◆第十三話『レースに向けて』
髪が踊り狂うほど吹きつける風は強かった。
ゴーグルなしではとても目を開けていられなかっただろう。
三日後にエドラ大森林杯を控えた、この日。
レグナスはクゥとともにルグリン竜舎の上空を飛び回っていた。
曲がりたい方向の足でクゥの首を叩き、体も同じほうへと思い切り倒しながら手綱を引く。と、クゥが応じて両翼で力強く空気を叩き、勢いをほぼ殺さずに急角度で曲がる。
カットターン。
ドラゴンレースでは、どれだけ練習しても損はないと言われるほど重要な技術だ。
「相変わらずカットターンが好きだね!」
ペトラがウェンディの散歩も兼ねて併走してきた。
互いに距離があるので声を張って会話する。
「次はエドラだからな! みっちり練習しといて損はない!」
とはいえ、大分モノになってきた。
これもクゥの飲み込みが早いおかげだ。
しかしカットターンだけではレースには勝てない。
「ペトラ、クゥにループターンをまた見せてやってくれないか? エドラの折り返しに必要だから、こっちも仕上げておきたい!」
「わかったー! 行くよ、ウェンディ!」
ペトラが前のめりになると同時、ウェンディが翼をはばたかせて加速した。黄竜の特徴は飛行の安定性だ。それを証明するようにブレなく、真っ直ぐに空気を貫いていく。
「よく見ておけよ」
クゥにそう声をかけたときだった。
ウェンディが頭部を持ち上げ、こちらに背を向ける格好で弧を描くように舞い上がっていった。やがて背中が完全に地上側を向くと、くるりと体を横回転させ、通常飛行へと復帰。ゆるやかに高度を下げながらこちらへ向かってくる。
上方宙返り中、ひねりを入れて元来た道へと戻る。
それがループターンだ。
馴致で飛行技術を仕込む際、決して変な癖をつけてはならない。騎手が戸惑わないようにするためだ。そんな事情もあって、ペトラのループターンはとても丁寧で綺麗だった。
「よし、俺たちも行こう」
クゥに声をかけて前進をはじめる。
手を上げながらペトラとすれ違った。
それを機に加速する。
「行くぞっ」
手綱を素早く二回打ちつける。
と、クゥが翼を力一杯はばたかせた。
体にかかる圧が一気に増し、レグナスは思わず呻いてしまう。鞍にベルトで体を固定しているため、腹に力を入れなければいまにも口からなにかが飛び出しそうだ。
視界から地上の景色が追い出され、空で埋め尽くされた。さらに高度を上げ、クゥが天に腹を向ける体勢になると、視界の上半分に反転した地上が映り込んだ。
それを機に右掌でクゥの首根っこを叩くと、くるりと横回転し、通常飛行へと戻った。瞬間、体にかかっていた負荷が一気に消え失せる。
ふぅ、とレグナスは安堵の息を漏らした。
ループターンは体への負担が尋常ではない。嬉々として使っていた昔は、いったいどんな神経をしていたのか。まったくもって理解不能だ。
「良い感じなんじゃないのー!?」
ウェンディに騎乗したペトラが寄ってくるなりそう言ってきた。
「ああ、クゥは完全にモノにしてる! ただ、もっと速く、小さく回れるようにならないと! 大幅に時間を損してる!」
本番のことを考えると、不安要素が一杯だ。
それほどまでにクゥのデビューは早過ぎる。……いや、それ以上に自身の騎手としての腕の錆びようが心配で仕方なかった。
「ちょっと休憩にしないー?」
「でもな……」
「レース前にあんまり飛ばしすぎるのは良くないよ。それにほら、下見てっ」
言われて地上を覗き込むと、麦わら帽子を被ったピナの姿が見えた。なにかを片手に持ちながら、もう片方の手をこちらに向けて振っている。
「そうだな。休憩にしよう」
◆◆◆◆◆
「良い天気なので外で食べられるようにとレイラさんがサンドイッチを詰めてくれたんですっ!」
地上に下りるなり、ピナがバスケットを持ち上げながらにこやかに言ってきた。その配慮に甘えて、昼食も兼ねた休憩をとることになった。
クゥとウェンディの竜具を外して放し飼いにしたあと、ピナのもとに戻る。と、芝に布を敷いて、その上にバスケットを置いて待っていてくれた。三人で近くの芝にそのまま座り込む。
中にはタマゴやハム等のサンドイッチがぎっしりと詰まっていた。そのうちひとつを摘んでかぶりつく。食べるまでは億劫だったが、一度口に入れてしまえば驚くほど手が進んだ。二つ目を掴んだとき、ピナが訊いてくる。
「調子はどうですか?」
「クゥのほうは良い」
「レグナスさんは……?」
「ダメだな。鈍ってるってもんじゃない」
言って、レグナスは肩を竦めた。
ペトラがもしゃもしゃと食べながら言う。
「いまのレグは完璧を求めすぎなんだよ。昔はもっとテキトーだったのに」
「テキトーって……あのな、俺だって色々考えてたんだぞ」
「うっそだー。あたし覚えてるからね、レグの言葉」
「な、なんだよ?」
ペトラが急いで咀嚼し、ごっくんと口内のものを片付けた。それから喉の調子をたしかめるように「んんっ」と唸ったあと、口を開く。
「風が運んでくれるから僕はなにも考えなくていいんだ。って言ってた」
「なっ、それちっこいときのじゃねぇか!」
「言ったことには変わりないもーん」
たしかに言った。言ったが、本当に小さい頃の話で、竜に乗りはじめてから間もない頃の話だ。実際は違うことを、しばらくして思い知ったのをよく覚えている。
「そんなことを言ってたんですか……」
ピナが呆けながら、そう口にした。
先の台詞だけを取ってみれば完全に頭のおかしい人間だ。
できれば真に受けては欲しくない。
「お、おいピナ。いまのは本当に小さい頃の話で――」
「わたしはすごく素敵だと思いますっ」
ピナの目は輝いていた。
予想外の反応に思わず唖然としてしまう。
「それだけレグナスさんが風に愛されていた、ということなんですよね」
おそらくピナは純粋な気持ちから称賛してくれたのだろう。だが、〝風に愛されていた〟という言葉を、素直に受け止められるほど心は癒えていなかった。
「それはどうかな」
だから、思わず自嘲気味に零してしまった。
輝いていたピナの目が疑念の色へと変わる。
空気が重くなりはじめたとき、ペトラの助け舟が入った。
「ま、まあ。あたしが言いたかったのは、あんまり気負い過ぎないようにってこと」
「ルグリン竜舎の看板を背負って出るんだ。下手なレースはできないってだけだ」
「ったく、変なとこだけ大人になっちゃって」
仕方ないなとばかりにペトラが息を吐いた。
大舞台で失敗したあとも、ルグリン一家は復帰を信じて待っていてくれたのだ。彼らのためにも絶対に負けるわけにはいかない。
「……ごめんなさい」
急にピナが俯いたかと思うや、そう口にした。
「いきなりどうしたんだ?」
「冷静になって思い返すと、自分勝手なことばかりしていて……飛ぶのはレグナスさんなのに……」
「いまさらだな。ピナが来てからこっちは振り回されっぱなしだ」
「うぅ……」
「でも、感謝してるんだぜ。おかげでまた空を飛べるようになったんだからな」
決して世辞ではない。ピナが行動を起こしてくれなければ、竜にまた乗ろうと思わなかっただろう。それほど心がボロボロだった。
「ピナちゃんが来るまで、レグってば死んだ魚みたいな目してたからね」
それはないと言い返したかったが、あながち間違ってもいなかった。出かかった言葉を呑み込み、いまも悪戯っ子のように笑うペトラを睨みつけるだけに留めた。
「わたし、たくさんたくさん応援します! レグナスさんが勝てるようにっ!」
ピナが両手にぐっと拳を作りながら元気に宣言する。
気合充分といった様子だが、その姿からはどこか当事者ではない雰囲気を感じた。
「なに他人事みたいに言ってるんだ。ピナもルグリン竜舎の一員だろ」
「え……?」
きょとんとしながら、ピナが首を傾げる。
「つまり、レグは一緒に頑張ろうって言ってるんだよ」
ペトラの説明を受け、ようやく意味を理解したようだ。
ピナが先ほどとは違い、楽しそうに声をあげた。
「はいっ、わたしも頑張ります!」




