◆第十八話『ルグリン竜舎の一員』
レグナスはあくびを堪えつつ裏手口から外に出た。
時間的には問題ないが、普段よりも遅く起きてしまった。久しぶりのレースでもあまり疲労はないと思っていたが、実際は違ったようだ。
かすかに白みはじめた空の下、肌寒さに慣れようと体を軽く動かしていると、竜舎のほうから物音が聞こえてきた。……ペトラだろうか。
竜舎の中を覗いてみると、ウェンディの竜房の前に土がこんもりと積まれていた。いまも中からかき出されているようで、どんどん積みあがっていく。ペトラにしてはペースが遅めなうえ丁寧だ。
そばには鉄箱が置かれている。
漂ってくる臭いからしてすでに糞を入れたあとのようだ。
こっそり顔を出すと、そこにいたのはピナだった。こちらに気づかず、彼女はせっせと働いている。レグナスはとくに他意もなくその光景を眺めていると、ウェンディに見つかってしまった。彼女の低い呻き声でピナもこちらに気づいた。
「レグナスさん、おはようございます」
「ああ、おはよう」
ピナは手に持ったシャベルを見て、「あっ」と声をもらした。ばつが悪そうな顔で窺うような目を向けてくる。
「勝手に始めちゃって……ごめんなさい」
「無理に起こしたわけじゃないんだろ?」
「はい。覗きにきたら目が合ったので」
「だったら問題ない」
そう伝えると、ピナは見るからにほっと息をついた。
「とりあえずそれぐらいでいい」
「わかりました。……ウェンディ、もう座っていいよ」
ピナの声に応じてウェンディが疲れたように体を下ろした。深い息を吐きながら、少しばかりぐったりしている。
「丁寧なのはいいが、もう少し手早くな」
寝起きとあって狭い竜房の中で立ったままの状態は辛い。そのため、土のかきだしは手早く終わらせなければならない。
ピナが仕切り棒をくぐって通路に出てくるなり、しゅんと俯いてしまう。
「……ごめんなさい」
「あ~、次から気をつけてくれれば問題ない」
レグナスは思わず頭の後ろをかいてしまう。
責めたつもりはなかったのだが……。
他人に教えるというのはなかなか難しい。
「一回ペトラの豪快な朝番を見たほうがいいかもな。ここまでならしてもいいっていう最低ラインを知るには打ってつけだ」
「い、意外です。ペトラさんってすごく丁寧にしてそうな印象があったので……」
「それは幻想だ。ああ見えて色々と大雑把だぜ、ペトラの奴」
もちろんペトラが竜の世話で手を抜いているなんてことは決してない。ただ効率的に動いているだけだ。ピナよりもっと小さな頃からこなしてきたからこそできる芸当といった感じだ。
「それで糞の処理をしたのはまだウェンディだけか?」
「はい、本当に少し前にきたばかりなので」
「了解だ。じゃあ俺がロードンのほうをするから、ピナはクゥのを頼めるか?」
自然に仕事を振られたことがよほど嬉しかったのか、ピナがぱぁっと顔を明るくして元気よく頷いた。
「はいっ」
◆◆◆◆◆
糞の処理だけでなく餌やりまでつつがなく終えられたので交換用の敷物――黄竜用の土と、翠竜の藁も手押し車に乗せて準備しておいた。これで朝番は終了だ。
すでに陽は顔を出しているが、まだ空気は温まっていない。にもかかわらず作業着には汗が滲んでいた。レグナスは胸元の服をつまんで冷たい空気を入れる。
そばではピナが息をつきながら額の汗を腕で拭っていた。レグナスは彼女の額に残った土の汚れを見て、思わずふっと笑ってしまう。初めこそお嬢様といった品が抜けなかったが、いまやすっかりルグリン竜舎の一員といった感じだ。
「もうだいぶ慣れたみたいだな」
「餌のにおいだけはまだ苦手ですけど」
「糞のほうは大丈夫なのか?」
「そ、それも……少し」
ピナは恥ずかしそうに俯いたかと思うや、竜舎を見回した。そして流れるすべての空気を感じるように両手を広げると、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「でも、土と藁のにおいは好きです。それだけじゃありません。この澄んだ空気も、この広い空も好きです」
細く長く息を吐き出したあと、彼女はくるりとこちらに向きなおった。
「王都で暮らしていたら絶対に味わえませんでした。ここにきて良かった。心からそう思います」
リダムは田舎だと罵られることも多い。そんな場所を王都出身のピナに褒めてもらえたのだ。素直に嬉しかったが、同時に不安な感情が湧きあがった。
「……オルバーン侯爵は心配してないのか」
レグナスは気づけばそう問いかけていた。
彼女がここまで持ち上げてくれる理由。もしかすると王都でいやなことがあって逃げだしてきたのではないか、とそう思ったのだ。
「その、もしかして親に邪険にされてたり、なんてことはないよな」
「それは絶対にないです。心配してくれてありがとうございます」
ピナの様子から嘘をついているわけではなさそうだ。
レグナスはひとまずほっとしたが、代わりに疑問が浮かんできた。
「でも、だったらどうしてここにくることを許してもらえたんだ? ピナが年齢以上にしっかりしてるってことはわかった。けど、それを差し引いてもこんな危険な場所にひとりで行かせるなんてどうかしてる」
言い終えてから、はっとなった。これではまるでピナの父親を責めているとも取られかねない。いや、実際にそうなのだが――ピナに言うべきことではなかった。
「……悪い、言い過ぎた」
「いえ、大丈夫です。レグナスさんの言うことももっともですから。ただ、色々なことがあって……お父様はわたしの好きなようにさせてくれているんです」
そう語るピナは複雑な顔をしていたが、父親に対する愛情、尊敬は充分に伝わってきた。
「良い人なんだな」
「はいっ。とても大事にしてもらっています」
眩しい笑みを浮かべるピナ。
どんな事情があるかはいまだわからない。だが、少なくとも彼女が王都から逃げてきたわけではないことがわかっただけでもよかった。
「レグー、ピナちゃんーっ、そろそろ朝ご飯だよー!」
ふと裏手口のほうからペトラの声が聞こえてきた。レグナスは「いま行く!」と大声で返事をする。
「ってことだ。そろそろ戻るか」
「はいっ。そういえば今日もクゥの訓練はするんですか?」
「もちろんだ。といってもレース後だから軽くだけどな」
そこまで答えてから、昨夜ペトラに言われたことを思い出した。
「そうだ、ピナ。訓練のあと、ちょっと付き合ってくれないか?」
「……わたしでよければ。どこに行くのですか?」
首を傾げるピナに、レグナスは口の端をにっと吊り上げながら言う。
「ついてからのお楽しみだ」




