◆第十九話『思い出の場所』
「うわぁ……!」
ピナが感嘆の声をもらした。
いまはその顔を見ることはできないが、興奮していることは容易に想像できた。
レグナスはピナとともにクゥに乗り、空へと上がっていた。彼女を前に座らせ、両腕で挟んだ格好だ。
もちろん鞍のベルトにはしっかりと固定している。やっつけで作った固定ベルトではなく、子供に早いうちから騎手としての訓練をさせるために作られたものだ。
「見てくださいっ! 竜舎がもうあんなに小さくなってます! あの大岩なんて豆粒みたいです! 山だっていつも高いのに見上げなくても見れちゃいます!」
ピナは身を乗り出してはあちこちに視線を巡らしていた。年相応の興奮ぶりに微笑ましくなるが、ここは空だ。
クゥがばさりと翼をはためかせると、ピナの体が右側に大きく傾いた。レグナスは慌てて右腕に力を入れて抱き寄せる。
「っと……あんまり騒いだら危ないぞ」
「ご、ごめんなさい。あまりにもすごくて……」
「ま、無理もないか。俺も初めてのときはピナと同じように興奮してたよ」
「ですよねっ! だって、こんなにも素敵な光景なんですから……」
飛竜の翔ける速度は馬とは比べものにならないぐらい速い。ひとたび瞬きをすればそこには違った景色が映っている。そんな忙しなく移ろう景色をすべて焼きつけるようにピナは目を大きく開いていた。
「悪いな。もっと早くに乗せてやれればよかったんだが」
「いえ、わたしを心配してくれたうえでのことですから。でも、どうして急に乗せてくれたんですか?」
ピナは肩越しに振り返ると、くりっとした大きな瞳を向けながら訊いてきた。
「実は少し前からマルクさんとペトラから乗せてやれって言われてたんだ。けどピナの家が家だろ。なにかあったらルグリン竜舎に迷惑がかかるって思ったらなかなか踏み出せなくてさ」
「それはお話ししましたが――」
「ああ、昨日のピナの話を聞いてそういう心配がないってちゃんとわかった。だからだ」
なにかあったときのことを考えるのは不謹慎ではないか。そう思われるかもしれないが、飛竜に乗ることは絶対に安全とは言い切れないことだ。
手綱や鞍のベルトが切れるかもしれないし、飛竜になんらかの異変が起こって墜落するかもしれない。
そうした事故も踏まえ、むしろあとのことをしっかりと考えないのなら乗るべきではないというのが自分の考えだった。
こんなことまで考えているから墜落後から復帰までに時間がかかってしまったのかもしれないが……自身の考えが間違っているとは思っていないかった。
「あとは竜にもすっかり慣れたし……それに」
レグナスは周囲の景色を見回しながら話を継ぐ。
「よく考えてみれば、ピナと同じぐらいのときにはもう飛竜に乗ってたなって」
「そんなに早くからなんですか? そのときのお話し、聞きたいですっ」
「到着したらな」
レグナスは前方に見えてきた山々のひとつに視線を定めた。
まるで人に登らせる気のない険しい山肌ばかりが連なる中、一箇所だけ平たい足場が存在している。あれこそが今回の目的地であり、自身にとって思い出の場所――。
「見えたぞ、あそこだ」
◆◆◆◆◆
レグナスは抱きとめるようにしてピナを降ろした。
彼女が足をつけたのを確認してからゆっくりと手を放す。
「あ、ありがとうございます」
俯きながら頬を染めるピナ。
少し子供扱いをしすぎただろうか。
彼女の口はほんの少し不満げに尖っている。
「こういうとき、まだまだ自分は子供なんだなって思ってしまいます」
「すぐに大きくなるさ」
「だといいのですが……」
ピナは同世代でもおそらく小柄なほうだろう。それでもまだ十二歳。まだまだ大きくなる可能性は残っているはずだ。
とはいえ、いまはピナの子供らしい一面をたくさん知ってしまったからか、その姿がまったく想像できないというのが本音だった。
レグナスはひとり苦笑したのち、クゥに歩み寄った。
「少し休んでてくれるか。なんなら散歩しててもいいぞ」
そう話しかけるとクゥはその場に体を丸めて座り込んだ。どうやら散歩より一緒にいたいらしい。甘えたがりなところは相変わらずのようだ。
「うわぁ……!」
聞こえてきたピナの感嘆。
振り返ると、彼女が崖からの景色を一望していた。
「おい、危ないからあんまり前に出るなよー!」
「はいっ!」
返事をしたわりには下がっていない。
興奮してそれどころではないといった様子だ。
レグナスは嘆息しつつ、彼女のそばに向かった。
「一歩下がろうな」
応じはしたものの、ピナは眼前の景色に釘付けになったままだった。ずっと目を輝かせながら広がるリダムの地を眺めている。
レグナスは彼女とともに崖から見える景色を望んだ。
視界の下半分は多くが緑色に染まっている。
大半がルグリン竜舎が所有する草原地帯だ。
目を凝らせば小さく竜舎も確認できる。
上半分はというと青一色に染まっていた。
本当に雲のひとつもなく、驚くほど澄んだ空だ。
「クゥに乗っていたときも見ていたはずなのに、なんだかべつの光景みたいです……!」
「動いてるときと止まってるときとじゃまるで違うだろ」
「はいっ」
ピナは弾んだ声でそう応じると、見えるものすべてをなぞるように視線を動かす。
「クゥに乗っているときはどこまでも世界が続いてるんじゃないかって、そう思うぐらい広がりを感じたんです。でも、いまはどっしりと……世界がここにあるんだって。静かなのにとても力強い感じです!」
おおむね同じような感想だ。そして、どちらも好きな光景だった。
「それに、すごい風です……っ!」
吹きつける風を感じるようにピナが両手を広げた。二つに結われた彼女のこがね色の髪が揺れる。山肌を叩いた風がびゅうと音を鳴らす中、ピナは目を伏せると、胸いっぱいに息を吸った。
体全体で自然を感じようとするその姿を見ていると、なんだか嬉しい感覚に見舞われた。レグナスはその場に座り込んだのち、改めて眼前の景色に目を向ける。
「ここの景色と風が好きでさ。子どもの頃、よく通ってたんだ」
「通ってって……ここ、すごく高いのに」
「ああ。自分でも馬鹿やってたと思う」
最初の頃は半日近くかけて登っていたと思う。慣れと成長でもっと早くに辿りつけるようにはなったが、それでも少なくない時間がかかっていた。にもかかわらず、やめられなかった理由はひとつ。
「ここに座って、マルクさんが竜に乗って飛んでるところをいつも見てたんだ」
自分もあんな風に飛んでみたい。
何者にも縛られず、自由に――。
ただ、その一心だった。
「じゃあ、ここが〝風を呼ぶ男〟の原点というわけですね」
ピナが臆面もなくその呼び名を出してきた。
後ろめたさと気恥ずかしさがない交ぜになった感情を、レグナスは髪をかいて誤魔化しつつ応じる。
「たしかにそれなりの活躍はしたけど、ほんの少しの間だ。ほんとよく知ってたよな」
「地方のレースはあまり見られませんでしたけど……でも、ドラゴンレースを見るようになってからは王都のレースはすべて見てましたから」
えっへんと胸を張って答えるピナ。
「物好きなご令嬢もいたもんだ」
「紅茶を飲むよりもお菓子を食べるよりも、ドラゴンレースのほうがわたしにとってはずっとずっと興奮するものなんですっ」
ピナの姿を見ていると、どうしても昔の自分を思い出してしまう。
ワクワクして、絶対騎手になるんだと言っていた頃を――。
「そういえば次に出るレースはもう決まっているんですか?」
ピナが隣に座ると、首を傾げながら顔を覗き込んできた。
「マルクさんと話し合ってるけど、アブザ記念かナハキド大賞のどっちかになりそうだ」
「たしか……アブザ記念は山の頂上から斜面に沿って降りるレースですよね」
ピナはその細くて小さな人差し指をあてながら口にする。本当に物知りな子だ。
レグナスは「ああ」と頷いて話を継ぐ。
「ただ、昼間は麓から頂上に向かって強い風が吹くんだ」
「じゃあ、逆らって飛ぶってことですよね。翠竜には不利じゃ……」
「だから出るならたぶんナハキド大賞になると思う。けど、ナハキド大賞も楽じゃない。風がほとんどない大空洞を二回も通らないといけないからな」
レースの半分を占める大空洞は翠竜にとって不利も不利。反面、大空洞以外では翠竜に有利と言えるほど強い風が吹く。そのため、いかに大空洞でのロスを少なくするかに勝敗がかかっている。
「きっと大丈夫です。レグナスさんならきっとまた1位を取れますっ!」
ピナが両手に拳を作りながら応援してくれた、そのとき。クゥがまるではかったように鳴き声をあげた。ピナが興奮した様子でぐいと顔を寄せてくる。
「クゥも頑張るって言ってますっ」
「だな」
決して簡単レースではないが、ピナとクゥの意気込みに騎手としてなんとか応えたいところだ。そのためにもレースまでみっちりと訓練を重ね、勘を取り戻す必要がある。
――ナハキド大賞。
胸中でそこに焦点をあわせながら、レグナスはいまいちど空を望んだ。




