第7話 金ト命ト悪魔ノ天秤
時は遡ってカナタが目を覚ます前日の夜。
ガノン王国。カラムク領の南西にある山岳地帯。
獰猛な獣が多く生息する危険地帯として知られ、人が立ち入らぬ事で有名な場所。
そんな余人が近づくことのない山の中に、大きな洞窟がある。
大陸でも希少にして凶暴と恐れられた地龍が掘ったと言われるている洞窟。
その真っ暗な闇の中に浮かぶいくつかの松明の炎が、赤く洞窟内を照らす。
炎の光を浴びて洞窟内に伸びるいくつかの人影があった。
この山に生息する凶暴な狼型の獣。その毛皮で作った揃いの服を纏った男達。
袖のない服から露わになった肩は筋肉が隆起しており、肌蹴た服の胸元には盛り上がる程に厚い胸板が見える。
全員が肩まで届く長い髪をし、どこからが髪なのか分からない程に伸びた髭を蓄えている。
髪と髭で覆われた顔は毛深すぎて顔の輪郭すら分からない。
しかも近頃は風呂どころか水浴びすらしていない為、近づけば強烈な饐えた刺激臭が鼻を衝き、
一般人が近づけば、半径1m以内に入っただけで卒倒してしまうだろう。
そんな清潔という単語から最も縁遠い身なりの彼らはこの近隣を荒らしまわる野盗。
今日もカラムク領内にある村を襲撃し、略奪をしてきたところだ。
手に入れた金品や食料を高々と積み上げ、それを囲んで男達が高笑いを上げる。
「ガハハハハッ!今日もいい狩りだった」
「ムゴの兄貴ぃ!見てください。こりゃ相当な高級品だぁ」
「こっちの酒も中々上等ですぜ。ダゴの兄貴ぃ」
「そうかそうか。ガハハハハッ」
高笑いを上げる男達の中心にいるのは居並ぶ男達の中でも特に大柄な三人の男。
彼らはこの野盗達を束ねるこの辺りでは悪名高い三兄弟。
通称「悪欲三兄弟」
酒、金、女、殺戮を欲望の限りに奪いつくす事から、いつしかそう呼ばれるようになった。
三男坊のデゴは狡賢く、仲間内では一番頭が回る為、参謀役を務める。
彼らが未だに捕まっていないのは彼の知恵によるところが大きい。
次男のムゴは仲間内では一番の巨体であり、その怪力は片手で大型獣の頭蓋をも砕く。
仲間内では一番頭が悪く。性格も短気で浅慮。
気に入らない事があれば、すぐに暴れて手が付けられなくなる。
最後に長男にして野盗達を束ねる首領のダゴ。
品性下劣でワガママ放題の野盗共を、力と頭脳で束ねる男。
時に恐怖で、時に欲望で手下達を支配する統率力と、
見せしめや示威行為の為だけに村一つ滅ぼす程の残虐姓を持つ。
この凶悪な三兄弟のせいで王国の地図から消えた村は1つや2つではない。
その為、彼らには結構な額の懸賞金が掛けられている。
だが、懸賞金目当てでやってきた者たちは悉く返り討ちにあい、野に骸を晒した。
今やこの国に自分たちを脅かす者等いないと言わんばかりに調子に乗っている三兄弟。
奪った酒で祝杯を挙げるダゴの下に先日偵察に出していた手下の1人が駆け寄る。
「ダゴの親分!朗報でずぜ!」
「んぅ~っ!どうしたぁ~」
「へいっ!先日デゴの兄貴がおっしゃってた女がヘソン村に入りやした」
「なぁにぃ~」
口臭と酒の匂いが混じった強烈な匂いのする息を撒き散らしながらダゴが手下へと顔を近づける。
とっくの昔に鼻がおかしくなっている手下は、吐き出される悪臭に身じろぎ一つせずに突き出された耳に何やら囁く。
そこへ二人の会話が気になった三男のデゴと次男のムゴも顔を寄せて話に加わる。
そのまま3人の前で部下が見てきた事の次第を漏らすことなく報告し、それを聞いた3人が口元に邪悪な笑みを浮かべる。
「いよいよ来たかぁ~」
「ダゴ兄貴ぃ~。いよいよだなぁ~」
「へへへ。楽しみだぁなぁ~」
三兄弟と手下は汚い顔を寄せ合って下卑た笑い声を上げる。
先日、三男のデゴが仕入れた情報で、十六聖女の1人がこの付近を通るという話があった。
そこでこの三兄弟が立てた計画は聖女を誘拐し、国から身代金をせしめるというものだった。
十六聖女と言えば無教養の彼らでも知っているこの国の重要人物。
その身代金ともなれば一体いくらになるか考えただけで笑いが止まらない。
「ガハハハッ!たまらんなぁ~」
「身代金をもって国外に行けばこんな穴倉生活ともおさらばだぜ兄貴ぃ」
「オレァ聖女って女がどんなもんか味わってみてぇなぁ~」
「まぁ待て弟たちよ。何事も順番だ。順番。ガハハハハッ」
まだ決行されてもいないのに計画の成功を疑わない三兄弟。
今から成功した後の事ばかりに思いを馳せる。
妄想話に花を咲かせて一頻り笑い終えた後、ダゴが周りに集まった手下達に向かって吠える。
「野郎どもぉっ!あしたぁヘソン村にいる十六聖女を攫うぞぉ。いいかぁ間違っても殺すんじゃねぇぞぉ」
「でけぇヤマだ。聞きてぇ事があるヤツぁ今のウチに言っとけぇ」
ダゴの言葉を引き継いだデゴの言葉に、手下共がまるで先生に質問する生徒の様に次々と手を上げる。
「親分!護衛の兵士はどうしやしょぉか」」
「馬鹿野郎!!皆殺しに決まってんだろうがぁああ!」
「女は!村の女はどうしやしょ!」
「聖女以外はどうでもいい!いつも通り好きにしろぉ」
「いやぁっはぁああああ!」
「親分一生ついていくぜぇえええ!」
ダゴの返答を受けて喜びに沸く手下達。
そんな手下達を見渡し、一通りの質問が出尽くしたのを見計らったダゴが高らかに告げる。
「テメェラ!!明日も好きなだけ殺しつくして奪いつくせぇええええ!」
『オオオオオオオオオオオオオッ!』
野盗共の欲望に満ちた叫びは暗い洞窟から夜の山々へ響き渡る。
こうしてカナタ達のいるヘソン村は知らず欲望まみれの悪魔共に狙われることになるのだが、
野盗達はまだ知らない。彼らの想定を超えた存在が行く先に待ち受けていることを。
彼らにとって"一生"忘れられない一日が間もなく始まる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
時は戻ってガノン王国カラムク領ヘソン村。その村はずれの草原。
既に日は傾き、辺りは一面オレンジ色に包まれている。
一面を切り揃えられた芝生が覆う中、ポツンと体育座りでしゃがみ込んだ1人の少年。
「ひっでぇ目にあった」
開口一番そんな愚痴をこぼす少年の名は静寂 彼方<シジマ カナタ>。
異世界に転移した17歳。現在、無職の無一文にして天涯孤独のホームレス。
その表情は長年の家事に疲れ、真剣に離婚を考える還暦前の主婦のように憂いを帯びている。
「なんでこんな事になったし」
目覚めた後、どこから集まったのか分からない程沢山の村人にもみくちゃにされた。
数の暴力の前に為す統べなく捕まったカナタは、ひとしきり村人達のおもちゃにされた挙句、
この時間になりようやく解放されてここまで来た。
「汚されちゃった」
夕日を向き、遠い目をするカナタ。
草原を吹く風が彼の背中を伝い、前へと抜けていく。正直、少し寒い。
理由は簡単。カナタが身に着けているのが甚平に似た藍染の風通しの良い服と草鞋といった軽装だからだ。
今まで着ていた戦闘服は、大蛇との戦闘後、運び込まれた際に治療の邪魔だと許可なく脱がされて、まだ手元に戻ってない。
本人の許可なく全裸に引ん剥かれただけでなく、それをレティスにまで見られたと聞いた時、
カナタの男の子としての尊厳は深く傷ついた。
「あまりにもあんまりじゃね?」
誰にでもなく虚空に発した問いは風に飛ばされてどこかへ消える。
ここへ来る前に知った事だが実はあの大蛇との死闘から今日で丸5日が過ぎていた。
戦闘の後、レティス達が移動に使っていた馬車でこの村に運び込まれたのが4日前。
当初は割と一刻を争う状況だったとかで、満足な設備もない村の医師が必死の治療で傷を塞ぎ、
折れた左腕と左肩の骨。大火傷を負った右手は村の薬師が調合した薬とレティスの治癒魔術で治療。
彼らの献身によってなんとか体が動くところまで回復したのが昨日の話。
目覚めた現在は右腕と左肩に少しの痛みと右腕に火傷の痕が少し残る程度だ。
本来であれば全治数か月の大けががたったのを5日でここまで回復したのは、
ひとえにレティスがつきっきりで高位の治癒魔術を行使した結果らしい。
そうでなければ今頃、カナタはベッドで寝たきりか、最悪、右肘から先を切り落とすしかなかっただろう。
「ビバ魔法。ビバ聖女様だ。足向けて寝らんないね」
男のプライドはともかくとして彼女達の献身でカナタはこうして五体満足でいられる。
命が助かったのだから一時の恥など忘れてしまえばよいのだ。
「それでも・・・やっぱ涙が出ちゃう。だって男の子だもん」
どこかで聞いた様なセリフと共に目元を拭う。勿論、涙など出ていない。
この一人芝居の一部始終を後ろで見ていたリシッドが冷めた視線を向ける。
「・・・。何を馬鹿な事をしている」
「ほっとけ」
正直、色んなものを失ったので感傷に浸っていたいだけだ。
実際の話、現愛、カナタの手元にはコンバットナイフが1本とスローイングナイフ3本のみ。
防弾ベストは汚れや破損が酷く修復不可の為、破棄された。
(アレッて確かアラミド繊維使用のアリゲーターでも喰い破れないヤツじゃなかったっけ・・・)
特殊繊維で縫製されたものが破損する程の戦いをしたかと思うと背筋が寒くなる。
逆に戦闘服の方はまだ着られる程度の破損で済んでいる。
半長靴は洗われて天日干し中。もうすぐ乾くとの事。
(とりあえず、早く着替えたい。この格好は冷えすぎる)
ちなみにカナタの右手を黒焦げにして、あわや切断寸前の状態にまでした獣の角だが、
押しかけて来た村の鍛冶職人が武器に加工してくれるというので預けた。
なんか相当な貴重品だったらしく皆が驚いていたのを覚えている。
ともあれ元々多くなかった地球からの持ち込み品も徐々に数を減らしている。
「随分と少なくなっちまったなぁ」
「おまえの脳みその話か?」
「・・・後ろのクソ貴族様を今すぐ殴りたいです先生」
もはや当たり前のように喧嘩を売ってくるようになったリシッドに、
怒りでワナワナと拳を震わせて振り返ったカナタが視線をぶつける。
まるで昭和のヤンキーのようにメンチを切る2人の男。
「絶対泣かす」
「やってみろよ」
「ふふっ。本当は仲がいいんですね2人は」
「「どこがっ!」」
不意に割り込んできたレティスの言葉に声を揃えて反論する貴族様と無職様。
2人の言葉にレティスはクスクスと口元を抑えて笑う。
(ああ、愛らしいそんな姿が実にいい)
イケ好かないパツキン貴族野郎と仲良し等ととんでもない事を言うが、
その笑顔一つで全て許せてしまいそうになるから不思議だ。
そうしてカナタがレティスの笑顔に見惚れているのをリシッドが面白くなさそうに見つめる。
リシッドの中では未だこの男は野放しにはできない要注意人物だ。
(本当に何者だコイツ。こうしているとただのバカにしか見えないが・・・)
今一度、芝生の上で姿勢を変え、あぐらをかく少年の姿を上から下まで観察する。
初めて会った時は上下黒の見慣れない恰好に疑問を抱いた。
あの時は肌の露出した箇所が少ない服だった為分からなかったが、
今、彼の着ている袖の長さが肘や膝までの露出した服装であれば体つきがよくわかる。
細身でありながら腕も足も鍛えられたいい筋肉をしている。
他にも何かしら戦闘で生じたであろう古傷の痕が見て取れる。
(相当な場数を踏んでいる。どう考えてもタダ者じゃない)
重ねて最初に出会った時に見せた体術、そして魔獣を倒したという事実。
そこでふと思う。もしこの男が聖女暗殺の為に送り込まれた凄腕の暗殺者だった場合、
果たして自分達が総がかりで挑んだとして勝てるのかと。
(馬鹿な。我らは国を守る軍の精鋭。賊1人に後れを取るなど!)
カナタの技量がどれほどか正確には分からないが、自分達も厳しい訓練を乗り越えてきたという自負がある。
そう思いリシッドは弱気な考えを頭から追い出す。
自分の思考の檻から抜け出すと、目の前の男の視線が訝し気にこちらを見ていた。
「なぁ~に、人の事ジロジロ見てんだよ」
「・・・見てない」
どうやら思考に没頭するあまり相手への注意が疎かになっていた様だ。
今は相手にするのが煩わしいので適当に嘘をついて誤魔化そうとするが、カナタの方も食い下がる気はないらしい。
「嘘つくな。今、絶対見てただろ」
「見てない」
「い~や、見てたね」
「見てない」
「見てた」
「見てない。というかうるさい。黙れ。そして死ね」
「お前が死ね」
もはやお約束と化しつつある2人のいがみ合いが始まる。
今日一日だけで、もう何度繰り返したか分からないやりとりをレティスが暖かい目で見守る。
その時、沈みかけた夕日の中を1人の男が大声を上げて駆けてくる。
「聖女様~!たっ大変だ~」
「どうされたのですか?」
汗だくで駆け寄る男に只ならぬ気配を感じ、レティスとリシッドの表情が真剣なものに変わる。
3人の目の前まで駆けてきた男が息を切らしながら事態を告げる。
「一大事です。・・・野盗が!野盗が出たそうです!とにかく一度村の集会所に!」
「分かりました。リシッド隊長!」
「はいっ!」
男の言葉を受けてレティスとリシッドが村の方へと急ぎ走り出す。
村の方へ走る2人の背中が徐々に遠くなっていく中、
2人の背中を座ったまま見送るカナタに事態を伝えに来た男が息を整えながら尋ねる。
「ハァッハァッ。あんたは・・・行かないのかい」
「まぁ、俺には関係ないからね」
「・・・えっ?」
カナタが発した言葉の意図が分からず男が首を傾げる。
この少年の事は話に聞いて事は知っている。
村から馬で1日程行った場所にある大森林で魔獣を討伐した英雄だと皆が騒いでいた。
だが、今しがたカナタが放った言葉は、とても皆が語る様な英雄像からは大きく掛け離れている。
村の危機に大してまるで他人事。
そんなカナタのあんまりな態度に男が詰め寄る。
「関係ないって・・・野盗が来たら皆殺しにされるかもしれないんだぞ!」
「だったら何?」
「何って・・・。あんた"魔獣狩りの英雄"なんだろ!なんとかしようと思わないのか!」
「全っ然。全く。これっぽっちも」
声を荒げ詰め寄る男の言葉等、まるで意に介した様子を見せないカナタ。
目の前の少年から返ってきた言葉に、彼がこの事態を完全に自分とは切り離した事と考えている事を知り、男は明らかな落胆の色を浮かべる。
「・・・あんただって襲われるかもしれないんだぞ」
「そうなったらその時考える」
「くっ!」
男が放った苦し紛れの言葉さえ、まるでどこ吹く風と聞き流す少年。
もう何を言っても無駄だと判断した男は苦々し気に吐き捨てる。
「皆が英雄だと言うからどんな男かと期待してたが見損なったぜ。どこへなりと行っちまえ!」
「はいはい。ご苦労様でした」
捨て台詞を残し立ち去る男を、手をヒラヒラと振って見送るカナタ。
周囲に誰もいなくなり、1人その場に残されたカナタは溜息を一つ。
「さてと・・・どうしますかねっと」
腕を左右に大きく広げて芝生の上に大の字に体を投げ出す。
見上げる空は既に薄暗くなり、頭上にはいくつか星の明かりが瞬いている。
星明りを見上げ、カナタが考えているのは迫りくる野盗達を撃退する方法。
先程の男には無関心を装って冷たく突き放したが、命を助けてくれたレティスや村の人間を見放すつもりなど最初からない。
そこで、自分がこんなに義理堅い人間だったのかと知って思わず苦笑いする。
「ゲンジやダスクが言ってたっけ。『受けた恩は必ず返せ』って」
だが、恩を返す事でまた英雄やなんやと言われるのはカナタとしては本意ではない。
故に。カナタに対する悪印象を与えて評判を落としてもらう事にした。
今日見た限りでもこの村はそれほど大きくなさそうだし、噂はすぐに広まる事だろう。
「敵勢力の情報と武器の調達・・・後は口実をどうしようかなぁ~」
闇に染まっていく空に、星が広がるのをカナタは静かに見上げる。
「対テロ部隊の本気ってやつを異世界人に見せてやろうじゃん」
それからしばらく後のヘソン村。
村の中心にほど近い場所に、この村で一番大きな建物がある。
レンガのように成形された石を積み上げて作られた石造りの建物。
村の集会所として利用される村で一番丈夫なその建物の中には複数の村人の姿。
中心に置かれたのは畳程の大きさの木製の机が縦に4つ並び、その机を囲むように座る村人達。
机の上に並べて置かれた蝋燭の火が、暗い室内で彼らの表情を照らし出す。
誰もが事の深刻さに表情を強張らせて険しい表情をしている。
多くの村人達が集うこの場において、上座に位置する席に座る白髪の老人が居並ぶ者達に向かって口を開く。
「皆集まったようなので早速始めようか。まず野盗襲来の報だが、情報は確かなのだね」
「ええ、間違いありません。狩りに出ていた村の狩人数名が目撃しております」
老人の言葉に次席に座る小太りの中年男性が神妙な面持ちで報告を続ける。
「人数にして40人程の一団が森の中を村の方へ移動していたと・・・」
「本当に野盗なのか?動物の群れやキャラバンを見間違えたとかじゃないのか!」
次席の男の発言に村人の1人が異議を唱える。
だが、次席の男は首を左右に振ってその言葉を否定する。
「確かに人であったと。そして何より・・・彼らは揃いの獣の皮を被っていたと」
「獣の皮っ!」
次席の男の告げた事実に建物内に集まった者達が騒然となる。
ガノン王国で野盗はそれほど珍しくはないが、多いというわけでもない。
国の軍隊や各村々で組織した警邏隊がそういった輩の動向に目を光らせているからだ。
野盗共も彼らを恐れ、そのほとんどが村や街を移動する小さなキャラバン等を襲って金品を奪う程度だ。
だが、獣の皮を被った野盗の一団となると話は大きく変わる。
「・・・悪欲三兄弟」
『!?』
誰かがそう呟いた。その一言で事の重大さを全員に認識させるには十分だった。
彼らはいくつもの村々を壊滅させ、年寄り、女、子供も容赦なく殺す外道。
カラムク領内に住む者の中で、その悪名を知らぬ者はいない。
村々で結成された自警団などではまるで歯が立たず。
国が掛けた懸賞金目当ての腕利き達をも悉く返り討ちにし、
軍ですら神出鬼没に村を襲う彼らの足取りが掴めず後手に回っている。
そんな集団が今、この村に迫っているのだ。
その事実に居並ぶ村人達の顔色が一様に青褪めていく。
「おっ。おしまいだ」
「逃げよう!今すぐに!」
「どこへ!もうすぐ夜だ。森には獣達だっているんだぞ」
「だったらどうするんだ!奴らに降伏するのか!」
「冗談だろ!どんな目に合うか分からない」
「そうだ!ウチには娘だっているんだぞ!」
「ウチだってそうよ!」
悲鳴にも似た声を上げて口々に叫ぶ村人達。場の空気がピリピリとしたものに変わっていく。
そのような場に同席したレティスと、傍らに立ったリシッドは村人達を黙って見つめる。
2人は何も言わない。いや、この場においては何も言えない。
「そもそもどうしてこの村なんだ!この村に奪う程の財等ないのに」
「それは・・・」
村人の1人が吐き出した言葉は、誰もが思ってはいても口には出さなかった疑問。
そして浮かび上がった疑問から導き出された答えの先に皆の視線が集まる。
十六聖女の1人。レティス・レネート。
今、この時に限って辺鄙な村に存在する野盗どもにとって奪うだけの価値を持った少女。
村人たちの刺すような視線を一身に受けて、レティスは黙って俯き、身を固くする。
反論しない事が彼らの言っている事を暗に肯定していた。
「あんたのせいだ!」
「あんたが来たからこんな事に!」
誰かが発した非難の声は瞬く間に広がって多くの者が声を荒げて怒りの矛先を少女に向ける。
先程まで聖女だ何だと彼女を称えていた者達の掌を返したような態度の急変。、
次々に自身に向けて非難の声を浴びせられる中、耐える様に口を一文字に結ぶレティス。
そんな状況を見かねたリシッドが止めようと一歩踏み出した時だった。
「やめなさいっ!」
ドンッという机を激しく叩く音と共に、白髪の老人が周囲の者達を一喝する。
力と威厳を伴って放たれた言葉に、多くの者が喉元まで出かかった罵声を飲み込む。
「ですが村長!これでは!」
「わかっています」
食い下がろうとする村人の言葉を制し、村長がゆっくりとレティスの方を向く。
その眼は村を治める者に相応しい確かな威厳と強さに満ちている。
村長と呼ばれた老人は椅子から立ち上がると、レティスに向かって深く頭を下げた。
「村の者が失礼をいたしました」
「いえ、むしろ私こそ。この様な事になってしまい申し訳ありません」
村長の言葉に、レティスも同じ様に椅子から立ち上がり深々と頭を下げる。
傍らに立つリシッドも同様に頭を下げる。
聖女と呼ばれる自分達より地位のある者からの謝罪の言葉に、熱くなっていた村の者達が、少しではあるが冷静さを取り戻し、非難の声をあげた者達も居心地が悪そうに視線を彷徨わせる。
彼女が悪いわけではない事は皆分かっている。悪いのは野盗だと。
それでも人はやり場のない感情をぶつける対象を求めてしまうのだ。
場の静寂に彼女の謝罪が概ね受け入れられたと判断した村長が話を進める。
「さて、時間もあまりありません。これからの対応についてですが・・・」
「その件であれば我がリシッド隊が請け負おう!」
『おおおっ!』
それまで大人しくし話を聞いていたリシッドの堂々とした言葉に、村人達が歓声を上げる。
大蛇の魔獣の前に後れを取ったとはいえ、カナタが止めを刺せる状態まで追い詰めたのは彼らだ。
しかも軍の精鋭である彼らは単純な力だけで見れば十分な戦力を有している。
「よろしいのですかリシッド隊長?」
「我等は聖女様の護衛。聖女様の危機に立ち向かうのは当然。何より国民を守る事こそ我等の責務です」
「流石は王国の兵士だ」
「これなら安心だ!」
リシッドの言葉に安堵する村人達。だが一方でレティスは不安の色を消せないでいる。
それはリシッド達の現在の状況をよく知っているからである。
リシッド自身も言葉とは裏腹に、この絶望的な状況に光を見出せずにいる。
そもそも今回のレティス達の旅はこれ程の事態を想定していない。
国内を巡礼する聖女達の移動ルートは秘匿されており、
どのようなルートを通るかは同行する者と軍や教会の幹部が数名。
到着する直前までルート上の村の人間すらその来訪を知りえない。
これは国に干渉されたくない教会と教会に力を持たせたくない王国の軋轢による問題。
大軍を聖女の護衛に着ければ国軍が教会の下だと民衆に思わせる事になるし、、
逆に教会にとっては軍の都合で聖女の動向を制限される事態になりかねない。
その落とし所が少数精鋭を巡礼の護衛につけるという現在の形だ。
故に、レティスを守る兵士も選び抜かれた数人の精鋭に限られ、
彼らの装備も本来の剣や鎧ではなく。長旅様の比較的身軽な装備となっている。
こうした状況からリシッド達も本当の実力を出す事が出来ない。
それだけでなく今回に関してはリシッド達の状況もよくない。
先日の戦闘で負傷した仲間は未だ本調子と呼べるほどには回復していないのだ。
(なんという間の悪い。せめてまともな装備があれば!)
心の中で状況の悪さを嘆いてみるが、それで状況が良くなったりはしない。
リシッドの内心を察してか心配そうな目で彼を見つめるレティス。
出会ってから数日、共に旅をする道程で彼女の人となりは大体わかった。
この少女は優しすぎる。いざとなったら自分の身を投げ打ってでも皆を救おうとするだろう。
そんな彼女の人となりをリシッドは心底気に入っている。
だからこそ思うのだ。"守ろう"と。
(野盗如きの好きなようにはさせない)
仮に、彼女がその身を差し出して村人を救うよう願い出たとしても無駄だろう。
『悪欲三兄弟』の悪名はリシッドも聞き及んでいる。残虐非道な悪逆の徒。
彼らがリシッドの考える通りの者達ならば誰1人生き残る事は出来ないだろう。
(ならば、この身がどうなろうとも必ず守って見せる)
勝ち目などまるでない戦いを前に、決意の炎を体の内に滾らせるリシッド。
その拳を握る手には自然と力が込められていく。
そんなリシッドの決意を知らない村人たちは今も意見を交わしている。
「しかしたった6人で守り切れるのか」
「確かに、村からも何人か大人が行くべきだな」
「誰が戦うんだよ。俺は嫌だぜ」
「私だってイヤよ」
「狩人は矢で支援すべきだろ」
「見つかったら殺される!勘弁してくれ!」
リシッドの宣言で一度は纏まりかけていた場が再び荒れ始める。
こういう局面において救いの可能性が生まれた場合、多くの者が少しでも自分が安全な場所に身を置きたがる。
当たり前の事だが、余程の聖人君子でもない限り、他人の代わりに死んでいいとは思わない。
「ともかく村の皆を1か所に集めるべきだろう」
「散り散りに逃げるべきでは?」
「それだと兵士の皆さんが守りづらくなるだろう?」
「散らばって逃げれば1人でも生き残る可能性がある!」
「他の人を犠牲にするんですか?」
「全滅するよりはいいんじゃないか」
「兵士の方達を信用してないんですか!」
「そういうわけではないが・・・やはり相手の数を考えると」
理性的に状況を分析する者、不安に駆られる者。
他者を思いやる者、自分勝手な者、人を信じる者、信じない者。
あらゆる人の感情の坩堝となった場において、聖女レティスは願う。
この村の誰1人として命を落とす事無く明日を迎えられることを。
ガタガタガタッ
『!!!』
突如、屋外から響いた物音にこの場に集まった全員が辺りを見渡す。
「なっなんだ!」
「扉の外?」
「まさかもう来たのか!」
その場にいた全員の緊張が一気に高まる。
リシッドは素早く腰の剣に手を伸ばすと、剣を抜き放って構える。
それから物音がした方角、建物の唯一の出入り口となる大きな木製の扉をキッと睨む。
「皆、扉から離れるんだ!早く!」
「うわあああっ!」
「ひぃいいっ!助けてぇええ」
恐慌状態になった村人達が我先にと扉から離れ、建物の奥へと駆け出す。
向かってくる人の中を腰を落とした状態でリシッドが摺り足で扉へと近づく。
直後、物音ひとつしなくなった扉がバンッと大きな音を立てて勢いよく開かれる。
村人達が建物の隅に集まり身を震わせて悲鳴を上げる。
そんな中、村長とレティス、リシッドだけが開かれた扉へ目を向ける。
「あっ!あなたは!」
闇の中に立った人物の見知った姿に、レティスが思わず声を上げる。
彼女の視線の先、開かれた扉の間には、その命を賭して魔獣から彼女を救ってくれた少年が立っていた。
「お邪魔しますよっと」
ドアを蹴り開けた右足を下ろしながらカナタは悪びれもせずにそんな事を言う。
場の空気等まるで読む様子のないカナタに、リシッドが怒声を上げる。
「貴様!この非常事態に何をやっている!」
「非常事態?そんなの知るかよバーカ」
「何!?」
カナタの言葉にリシッドは手にした剣を強く握り、カナタを鋭く睨みつける。
対してカナタはというとリシッドには目もくれず。入口から部屋の奥へと一直線に並べられた机の奥。
上座に座った白髪の老人へとその視線を向ける。
「えっと・・・爺さんがこの村の村長さんで間違いないのかな?」
「・・・そうです。あなたは"魔獣狩りの英雄"さんですかな?」
目的の人物から掛けられた言葉にカナタは心底嫌そうな顔で答える。
「その"英雄"っていう呼ばれ方が嫌いなんだ。カナタでいいよ村長さん」
「ではカナタさん。ご用件は?我々はこれでもかなり切迫しておりましてね」
困惑したようにそう告げた村長の言葉に、カナタは喜色を浮かべて足元に転がった大きな塊を左右の手で持ち上げる。
何かと思って村長やレティスがその手にもったものを注意深く見る。
「それはっ!」
彼が持ち上げた両手にぶら下がっているのは獣皮を纏った2人の男の死体。
喉を鋭利な刃物でバッサリと掻き切られており、喉元から溢れ出た血が今も服を伝って床に血だまりを生み出している。
「なっ!」
「しっ死んでる!」
「ヒッヒィイイイイイイッ!」
見せつけられた無残な死体に、集まった村人たちが上げた絶叫が室内に木霊する。
流石のレティスとリシッドもそのあまりの事態に言葉が出ない。
村長も目の前の状況に僅かに動揺を見せたが、なんとか心を落ち着けてカナタに問いかける。
「えっと、その死体は・・・?」
「ああ、たぶん野盗共の斥候じゃないかな?ここに来る途中で見かけたから片付けといた」
「という事は、あなたが殺したんですか?」
「そだね。まあこの村で受けた治療費分だと思っといてよ」
事もなげに語るカナタにその場に居合わせた一同が息を呑む。
自分達が恐れていた野盗達をまるで散歩ついでに草花を摘むように手に掛けたという少年。
とてもまともな人間の言葉とは思えず、多くの者の理解が追い付かない。
恐れおののく彼らを前にカナタは手に持った死体をその場に捨てる。
グチャリと生々しい音を立てて2つの死体が地面に転がった。
そうして足元に落ちた死体には目もくれずにカナタは村長に語り掛ける。
「なあ、村長さん。俺と取引する気はないかい」
「取引・・・ですか」
「そうそう。悲しいけど俺ってば現在、無一文なんだよね~」
顔を赤くして恥ずかしそうにそんな事を言うカナタ。
その表情は年相応の幼さを残しているが、この場においてはそれがかえって不気味に映る。
カナタの持つ不気味さに気圧されそうになりながらも村長は話を続ける。
「無一文のあなたとどういった取引を?」
「そうだな。俺がこの村の周辺にいる野盗の掃除するから、それに応じた金銭を出してほしい」
「なるほど。確かに我々にとっては願ってもない申し出ですが、見ての通りの小さな村なので多くは・・・」
「勿論、安くしとくよ。前金なし利子なしで分割可。どう?悪くないでしょ」
カナタの言葉に村長は考え込む。
これまで傭兵など雇ったことがないので相場が分からない。
これを受ける事がこの村にとって本当に利益となるのか村長は老いた脳に鞭打ち必死で思考する。
その時、奥で怯えていた村人の1人が声を上げた。
その顔には顔は見覚えがあった。先程レティス達を呼びに来ていた男だ。
「信じられるか!そいつは村を見捨てるって言ったんだ!」
「えっ?」
「本当ですか!」
男の発した言葉に村長達が目を見開いてカナタを見る。
レティスは信じられないといった様子、リシッドはやっぱりといった表情を浮かべる。
「言葉は正しく伝えてほしいんだけど。関係ないって言ったんだよ」
「同じだろうがっ!」
「はあ、じゃあいいよ。帰るから・・・あと、"この辺"片付けといてね」
カナタはそれだけ言うと背を向けて扉の外へ向かって歩き出す。
その背中を追って全員の視線が扉の方へ注がれる。
そこで、彼の進む先にあるモノをいち早く視界に捉えた村長が声を上げる。
「お待ちください!その取引を是非受けさせていただきたい!」
『村長っ!!』
思いがけぬ村長の発言に村人達は訳が分からず状況を飲み込めない。
多くの者が混乱する中、村長が見たモノに気付いたリシッドが歯噛みする。
「・・・なんてヤツだ」
「リシッド隊長?」
「奴は今この場、この流れ全て計算してたんですよ」
「えっ?」
リシッドの言葉を受けてレティスは彼の視線の先へと目を向ける。
扉の向こう側に広がる地面の上に山のように盛り上がったいくつかの黒い影。
暗い闇の中で、空から降りそそぐ僅かな光が映し出す異様な物体。
「あれは・・・獣?・・・・違うっ!」
建物の外、中にいる者からワザと見えるように配置された4つの死体。
それはカナタよりもずっと大きな体をした野盗達の骸だった。
「1人であの数を・・・一体どうやって」
「それは企業秘密でっす」
事態が思惑通りに運んだと言わんばかりにカナタが笑顔と共に振り返る。
建物の外にある骸に気付いた者が次々と言葉を失っていく。
もはやそれ以上を語る必要などない。彼無くしてこの事態の解決はありえないと誰もが思った。
この場に集まった者の心を完全に掌中に収めたカナタが笑顔を向ける。
「村長は男に二言とかありだと思う人?」
「いえ、村の長の誇りに掛けて約束は守ります」
「よかった。いい取引できそうだね」
「ええ、天の巡り合わせに感謝するばかりです」
こうしてヘソン村とカナタの間で一つの契約が結ばれる。
それは今宵、悪欲三兄弟の運命を決める悪魔の契約。
カナタの異様に恐れ、それでも尚、その力にすがろうとする村人達。
リシッドはその光景を前にして思った。
(ヤツは悪魔だ。人の心を惑わし命を弄ぶ本物の悪魔だ!)
目の前の男の脅威にリシッドは心の奥底からくる寒気に震え上がった。
なんか思った以上に主人公が悪役っぽくなってしまいました。
ともあれ次回はカナタさん無双の予定。
お楽しみに
※誤字修正と若干の加筆いたしました。