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第6話 アル悪党ノ見タ悪夢

瞼の上から感じる刺激に、深い闇の中にいた意識が浮上していく。

意識と共に全身の感覚が少しずつ鮮明になる。


「あれ、俺は・・・」


霞がかかっていた意識が自分という存在を認識すると、体のあちこちに暖かさと妙な重さを感じる。

それと何人かの人の気配。近くに誰かがいる。

体の上にかかる圧力と、周囲の気配の元を確かめるべく。

カナタは閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げる。


どこかから差し込む光で白っぽくなった視界の中に移ったのは、髪の長い丸々とした子供の顔。

クリクリとした丸い目がこちらを見下ろしている。


「オマエ・・・誰・・・だ?」


しばらく声を出していなかった様に、声がうまく出てこない。

掠れた声で問いかけるカナタを見て、目の前の子供の丸っこい顔が人懐っこい笑顔を浮かべる。

それが女の子であると脳が理解するのに少しの間を要する。

散らばっていた思考が徐々に纏まり始めた時、目の前の子供が上を向いて大声で叫ぶ


「シィイイスタァアア。起きたよぉおおおお」


耳障りな程の声量に、目覚めたばかりの脳が揺さぶられ、カナタの視界が明滅する。


(なんつー声をあげんだコイツ)


まるで壊れたスピーカーのような大音量に、クラクラとする頭を左手で抑えて息を吐く。

そこでようやく自分がベッドの寝かされていることに気付く。

ベッドの上に横たえられた自身の体と、その上に乗る謎の子供というのが現在の状況。

しかも体に感じる重さから、上に乗っている子供はどうやら1人ではない。


カナタの胸の上に乗った目の前の子供の他に、両足と腹に子供1人分程の重さを感じる。

そこまでを把握した所で、カナタを覗き込む子供以外の声が足元より響く。


「起きた起きた~!」

「ふしんしゃ起きた~!」

「ふしんしゃだ~ふしんしゃだ~」


狭い部屋の中で反響する子供達の大合唱に、再び脳を揺さぶられてカナタの体から力が抜ける。


(なんなんだよ。ったく)


鼓膜の中で響く子供たちの声に脱力しつつ、首だけを動かして部屋の中を観察する。

四方を木の板で囲まれた小さな部屋。

天井の広さからおよそ6畳程の間取りであると把握する。

ファイロンとの死闘の後、迎える2度目の見知らぬ景色からの始まり。

記憶にある最後の景色と違って多少は文明の匂いのする室内に少しだけ安堵する。


「あ”~酷い夢を見た」


異世界で化け物相手に大立ち回りする夢なんて初めて見た。

しかもやけにリアルで相当に痛い思いや苦しい思いもして、正直本当に死ぬかと思った。


(いや~、でも流石にファンタジーはないよな。うん。ないない)


先程まで見ていた夢の内容を思い出し、その現実離れっぷりに首を左右に振るカナタ。

とはいえ今いるここが見知らぬ場所である事に変わりはない。


「まずは現状の確認だな」


とりあえずここがどこだか確かめようと思い、軽く首を起こす。

だが、体の上の子供たちが邪魔で起き上がる事が出来ない。

子供達はこちらの迷惑など気にする様子もなく以前、カナタの体の上に陣取っている。


「おい、ジャリ共。いい加減邪魔だからさっさとどけよ」


少し威圧感を込めた口調で、体の上に陣取った子供達にそう告げると、

子供達は互いの顔を見合った後、カナタの顔を見て悪戯な笑みを返す。

直感的に嫌な予感がした。

こういった場合、子供というのは得てして大人の言う事を聞かないものだ。

案の定、彼らはカナタの声に耳を傾けるどころか、先ほど以上にはしゃぎ始める。


「ふしんしゃがおこった~」

「おこった~おこった~」


カナタの体の上で、子供達は叫び声を上げながらドタバタと走り回る。

相手は子供とはいえ、推定体重30キロ以上。

そんな生き物が縦横無尽に体の上を駆け回れば、足や腹を加減なく踏まれるので結構痛い。

しかも体の上からどこうとしない子供たちのせいでカナタは上体を起こす事もできない。

どうしようかと考えている間にも子供が容赦なくカナタの腹や足を踏みつける。


(いってぇ!クソッ!こうなりゃ力づくで)


子供達ごと布団を跳ね飛ばそうかと腹筋に力を込めた時、

部屋にたった一つ取り付けられた扉の向こうからドタドタと騒がしい音が響く。

何事かと様子を窺うべく、首を少し浮かせたところで、

部屋の隅に設置された扉が、バンッと勢いよく開かれる。

やがて開かれた扉の向こうから、黒と白の修道服と思しき服を纏った人物が現れる。


「うるさいよあんたたち!ちょっとは静かにしな!」

「シスターがおこったぁああ!」

「わぁ~!逃げろ~」


現れるなり迫力満点の怒鳴り声で子供達を叱りつける女性。

見た目的には年齢が40代か50代といった感じの恰幅のいい中年女性。

怒気を含んで発せられた彼女の一言に、子供たちがクモの子を散らした様に次々に部屋から逃げ出す。

廊下に出た子供達の足音が次第に部屋から遠ざかっていく。

やがて周囲が静かになったところで、ようやく子供達から解放されたカナタが上半身を起こす。


「だっはぁ~。覚えてろよ~あのガキ共。後で吐く程泣かす」

「ハッハハ!起きて早々その減らず口が叩けるんなら、心配はなさそうだねぇ」


カナタの言葉にシスターと呼ばれた修道服の女性が陽気な顔で笑う。

北米圏に住まう人種に似た顔つきをしたシスターと呼ばれた女性。

その流暢な日本語にカナタもつい軽口で返す。


「そいつはドーモ」


満足に言葉も通じなかった夢の出来事を思い返すと、

言語によるコミュニケーションの重要性を痛感せずにはいられない。

喜びに思わず綻んでしまいそうになる口元を引き締め、目の前の女性に尋ねる。


「シスター・・・でいいのかな?」

「ああ、皆そう呼んでるよ!おまえさんは?」

「オレ?俺は静寂 彼方<シジマ カナタ>てんだ。よろしくシスター」

「へぇ~、そうかい。見かけによらずいいトコの出なんだねアンタ」

「ん?」


何か今シスターが非常に気にかかる事を言った気がしたが、とりあえずそれは後回しにする。

そんな事よりも優先すべきことが今のカナタにはある。

出会って早々に不躾ではあるが、カナタは自身の疑問を口にする。


「シスター。ここはどこの町なんだ?」

「ハハハッ、何を言い出すかと思えば、ここは町なんて呼べる程栄えちゃいないよ」

「そうなのか?」


作戦前のブリーフィングで周辺の航空写真や地図を確認したが、

その時にあの山奥のテロリスト拠点の付近に村はなかったはずだ。


(という事はどこか知らない場所に俺1人だけ運ばれたという事か?)


どうにも答えが出ない思考に没頭するカナタに、シスターが話を続ける。


「そういえば、あんた自分が運ばれてきた事を知らなかったんだね」

「運ばれた?どういう事だい?」


やはり自分は誰かによってこの場所に運び込まれたらしい。

より詳しい情報を引き出そうと、カナタがシスターの方へと身を乗り出す。


「ここはカラムク領内でも辺境にあるヘソン村だよ」

「・・・は?」

「ん?どうかしたかい」


訝しむシスターの前で、カナタは相手の放った言葉に脳が一時思考を停止する。

2人の間で何か重大な情報の齟齬が発生しているのは間違いない。

勉強は左程得意ではないのだが、カナタの日本地理に関する知識の中に、

「からむく」とか「へそん」なんて名前の地名は日本にはなかった気がする。


(いや、きっと俺が知らないだけで実はあったりするじゃないか?『唐剥』とか『辺孫』とかなんか中国っぽい感じの地名とかがきっとどこかに!そうだ。そうに違いない!北海道にはニセコなんて地名だってあるんだし)


今、突き付けられようとしている現実から全力で目を逸らすそうとするカナタ。

何せそれを認める事は、ある意味自分の置かれた状況が最悪である事を意味する。


(ある訳ない。そんな事ある訳ない!)


何度も自分にそう言い聞かせるカナタ。

だが、現実は非常にもカナタの下へ確実に歩みを進める。

先程シスターが歩いてきた廊下の方から、木の板を踏む微かな音が聞こえる。

シスターの時と違って、ゆっくりとした足音が徐々に近づき、部屋の前で止まると、

部屋の入り口から1人の少女が部屋の中を覗き込む。


流れる様な長い金髪と宝石の様に美しい碧眼を持つ整った顔立ち。

それは紛れもなくカナタにとって最後の記憶にある、あの大蛇から救った可憐な少女だった。


 (ノォォォオオオオオオオオオオオオオッ!!!)


少女の姿を視界に収めたカナタは、喜ぶよりも先に、

自分のかぶった布団の上に突っ伏して心の中で絶叫する。

あまりの現実の非情さにカナタの心は白旗をあげて全面降伏するしかなかった。


(結局異世界じゃねぇかあああああああああ!)


微かな望みが潰え、1人悲嘆にくれるカナタを心配そうに見つめる少女が、シスターに尋ねる。


「シスター。彼が目を覚ましたと聞いたのですが・・・何かあったんですか?」

「ああ、さっき目は覚ましたんだが・・・。なんか今一気にダメになったみたいだねぇ」

「えっ?」


シスターの言葉の意味が分からず。少女が可愛らしく小首を傾げる。

恐る恐る少女が部屋の中に入ると、布団の上でカナタが突っ伏して何かブツブツと呟いている。


「・・・・・ぶつぶつ・・・・・いや、なんかそんな予感はしてたんだよね~。左肩いてぇし右手包帯巻かれてるしさ~。でもさ~希望持っていたいじゃん。俺だって普通の人間だよ。化け物と戦ったのだって成り行きでさ~。俺は確かに真人間じゃなくて悪人だよ。死んだら地獄行確定ってぐらいの悪だよ。だからってあんまりじゃね?もうちょっと優しくないと俺死ぬよ?いや割とマジでさ。死ぬような訓練積んでも死ぬときは死ぬんだよ?・・・・ぶつぶつ・・・・」


まるで呪詛を唱えるように延々と独り言を呟くカナタの姿、そのあまりの異様さに少女も言葉を失う。

完全に自分の世界に閉じこもったカナタに、シスターはやれやれとため息をつくと、

どこから取り出したのか手にフライパンを握りしめ、それを躊躇なくカナタの頭上に振り下ろす。

直後、ゴインッと硬質な金属特有の鈍い音が部屋の中で反響する。


「~~~~~っ!」

「さっさと戻っておいで。まったく」


頭を抑えて目の端に涙を浮かべるカナタを尻目に、シスターが冷めた視線を向ける。

それからカナタが落ち着くまで少しの時間を置いた後、ようやくカナタは少女と向かい合う。

まだ、少し痛む頭をさすりながら少女を見詰めるカナタにシスターが少女を紹介する。


「この娘とお仲間があんたをここまで運んだんだ。感謝しなよ」

「はぁ、そうなんだ」

「いえ、本当に助けられたのは私の方で・・・」


シスターの言葉を両手前に突き出して全力で否定する少女。

彼女の可愛らしい仕草に、カナタのささくれだった気持ちが穏やかな波間の様に平穏なものへと変わる。

そんなカナタの内心を見抜いた様にシスターが横から軽口を挟む。


「いいんだよ。この小僧バカっぽいから恩の一つでも売っとけばホイホイ言う事聞くって」

「おい、聞こえてんぞクソババア」


折角の少女からの高評価を貶めようとするシスターにカナタがドスをきかせて威嚇する、

が、まるで動じる事無く、むしろ反撃の言葉を口にするシスター。


「誰がババァだってこのクソガキ。どうやら今夜の寝床がいらないと見えるねぇ」

「シスターマジサイコー」


瞬きする暇もない程の厚い掌返しをするカナタ。

ケガの事もあるが、まるで何も分からないこの状況で外に放り出されるなど溜まったもんじゃない。

プライドをあっさり捨ててシスターの前に全面降伏するカナタ。

そんな情けない彼の姿にシスターが呆れた表情を浮かべる。


「・・・まったく、調子のいい男だねまったく」

「褒めるなよ。金ならないぞ」

「そんな事、期待なんてしちゃいないよ」

「フッフフフ」


軽口でやりあう2人の姿に、少女が可笑しくなって笑い出す。

笑顔を浮かべた少女の顔を見て、ああ、この娘はこんな笑顔をするんだなと、カナタはどこか暖かな気持ちになる。

そうして少女はひとしきり笑った後、一つ咳払いをして姿勢を正す。

先程の笑う姿も可愛かったが、この凛とした雰囲気も悪くない。


「先日は私達が危ないところを助けていただきありがとうございました」


そう言って恭しくカナタに礼を告げる少女に、カナタはどこか居心地の悪さを感じる。

生まれてこれまでの人生で人に恨まれる事はあっても、人に感謝された事などほとんどない。

正面から向けられる感謝の心。慣れない感覚に気恥ずかしくなって顔を背ける。


「まっまぁ、どうってことないですよ」

「フフッ。そうですか」


照れ隠しに素っ気なく答えるカナタに少女が柔らかな笑顔を向ける。

その笑顔の可憐さに脳が麻痺し、思わず顔が熱くなる。


(うわ~、俺ってば今女の子とまともに会話してるよ)


これまた今までの人生になかった展開に興奮を覚えるカナタ。

だが、その時ふと今までの一連の会話の流れに違和感を覚える。

何かとてつもなく重大なことを見落としているような感覚。


(何だ?俺は一体何を忘れている?)


ここが地球でないことはもう認めたし、もうこれ以上の疑問はないはず。

確かに自分は知識も金も持たず言葉も分からない。まさに無い事尽くし。

今後の生活の事を考えれば正直な話、頭が痛いくらいだ。


(はぁ、せめてもうちょいコミュニ―ションが普通にとれればな・・・って、あれ?)


自分の思考に没頭していたカナタだったが、

突如、胸の中に浮かんだ疑問。その答えを求めてシスターと少女を交互に見る。

カナタの視線に気づいた2人がその眼差しを向けてくる。


「なんだいさっきから人の顔をジロジロと」

「まだどこかお加減が悪いところが?」

「いや、そうじゃなくて・・・あっ!」


そこでハタと気付く。今自分が2人と普通に会話をしていることに。

自分としては最初から普通に会話をしているつもりだった。

それは、当初カナタがシスターの事を日本在住の外国人だと思い込んでいたからだ。

現代日本において外国人など珍しくもないし、日本生まれのハーフだって随分と増えた。

事実、カナタの身の回りは日本人より外国人の方が多かった。

それに日本に長く住んでれば日本語も流暢なはずだと思っていたからだ。


だが、少女の方は別だ。実際に彼女と出会った時、まるでお互いの会話は成立しなかった。

持っている言語情報が根本的に違うのだからそれは仕方がない。

それなのに今、自分はどちらとも普通に会話をしている。

相手の言っている事が分かるし、相手も自分の言葉を理解している。


(何がどうなってんだ。・・・まるで訳が分からん!)


狐につままれたような顔をしたカナタを2人が心配そうに覗き込む。


「どうしたんだい?具合でも悪いのか?」

「大丈夫ですか?」


頭の中でまとまらない考えから、1人百面相をするカナタを2人が心配そうに見守る。

2人の視線に気づいて、下を向いていたカナタは顔を上げる。


「ああ、わりぃ。なんでもない」


とりあえず原因は不明だが、言葉が通じるならば好都合。

どうせ考えたってわからないと早々に匙を投げ捨てる。

むしろ心配事の一つが消えてなくなった事をポジティブに受け止める事にした。

そうして落ち着きを取り戻した様子のカナタに少女が改まった様子で彼を見る。


「そういえばご挨拶がまだでしたね」


そう言って少女はカナタの傍に立つと、纏った白の修道着の上から自身の胸に両手を添えて一礼する。


「レメネン聖教会の16聖女が1人。レティス・レネートと申します」

「ご丁寧にどうも。俺は静寂 彼方<シジマ カナタ>。カナタと呼んでくれ」


少女の行儀の良い挨拶に併せて、カナタも自身の知り得る礼儀を総動員して頭を下げる。

礼儀というものにあまり縁がない為、お行儀よくするのはどうも苦手である。

ぎこちない動きをするカナタにシスターが可笑しそうに口元を抑えて笑う。

笑われるのは少し癪だが、これで彼女の名前を知る事が出来たのでひとまず良しとする。


「カナタ様とおっしゃるんですね」

「様なんてよしてくれ。ただのカナタでいいよ」

「そうですか。ですがカナタさんは貴族の方なんですよね?」

「へ?」


また会話の流れがおかしい。

今の会話のどこにカナタが貴族と呼ばれる要素があったのか分からない。

誰か今の状況を説明するか解説書でも出してくれないかなと本気で思う。

が、この事態は次に現れた人物によって解決する。


「聖女様。よろしいですか?」


いつの間にか部屋の出入り口に現れた1人の男が、開かれた扉をノックして部屋の中を窺う。

短い金髪に青い双眸に凛々しい顔立ちの青年。

カナタも見知った顔だ。先日の戦いで大蛇と戦っていた兵士のリーダー格の男。

男の言葉にレティスが振り返って笑顔で応じる。


「ええ、構いませんよ。リシッド隊長」

「ありがとうございます」


リシッドと呼ばれた3人目の来客は、室内に踏み入るなりカナタへとその視線を向ける。

シスターやレティスの様な好意的なものとは違い、明らかにカナタへの警戒の色が見て取れる。


「フンッ。目覚めた様だな」

「オカゲサマデ」


相手が向けてくる敵意にも似た視線に、カナタも気のない返事で返す。

顔を合わせるなり険悪な様子の2人にシスターとレティスが苦笑いを浮かべる。

レティスの隣まで歩いてきたリシッドが憮然とした態度で名乗る。


「リシッド・フォーバルだ」

「シジマ カナタ」

「カナタ?聞いた事のない家名だな」

「はぁ?家名?何言ってんのおまえ?」


訳の分からない事を言う相手を鼻で笑った後、同意を得るべくシスターとレティスを交互に見る。

だが、2人の表情はリシッドの言葉に疑問を持っている様子はない。

むしろカナタがどう答えるかに興味がある風にさえ見える。


(あれ?もしかして俺なんかマズった?)


じっとりとした汗が身に着けた肌着の下を伝う。

今のやり取りで、さらにリシッドのカナタに対する警戒心が強まっているのを肌で感じる。

腰に下げた長剣の柄に手を伸ばすリシッドが声を荒げる。


「まさか貴族でもないのに家名を名乗っているのか貴様?平民が家名を名乗るのは重罪だぞ!」

「いや、あの・・・その・・・えっと」


リシッドの剣幕にカナタは動揺してうまく答えられない。

尋問や拷問の対策として訓練は受けている為、恫喝等に怯むことはないが、こういった状況は想定外だ。

駆け引きをするにも、そもそも相手と自分の情報量が違うし、そもそも常識が違いすぎる。

困惑してしどろもどろになるカナタにレティスが助け舟を出す。


「カナタさんはもしかして外国の方ですか?」

「そっそう。ソレソレ!」


差し出された救いの手に、目の前に餌をブラ下げられた犬の様に節操なく飛びつく。

カナタの答えにリシッドは納得がする様子はなく。長剣を握った手に力がこもる。


「他国だと?貴様どこの国の間者だ!」

「なんでそうなんだよ!」

「平民が家名を名乗ってよい国など、このガノン王国周辺にはない!」

「えっ!そうなの?」


リシッドによって告げられた新事実にカナタは衝撃を受ける。

どうやら少女からの救いだと思って飛びついた船は泥船だったらしい。

再び窮地に陥ったカナタの恨めし気な視線に、レティスが申し訳なさそうに目を伏せる。


「言え!事と次第によってはこの場デッツ!!」


カナタに詰め寄るリシッドの言葉が突如おかしな音に変わる。

見れば、先程カナタも後頭部に頂戴したフライパンが、リシッドの後頭部に振り下ろされていた。

カナタを見下ろしていたリシッドがあまりの痛みに頭を押さえてしゃがみ込む。


(うわーっいったそ~。でもい~い気味。ザマーミロ)


シスターにフライパンで殴られ涙目になるリシッドの姿に、カナタは心の中でほくそ笑む。

一方、殴られたリシッドの方は納得がいかない様で、痛む頭をさすりながらシスターの方を見上げる。


「なっ、何をなさるんですシスター」

「いい加減におしよ、この堅物。仮にも命の恩人だろう?」

「でっ、ですが!」

「それにここは教会の敷地。いわば聖域。刃傷沙汰は御免だよ」

「ぬぐっ・・・」


シスターの言葉に何も言い返せず黙り込むリシッド。

本来の地位はともかくとして、どうやらこの場で一番偉いのはシスターの様だ。


「流石、亀の甲より年の功だな」

「何か言ったかい?」

「イイエナニモ」

「まったく・・・。とにかくいいかい!ここで揉め事起こすんなら出て行ってもらうからね!」

「ハーイ」

「・・・はい」


陽気に答えるカナタと不承不承といった様子で応じるリシッド。

再び向かい合った2人の視線が交わる。


「チッ」

「ハッ」


ワザとらしく舌打ちをするリシッド。それをカナタが一笑に付す。

直後、2人の脳天に再度黒い調理器具が振り下ろされる。


「「~~~~~~~~っ!!!」」

「まったくこの小僧共は・・・」

「あはははは」


頭を抱えて悶絶する二人を見下ろし、やれやれと手に持ったフライパンを下げるシスター。

そんなやりとりにレティスが乾いた笑みを浮かべる。



それからまたしばらくして、ようやく頭の痛みが引いた2人は、間にシスターを挟んで三度向き合う。

長い沈黙の後、今度はカナタの方から話を振る。


「家名ってなんだよ?」

「そんな事も知らんのか」

「悪いかよ」

「・・・ハァ。まるで子供以下だな」


馬鹿にした様に言葉を吐くリシッドに、シスターの鋭い視線が突き刺さる。

不本意極まりないがリシッドは溜息と共に口を開く。


「このガノン王国が国王ガノン18世陛下と二十貴族会で成り立っているのは知っているな?」

「知らん」

『・・・』


一考の余地もなく即答したカナタの言葉に、その場の空気が凍り付く。

流石にこの返しはシスターとレティスも予想していなかったらしく言葉が出ない。

王国民どころか周辺国の人間ですら誰もが知っている一般常識だ。

冗談でもなしにそんな事を言うような人間を彼らは今まで見たことが無い。

3人のリアクションにバツの悪そうな表情を浮かべるカナタはこの空気を払うべく先を促す。


「いいから続けろよ」

「全然よくはないが・・・・まあその話は後だ。ともかく王と共に国家を支える二十貴族にはそれぞれ家名が与えられている」

「ほぉ」

「この家名はかつて王国建国に際して活躍した20人の英雄の名が由来となっており、その血を継ぐ者だけが二十貴族会になる権利を持ち、その系譜に連なる者だけが家名を名乗る事を許されている」

「へぇ~。じゃあ平民が名乗るとどうなんだ?」

「良くて20年の投獄か国外追放。家名を使って悪事を働けば即死罪だ」

「なるほど~」


リシッドの説明にカナタが感嘆の声を上げ大きく頷く。

対するリシッドの顔は馬鹿な子供見るような目をカナタに向ける。


(なんなんだこいつは。こんな事は幼子でも知っている)


この国に生まれた者が一番最初に耳にする物語が王と二十英雄の物語。

それを知らないなんて事がありえるのかと信じられないリシッド。

もはやカナタに対する不信感も薄れてきている。

というのも他国の間者にしてはあまりにも無知に過ぎている。

だからといってこれが演技でないとも言い切れないので判断に困る。

そこへ一緒に話を聞いていたレティスが口を挟む。


「リシッド隊長も二十貴族会の候補で、フォーバル家の跡取りなんですよ」

「えっ!このイケ好かない野郎が?」

「・・・・喧嘩売ってるなら買ってやろうか」

「やってみろよ」


途端にこめかみに青筋を浮かべて睨み合うアホが2人。

火花が散らし合う視線の間で、シスターが咳払いを一つをする。

2人の体がビクッと跳ねて互いにぶつけあっていた視線を逸らす。

目を逸らしながらカナタは今得た情報を頭の中で整理する。


現代の日本人であれば姓と名がその人物を指す名前だが。

この世界、というよりこの国においては姓という考えは存在しない。

平民は名だけを持ち、貴族は名と家名を自身を示す。

そこでふと沸いた疑問をぶつける。


「じゃあレティスも貴族なのか?」

「様をつけろ様を。まったく本当に何も知らないんだな」

「ソウナンデチュー。オチエテクダチャイテンテー」

「・・・絶対ぶっ飛ばす」


明らかに馬鹿にした口調で話すカナタにリシッドの拳が怒りにワナワナと震える。

だが、その拳を突き出すよりも早くシスターのフライパンが固い金属音を上げてカナタの頭をシバく。

布団の上に顔を埋めたカナタが悶絶する姿は見ていて実に気分がいい。

5分程苦悶にあえいだカナタがようやく頭を上げる。


「スイマセンデシタ。続きをお願いします」

「はぁっ・・・。聖女様の『レネート』は家名でなく教会が与えた称号。しかも大変名誉ある称号だ」

「へぇ~。レティス様って偉いんだな」

「いえ、私なんて」


照れて赤面するレティスに思わずカナタ頬が緩む。

その小動物のような愛らしさと先日見た艶めかしい肢体が重なり思わず体が熱くなる。

カナタの向ける視線に不穏なものを感じたリシッドが鋭い視線を飛ばす。


「我々は彼女の護衛だ。彼女に手を出したらどうなるか分かってるな」

「ハイハイ。分かってますって貴族様」

「・・・・チッ」

「ハンッ」


互いに手を出さないまでも嫌悪感を隠そうともせず牽制しあう二人。

そんな2人の様子にレティスとシスターは溜息をつく。


「なんで仲良く出来ないのかねぇ」

「「コイツが嫌いだから」」

「フフッ」


声を揃えて互いを指さすカナタとリシッド。

ぴったりと息の合った返しをする2人があまりに可笑しくて思わずレティスが笑う。

思わぬ所で呼吸が合ってしまった2人は忌々し気に互いを睨む。


「マネするな」

「そりゃこっちのセリフだ」

「もういいから話を進めな。疲れるから」

「「むぅ」」


確かにこれ以上やっても不毛なだけだと自身を納得させるカナタ。

向こうも同じだったらしくそれ以上噛みついてこない。

カナタは話題を変えるべく一度リシッドからシスターへ向く。


「ちなみにシスターは名前がシスター?」

「違うよ。私らは生涯教会に身をささげた人間だから皆シスターさ」

「じゃ、結婚できないんだ」

「まぁ、そういう事さね」

「レティス様も?」

「えっ!」


突如、話を振られたレティスがあわあわと取り乱す。

その姿は見ているだけでカナタの心は癒される。


「いえ、私は・・・まだ、そのぅ・・・お付き合いもした事がなくて」

「そなんだ」

「聖女を名乗る者はその処女性が求められるからな」

「"処女"・・・だとっ!」


リシッドが何気なく放った一言にカナタの目がカッと見開かれる。

そのキーワードは思春期全開の若者が昂るには十分すぎる破壊力を持っていた。

鼻息を荒くするカナタの前でレティスが茹でたタコのように真っ赤になっている。

そんな彼の様子にやれやれとリシッドが肩を竦めて見せる。


「聖教会の聖女だぞ。お前みたいな無知の平民に手が届くわけがあるまい」

「犯って・・じゃなかった。やってみなけりゃ分からんだろ」

「おまえ今何言おうとした」

「ベツニナニモ」

「・・・こいつ」


リシッドが少女の貞操の危険を感じて思わず腰の剣に手を伸ばす。

止めに入ると思われたシスターまで腕組みしてカナタをジト目で見ている。

レティスの貞操よりも先に自分の命が消える危機に直感したカナタが両手を広げて無害をアピールする。


「ワタシナニモシナイ」

「・・・シスター。今夜見張りに来てもいいですか?」

「そうだね。ついでにこの小僧の両手足を縄できつく縛っておこうか」

「ご無体なっ!」


非難の声を上げるカナタを無視して3人が今夜の相談をし始める。

その時、廊下の方から新たな来客を告げる音が響く。

しかも今度は団体さんらしく大小様々な足音が入り乱れている。


「今度はなんだ?」

「ああ、子供らが知らせに行ったんだね」

「何を?」


訝し気な表情を浮かべるカナタにシスターがニヤリと笑う。


「決まってんだろ。&quot;魔獣狩りの英雄”の目覚めをさ」

「・・・へ?」


直後、扉の向こうからなだれ込んできたのは人、人、人。

大人に子供に老人に男に女。その中には先日対峙したリシッドの部下の姿もあった。


「危険な魔獣を倒してくれたんだって!すげぇなにいちゃん!」

「ありがとう英雄さ~ん!」

「尊敬するであります!」

「ふしんしゃーっ!」

「これでこの村は安心だ~」

「キャーッ!握手して~」

「ウチの薬を使ってくれ~!いい宣伝になる」

「どんな魔法を使ったんだ!教えてくれ~」


雪崩込んだ人々は口々に感謝の言葉やらを好き勝手に叫ぶ。

ベッドの上で半身だけを起こしていたカナタはあっという間にもみくちゃにされて悲鳴をあげる。


「うわーっ!なんだこれ!やめろ!触んな!つーか誰だガキに不審者って教えたヤツ~!」

「フンッ。おまえなんぞ不審者で十分だろ」


微かに聞こえた声に視線を向けると壁際でレティスと共に傍観を決め込むリシッドの姿。

人の波に呑まれる中、リシッドの顔が邪悪な笑みを浮かべた。

周りの音にかき消されて聞き取れなかったがその口の動きだけは確かに読み取った。


「ザ ・ マ ・ ア ・ ミ ・ ロ」


リシッドの口の動きをトレースして言葉を口にし、その意味を理解する。

直後湧き上がってくる感情のままにカナタが最後の叫び声を上げる。



「リシッドォオオオオオ。お前だけはあとで絶対にぶっころ・・・・ぎゃあああああああああああああああああああああああ」



カナタの最後の断末魔は押し寄せる人々に掻き消されて虚空に散った。


6話目にして初の非戦闘回となります。

楽しんでいただけるといいんですが・・・。


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