◆第十二話『変わらずそこに』
「やっぱりだめですよね……」
ルグリン家の居間にて。
テーブルを挟んだ対面のマルクを前に、レグナスは思わず顔を俯けてしまう。
ペトラとピナ。それにレイラもいるが、室内は沈黙が支配していた。
ルグリン竜舎に帰ったのはちょうど日が落ちた頃だった。大切な話があるとマルクに伝えたところ、夕食前にしろと言われ、いまに至るわけだが……。
マルクの顔が思いのほか険しかった。
普段、陽気なところを見せているからか、余計に際立っている。
やはり、また騎手をやらせてくれなんて虫がよすぎたのだ。そんな不安が胸中に満ちはじめたとき。
「良いぞ」
マルクが言った。
その顔からは綺麗さっぱり険が取れている。
「……はい?」
あまりに予想外で思わず聞き返してしまった。
「だから、良いぞって言ったんだ。騎手に戻って、あの翠竜と一緒にレースに出たいんだろ? だったら出ればいい。このルグリン竜舎からな」
途端、ピナとペトラが手を合わせて歓喜の声をあげた。その傍らではレイラが優しい笑みを浮かべている。
そんな中、レグナスはひとりきょとんとしていた。
認めてもらえたことはなんとか理解できたが、どうにも腑に落ちないことがあったのだ。
「じゃ、じゃあ……さっきのやたらと長い間は?」
「ちょっと脅かしただけだ」
「冗談きついですよ……」
全身から一気に力が抜けた。
険悪な流れから完全に断られると思っていたのだ。
天井を仰ぎながら、ふぅと息を吐く。
「お前がデビューしたあの日から、もう俺の竜舎はお前のためにあるようなもんだ。だから、ダメなわけねぇだろ。全面的に応援してやる」
言って、にかっと笑うマルク。
「マルクさん……」
ルグリン竜舎で働くようになってから、もう八年になる。そんな長い付き合いとあって、マルクには家族のような想いを抱いているが、彼もきっと同じ想いでいてくれている。それを身に染みて感じることができた。
「レイラ」
「あれですね」
マルクに言われて、レイラが居間を出て行った。しばらくして戻ってきたとき、彼女はその手に三着の衣服を手にしていた。そのうちひとつを両手で広げ、見せてくる。
緑を基調に白と黄色で簡素に模様付けされた、その服は――。
「それって……」
忘れはしない。
かつてレースに出場した際、身に纏った騎手服だ。
「お前がいつ復帰してもいいように騎手服も用意してある」
「こっちが去年版で、こっちは一昨年版ね」
レイラが楽しそうに残った二着を見せてくれる。はっきり言って違いはほとんどわからなかったが、込められた愛情は痛いほど伝わってきた。
「でも、だったらもっと早く言ってくれても」
「それは、その~なんだ……まあ、色々あんだよ。色々なっ」
マルクは居心地が悪そうに目をそらした。
そんな彼を見て、ペトラがくすくすと笑う。
「お父さんね、昨日の夜、あたしに言ってきたんだよ。あんなことがあったあとだから、レグが復帰するって言うまで待ってやるんだぞって」
「おい、ペトラ! 言うんじゃねぇよ、台無しだろうがっ」
焦るマルクに、ペトラは悪戯っ子のように笑っていた。
マルクは「ったく」と呆れたように息をつくと、咳払いをした。
「しかし、あの翠竜か……爪を見たが、おそらく五歳だ。ほかの竜に比べて出遅れもいいところだな」
竜の年齢は五歳までなら爪に刻まれた薄い筋で見極められる。だが、六歳以降は爪の成長が止まるので、おおよそでしか判断ができない。
そうしたこともあり、クゥと出逢えたのが六歳を迎える前だったのは幸運と言える。年齢がわからなくてはレースに出られないからだ。
「その辺りは心配ないと思います。かなり賢くて、反応もいいです」
ほう、とマルクが感心する。
「もちろん細かい調整は必要ですし、教えないといけないことは沢山あります。ただ、それらを補って余りあるほど、あいつの翼は良く伸びてくれます」
一度のはばたきで、どれだけ進めるか。
それはドラゴンレースにおいて、もっとも基本的であり重要な能力だ。
「久しぶりに乗ったからおおげさに感じてる、なんてことはないよな?」
「ちょっとお父さん、その言い方――」
「いや、いいんだ」
ペトラの擁護を遮って、レグナスは続ける。
「多少なりともあると思います。でも、それでもあいつの翼は違います。はばたいたあとグンと伸びるんですけど、すぐに滑らかになって。空を泳いでる……そんな感じにさせてくれます」
誇張なしの感想だ。
これまでに乗った、どんな飛竜とも違う。
「お前にそこまで言わせるか」
マルクは驚嘆したように目を開くと、満足したように頷いた。
「よし、もうなにも言わねぇよ。最初に言ったとおり全力で応援するぞ」
「ありがとうございます、マルクさん」
本当に信頼してくれている。
それが嬉しくもあり、くすぐったくもあった。
「それで、どこに出るかはもう決めてるのか?」
「いえ、まだです。許可が出てから決めようかと」
ふむ、とマルクは腕を組んで悩む素振りをみせる。
「新竜戦は昨日したばかりだ。次は一ヶ月後で空き過ぎる」
「でも、そこしかないですよね」
「一週間後のエドラ大森林杯はどうだ」
「エドラですか……」
同じリダム地方内にある、エドラ大森林と呼ばれる場所で行われる大会だ。生い茂る大樹の間を翔け抜ける特殊なコースとあって頭のイカれたレースとして有名である。すんなりと同意できないのもそれが理由だ。
「あの、新竜のクゥはC級ですよね? エドラ大森林はB級のはずでは……?」
ピナが疑問を口にした。
ドラゴンレースをよく観るとはいっても、詳しい仕組みは知らないようだ。
「枠が空いてさえいれば格上のレースにも出場できるんだ」
そうレグナスは説明する。
レースに出場する竜はA、B、Cと三つの階級に分けられる。レースにも同様の階級が設定されており、同階級のレースにしか出場できない仕組みだ。ちなみに昇格するには規定の数の勝利が必要で、C級は一勝、B級は三勝となっている。
「今年は集まりが悪いらしくてな。いまの時点で3枠も空いてる。締め切りも近いし、明日にでも申し込めばいけるはずだ」
そうマルクが説明すると、ピナが不安げに自身の手を握りしめた。
「集まりが悪いのって、やっぱり去年三頭も途中で脱落したからですよね……」
「よく知ってるね、ピナちゃん」
ペトラが感心したように言う。
「王都以外のレースは観にいけなかったので、人伝にですけど」
「まあ、たしかに去年の脱落も影響してるかもしれないが、ぶっちゃけちまえばエドラだとよくあることだ。たしか……八年前だったか。あのときなんて五頭も脱落したぞ」
マルクが笑い話のように語る。
安心させるどころか、不安を煽ってどうするのか。
案の定、ピナが青ざめていた。
「クゥは大丈夫でしょうか?」
「それは騎手のレグナス次第だな」
にやりと笑いながら、マルクが目線を投げかけてきた。
「どうだ、やれるか?」
「じゃなきゃ復帰したいなんて言いません。気になるのは風がほとんど影響しないことぐらいです」
つまり騎手の技術の差で勝負が決まる可能性が高いということだ。
「なぁに、新竜戦前の調整と思って気楽にやればいい」
「なに言ってるんですか」
マルクが気遣って言ってくれたことはわかっている。だが、少しでも勝てない可能性を示されたからか。長い間、胸中の奥底でなりを潜めていた闘志が一気にせりあがった。
レグナスは勝ち気な笑みを見せながら、宣言する。
「出るなら勝ちに行きますよ」




