第36話 鍛冶職人ノ一分
薄暗く、湿った洞穴の奥深くに作られた牢の前。
やや面長の顔に薄眼に開いた細い目をした男が不機嫌そうに立っていた。
男の名はシムーチェ。イシマの町で纏め役にして武器屋を経営する男。
彼の視線の先には、少し錆びて鉄臭い匂いを放つ鉄格子。
その向こう側には屈強そうな3人の男と、簡素な椅子の上で鎖に繋がれた男が1人。
初老に差し掛かり頭髪に白い物が混じり始めたこの男こそが鍛冶職人のコクタク。
「いい加減意地を張るのはやめませんかコクタクさん。私だって本当はこんな事したくないんですよ」
心底残念そうな口調で語るシムーチェの言葉に、鎖に繋がれたコクタクが薄く笑う。
「だったらサッサと俺を解放しろよ若旦那。今ならゲンコツ3発ぐらいで勘弁してやるからよぉ」
「・・・やれ」
感情の抜け落ちた冷たい言葉に従って、コクタクの脇に立っていた男がコクタクの顔面を殴りつける。
男の一撃を受けたコクタクの体が椅子の背もたれにぶつかって大きく反り返る。
反動に耐え切れずに倒れそうになる椅子を、背後の男が力づくで抑えつける。
「ぐっうぅう。にいちゃん中々いいパンチ持ってるじゃないか。そこのアホの所辞めてウチの工房に来いよ。いい職人になれるぜ」
「チッ!減らず口を」
コクタクの挑発に、男が苛立ち任せにもう一発顔面を殴りつける。
折れた歯が血と一緒に口から飛び出して床に転がる。
今度の一撃はかなり効いたらしくコクタクが力なく椅子の背もたれに寄りかかる。
「あまり余計な口をきかない方が身の為ですよコクタクさん。今は私の指示でこの程度で済ませていますが、彼らは人を壊す事を生き甲斐にしている様な者達。うっかり大事な腕を壊してしまいかねません」
「うぅうう。そういう忠告はもっと早くしてくれねぇか。危うく死んだ母ちゃんのところに行く所だったぜ」
深手を負いながらも態度を崩さないコクタクに、シムーチェは再び舌打ちをする。
(頑固な男だ。ここまでやっても首を縦に振らないとはな)
今まで何人もの職人達をこのやり方で従わせてきた。
大抵の職人はここまでやれば音を上げ、泣いて許しを請うか、その前に死んだ。
それに対してこのコクタクという男、見た目以上に体が頑丈な上に、意思の方も鋼の様に固い。
(どこまでも気に入らない男だが、私の名を上げる為にはなんとしてもこの男の力が必要だ)
王家に纏わる献上品を納める際の王国のしきたりで、制作物を献上する際には製作者本人が王都へ赴き、直接収める必要がある。
故に贋物を作って持たせた所で、職人本人が自分の作った物でないと言ってしまえばそれまでだし、代理を立てて誤魔化す事も不可能。
だから面倒な手間を掛けてまでしつこく勧誘という方法を取ってきたのだが、
納品の期日を考えると、時間の猶予はあまり残されていない。
(なんとかして従わせようと思って最後の手段に訴えてはみましたが、よもやこれでも通用しないとは計算外でした)
ここまでやれば他の職人と同じ様に言う事を聞かせられると踏んでいたのに、考えが甘かった。
(これはマズイですね。非常にマズイ)
今更ながら強硬手段に出た事をシムーチェは後悔し始めていた。
このままコクタクを従わせられなかった場合、自分達は破滅するかもしれない。
期日までにコクタクを従わせられなかった場合、王国からコクタクの下へ納品の遅れについて追及が及ぶ事になるのは必定。
そうなった場合、コクタクの口からシムーチェや司祭の事が王の耳に入る可能性は非常に高い。
そこからさらに追及の手が伸びた場合、今まで行った数々の悪事も洗いざらい白日の下に晒されてシムーチェは極刑に処される事になるだろう。
(ならばどうする。コクタクを殺すか?)
コクタク1人を口封じに殺す事は出来る。
だがそれではダメなのだ。納品の日にコクタクが現れないだけでも王国側が不審に思って、コクタク捜索の為にイシマにやってくる事は容易に想像できる。
王国の介入を許してしまえば、結局、町の誰かから今回の話が露見する可能性が非常に高い。
何せシムーチェの手下が彼を連れ去る所は町で多くの者に目撃されているのだから。
(攫った奴らを口封じに殺すにしてもリスクが大きい)
そんな事をすれば自分が囲っている他の傭兵達からも信用を失い、裏切りに走る者が現れるかもしれない。
あくまで金銭と悪事で結びついた関係。
その繋がりの薄さはシムーチェ自身が一番よく理解している。
(クソッ!頑固者め!何とかしてこの男を従わせなければ私は破滅だ)
内心の焦りが表に出ない様に取り繕いながら必死に考えを巡らせるシムーチェ。
今日まで大抵の事は自分の思い通りに物事を進めてきた彼にとって人生最大の窮地にかつてないほど焦る。
そもそもシムーチェがイシマの町に来たのは今から8年前の事。
以前は他の町でヤクザ者とつるんでアコギな商売をしていたが、ヤクザ者に一味が下手を打って捕まったのを機に1人立ち。
当時縁のあった商会の伝手を辿ってこの町で店を出す事になった。
しかし、そこでシムーチェを待っていたのは厳しい現実。
イシマは職人の町であり、客の多くは優れた武具を求めて集まった者達ばかり。
優れた職人を抱えておらず、品質も並程度のシムーチェの店はすぐに経営に行き詰まった。
そこで彼が考えたのは金と暴力を使って余所の店や工房から職人を引き抜く事だった。
幸いにも以前の町を出る際に何人かのヤクザ者達を自分の店で雇っていた為、暴力で職人達を捻じ伏せる事は簡単にできた。
そうやって職人達を次々と自分の下へと取り込む事で、次第に彼の店は軌道に乗り始める。
資金に余裕が出来始めた頃から、抱え込んだ職人達の待遇を向上させて飴と鞭の構図を作り上げて店を安定させた。
そこから後は金と暴力を使い分けてイシマの町でのし上がり、町の代表になるまで上り詰めた。
(まだだ、私はこんな所で終わったりはしない。私ならば今以上に富も名声も手に入れられるはずなんだ)
弱気になりそうな心を叱咤し、シムーチェがコクタクを睨み付ける。
こんな武器を作る意外能がないだけの男に等負けはしないと強く自分に言い聞かせる。
そんな彼の内心を察してか、ボコボコに腫れ上がった瞼の下でコクタクの目が笑う。
「どうしたぁ若旦那。さっきから顔色が悪いぜ」
「コクタクさんの方は随分と殴られたと言うのに元気そうですね」
「鍛冶職人ってのは頑丈さが取り柄なんだよ。アンタもイシマの男なら覚えとけよ若旦那」
「・・・ここまでやって折れなかったのはアナタだけですよ」
そう言ってシムーチェはコクタクを見つめ返す。
傷だらけで、意識を保っているのだって辛い筈なのに、コクタクの目の光は衰えない。
その光の理由が気になってシムーチェは心の中の疑問を言葉に変える。
「何故そこまで意固地になるんです。私の下に付けば、こんな痛い思いをする事もなかった。それどころか今までよりずっといい暮らしを送る事だって出来ると言うのに」
「ヘッ!こちとら金の為だけに職人やってんじゃねえんだよ」
「では何の為にやっているんです?」
「言ってもいいが、きっとあんたにゃ分からんと思うぜ若旦那」
「ほぅ。それは何故です?」
コクタクの語る内容に強い興味を惹かれてシムーチェが身を乗り出す。
その目は自分の為ならどんな卑怯な事も辞さない悪党としてのものではなく。
1人の商人としての興味に満ちていた。
自分を痛めつけた相手だが、コクタクは目の前の男の思いに答える様に先の言葉を続ける。
「アンタの店は確かにこのイシマの町でも一番の店だ。でもそれは職人が作った物を売る商売人としての成果であって鍛冶職人としての実績じゃない。アンタは職人ってのを分かってないからだ」
「ふむ、それについては否定はしません。でしたら後学の為にも一応聞かせてもらえますか?理由」
この質問事態に深い理由などありはしない。
答えを聞いたからと言って拷問に手心を加えたりするつもりもない。
だから相手に答える理由はないのだが、コクタクは潔く答える。
「他の奴らも同じかは知らんが、自分が最高だと思える傑作を俺自身の手でこの世に生み出す為だな」
「・・・確かに、それは私には分からない感覚ですね。アナタの言うように私は職人ではなく商人ですから」
これで話は終わりだとシムーチェは、牢の中の男達に視線で合図を送る。
指示に従って動き出した男達の手にはいつの間にか鉄の棍棒が握られていた。
「くれぐれも殺すなよ。後、両腕には傷をつけるな。足を狙え」
シムーチェの言葉に従って男達が手にした棍棒を振り上げる。
そうして再びただ苦痛を与えるだけの時間が始まる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
一方その頃、カナタはというと既に採掘場内への潜入を果たしていた。
「にしても動きづらいなぁ」
着慣れない全身鎧に苦戦しながら、目立たない様に慎重に行動する。
動くたびにガチャガチャと音が鳴るので非常に落ち着かない。
正直、今の状況で見つかった場合、格下相手でも負ける自信がある。
それ程までに今身に着けている鎧は重く、動きづらかった。
(こんなの着て戦うなんて馬鹿としか言いようがないんだが)
もしかしたらこれが安物だから動きづらいと言う可能性もあるが、
それを言っても何の意味もないので口にはしない。
(とりあえず、さっき聞いた持ち場の範囲内でなんとか司祭を捕まえる必要があるな)
勝手に持ち場を離れても問題ないのは先程、この鎧の持ち主と皮鎧の男の会話で判明している。
ただ、洞穴の内部に入れるのは件の商人。シムーチェ許しを得たものだけだ。
「さてと、どう動こうかな」
司祭は採掘場内にあるログハウスに入ってからまだ表に出てきていない。
「ひとまず今のうちに少しでも近づいておくか」
なるだけ歩き回っている他の傭兵達の目に留まらない様注意深く動く。
慎重になりすぎて歩き方などがぎこちなくならない様にあくまで自然体を装いつつ進む。
(あ~チキショー。このヘルム視野が狭すぎるんだよ)
ブラインドの様に視界を遮る鋼鉄の横線。
おかげで周辺の様子を窺うのも一苦労である。
「あん?おまえこんなとこで何やってんだ?」
他の傭兵の近くを通りかかった瞬間、急に声を掛けられる。
(やべっ!)
内心で若干の動揺をしながら、どう取り繕うか超速で思考する。
「相棒は一緒じゃないのかよ」
「アイボウハイマトイレニイッテイル」
「そうか。ところでおまえってそんな喋り方だったっけ?」
「アア、チョットカゼギミデナ」
そんな言われるほど喋り方変かなと思いながら取り繕う。
相手の方は少し疑うような目でヘルムの向こうからカナタの事を凝視する。
「もしかしておまえ・・・」
「ナンダヨ」
「虫歯か?ったく気を付けろよ。俺達の商売はなんだかんだで歯が命だからな」
何言ってんだコイツ。もしかして馬鹿なのか。
そんな事を思いつつ折角なので相手の勘違いに乗っかっておく事にする。
「アッ、アアソウダナ。ドウモアサカライタミガヒドクテナ」
「町に戻ったらいい医者紹介してやるよ」
「スマナイ。タスカル」
「へっ、いいって事よ」
照れくさそうに男は言うと、軽く手をかざして離れていった。
去り際に歯を労われよと言われたが、ぶっちゃけどうでもいい。
(はぁ~、なんかドッと疲れた)
大した会話もしてないのに脱力感が凄い。
そもそも昔からこういった任務はカナタの苦手とするところだった。
とはいえ何とかこの場は乗り切る事が出来たと胸を撫でおろす。
(しかし、この調子で声を掛けられ続けたらいずれはバレる。急がないと)
先程よりも一層周囲への警戒を強め、極力人の気配がある場所に近付かないようにする。
そうやって歩き続けた結果、誰にも鉢合わせる事無くログハウスの近くまでやってくる。
「しんどい。この鎧そろそろ脱いでいいかな~」
小さく独り言を呟きながらログハウス傍にある小屋の影へと身を隠す。
そこは採掘場内のどの角度から見ても死角になるようになっており、一息つくには絶好のポジションだった。
「さてと、後はどうやって司祭の野郎をとっ捕まえるかだな」
鎧を纏っていない状態であれば造作も無い事だが、
流石にこれを一度脱いでもう一度着なおすのは手間がかかりすぎる。
「こうしてても始まらないし、まずは建物の中に入ってみるか」
良くも悪くも即断即決、考えるよりも行動と、カナタは行動を再開する。
何気ない風を装ってログハウスの前方へと回り込み、ゆっくりと建物の入り口に向かって近づいていく。
2階建てのログハウスの入り口、ドアの両脇には門番と思しき男が2人、何やら退屈そうにしている。
不真面目な態度の2人を見ながら徐々に入口へと近付く。
(このままイケるか?どうだ?)
早まる鼓動の音がヘルムの中で反響しているのではないかと思える程、自分の心臓の音が五月蠅く聞こえる。
ヘルムの向こう側、相手の視線がこちらを向く。
「おい」
(っ!?)
急に呼び止められた事で、カナタの心臓が大きく跳ねる。
バレたのかと思いながら相手の方へと向き直る。
「ナンダ?」
「何か食える物を持ってないか?小腹が空いてよ」
「イヤ、アイニクモッテナイナ」
「そうか。ならいい」
それだけ言うと興味を失ったのか男はこちらから視線を外す。
もう一方の男は最初からこちらに興味がないらしく空を見上げながら何やらブツブツと呟いている。
「へへへ。見ろよ夜空に乳のデカイ女が見えるぜ」
(何言ってんのコイツ。怖っ!)
危ない薬でもやっているのか、完全に目がイっている。
関わり合いになる前にとっとと退散した方がいいという本能の声に従ってカナタは男を無視して進む。
(それにしてもなんというザル警備。地球だったら即解雇だな)
とはいえ、おかげで楽に潜入できるのだから文句はない。
飾り同然の門番2人の間を抜けてドアを開く。
扉を押して中に入ると、広いリビングに人相の悪い5人の男。
入ってきたカナタに気付くなり、男達は一斉にこちらを振り返る。
一瞬の静寂の後、すぐに興味を失ったのか集まった視線はすぐに部屋のあちこちに散った。
(表に居る奴らよりもコイツ等の方が腕は立ちそうだな)
外にいる気の抜けた男達とは違ってこちらは纏っている空気その物が違う。
幾つもの修羅場を潜ってきた者しか纏う事の出来ないものだ。
(実力でいえば以前のリシッド達と同等か一枚落ちってところかな)
今の鎧を纏った状況で戦えば絶対に勝てない相手だ。
彼らの関心が向かぬように静かに部屋の中を移動する。
それでもいざ戦いとなった時の為に、僅かな隙間から彼らの様子を窺う。
「司祭の野郎はどうした?」
「上でリーダーと話をしてる」
「あの欲深ジジイ。リーダーに色目使うとか馬鹿じゃねえの」
「ハンッ!聖職者が聞いてあきれるぜ」
「よせよ。あんなのでも一応大事な客だ」
彼らから見えない様、リビングを出て廊下の影へと移動。
息を潜め男達の会話に耳を傾ける。
どうやら話を聞く限り悪党一派の間でも司祭の評判はあまりよくないらしく。
次から次へと司祭の悪口が飛び出す。
やれスケベだの、やれ金に汚いだのという話で盛り上がる男達。
(もうちょっと中身のある話をしろよ馬鹿共)
連れ去られた人質の居場所の情報等が出ないかと期待したのだが、
さっきから出るのは司祭に対する悪口しか出てこない。
このまま待っていても欲しい情報が手に入る事はなさそうだ。
(もういいや、2階に上がって司祭に接触しよう)
彼らの話から2階のどこかにいる事は分かった。
後は2階に上がって自分で探せばいい。
方向性が決まったところで視線を隅々に走らせて階段を探す。
(階段は・・・あった。アレか)
廊下の奥、突き当りに見える上階への階段を発見して移動するカナタ。
談笑を続ける男達に不審がられない様に落ち着いて歩を進める。
(司祭を見つけたらどうしよう。一緒にいるリーダーってのが厄介だな)
男達の話から察するにリーダー格は女の様だが、彼らを従えている事からもかなりの腕利きと見て間違いなさそうだ。
(出来れば戦闘は避けたいな。絶対勝ち目ないし)
どう対処するべきかと考えながら廊下を進み、一つの部屋の前に差し掛かった時だった。
「そこにいるのは誰」
「っ!?」
突如扉の向こう側から声を掛けられてカナタは部屋の前で足を止める。
カナタが扉の前で立ち止まっていると、目の前の部屋の扉が開く。
中から現れたのは露出の多い皮の鎧で身を包んだ長い茶髪の女。
見た目年齢的には20代前半といったところだろうか。
(思ってたよりもずっと若いな。それに美人だ)
下の階に居る男達の力量から考えて、もっとゴリラみたいな厳ついのを想像していたのだが、
目の前の女は、少女の様なあどけなさを残しながらも大人の色気を兼ね備えていた。
「おまえは外の見回りの・・・。こんな所で何をやっている」
美しい顔に似合わない鋭い眼光をカナタへと向ける女。
こんな所にいるはずのない相手に強い警戒の色を見せる。
その時、女の背後、扉の向こう側から声が掛かる。
「バネッサさん。どうかしましたか?」
年老いた男の声、恐らく司祭だろう。
バネッサと呼ばれた女と違い、こちらは警戒どころかすっかり気の抜けきった声音をしている。
背後からの声に、バネッサは不快気に表情を歪め、部屋に向かって言葉を返す。
「何でもない。司祭殿はそこで少し待っていろ」
「そんな事を言わずにもっと私と話をしましょうよ」
司祭はよっぽどこのバネッサという女に入れ込んでいるのか、甘える様な口調で語り掛けてくる。
還暦越えた老人の猫撫で声なんて耳にするだけでも鳥肌が立つ。
あまりの不気味さにカナタは身震いしながらも、現状をなんとかするべく咄嗟に浮かんだ言葉を口にする。
「あの、シムーチェさんが司祭様を呼んでこいと」
「シムーチェさんが?用件は?」
「例の鍛冶屋の事だそうですが、それ以上は・・・」
「そうか。分かった」
咄嗟に浮かんだウソだったが、どうやらうまくいったらしい。
バネッサは少し思案した後、室内にいる司祭に向かって声を掛ける。
「話は終わりだ司祭。雇用主が呼んでいる」
「はぁ、仕方がありませんね」
渋々と言った様子の司祭の声が室内からした後、少しして白い法衣の老人が部屋から姿を現す。
「シムーチェは仕事は出来るがこういった場面で気が利かないのが悪い所だ。そうは思いませんかバネッサさん」
「さあね」
バネッサにべったりと寄り添う司祭に、ウンザリといった様子でバネッサが釣れない言葉を返す。
だが、そんな冷たい態度にも司祭は恍惚とした表情を浮かべている。
(うわ~変態だ。変態がいるよ)
司祭と呼ばれ多くの信徒から称えられてきた男の真の姿を目の当たりにし、心の底からドン引きするカナタ。
ヘルムの奥の感情を読み取ったのか、バネッサは不機嫌そうに歩き出す。
その後ろに付き従うように司祭が続く。
この姿をレメネン教の信者が見たらどう思うだろう。
そんな事を考えながらカナタは2人の後に続いて歩き出す。
1階に降り、リビングに差し掛かったところでバネッサの部下達がこちらを向く。
「おや、お出かけですかリーダー」
「ああ、シムーチェが呼んでるらしいから少し出てくる」
「お供は要りますか?」
「どうせすぐ済む。おまえ達はここで待っていろ」
「了~解」
バネッサの言葉に従う男達を見て予想が確信に変わる。
やはりこのバネッサという女が、この場で一番の実力者と思って間違いなさそうだ。
ログハウスを出るバネッサと司祭に続いてカナタも建物の外へ出る。
採掘場内を足早に先へと進んでいくバネッサとその後に続く司祭。
周囲からは呆れや侮蔑の視線が向けられているが司祭がそれを気にする素振りはない。
(周囲の目があってもおかまいなしとか、いよいよもって終わってんなこのジジイ)
こんな男を司祭にまで祭り上げた者達の見る目の無さに他人事ながら思わず溜息が漏れる。
そうこうしている間に、バネッサが一つの洞穴の中へと入っていく。
迷う事無く司祭もそれに続いて洞穴の中へと足を踏み入れる。
どうやらここにターゲットが囚われていると見て良さそうだ。
「前にも言ったがこの中はかなり入り組んでいる。私からはぐれるなよ」
「ええ、分かっていますよバネッサさん」
ただの確認事項を自分を心配しての発言と勘違いした司祭は小躍りしそうなほど舞い上がる。
本人は楽しいからそれでいいかもしれないが、還暦過ぎのジジイが人目も憚らずに燥ぐ姿を見せられる若者達は溜まったもんじゃない。
(うわ~何これ。キッツイわ~)
別にカナタは歳の差恋愛等を否定したりするタイプの人間ではない。
だが、それと目の前の男の気持ち悪さを嫌悪する気持ちは別だ。
自分より2回り以上歳の離れた女性に入れ込み、クネクネと身を捩る老人の姿は見ているだけでも実に不快なものだ。
ヘルムの下で複雑な表情を浮かべるカナタは、彼らの後に続いて洞穴の中に入る。
洞穴の中は外から見た時の印象と違って、まるでアリの巣の様に入り組んでいた。
採掘であちこち掘りまくった結果なのだろうが、おかげで迷路の様な有様。
暗い洞穴の中、いくつかの明かり。町などに使われているグノース石の光だ。
(明かりはあるが、別に順路通りに配置されているという訳ではないみたいだな)
明かりの設置箇所を確認しながら洞窟の中を進む。
洞穴の中は思った程よりも広かったが、代わりに敵の姿はなく。
前を歩くバネッサ以外に警戒すべきものはない様だ。
(そろそろ始めるか)
周囲に敵の姿がない事を確認した所で、カナタは行動を開始する。
「スイマセン。スコシモヨオシテキタノデサキニイッテテクダサイ」
「・・・分かった」
カナタの言葉にバネッサはそれだけ言って先へと進む。
司祭はというとサッサとどこかへ行けと言わんばかりに一瞥をくれるとバネッサへと視線を戻す。
2人の姿が闇の向こうへと遠ざかるのを確認し、カナタは物陰に身を隠す。
「ふぅ、とりあえずここまでは順調かな」
ヘルムを外して闇の中に向かって呟くカナタ。
身に纏った重たい鎧を大きな音を立てない様静かに外していく。
一通りを身に着けていた鎧を外し、片手剣だけを足元から拾い上げる。
「さてと・・・んじゃ、行きますか」
身軽になったカナタはそう言ってバネッサ達の向かった洞窟の奥へと移動を再開する。
先を歩いていたバネッサは先程感じた微かな違和感が気になっていた。
「さっきの男、あんな喋り方だったか?それにいつもと声が違った様な・・・」
そもそも何故あの男が自分達の事を呼びに来たのかが分からない。
この拠点の防衛に雇った傭兵達とは一通り顔合わせを済ませてあり、
大体の配置は彼女の頭の中に入っている。
彼は確か採掘場内の見張り担当だったはずだが、何故そんな彼が使いに出されたんか。
(連絡役を他の者と変わったのか?確かにヤツの相棒はだらしない感じだったが・・・)
考えれば考える程、不信感が募り、胸の奥がざわつく。
今まで何度か経験した、何か悪い事が起こる時の感覚に似ている。
「司祭。先程の男、何か変じゃなかったか?」
「さあ、私は特に何も感じませんでしたが」
バネッサの質問に司祭は嬉しさと不満の混じった複雑な顔で答える。
そもそも傭兵嫌いの彼にとってバネッサ以外は虫同然なのでまともに見ている訳もない。
完全に聞く相手を間違えたと思いながらバネッサは思考を再開する。
一方の司祭は、自分以外の事を考えている事が不満らしく何やら苦言を呈する。
「あの様な下等な者の事等気に留めなさるなバネッサ殿。所詮は争う事しか能がない乱暴者ですよ」
「それを言ったら私もその下等な者の仲間だが」
「いやいや、バネッサ殿は違いますよ。アナタは気高く美しい」
臆面もなくそんな事を言う司祭に、バネッサは溜息を吐く。
この男と話しているとどうにも疲れて仕方がない。
(これも仕事だ。我慢我慢)
彼女も戦闘を生業とする者、基本的に気性は荒い方だ。
本来であればこの手の男はあった瞬間に、二度と近づく気も起らない程に叩きのめすのだが、
今回は相手がこの国でも力ある立場の人間たという事と、依頼人の客だという事でなんとか我慢している。
(早く契約期間終わらないかな。そしたら去り際にコイツをボコボコにするのに)
そんな事を考えながら複雑な洞穴の中を迷う事無く進むバネッサ。
常人であれば迷いそうな道を苦も無く歩けるのは彼女の経験によるところが大きい。
今はこうして傭兵として雇われている彼女の本職は冒険者。大陸中を巡る旅人だ。
ガノン王国に入ったのは3ヵ月程前の事。
手持ちの金銭が心許なくなったので、知り合いの冒険者の紹介で仲間と共にここに来た。
(ガノンって結構大きな国なのになんで冒険者組合がないんだろ)
ガノン王国に入って知ったのだが、ガノン王国には冒険者組合が設置されていない。
王国上層部の方針らしく、冒険者の出入りについても制限が設けられており、
他の国と違って外交には消極的で、外から見ると閉鎖的に見える。
(ま、そういう国っての程、旅してみたくなるんだけど)
若いながらも冒険者として現実をしる女冒険者バネッサ。
そんな彼女が自分の思考に没頭していた僅かな間に異変は起こっていた。、
ふと、自分の背後から人の気配が消えている事に気付くバネッサ。
「おい、司祭。何をやっている。早くついてこい」
背後に向かって強い口調で声を掛けるが、返事はなく。
闇の中でただ自分の声だけが反響し、返ってくる。
「はぐれたのか?いや、それはないな」
自分で言っておきながらその可能性がかなり低いと認識を改める。
あの男はバネッサの事しか見ていなかった、他に意識を向けるはずがない。
自意識過剰にも聞こえるが、あの男の自分に対する執着はそれ程までだと彼女自身が感じている。
となれば、考えられる可能性はそう多くない。
そしてその中の1つに、先程自分が感じた違和感に結びつくものがあった。
「まさか、侵入者!」
その考えに至った瞬間、バネッサは戦慄した。
いくら考え事をしていたとはいえ彼女も第一線で活躍する冒険者。
周囲で妙な動きがあったのなら気付ける程度の腕はあるつもりだ。
にも拘わらず、司祭は物音ひとつ立てる事無く忽然と消えた。
「こんな事が可能なのか?いや、今はそんな事を言っている場合じゃない」
自分に気付かせる事無く司祭を攫える程の者がこの洞窟内に潜んでいる。
その事実を前に、バネッサは腰に下げていた剣を引き抜く。
「何者か知らないが・・・このまま逃がしはしない!」
相手が相当な実力者の可能性があるが、それ以上に出し抜かれた事への怒りが勝り、バネッサの目に闘志の火が宿る。
その様子を、闇の中から覗き見る左右で色の異なる2つの瞳。
「うへぇ、やる気だしちゃったよあの人」
薄暗い洞穴の中で、カナタはバネッサを補足したまま剣を握る。
予告していたタイトルから変更しました。
何故かと言われれば、それは簡単。
また長くなって分割したから!
他の方だと話切ったりするんでしょうかね?
ちなみに自分は書いたら書きっぱなしです。
次回こそタイトルは「匠ノ業物」です。
さてカナタは無事に鍛冶職人コクタクを救出できるのか!
女冒険者バネッサの運命やいかに!
次回をお楽しみに!
ちなみに次回投稿は明日の昼頃を想定しております。




