◆第二話『試験』
「ちょっとマルクさん、どういうことなんですかっ」
「お、俺だってなにがなんだかわからないんだよ」
「見学の間違いじゃ……ないですよね」
「残念ながらな……」
レグナスはマルクと家屋の陰に隠れて緊急会議を行っていた。
いま、ピナの相手はペトラがしている。
訪問者に気づいた途端、すぐに竜の散歩から戻ってきたのだ。
「ね、ピナちゃんって呼んでもいい?」
「はい、どうぞお好きに呼んでください」
「やったー! じゃじゃ、ピナちゃんもあたしのこと好きに呼んでいいからね」
「で、ではペトラさんと……」
「そのままじゃーん!」
ピナとペトラの明るい話し声が聞こえてくる。
すっかり打ち解けたようだ。
いまほどペトラがいて良かったと思ったことはない。
「どうして断らなかったんですか?」
「領主様伝いで頼まれちゃ断れるわけないだろ。それに相手は侯爵家だぞ」
「そ、それはそうですけど……」
レグナスはちらりとピナを見やった。
まさしく貴族の令嬢といった姿は凄まじく周囲から浮いている。見るからに泥遊びすらしたことがなさそうな風貌だ。
「言っちゃなんですけど、竜の世話ができるとはとても思えません」
「同感だ。どうにかして諦めてくれればいいんだが……」
マルクも不服の出来事のようだ。
無理もない。
ピナは侯爵家の娘。
少しでも怪我をさせれば竜舎の存続どころか命が危うい。
「……俺に任せてください」
「どうする気だ?」
「相手は子供です。竜を間近にしたらきっと怯えてすぐに帰りたくなりますよ」
生活する中で竜を目にすることは少なくない。だが、手の届く距離まで近づくことはほとんどないと言ってもいい。それこそ竜舎の飼育員や騎手でない限りは。
いざ間近にすれば、きっとその巨躯と鋭い歯や爪に怖気づくはずだ。
「お、おい。怪我だけは絶対にさせるなよ」
「うちの竜が安全なことはマルクさんがよく知ってるでしょ」
幼竜の頃から面倒を見て人間に慣れている竜たちだ。
こちらが敵意を向けない限り、危害を加えられることは絶対にない。
レグナスはピナのもとへと向かい声をかける。
「あ~……えーと……レディ・ピナ」
「どうか楽になさってください。これからわたしもここで働かせていただくのですから」
いかに相手の希望とはいえ、さすがに抵抗がある。
マルクの顔を窺うと高速で頷いていた。
どうやら言うとおりにしろとのことらしい。
レグナスは喉から押し出すように話しはじめる。
「じゃあ……ピナ。俺たちは竜舎の仕事に誇りを持ってる。生半可な気持ちで手を出されると困るんだ」
「ちょっとレグ。なに早速ピナちゃんのこと苛めてるの。後輩いびり良くない!」
ペトラがピナを抱き寄せながら文句を言ってきた。
すかさずマルクの援護が飛んでくる。
「ペトラ、お前は少し黙ってろ!」
「お父さんのほうこそ黙っててよー!」
気づけばルグリン親子の喧嘩が勃発。
似たもの同士というかなんというか、相変わらず元気な親子だ。
と、ピナが真剣な顔を向けてきた。
まだ幼いながら、なんとも凛々しい立ち姿だ。
「わたしは本気です」
「言葉ではなんとでも言える」
「では、どうすれば信じてもらえますか?」
どうやら意志は固いようだ。
ならば仕方ない。
レグナスはにやりと笑みながら、その内容を告げる。
「竜の餌やりだ」
◆◆◆◆◆
「ルグリン竜舎では、いま2頭の黄竜の面倒を見てる。右手前が雌のウェンディ、左奥が雄のロードンだ。今回はウェンディの餌やりをしてもらう」
「わかりました」
ピナに説明を終えると、ちょうどペトラが餌入り箱を持ってきてくれた。
中に入っているのは解体した豚肉だ。
おかげで一気に生臭い空気が漂いはじめた。
ピナは必死に我慢しているようだが、目が少し潤んでいる。
「黄竜の好物は知ってるか?」
「ぶ、豚肉です」
「……一応、知識はあるんだな」
「ドラゴンレースのファンなので、そこから色々調べました」
遊び気分で体験しにきたわけではなさそうだ。
なぜかペトラが「フフン」と得意気な顔を向けてくるが、構わずに話を続ける。
「手袋をはめたら、あとはこの棒に肉を刺して差し出すだけだ」
餌やり棒は鋼製で長さは大人が両腕を伸ばした程度。太さは大人の手で握って人差し指と親指がくっつくぐらいだ。
ちなみに肉には棒を通しやすいよう予め切り目を入れてある。
餌やり棒を受け取ったペトラが軽くフラついた。
彼女には少し重かったかもしれない。
と思いきや、彼女は踏ん張るようにしてぴたりと止まってみせた。
「あとはもうできるな」
「は、はい」
ピナがぎこちない動きで棒の尖端に餌を突き刺そうとする。だが、棒があまりに長いため、上手くいかないようだった。
助言をしたいところだが、事情が事情だ。
無言でその場から離れる。
「レ~グ~。助言もなしはひどいんじゃない?」
怒り顔のペトラに阻まれた。
ため息をついてピナのそばに戻る。
「最初は尖端の近くを持って餌に突き刺すんだ。こうやってな。餌が刺さったら両手は離して持て。近すぎると餌を地面に落とすぞ」
レグナスはピナの背後に回り込み、自ら手を取って教えた。
ピナは何度も返事をしながら聞いたことを丁寧に実践していく。
「いいか、竜は棒の尖端を向けられるのを嫌がる」
「どうしてですか?」
純粋に気になって仕方ないといった様子だ。
「……人間に剣を向けられた先祖の記憶が残ってるって話だが、実際どうかは知らない。とにかく、尖端をそらして横向きに竜の口に肉を運ぶんだ」
「こう、ですか?」
ピナは言われたとおりに棒の尖端をそらした。
餌の重みもあってピナのフラつきが先ほどより増している。
危なっかしいことこのうえない。
「そうだ。竜が噛んだら歯に餌を引っ掛けるようにして引けばいい」
「は、はい……!」
「あと竜は相手を見定める。目をそらさずに正面から近づくことが重要だ」
「もし目をそらしたら……どうなるのですか?」
ピナは恐る恐る訊いてきた。
「頭からがぶりと噛まれるかもな」
「――ッ」
声にもならない声を出してピナが体を強張らせる。
「こら、レグ!」
当然ながらペトラからお叱りを受けた。
意地悪なことは理解している。
だが、成功されては追い返せなくなってしまう。
ピナには悪いが、仕方なしの処置だ。
「大丈夫だよ、ピナちゃん! ほかの竜舎だとたまにあるけど、うちの子たちは絶対に噛まないから!」
わざわざ実例を出すとは。
自分のほうがよっぽど不安を煽っていることにペトラは気づかないのか。
おかげでピナの脚の震えは増し増しだ。
「いつでもいいぞ」
「い、いきます……!」
ピナは勇んで歩き出すが、四歩目で早くも止まった。
餌の臭いに釣られてか。
ウェンディが鼻息を荒くしたのだ。
さらに下顎をだらしなく落とし、幾本もの獰猛な歯を涎で照らしている。
早く餌を寄越せと言わんばかりだ。
すでにピナの震えは全身に行き渡っていた。
自身を丸のみできる口を持った竜を相手にしているのだから無理もない。
「どうする? やめてもいいんだぞ」
「や、やれます……っ!」
なんとも強情な子だ。
しかし、いくら虚勢を張ったところで動けなければ意味はない。
と思いきや、ピナは深呼吸をしたあと、ウェンディのそばまで歩み寄ることに成功した。言われたとおりに餌やり棒を横向きにして餌を口内に運んでいく。
見慣れない餌やり係を警戒してか。
ウェンディはなかなか口を閉じなかった。
その大きな瞳で、じっとピナを見つめている。
ピナもまたウェンディを見つめ返していた。
ただ怖くてガチガチになっているだけかもしれないが、それでも彼女は逃げずにその場に居続けた。
やがてウェンディは口を閉じると、ぎょろりと瞳を動かした。
早く棒を抜けと言っているのだ。
ピナもそれに気づいたか、そっと引き抜いていく。
棒がすべて引き抜かれると、ウェンディは我慢できないといったように咀嚼を始めた。
「た、食べてくれました!」
ピナが振り向くなり弾けんばかりの笑みを浮かべた。
即座にペトラが祝福せんと抱きつきにいく。
「やったね、ピナちゃん!」
「はい! ペトラさんのおかげです……!」
喜び合う二人を見ながら、レグナスは目を瞬かせる。
「……嘘だろ」
ペトラのようなお転婆娘ならともかく、ピナのようないかにも貴族といった娘が餌やりを成功させるとは思いもしなかった。
ピナを後ろから抱きながら、ペトラがしたり顔を向けてくる。
「レグの負けだね」
「わかった。わかったよ……もう俺から言うことはない」
レグナスは両手をあげて降参の合図をとった。
正直、ピナという娘を見誤っていた。
温室育ちだから根性がないと決めつけていたが、なかなかどうして肝の据わった子のようだ。これでは追い返す理由がない。
マルクが肩に手を置いてくる。
「腹を括ろう」
「……ですね」