。


 完全に読み違えた。


 いや、まだもうひとつどこかで風に乗れれば――!


 そう思いながら視線を巡らせた、そのとき。視界の中、左前方を飛んでいた黄竜ノインがぐんと加速した。とてもレース終盤とは思えない伸び方だ。


 見る間に黄竜ノインが離れていく。そして、こちらが加速する暇もなく北橋の下をくぐり抜けていった。


『優勝は黄竜ノイン、黄竜ノインです! 土壇場に力強い伸びで逃げ切りました! そして翠竜クゥもいまゴールを通過! まさかの展開続きだった勝負に、ついに終止符が打たれました!』


 まるで腹を直接叩かれたかのような、そんな大歓声の中、レグナスはクゥとともに北橋の下をくぐり抜けた。


『ククシエル・ルーファが魅せてくれました! 愛竜でないにもかかわらず無敗を貫いた圧巻の手綱さばき! さすがはギルトア大祭典の覇者というべきでしょう! 手にした栄光に相応しい素晴らしい飛行でした!』


 視界の中では、鳴り止まない歓声に応えるようククシエルが手を振っていた。まるでそこにいるのが当然かのような、絵になる光景だった。


「最後まで頑張ってくれてありがとな、クゥ。お前はよくやったよ」


 レグナスはクゥの首を撫でて労ったあと、ゴーグルを取った。荒くなった呼吸を整えながら、そのまま空を見上げる。


 負けた。


 クゥの力不足ではない。

 完全に騎手の力量差だ。


 ノスヴェリア大渓谷にいまだ響きつづける、ククシエルたちに向けられた大歓声。それを一身に感じながら、レグナスは人知れず手綱を握りしめた。



     ◆◆◆◆◆


「……すみません」


 竜房にクゥを戻すなり、レグナスはマルクに頭を下げた。こちらはレースに出させてもらっている立場だ。どんな理由があっても勝たなければならない。


 マルクはなにも発言してこなかった。ここで気休めの言葉をかけてこない辺りが彼の優しさであり厳しさだった。マルクが肩をとんとんと叩いてくる。


「体だけは冷やすなよ」

「……はい」


 そうしてマルクが離れると、入れ替わるようにペトラとピナが駆け寄ってきた。どうやら観客席から走ってきたようだ。二人とも息が荒れていた。いち早く呼吸を整えたペトラがからっとした笑みを向けてくる。


「おつかれ、レグ」

「ああ」

「元気ないね?」

「そりゃ負けたからな」

「ま、こういう日もあるよ」


 眉根を下げながらも励ましてくれるペトラ。

 本当にこういうときに彼女の存在はありがたい。


 そばでがピナが目線を上げては下げてを繰り返していた。どう声をかければいいかわからないといった様子だ。


「ピナもありがとな。ちょっと今日は歓声がでかすぎて聞こえなかったけど……応援してくれたんだろ」

「……はい」


 ピナは弱々しくそう返事をすると、両手にぐっと拳を作った。


「でも、残念です。最後、風に上手く乗れていたら勝てたのに……」

「それは違う」


 気遣って同意できるほど心に余裕がなかった。レグナスは思わず反応してしまった言葉に続いて、胸中でためていた言葉を吐き出していく。


「たとえ風に乗れていても追いつけなかった。それぐらい差があったし、なによりクゥの体力がもうほとんど残ってなかった。対してあっちはまだまだ飛べる感じだった。惜敗とも呼べない負け方だ」


 深く息をついてから、継ぐ。


「完全に俺の技量不足だ」


 言葉にすることで負けを受け入れることができた。ただ、すっきりしたかと言えば、そうではなかった。また胸中にべつのなにかが居座ったような、そんな気分だ。


「レグナスさん……」


 そうしてピナの顔が痛ましげに歪んだとき、一気に騒々しくなった。


 見れば、待機区画のほうから多くの記者に囲まれながらククシエルが戻ってきていた。ギルトア大祭典の覇者が飛び入り参加のレースで優勝。B級とはいえ、きっと話題の記事になることは間違いない。


 ふとククシエルが厩務員に黄竜ノインの手綱を渡した。かと思えば、記者たちを置いてこちらに向かって歩いてきた。突然のことにピナとペトラも目を瞬かせていた。


 周囲がざわつく中、ククシエルが目の前で足を止める。間近で見ると、本当に見惚れるほど美しい女性だった。彼女は、青空のように澄んだ色の瞳を真っ直ぐに向けてくる。


「風を呼ぶ男……レグナス・ソングオル」


 その第一声は透き通るような声で紡がれた。あまりに予想外だったために一瞬聞き間違いかと思ってしまった。レグナスは怪訝な顔で問い返す。


「……知ってたのか」

「当然よ。わたしはあなたに憧れて騎手になったのだから。けれど――」


 すっと細められた目がこちらを射抜いてくる。


「いまのあなたはとても見ていられない。わたしの記憶を穢さないで」


 荒げるような声ではなかった。だが、だからこそそこに秘められた怒りが余計に伝わってきた。ククシエルは言い終えるやいなや、自身の竜房のほうへ戻って行った。またも記者たちに囲まれ、すぐに騒がしい空気が辺りに満ちる。


「うわぁ……きっつい人だね」

「あんなことを言う人だったなんて……わたし、いまから抗議してきますっ!」

「ちょ、ちょっとピナちゃん落ちついてっ」


 鼻息荒いピナをペトラが抱き寄せるようにして懸命に押さえている。


 そんな中、レグナスは呆然とククシエルのほうを見ていた。


 ――あなたに憧れていた。


 いくら騎手の急病とはいえ、ギルトア大祭典で優勝した騎手が代役でB級のレースに出てくるのは変だと思っていた。無敗の称号も持っているならなおさらだ。


 信じがたいが……彼女の先ほどの言葉から察するに、こちらの実力をたしかめにきたのかもしれない。そして完全に失望された。過去の〝風を呼ぶ男〟には及ばない、と。


 ただ、失望されたかどうかなんてどうでもよかった。


 レグナスは下唇を噛んだ。


 負けを自覚したときから腹の奥底で蠢いていたものが一気に湧き上がってくる。それはククシエルがギルトア大祭典を取った騎手だと聞いたときにも覚えた感情と同じだった。


「ピナ、前は答えられなくて悪かった」

「え、なんのことですか……?」


 ペトラの腕に抱かれたピナがきょとんとしていた。


 復帰してからというもの、本気でないことはなかった。常に勝つ気で挑んだ。それがずっと復帰を待ってくれていたルグリン竜舎に報いるためだ、と。


 だから、目の前のレース集中するだけでもっと先を見ていなかった。……いや、本当は違う。もしかしたらまたあのレースに出ることで同じ結果になるかもしれないと恐怖を感じて見ようとしなかったのだ。


 レグナスは改めてククシエルのほうへ視線を戻して宣言する。


「俺も目指す――いや、絶対に取ってみせる」

「それってもしかして……っ!」

「ああ」


 レグナスは力強く頷いたのち、拳を握った。


「大陸一を決めるレース、ギルトア大祭典だ」



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