第54話 人斬リ異邦人
リシッドが最初に違和感に気付いたのは、部屋の中にいた給仕の妙な動きだった。
思ったより長かったマルコフの話もようやく終わりが見えたので、話し合いの間ずっと手を付けられずに冷めてしまった茶を淹れ直してもらおうと給仕の方を見た。
リシッドの視線の先では、給仕の中年女性がソワソワと落ち着きなく視線を彷徨わせていた。
「ん?」
そのあまりの落ち着きのなさが気になって声を掛けようとした時、こちらの視線に気づいた給仕は、慌てた様子で部屋を出て行った。
「急にどうしたんだろうか?」
給仕の行動を不審に思いながらリシッドはテーブルの上のティーカップに手を伸ばす。
マルコフの長話ですっかり冷めてしまったカップの中の液体を覗き込み、リシッドは小さく息を吐く。
(どうせなら温かい内に飲みたかったな)
今更それを言っても仕方がないと自分に言い聞かせ、せめて話過ぎて乾いた口の中を潤そうとカップの淵に口を付ける。
ゆっくりと温くなった液体が口の中に流れ込み、舌に触れる。
瞬間、茶の味の中に含まれた違和感に気付き、テーブルの上のフキンを取ってすぐに吐き出す。
「つっ!これはっ!」
「おや、お口に会いませんでしたか?それとも味が悪くなっておりましたかな?」
何やら腑に落ちない様子でマルコフはテーブルの上のカップに手を伸ばすと、手に取ったカップの中身を不思議そうに眺める。
「ふむ、おかしいですね。冷めても美味い茶葉を使ってるはずなのですが・・・」
「ダメだ!口を付けるな!」
味を確かめようとカップを口元に運ぼうとするマルコフに向かってリシッドは声を張り上げ、その動きを制止する。
あまりの剣幕に圧されたマルコフは思わず手に持ったカップを取り落とし、落下したカップは無残に砕け散る。
割れた器から漏れ出た琥珀色の液体が絨毯の上に広がり大きなシミを作る。
「なんですか急に大きな声を出してあまり驚かさないで頂きたい。ああああ、ユーステス領の職人に特注で作らせたティーカップとカラムク北部から取り寄せた絨毯が!」
自慢のカップと絨毯を襲った悲劇に目に見えて落胆の色を見せるマルコフ。
そんな彼に向かってリシッドは更に追い打ちとなる言葉を口にする。
「毒だ」
「へ?」
「その茶には毒が盛られている」
「・・・なんですと!」
一瞬リシッドが何を言っているか分からなかったマルコフだが、毒という言葉を脳が理解した途端、その顔が一気に蒼白に染まる。
先程までの勢いがなくなり、力のない目で足元の染みを見下ろすマルコフの前でリシッドは服の袖で自身の湿った口元を拭う。
(まさか子供の頃のアレがこんな形で役に立つ時が来るとは思わなかったな)
子供の頃から古い貴族のしきたりとしてリシッドは少しずつ毒を飲まされてきた。
なんでも今の貴族制度が構築されるより以前のガノン王国内では貴族同士、身内同士で地位や領地を巡って殺し合った暗い歴史があり、中には親兄弟にまで毒を盛って権利を奪いあったという話まである。
その頃の悪しき名残りとでも言うのだろうか、二十貴族会の子息は身を守る為に一番最初に剣術と耐毒を身に付けさせられるのが決まりとなっている。
剣術を身に着けるにはある程度の才と長い時間を掛けた鍛錬が必要だが、耐毒はある程度時間さえ掛ければ身に着けるのは比較的簡単だ。
致死量に届かない量を毎日少しずつ摂取し続ければいい。
そうすれば後は体が勝手に毒に対する免疫をつけていき少しずつ耐毒は身につく。
もっともあくまで耐毒であり毒に対する抵抗力と致死量の底上げにしか過ぎない。
しかもこの方法の簡単ではあるがリスクがない訳ではない。
摂取する毒の量を間違えば、地獄の苦しみを味わうか、最悪そのまま命を落とす。
実際、子供の頃には飲まされる量の僅かな違いで何度か数日眠れないほどの苦しい思いをした事もあったが、おかげ毒物には強くなり僅かな味でどういった毒が含まれているかも分かるようになった。
そうした文字通りの苦い体験から今回、リシッドの舌は僅かな味の違いから茶に含まれる毒を暴いた。
(味は薄いが僅かに舌先に微かに残る痺れる様な感じ、確か時間差で効果を発揮するタイプの麻痺毒。しかもこの種類の毒物は少量でも相当に効く。茶一杯に混ざった僅かな量でも時間が経てば歩く事が出来なくなる程に全身の機能を麻痺させる事が出来る代物。しかも分量次第では心肺機能を停止させてそのまま死に至らしめる事も出来たはずだ)
幸いリシッドが口に含んだ量も少量であり、すぐに吐き出した。
僅かに飲み込んだりもしたが、先にも述べた通り耐性のあるリシッドには大して効果はない。
「ワシ達に毒を盛るなど、一体誰がその様な真似を」
「それは恐らく・・・」
怯えた目で問いかけてきたマルコフに、リシッドは先程、給仕が出て行った部屋の扉へと視線を向ける。
あの給仕の落ち着きの無さと目があった時の反応を考えれば、彼女が何か知っていると見てまず間違いないだろう。
(今すぐ追いかけて問い詰める必要があるな)
先程からどうにも落ち着かない。何かとても嫌な予感がする。
焦燥感に駆られてリシッドが椅子から立ち上がったその時、屋敷の廊下を駆けてリシッド達のいる部屋に近付く複数の気配。
(近付いてくる足音から数えて相手はざっと20人。しかもこの床を踏み込む足音は屋敷の者ではない。何かしら鍛錬を積んだ者特有の足運びに、狙ったかのようなタイミング。これは・・・)
頭の中で兵士としての知識、経験と現在の状況とを照らし合わせたリシッドは、腰の左右に下げた剣を素早く抜いて身構える。
一方、近付いてくる得体の知れない足音にマルコフが怯えた目で扉を見る。
「なっ、なんだ?この足音は、用心棒共は何をやっているんだ!」
「マルコフ殿、危ないから私の後ろに!」
マルコフを背に庇う様にして扉に向かって立つリシッド。
扉の前まで押し寄せた足音が部屋の前で止む。
僅かな静寂の後、目の前の扉が勢いよく開け放たれる。
開いた扉の向こうから一斉に雪崩れ込んできたのは見知らぬ賊と思しき一団。
無作法に押し入った彼等は、部屋の真ん中で武器を構えるリシッドとその背に隠れたマルコフを見るなり、口々にボヤキ始める。
「おい、どういう事だよ。2人共ピンピンしてんじゃねえか」
「薬で動けなくなってるって話じゃなかったのか?」
「本当だ。さてはあの女しくじりやがったな」
長い布を巻きつけて顔を隠した賊共だが、その布の上からでも落胆の色は滲ませる。
同時に迂闊な彼等の発言から、やはり毒を盛ったのはあの給仕だった事が判明する。
この者達は彼女と示し合わせ、ここに乗り込んできた様だ。
となってくると気になるのは相手の目的だ。
(コイツ等は何が狙いだ。普通に考えれば商会主であるマルコフの資産目当てと見るべきだろうが、これだけ派手にやっては逃げるのも容易ではないぞ)
相手の風貌はどう見ても野盗や山賊のソレだから金銭目当てと考えるのが妥当だ。
だが、それでは先程の相手の語った内容に疑問が残る。
目の前の連中は確かに2人共と言った。
マルコフだけを狙うなら、リシッドの存在は邪魔でしかない事は馬鹿でも分かる。
しかも屋敷に内通者がいるならば主の行動だってある程度把握できたはずだ。
それにも関わらず敢えてリシッドがいるこのタイミングを狙ってくるのは明らかにおかしい。
しかもおかしいのはそれだけではない。顔を隠した連中の唯一晒されている部分である目がリシッドに対し強い警戒心を宿している。
まるでリシッドがどの程度の力量であるかあらかじめ知っているかのようだ。
(もし、俺達がこの屋敷にいるのを知った上で仕掛けてきたのならば狙いは!)
今得た情報を元に再び思考を巡らせたリシッドが導き出した答え。
相手の考えに思い至ったリシッドは目を見開き、眼前の敵を鋭く睨み付ける。
「おまえ達、今すぐ道を開けろ」
ドスの利いた低く威圧感の篭った声が室内に響く。
先程マルコフを止めた時とは比べ物にならない怒気に満ちた声に、マルコフと賊共が一瞬声も出せない程に身を竦ませる。
賊共に至っては事前に知らされていた情報と目の前のリシッドの迫力に圧され早くも戦意を喪失しかけている。
「おっ、おい、どうするんだよ」
「どうするも何もやるしかねえだろ」
「ふざけんなよ!相手は王国の精鋭部隊だぞ」
「だったらお前が先に行けよ」
「無理。アイツ絶対強いぞ」
ビビッて尻込みした挙句、終いには仲間内で揉め出す始末。
このまま戦わずに治められるのではないかという甘い期待が頭を覗かせるが、そんな淡い期待も彼らの後ろから現れた人物によって一瞬で掻き消える。
「まったくだらしのねえ連中だ。何を今更ビビってんだか・・・。それに引き換え、いいねえお前さんの威勢の良さ。惚れ惚れする」
動揺する賊共を押しのけて1人の男が悠然と前に進み出る。
賊に混じっていながら唯一、顔を隠していないその男は身の丈程もある長鞘を肩に鼻歌交じりに歩を進め、一団の先頭に立つ。
男の容姿は短い黒髪と一目見て堅気でないと分かる程に凶悪な目つきをし、加えて顔中に負った無数の傷痕がその恐ろしさを際立たせており、その顔が男の潜り抜けてきた修羅場の数を想起させる。
敵の中で一番の強者は間違いなくこの者だと確信したリシッドは臆する事無く目の前の男に言い放つ。
「貴様、邪魔をするな。そこをどけ!」
「いや~、そいつは出来ない相談だ。何せこっちはアンタ等を斬る様に言われてるんでな。でないとおまんまの食い上げだ」
リシッドの言葉に対し、物騒極まりない言葉を平然と返す男。
見た目だけでなく雰囲気まで周りの者とは一線を画す存在。
周りの者が弱いのか、それともこの男が強すぎるのか、1人だけ突出しているせいで異質さが際立ち視線が釘付けになる。
(マズイな。この男、相当の手練れだ)
自分と同等かそれ以上の力量を持つ相手を前に、リシッドの背中を冷たい汗が伝う。
相手の力量を推し量ったリシッドは剣を握る指の力を込める。
それに呼応して男の方も自分の力量を見抜いたらしく警戒を強めるリシッドに、はどこか嬉しそうに目を細める。
「良かったぜ。麻痺して動けない相手を斬るってのはどうも気が乗らなかったんだ。しかもおまえ結構強いんだろ?顔見れば分かるぜ」
言って男は口の端をゆっくり吊り上げて邪悪な笑みを作る。
その笑顔はどう見てもまっとうな人間の作る表情ではない。
「どうせ人を斬るなら強い奴を斬った方がおもしろいからな。カカカッ!」
ギラリと目を光らせる男、その目にリシッドはいつか見た危険なものを感じる。
この目の光には覚えがある。昔、王都の牢に赴いた時に見た凶悪犯の目と同質のものがそこにあった。
(どうする。この男1人相手でも相当に厄介なのに、他も同時に相手にするとなると俺1人では流石に厳しい。何とかここを脱してサロネ達と合流するか)
必死にこの場をどうやって潜り抜けるか考えを巡らせるリシッドの後ろで、マルコフが男の方を指さして大声を上げる。
「貴様はグリニのヤツが雇っていた用心棒のヨルキとかいうヤツ。何故貴様がそいつ等と一緒にいる!ワシが雇った他の連中はどうした?何がどうなっている!」
「どうだと言われてもねえ。見たまんまだとしか言いようがない。ああ、他の連中の事なら心配するな。金をチラつかせたら大体こっちに寝返った」
「なんだと!グリニのヤツは!ヤツはこの事を知っているのか!」
「さあて、どうだったか?」
ヨルキと呼ばれた男の言葉にマルコフは驚きと共に唇を噛む。
頭の中で一番最悪のケースを思い描いたのだろう。みるみるその顔が赤く、憤怒の色に染まっていく。
流石に情報を漏らしすぎていると思ったのか、一部の者がヨルキに耳打ちする。
「ヨルキの旦那。それ以上はちょっと・・・」
「おっと、俺とした事がつい口が滑っちまった」
反省を述べながらも悪びれた風でもなくケラケラと笑うヨルキに周囲の者が呆れた様な空気を醸しだす。
だがリシッドは踏み込めない。こうして会話している間も隙だらけに見えて全く隙がない。何とも食えない男だ。
攻め込めずにいるリシッドの隣ではマルコフがワナワナと震えている。
「ヤツめ、このワシを排除するつもりか!ここまで育ててやった恩を忘れてこのワシを!!」
「おいおい、まだそうと決まったわけじゃないだろ。そんなに気になるなら後でグリニに聞いてみるといい。もっとも、それはこの場を無事に生き抜けたならの話になるがな」
「ヌヌヌヌヌッ!」
ヨルキの言葉で再度現実を突き付けられたマルコフは歯噛みし、頼りなさそうにリシッドの背中に視線を送る。
マルコフも商売柄武器を取り扱っているので、ある程度強い者の弱い者の区別がつく。彼から見てリシッドは十分に強者だと言えるが、それと同じか、それ以上にヨルキも強い。しかも運よくヨルキに勝てたとしても敵はまだ多い。
マルコフの考えが正しければ恐らくこの屋敷に踏み込んでいるのは目の前にいる者達だけではないはずだ。
商人ならば必ず失敗した時の予備、失敗しない為の保険を用意しているはずだ。
この計画にグリニが関わっているならばそうする。その様に育てたのだから。
「おのれ!おのれ!グリニの奴め!あれ程目を掛けてやったのにワシにこの様な仕打ちをするとは許せん!もし、ここで死ぬような事になったなら絶対に報復してくれる!呪い殺してくれる!」
最早、生きて報復する事は困難と半ば自暴自棄になるマルコフ。
そんな彼に向かってリシッドが檄を飛ばす。
「しっかりしろマルコフ殿、少し落ち着け。その件を考えるのは後だ」
「しかしリシッド様。これでは・・・」
諦めに瞳の色を濁らせるマルコフとは対照的に、リシッドの目はまだ光を失ってはいない。それどころか煌々と燃え滾る炎が見える。
「心配するな。ここに居合わせた以上は必ずアナタも助けて見せる。だから、生き残りたいのなら今は俺の言うとおりにするんだ!」
「は、はひっ!」
「コイツ等の相手は俺がする。アナタはひとまずそこテーブルを盾にして部屋の隅に隠れていてください」
マルコフは頷くとリシッドの指示に従いテーブルをひっくり返す。
傾いたテーブルの上を茶器が滑り落ちて、絨毯の上に次々と落ちて割れる。
割れた茶器が高級品であるのは言うまでもないが、そんな事を気にしている余裕はマルコフにはない。
横倒しになった高そうなテーブルを転がし部屋の隅へと移動する。
テーブルは丈夫な質の良い木材で出来ており、安物の武器ではその分厚い天板を斬る事も容易でないだろう。
(奴らの武器に対してはあのテーブルは十分盾の代わりになるはずだ。問題はあのヨルキとかいう男の武器。アレは駄目だ。アレがハッタリでなく見た目通りの武器ならば、奴はあの程度の天板など容易く斬ってのけるだろう)
やはり最大の障害となるのは目の前に立つヨルキという男。
逃げるにしろ攻めるにしろこの男をどうにかしないとならない。
仲間がいれば目の前の男が相手だろうと負ける気はしないが、今はその仲間もおらず代わりに足手まといが1人。
いけ好かない男ではあるが彼もまた守るべき民だ。見捨てる事は出来ない。
そんなこちらの動きを黙って見守っていた男達が薄ら笑いを浮かべる。
「へへっ、流石は王国の兵士様。なんともお優しい事だな」
「こっちにはヨルキの旦那もいるんだぞ。貴様1人で相手になるものか」
「お前等うるさいぞ。ちょっと黙ってろよ」
身勝手にはしゃぐその他大勢に呆れた様にヨルキが呟く。
「こっちとしては別にマルコフのおっさんを斬るのは後でも構わないんだ。むしろ俺個人としちゃ、そこの兄ちゃんが逃げずに戦ってくれる方が戦う力のないおっさんを斬るよりもずっとおもしろそうだしな」
「しかし!」
「黙ってろって言ったろう。それともお前が代わりに斬られるか?」
「滅相もない!」
音がしそうなくらい首を左右に振って否定する下っ端を見て、これで戦いに集中できるとヨルキは満足そうに頷く。
改めてこちらを見るヨルキに、リシッドも双剣を構え直して対峙する。
「始まる前に1つ聞きたいが、おまえは何者だ?」
「俺か?俺は・・・・・まあなんだっていいじゃねえかよ」
「そうか。なら墓に刻むのは名前だけでいいな」
リシッドが放った言葉にヨルキは一瞬目を丸くする。
何せ状況はヨルキ達が圧倒的に優勢。それはリシッドとて分かっている筈だ。
にも関わらずこれほどの啖呵を切って見せたのだから驚きもする。
腹の底から沸々と可笑しさがこみ上げてきたヨルキが思わず笑い声を上げる。
「カカカカカッ、やっぱいいねアンタ。気に入った!質問に答えるからそっちの名前も教えてくれよ」
「こちらの素性はバレていると思ってたんだが?」
「ああ、そうだな。俺の雇い主連中はきっと知ってるだろうが、俺は是非アンタの口から聞きたいね。その方が風情がある」
これから殺し殺される間柄に風情も何もあったものではないとは思うが、とはいえこれで少しは時間稼ぎが出来るとリシッドはヨルキの言葉に乗る。
「賊の方から名乗りを求められるのも妙な気分だが・・・。俺の名はリシッド・フォーバル。ガノン王国、二十貴族会が1人。カナード・フォーバルの息子だ」
「ふむふむ、リシッド・フォーバルね。覚えた覚えた」
本当かと問い返したくなる様な曖昧なリアクションに一抹の不安を覚えたが、突っ込んでもいい事はなさそうなので聞き流す事にする。
「なら今度はこっちの番だな。いつもならこういうのには付き合わないんだが今回は特別だ。と言っても名前以外特に人に話す事もない身の上なんだがな」
「いいから聞かせろ」
「そう急ぐなって、それじゃ改めて名乗るんだが、俺の名はヨルキ・エンシュ。ここガノンより北西、大陸中部にあるコクヨウって国から来た。酒と女と人殺しの大好きなただの外道。ただの人斬りだ」
何食わぬ顔でサラッと自己紹介を済ませるヨルキだったが、彼の話を聞いたリシッドや他の賊共は予想の斜め上を行くヨルキの話に完全にフリーズする。
無理もない。それ程にヨルキの語った内容は彼等の知る常識から外れていた。
「コクヨウだと、そんな国の名は聞いた事もないぞ。それにエンシュというのは家名か?家名を名乗るという事は、おまえ貴族なのか?」
「はあ?いやいやまさか。・・・ってそうか。ガノンだと貴族しか家名とか名乗らないんだったな。忘れてた」
「どういう事だ?」
「どうと言われても困る。俺の生まれた国、コクヨウや中部の国々じゃ平民も家名を持っているのが普通だからあまり気にしてなかった。何せ家名を持ってないのは奴隷ぐらいだからな」
「なっ!」
その言葉にリシッドの全身を上から下に衝撃が駆け抜けた。
(平民までが家名を名乗ってよい国が本当にあるというのか。しかも大陸の中部ではそれが当たり前だなど、そんな馬鹿な!)
ありえない事だ。こちらを混乱させようとデタラメな事を言っているだけだ。
そう自分に言い聞かせようとした時、カナタと初めて会話した時のやりとりが脳裏を過ぎる。
(シジマ・カナタ。奴は最初にそう名乗っていた。だとするならばあのバカも、カナタも大陸中部から来た人間なのか?)
だとするならば、ガノン王国の事についてあれ程に無知だったのも頷けるし、不用意に家名を名乗ったのも家名を持つのが当たり前の国から来たのなら納得できる。
しかし、果たして本当にそれが正解なのだろうか?
カナタの知識の無さは王国の事に限ったものだけではなかった。
それにカナタがリシッド達と出会ったカラムク領は大陸の南西部に位置しており、中部から国境を越えてきたにしては遠すぎるし、何も知らずに辿りつけるとも思えない。
思わず考えに没頭しそうになるリシッドの前で、ヨルキが肩に担いでいた長鞘を片手で持ち上げ、その先端をリシッドへと向ける。
「もういいだろう。そろそろ始めようぜリシッドさんよ」
「待て!まだおまえには聞きたい事が・・・」
「嫌だね。おまえさんに付き合って口上は済ませた。これより先がどうしても聞きたいっていうんなら力尽くで聞きだしてみな」
「クッ!」
相手にこれ以上会話に応じる気がないと分かったリシッドは、質問を諦めて戦闘態勢を取る。
「そうだ。それでいい。おう、お前等も早く部屋の外に出ろよ。でないと死ぬぞ」
ヨルキに促された下っ端共が困惑した様子で顔を見合わせる。
「しかし、コイツには5、6人掛かりで当たれと・・・」
「ああん?知るかよそんなの。ま、出ていかないならそれでもいいが、見ての通り俺の得物は長いからよ。巻き込まれて死んでも知らねえぞ」
ヨルキの言葉を聞いて震え上がった賊共は我先にと部屋の外へと逃げ出す。
計らずも1対1の状況になり、僅かながら状況が好転する。
そんなリシッドの思いを知ってか、ヨルキが不敵な笑みを浮かべる。
「これで邪魔者はいなくなったな」
「・・・礼は言わないぞ」
「別に構わねえよ。代わりにアンタの命を貰うからな!」
その言葉を合図に、ヨウドは長鞘に入ったままの得物を僅かに引くと、片手の腕力だけで鋭い突きを繰り出す。
「っ!?」
不意を突くように繰り出された打突を、咄嗟に体の位置をズラして躱す。
なんとか相手の初手を避けるリシッドの目の前を長鞘だけが背後に向かって流れる様に抜けていく。
代わりに鞘から解き放たれた2m近い長さを持つ両刃の長剣が目の前に残り、その刀身を晒す。
「楽しい殺し合いの始まりだ。頼むからあんまり簡単に死んでくれるなよな!」
言うが早いか、ヨルキは前に突き出した長剣の柄を両手で掴むと、頭上に持ち上げ大きく旋回させる。
それだけの動作で部屋の中に置いてある高そうな壺や絵画といった調度品をもろともに切り裂きガラクタに変える。
散らばる高級品の残骸を無視して、さらに回転を加速させ長剣に勢いを付けたヨルキは、リシッド目掛けて長剣を真横に振り抜く。
事前動作からその軌道を読み切ったリシッドは横っ飛びで剣の描く円の外側へと逃げる。
直後、リシッドが立っていた位置をゴウッという音を立てて刃が通り抜け、空振りした剣の先端が部屋の壁に激突し、壁面を大きく削り取る。
(なんて一撃だ。この男、獣人すら目じゃない程に強い。少なくとも剣でまともにに打ち合ってはこちらに勝ち目はないぞ)
予想通り。いや、それ以上のパワーとスピードで繰り出された一撃にリシッドは思わず舌を巻く。
床の上で一回転し、体勢を立て直したリシッドはすぐにヨルキの方に視線を戻す。
剣を振り抜いたヨルキはというと、壁にぶつかって止まった長剣を引くと、リシッドを正面に据えて剣を構えなおす。
「初手への反応も悪くない。流石だな」
「悪党相手に褒められてもあまり嬉しくはないんだがな」
相手の賞賛に皮肉を述べながらリシッドは考えを巡らせる。
ヨルキはかなりの重量があると思われる長剣に振り回される事無く使いこなしている。
自分と体格的にそう大差ないヨルキの体の一体どこにこれだけの力があるのか、敵でなければどんな鍛錬を積んでいるか是非聞きたいぐらいだ。
(世の中は広いな。これ程の相手が野に潜んでいようとは)
この旅に出るまで自分の知る限り強者は王国騎士ぐらいしかいなかった。
恐らく王国内のほとんどの兵士がリシッドと同じ程度の認識だろう。
しかし、カナタと出会ってからというものリシッドの前にはこうして強者が次々に姿を現す様になった。
おかげでリシッドの中にあった厳しい訓練を潜り抜けて作り上げた精鋭としてのプライドは随分と傷だらけになった。
(まったく。これ以上自信を無くす様な相手に会いたくはないんだがな)
心の中でボヤキながらリシッドは相手の動きに意識を集中する。
目の前の男がどれ程の強者であろうと生き残る為にこの男を倒すか、退ける以外に道はない。
「いいね。やっぱ殺し合いはこうでなくっちゃな」
「生憎、俺には分からないな」
「ああ、そうかい!」
ヨルキは前に一歩踏み出すと今度はリシッドの頭目掛けて剣を振り抜く。
腰を落としてその一撃をやり過ごしたリシッドは、すかさず前に踏み込む。
しかし相手のリーチが長い分、相手の懐までが遠い。
距離を詰めるリシッドを視界に収めたまま、ヨルキが一歩後ろに下がる。
その遠のいた一歩分の間合いがヨルキに二撃目を繰り出す時間を生み出す。
振り抜いた長剣の軌道が変化し、上を向いた刃が天井を切り裂きリシッドの頭上目掛けて斜めに振り下ろされる。
「オウラァッ!」
初撃よりもさらに早い一撃がリシッドを捉える。
双剣を重ね合わせてガードするが、威力を受けきれずにリシッドの体は部屋の端まで吹っ飛ばされる。
「くぅっ!」
壁際に追いやられたリシッドが、体に残った衝撃に苦悶の表情を浮かべる。
そこへさらにヨウキが追撃をかけるべく突っ込んでくる。
「もう一丁だ!」
プロ野球選手顔負けのスイングで繰り出された長剣。
だが、その刃はリシッドの体を捉える事無く壁面に叩きこまれる。
「おっ!」
「調子に乗るな!」
驚きの声を上げるヨルキの前で、咄嗟に壁を蹴って長剣を飛び越えたリシッドが右手に持った剣を繰り出す。
咄嗟に避けようとするヨルキの頬を鋭い刃が走り、鮮血が溢れだす。
(チッ、浅いか!)
内心で舌打ちをするリシッドの前でヨルキは自身の血で染まった頬を撫でる。
「ヘヘヘッ、盛り上がってきたじゃないか。こうなりゃとことんまで付き合ってもらうぜリシッド・フォーバル」
人を斬る事に飢えた悪鬼の刃がリシッドに牙を剥く。
今回はリシッド回です。
そして新しい敵登場に新情報。
波乱含みのこの話、まだまだ続きます




