◆第二十話『無敗の絶対王者』
「初めてきましたけど、本当にすごいところにあるんですね……!」
「でしょー。あたしも最初はなにここって思ったもん!」
ペトラとピナが揃って石造橋の欄干から身を乗り出し、興奮していた。
まるで姉妹のような姿に微笑ましい気分になりそうだったが、あいにくとそうもいかない。なにしろ彼女たちが見下ろした先にあるのはノスヴェリア大渓谷と呼ばれる大陸一深い渓谷なのだ。
「二人とも乗り出しすぎだ」
レグナスはため息をつきつつ二人の襟首を引っ張った。
「ピナ、ペトラのこういうところは似なくていいんだからな」
「む、その言い方だとあたしがダメみたいじゃんー」
「べつに全部批難したわけじゃないだろ」
「そうかもしれないけどー」
ふくれっ面のペトラにピナが励ますように声をかける。
「大丈夫です。ペトラさんは素敵な女性ですから!」
「もー、ピナちゃんはわかってるなぁっ」
嬉しさのあまりピナにひっしと抱きつくペトラ。女性同士の触れ合いとはこういうものなのか、それともペトラゆえか。……かなりの確率で後者な気がした。
レグナスは苦笑しつつ、欄干に肘を置いて渓谷を望んだ。
エドラ大森林杯から約一ヵ月後の本日。
ナハキド大賞に出場するため、大陸の北側に位置するウズール地方――ラトンを訪れていた。ラトンは円状に大地を抉ったノスヴェリア大渓谷に囲まれた平地にある。いまも橋の先に目を向ければ、その街の一部を見ることができた。
ちなみにマルクやクゥもすでに到着している。出走前の確認もとっくに済ませており、いまは仮設の竜房で待機しているところだ。
ずっとクゥのそばについていたかったが……開始前の慣らし飛行までまだ時間があるから散歩でもしてこい、とマルクに言われ、いまに至る。
「この大渓谷を回って競うレースもあるんだ」
「A級のノスヴェリア記念ですよね」
「ああ。ぐるっと3周だ」
「それならクゥにすごく有利そうなのに……」
ノスヴェリア大渓谷には絶えず風が流れている。若干、吹き上げ気味だが、上手く掴めれば翠竜にとっては最高の環境となる。A級とあっていまは参加はできないが、いつかクゥに飛ばせてあげたいレースのひとつだ。
ふとピナがきょろきょろしはじめた。
なにかを探しているようだが……。
「あの、ナハキド大空洞はここからでは見えないのですか?」
「ちょっと見えないな。いま俺たちがいる橋がちょうど南側なんだが、大空洞の入口は東西にあるんだ」
「あっちとあっちだね。ラトンの下を通る感じで空いてるんだよ」
ペトラが指差しながら説明する。
「そんなところの上に街があるって……なんだか崩れそうで怖いですね……」
「それを言ったら、いまの橋のほうが崩れそうだけどな」
言われて、ゆっくりと足下を見るピナ。それからまじまじと見つめたあと、顔を強張らせながら無言でペトラの服を片手で握った。どうやらいまさら高いところにいることを実感したらしい。
ペトラがピナを抱き寄せながら責めるような目を向けてくる。
「もう、レグは怖がらせてばっかり」
「思ったことを言っただけだ」
「わ、わたしはべつに怖がってません。クゥに乗って空を飛んだときのほうがもっと高かったですし……っ!」
ピナがペトラから離れ、両手に拳を作って大丈夫な姿を見せつけてくる。だが、その足は見事に震えていた。強がりなところは相変わらずのようだ。レグナスは苦笑しつつ街のほうへと足を向ける。
「そろそろ戻るか。橋が壊れたら大変だからな」
◆◆◆◆◆
ラトンの北側に渡された橋の右手側にナハキド大賞の待機所が設けられていた。一定間隔に配置された竜房の中、出走予定の飛竜たちが待機している。落ちついていたり、興奮気味だったりと状態は様々だ。
時折、見知らぬ土地や多くの人の姿に不安を感じ、竜房を壊して出て行こうとする飛竜もいるが、今回はその心配はなさそうだ。さすがにレース慣れしたB級の竜たちといったところか。
エドラ大森林と同じB級だが、ナハキド大賞のほうが格式高く有名だ。そのせいもあって訪れている関係者も多い。
少し遠く――スタート地点の北橋周辺に目を向ければ、立ち並んだ多くの露店や行き交う多くの人も見ることができる。本当に賑わい方が段違いだ。
クゥの竜房を目指して歩いていると、ふと前方に人だかりができているのが見えた。騎手からほかの厩務員らしき者まで色んな人が囲むようにして、その先にある竜房を興味深そうに見ている。
「なんだか騒がしいね」
「なにかあったのでしょうか?」
ペトラとピナが揃って小首を傾げる。観客がいるならまだしもここは関係者のみの区画だ。あそこまで人が集まることは珍しいが、いったいなにがあったのか。
彼女たちと同じように人だかりを横目で見つつ少し進むと、クゥの仮設竜房に辿りついた。敷物の藁を整えていたのか、竜房の中からマルクが出てくる。
「おう、レグ。もう戻ったのか」
「はい。あんまり離れるのもあれですし、いまはクゥのそばにいてあげたいなと」
クゥがこちらを見つけるなり竜房の仕切り棒を越えて顔を出し、甘えるように鳴いてきた。レグナスは応じてその頬を撫でながら、マルクに問いかける。
「あれ、なにかあったんですか?」
「それがな……」
マルクが人だかりのほうに目を向けた、そのとき。
「あれってククシエル・ルーファじゃん……!」
ペトラが大きく目を見開きながら声をあげた。その過剰とも言うべき反応に思わず釣られ、レグナスは彼女のそばまで行き、ちょうど人だかりにできた穴から中を覗き込んだ。
注目を集めていたのは、いまも竜房から顔を出した黄竜を撫でるひとりの女性だった。年齢はひとつ……いや、ふたつ上ぐらいか。
女性にしては高い身長にすらりとした手足。文句のつけようがないほどに整った体だが、なにより目を奪われたのは後ろでひとつに結われた腰ほどまである銀色の髪だ。まるで陽光を受けた水面のような艶を持っている。
そのあまりに美しさにレグナスは思わず見惚れそうになったが、隣からペトラに細めた目を向けられ、はっとなった。咳払いをして質問する。
「有名なのか?」
「あ~……レグ、あれから全然レース見てなかったもんね。あたしからもあんまり話に出さないようにしてたし……」
眉根を下げて困ったように答えるペトラ。なにやらばつが悪そうだが、彼女が優しさから行った配慮だ。感謝こそすれ、こちらが責めることはなにもない。
そんな微妙な空気の中、同じく歩み寄ってきたピナが真っ直ぐにククシエルを見ながら口を開いた。
「2年前にデビュー。それから無敗の絶対王者です」
「……そいつはすごいな」
「はい。ククシエルさんは王都のレースで何度も飛んでいましたから。それに――前回のギルトア大祭典の優勝者です」
その話を聴き終えたとき、心臓が跳ねたような感覚に襲われた。
ただ、なにか違和感を覚えた。ギルトア大祭典で墜落した、あの瞬間を思い出しての辛いものではなかったのだ。はっきりとはわからないが、腹の奥底から込み上げてくるような不思議な感覚だった。
「ですが、どうしてここにいるのでしょうか? 騎手服を着て……」
「まさか出るわけじゃないよね。彼女の竜ってA級だし」
ピナに続いてペトラから出た疑問にマルクが答える。
「あの竜の騎手が病気で倒れたらしくてな。それで急遽、同じ所属先の彼女が乗ることになったそうだ」
「うそっ」
ペトラが思わずといった様子で驚愕の声をあげる。ピナも少なからず興奮しているようだ。無敗に加えてギルトア大祭典の前回覇者の飛行を間近で見られるのだ。二人の反応も無理ないだろう。
「すみません、竜が不安がるのでこれ以上は――」
さすがに状況を見かねたか、厩務員と思しき男が間に割って入り注意していた。輪を作っていた者たちが渋々と散っていく。そんな中、ククシエルが呆れたように息をついていた。きっと注目を浴びて疲れたのだろう。
「俺たちも戻ろう」
「だね」
ペトラとピナとともに踵を返した、そのとき。
レグナスはなにか強い視線を感じて反射的に振り返った。視界の中、ククシエルがこちらをじっと見ていた。あまりに真っ直ぐだったこともあってレグナスは思わずあっけにとられてしまう。
「おい、レグナスー。少し早いが、翼慣らしに行くか」
「あ、はいっ」
後ろからかかったマルクの声に返事をする。
そのままクゥの竜房へ戻ろうとしたが、先ほどのククシエルの視線が気になったのでもう一度振り返ってみた。だが、すでにククシエルはこちらを見ていなかった。それどころかこちらに背を向けている。
ばっちりと目が合っていたように思えたが……気のせいだったのかもしれない。なにしろ彼女との接点はいっさいないのだ。
それに――。
ギルトア大祭典の覇者が復帰直後の実績もない騎手を気にかけるとは思えない。
レグナスは頭を軽く振り、意識をレースにしかと向けた。




