◆第十四話『エドラ大森林①』
「ここがエドラ大森林……まるで壁みたいです……!」
ピナが目を輝かせながら感嘆の声を漏らしていた。
エドラ大森林杯、当日。
マルクとともに一足先に現地入りしたレグナスは、クゥを仮設竜房に預けたあと、遅れてやってきたピナとペトラを迎えにきたところだった。
エドラ大森林は城を思わせるほど高く、豊かな枝葉を持った大樹が集まってできた森だ。その光景はまさに圧巻の一言。初見のピナが驚くのも無理はない。ただ、彼女が興奮気味だったのも初めだけで、いつの間にか顔に影を落としていた。
「こんな森の中をレグナスさんとクゥは飛ぶんですよね……」
どうやら実際のエドラ大森林を目の当たりにして、一度は収まった不安な気持ちがぶり返してしまったらしい。レグナスは大森林のほうを指差しながら話す。
「ピナ、よく見てみろ。どこも一定以上の間隔が空いてるのがわかるか?」
「……本当だ。どうしてなんですか?」
「エドラの木々は互いの枝葉が絡むのを嫌うんだ。だから、充分な距離をとって根を張る。それこそ飛竜が余裕で通れるぐらいにな」
そう説明すると、ペトラが人差し指をたてながら補足する。
「樹冠からたくさん陽光が差し込んでて中は暗くないしね。むしろ神秘的で、あたし大好きなんだよねー」
そんな話を聞いたからか、ピナは興味津々といった様子だ。
「わたし、中を見てみたいですっ」
「いまはレース前で立ち入り禁止なはずだから、終わったら一緒に行こっか」
「はいっ」
元気よく頷くピナを見て、レグナスは体の筋肉がほどよく緩むのを感じた。どうやか気づかぬうちに緊張していたようだ。人知れず自嘲するように笑ったあと、ピナたちに背を向けて歩き出す。
「仮設の竜房はこっちだ。クゥが待ってるぞ」
◆◆◆◆◆
「それにしても、すごい盛り上がりですね」
クゥを撫で終わったあと、ピナが言った。
彼女の視線を辿った先には多くの露店が並んでいる。
「リダムは陽気な奴が多いからな。レースごとに毎回お祭り騒ぎだ」
農産物を主に色々なものを好き勝手に売っている。
客の入りも多く、層も老若男女と様々だ。
「ペトラと見てきてもいいんだぞ」
「うんうん。美味しいものたくさんあるしね」
ピナは興味津々といった様子だ。
しかし誘惑を断ち切るようにぶるぶると首を振った。
「いえ、ここにいます。わたしもルグリン竜舎の関係者ですからっ」
きっと〝ルグリン竜舎の一員として一緒に頑張ろう〟と話した先日のことを思い出したのだろう。ピナの顔は使命感に溢れていた。
「ピナちゃんもうちの一員として自覚が芽生えてきたね!」
ペトラが嬉しそうにピナを抱きしめる。
まだ子供なのだから少し遊ぶぐらいいいのでは、と思わなくもない。とはいえ、彼女自身がやり甲斐を感じて願ったことだ。きっと思うようにさせてあげるのが一番だろう。
「登録者を見てまさかとは思ったが、本当にキミが出るとはね」
ふと聞こえた声に振り返ると、見知った顔を見つけた。
「ダルダンか」
最近、ルグリン竜舎に顔を見せなかったので完全に存在を忘れていた。相変わらずの見下すような笑みを浮かべたダルダンが、まじまじとこちらの騎手服を見てくる。
「飛べるようになったのか?」
「じゃなきゃ、ここにいない」
フン、と面白くなさそうにダルダンが鼻を鳴らす。
「リスト見たぜ。お前も出るんだな」
「勝つとわかっているレースに出るほど、つまらないものはないけどね」
「いつもながら自信満々だな」
そう呆れ気味に言うと、怪訝な顔を向けられた。
「知らないのか? 僕はこの間の新竜戦をぶっちぎりで勝ったんだぞ」
「そいつはすごいな。でも、ここはB級だ。新竜戦とは違う」
中にはクゥのように格上挑戦で出場する竜もいるが、基本的には一勝した竜たちが集まっている。それがB級だ。〝勝ち〟を知っている竜は強い。
「ああ、そうだ。B級はC級とは違う。だからこそ言わせてもらうが、そんなみすぼらしい翠竜で出るなんて正気かい? 鱗は荒れてるし、爪なんて所々欠けてる。まるで野生の竜そのものじゃないか」
ダルダンがクゥを指差しながら語った。
たしかにほかの竜に比べて、クゥの体には傷が多い。
表面的な美しさはないと言ってもいいだろう。
だが、あの体はクゥが自分の力で大自然を生き抜いてきた証だ。決してみすぼらしくはない。
いくら見知った仲とはいえ、ダルダンの言動は見過ごせない。ここはひとつガツンと言い返してやろうと思った、そのとき――。
「クゥのことを悪く言わないでください!」
ピナが割り込んできた。
相当お冠らしく、その綺麗な眉を吊り上げている。
ダルダンが目を瞬かせながらピナを見下ろす。
「なんだ、このちっこいのは」
「ちっこくありません!」
ピナに言い返され、ダルダンがぎょっとする。
だが、取り乱したことを悟られまいとしてか、咳払いをしてすぐに平静を装った。
「残念だが、僕に少女趣味はない。相手をして欲しいなら、もう少し大人になってからにしてくれるかな」
その返しにはさすがのピナも引いたようだ。
片頬を引きつらせながら、肩越しに振り返って訊いてくる。
「な、なんなのですか、この失礼な方は」
「あ~、こいつはダルダン・ズノーデ。リダム最大の汚点だ」
王都進出を狙う、リダム一の商人の息子。
そう紹介するのが適切だが、意地でもする気はなかった。
ダルダンが感情任せに言い返そうと口を開いた。
かと思えば、なにか閃いたように下卑た笑みを浮かべる。
「最大の汚点はキミのほうだろう。リダムの英雄なんてもてはやされて出場したギルトア大祭典で、見事な墜落劇を見せたのだからな」
それを持ち出されてはなにも言い返せなかった。
沈黙したこちらを見て、勝ち誇ったように笑うダルダン。
そんな彼にピナがまたも大声で噛みつく。
「レグナスさんが汚点なんて、そんなことは絶対にありません!」
「ピナ、もういい。こいつは放置するに限る」
「いいえ、レグナスさんを侮辱したんです。放っておくなんてできませんっ」
言って、ピナはぎりりと睨み続ける。
ただ、その可愛らしい容姿もあってか、さすがのダルダンも慣れたようだ。普段の人を小馬鹿にしたような笑みで応対している。
「ダルダーン。あんまりこの子のこと苛めるとあとで容赦しないよー!」
これまで様子を見守っていたペトラが声をあげた。
ダルダンが見るからに動揺しはじめる。
「ぐっ、突っかかってきたのはこの少女で――」
話の途中でペトラがにっこり笑うと、ダルダンが一気に勢いを失くした。先ほどまでの強気な態度はどこへやら、挙動不審になって目をそらす。
「フ、フンッ。では騎手同士、どちらが正しいかはレースで決めようじゃないか。もっとも、僕のダルダンスペシャルが負けることはないけどね」
「望むところです!」
ピナが代わりに返事をしたので、レグナスは開けかけた口を閉じた。
ダルダンがまた鼻を鳴らすと、そそくさと退散していく。毎度のことだが、どうしてこういつも絡んでくるのか。レースで負かしたことを根に持っていると言っていたが、ほかにもなにか理由があるような気がする。
そんなことを思いながらダルダンの背中を見送っていると、ピナの頭が視界の下に映り込んだ。彼女は両手に拳を作りながら、背伸びをしてぐいと顔を近づけてくる。
「勝ちましょう! 絶対に!」
「あ、ああ」
彼女の気迫に圧倒され、レグナスは思わず頷いた。
◆◆◆◆◆
ドラゴンレースでは協会から派遣された司会者によって進行が取り仕切られる。
そして、人竜和解の象徴として精霊の立会いがならわしとなっている。もちろん今回のエドラ大森林杯も例に漏れず、その姿を拝むことができる。
大森林に向かって平行に敷かれたスタート兼ゴールライン。その脇に設けられた司会席の机に、精霊はぽつんと座っていた。
大きさは人の頭程度。人型だが、手足は短く、ずんぐりむっくり。ぼんぼんつきのとんがり帽子を被り、だぼっとした服に身を包んでいる。
その愛らしい姿もあって精霊は女性と子供に大人気だ。普段は滅多に姿を見せないこともあり、精霊を見たいがためにドラゴンレースに来る者も少なくない。
『前回、三頭も脱落するという波乱もあった中、なんとか12枠すべてが埋まり、開催日を迎えることができました。みなさま、勇気ある出場者たちを盛大な拍手で迎えましょう』
司会者の声が会場に響き渡る。
その声を大きくしているのは司会者の手に持たれた大きな白い花――音鳴花と呼ばれるものだ。音鳴花は囁いた声を増幅する特殊な力を持っている。人の手では見つけられない珍しい花だが、レースのためにと精霊が摘んできてくれるのだ。
『それでは入場していただきましょう! まずは一頭目。青竜ダルダンスペシャ――』
入場の時間となった。
紹介された竜から順に柵で区切られた観客席の前を通り、開始位置へと歩きはじめる。
ちなみにクゥの出走番号は15。
つまり最後の入場だ。
「今回のエドラ大森林は例年に比べてかなり多い。どうしてかわかるか?」
クゥに騎乗しながら待機していると、マルクがそう声をかけてきた。
「……いえ」
「みんなお前を見にきてるんだ。〝風を呼ぶ男〟と呼ばれたお前をな」
たしかに会場入りしてから視線が気になっていた。
久しぶりのレースとあって、緊張から自意識過剰になっているのかと思ったが、どうやら本当に見られていたらしい。
「だが、あまり気にするな。お前はお前の飛行をすればいい」
「はなからそのつもりです」
「なら心配はないな。行くぞ」
「はいっ」
話しているうちに前の竜が歩きはじめた。
そろそろクゥの出番だ。
『そして次が最後となります。ナンバー15。翠竜クゥ、鞍上はレグナス・ソングオル!』
マルク先導のもと、入場を開始する。
心なしか、これまでより歓声が大きくなったような気がした。
『かつてリダムの空を無敗で翔け抜けた神童が空白のときを経て戻ってきました。この復帰戦、いったいどのような飛行を見せてくれるのか。格上挑戦ながらこれがデビュー戦となる竜とあわせて注目したいところです!』
さすがは協会の人間。
情報が筒抜けだ。
いくら華やかな経歴とはいえ、最後には墜落で終えた戦績だ。隠したいわけではないが、こんな大衆の中でつらつらと話されてはなかなかに居心地が悪い。
「レグー!」
「レグナスさーん、クゥー!」
ペトラとピナの声援が飛んできた。二人とも観客席の最前列でロープをぐにゃりと曲げるほど身を乗り出しながら手を振っている。
その近くでは見知った顔もちらほらとあった。
村長をはじめとしたダジリア村の者たちだ。
どうやら応援に駆けつけてくれたらしい。
ペトラとピナ。加えて村の人たちの顔を見たおかげか、居心地の悪さはすっかり消えた。レグナスは軽く手をあげながら、彼らの前を通り過ぎていく。
『どうやら飛竜たちの準備が整ったようです。あとは開始の合図を待つのみとなました』
12頭の竜がスタートラインについた。
種の割合は青竜が2頭のみで、あとは黄竜となっている。
何度見ても竜たちが横並びになったさまは壮観の一言だ。この光景を見ることで、レースの舞台に戻ってきたのだといまさら実感が沸いてきた。同時に胸中でくすぶっていた緊張が高まりはじめる。
少数の演奏者によるファンファーレのあと、観客から拍手が沸き起こる。やがてそれが収まると、スタートライン脇に渦巻く金管楽器を持った男が立った。
彼の出した音が開始合図となる。
管の先、男の口が当てられる。
いよいよ始まる。
レグナスは手綱を強く握りながら、開始のときを待った。
そして――。
長く、重い音が辺りに響き渡った。
その勇壮な翼を広げ、飛竜たちが飛翔していく。
『エドラ大森林杯、いま、スタートしました! 各竜一斉に飛び立ち、草原の上を駆け抜けていきます! っと、いや、一頭だけまだ飛び立っていません! これは……15番、翠竜のクゥです!』




