第10話 天ヨリ降ルハ裁キノ三日月
森の中で出会った時から、リシッドはカナタが気に入らなかった。
レティスの裸を覗き見たゲス野郎だと今でも思っている。
初めてあった時、訳の分からない事を言う訳の分からない男だと思った。
部下の攻撃を容易くかわし反撃し、反撃までして見せた技量の高さに警戒した。
自分達が敗れた大蛇をたった1人で倒した、聖女を守ったと聞いた時、警戒が恐れに変わった。
野盗の襲来を前に、村長に取引を持ち掛けた際の駆け引きから彼が恐ろしい悪魔だと思った。
そして今、もはや敵と戦うだけの力を失い、全てが絶望染まりかけたこの場において、
少年の存在がこの場に残った"最後の希望"に見えた。
リシッドは自身を包み込んでいた暗闇の中、現れた光に手を伸ばす様に目の前の少年に問う。
「貴様なら・・・倒・・せるのか?」
「さぁ?それはやってみなきゃわかんね」
リシッドの祈るような言葉にカナタは肩を竦める。
その眼が「何言ってんのこいつ。当たり前だろ?」と言わんばかりにリシッドを見ている。
思っていたのと違う答えにリシッドが目を点にする。
「・・・なんだと・・・貴様言っていることが違うぞ」
「違わねぇよ。オマエとの格の違いを見せるって言っただけだ。勝手に勘違いすんなよバァーカ」
「・・・あん?」
どうやら気のせいだったらしい。
先程随分とデカイ口を叩いてくれたもんだから少し期待しすぎた様だ。
ああ、よく見れば相も変わらず憎たらしい顔をしているじゃないか。
むしろ、もうこれ以上見たくないほどに憎たらしくて殴りたくなってくる程だ。
自分はこんな男に一体何を期待していたというのだろうか。
そもそも聖女レティスを守るのは自分の使命。他人に頼ろうという考えがまずおかしい。
自分の使命一つ守れず貴族の地位を継いでも、その任が務まるはずがない。
そう考えた時、先程まで抱いていた絶望が心からバカバカしく思えてきた。
絶望が晴れたことにより、気力と共に全身に少しだけ力が戻ってくる。
(まだ、戦えるじゃないか)
痛みが消えたわけではないが、なんとか自身の足で立ち上がったリシッドの目に活力が宿る。
「ふん・・・貴様なんぞの助けなどいるか・・・ヤツは俺が倒す」
「やせ我慢すんなよクソ貴族様。さっきまで『我らはかてないです~』とか言ってたろ」
「言ってない」
「い~や言ったね」
「言ってない」
「言った。絶対。間違いなく」
「言ってない。というかうるさい。黙れ。そして死ね」
「おまえが死ね」
時間に余裕がないこの状況下で何をやっているのだろうと思いながら、
もはやお約束となりつつある憎まれ口の応酬を繰り返す2人。
しばらく睨み合っていた後、どちらともなく軽く笑う。
「はっ!クソ貴族様はまだまだやれそうだし。急いで親玉殺らないと手柄をもってかれそうだ」
「ふんっ!文無しのクソガキに少しは見せ場を譲ってやらないと路頭に迷って民が迷惑しそうだからな」
たった1日や2日の付き合いで分かり合える程、人間は簡単ではない。
例に漏れずカナタとリシッドだってそうだ。2人の間に信頼などと呼べるものはない。
だからこそ嘘だらけの憎まれ口の中に本当の思いを乗せて伝える。
"俺に任せてあんたはそこで休んでろ"
"自分もすぐに駆け付ける。それまで皆を頼む"
不器用なやりとり。だが、それこそが今の2人らしいやりとりと言えた。
「そんじゃ俺は貴族様が来る前においしい所を独り占めといきますか!」
「手柄を取り損ねて私が行った時にベソを掻くなよ」
「はんっ」
「ふんっ」
これ以上の言葉はもはや必要ないと判断し、カナタが背を向ける。
リシッドが飛ばされてきた方角へ走り出そうとするが、
その前にまだ1つだけやる事があった。
「おい!クソ貴族様よ~」
走り出そうとしていたカナタから掛けられた声にリシッドが眉をしかめる。
「なんだクソガキ。行くなら早く行け!」
「うっせ。もしかしたらそこの家の下にいいものが落ちてるかもよ」
「いいもの?なんだそれは」
「後は自分で探せよ。じゃーな」
「なにっ!おい!」
リシッドの質問を聞かず。自分の言いたい事を言い終えたカナタが駆けだす。
村を包む闇の中にその姿はすぐに溶け込んだ。もう、足音も聞こえない。
「何かあるなら最後まで言ってから・・・いやそんな時間はないな」
先程までのやりとりだって十分に無駄な時間だ。
だが、それでもあの男はリシッドの為に時間を割いたのだ。
そこにどういう意図や思惑があったかは分からない。
ただの気まぐれかもしれない。
真意はともかく。この状況下ではカナタの言葉を聞くことが最善だろう。
「癪な話ではあるが・・・止むをえまい」
剣を支えに歩きながらリシッドが愚痴をこぼす。
やっとの思いで先程カナタが指示した荷車の焼け跡。
その傍に立つ一軒の家の前でリシッドが愚痴をこぼす。
周囲には死臭が立ち込め、足元にはいくつかの野盗の死体。
その中にある一際大きな焼死体は恐らく悪欲三兄弟のムゴだろう。
国の兵士や賞金稼ぎも歯が立たなかった野盗達の主力が今や無残な炭の塊だ。
「一体何をどうすればこんな事が可能なんだか・・・」
先程、皆を託した相手の所業だと思い出すと、頼む相手を間違えたのではと少し後悔する。
それでも、これほどの事が為せる彼ならば成し遂げられる気もしてくる。
「しかし・・・なんで家の下なんだ。あの阿呆め」
先程やっとの思い出立ち上がったリシッド。
膝は震えており、自分の体重を支えるだけでも相当ツライ。
そんな状態ではしゃがむだけでも体が痛む。
だが弱音を吐いてはいられない。皆がまだ戦っているのだ。
「よしっ!」
気合を入れ、剣を支えになんとかしゃがみ込んでみると、そこには大きめの布袋。
膨らみから何やら道具がいくつか入っている様だ。
「あいつが言っていたのはコレの事か?まったく・・・説明がなさすぎる」
小憎らしい少年の顔が脳裏をよぎり、苛立ちながらも袋を引きずり出す。
「一体何が入っているんだ?」
引っ張り出した袋の中を覗き込むと、そこには傷の治療等に使う薬品や包帯が入っていた。
中に入っているものを見て、戦闘が始まる前に彼が薬師と会っていたことを思い出す。
恐らく自分用に調達したのをリシッドへ寄越したのだろう。
「・・・ふん。これは貸しにしておくぞ・・・カナタ」
リシッドはこの時、出会って今まで一度も呼ばなかった少年の名を呼んだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
リシッドと別れてから闇の中を集会所の方へ向かって駆けていたカナタの耳に声が届く。
「死守しろ!これ以上進ませるな!」
「しかし!隊長が!」
「信じろ!隊長なら必ず戻られる!」
「それまでは我等が足止めするんだ!」
『応!』
聞こえてきた男達の声。恐らくリシッドの部下達がまだ戦っている様だ。
まだ最後の砦は残されているらしい。
指揮官を失いながらも、響く声の力強さが彼らの士気高さを表している。
「ここまで仲間に信頼されてるとはね・・・大した男だよリシッド・フォーバル」
あの真面目そうで堅物っぽくて中身が結構子供な金髪貴族は好きになれないが、
その指揮官としてのカリスマは、今後多くの者の上に立ち、導いていくのには必要な資質だ。
気に入らない相手でも野盗如きに殺されていいような器ではない。
野盗等という下らない輩の相手は、汚れ仕事専門の自分の様な人間こそが相応しい。
「だから!ヤツは俺が倒すんだよ」
自分自身にそう言い聞かせるように声に出すと、走るスピードを加速させる。
集会所へ続く道の前で5人の兵士が集会所への道を阻むように並んで立つ。
服は所々破れ、鎧もあちこちへこみ。皆が肩で息をしている。
先程、敵の放った一撃に、自分達の盾となったリシッドが屋根の向こうまで吹き飛ばされたばかりだ。
状況は絶望的と言っていい、それでも必死に自分たちを鼓舞して目の前の脅威に立ち向かう。
「くっ!まずい」
「このままでは!」
「村人だけでも脱出を!」
自分たちはどうなろうとも1人でも多く逃げられるよう時間を稼ごうとする男達。
そんな彼らの覚悟を嘲笑いながら、道の真ん中を1人の巨漢が2m程の巨剣を肩にかけて堂々と闊歩している。
「ふっへっへ!聖女の護衛がこの程度とはつまらねぇなぁ」
先程挑みかかってきた一番力のある兵士も叩きのめし、
もはや自分達の作戦を阻むものはいないと確信しているダゴ。
その顔には自然と醜い笑みが浮かぶ。
(さて、聖女を捉えてどうしようか。まずは目の前で護衛の首を1人ずつ落として心を折るか?それとも裸に引ん剥いて村人と護衛の前で犯すか?)
未だ手下や弟達の姿が見えないのが少し気がかりだが、
最早作戦は成功したも同然の状況なので彼らの事は後にする。
「さて、お前たちはもういらねぇなぁ」
『!?』
肩にかけていた巨剣を両手に持ち、残った兵士達を見下ろすダゴ。
彼らを殺しつくすべく身を乗り出した時、兵士達を守るように1人の少女が飛び出した。
張りのある色白の肌に、長く美しいブロンドの髪と宝石のような碧色の瞳を持つ端正な顔。
純白の法衣に包またその体は、少女と言えど女性らしい体をしている事が服の上からでも見て取れる。
「ほぉっ」
獣欲のまま犯す事しか考えていなかったダゴですら思わず声が漏れる。
目の前に立つ美しい少女。その不可侵の存在感に欲望を一時忘れる程だった。
だが、所詮は畜生程度の理性しか持ち合わせぬ外道。すぐにその心は欲望の黒に染まる。
(こいつはぁ。思っていた以上に上玉じゃねぇか)
教会の聖女と呼ばれる存在に女性としての価値は期待していなかったが、
思った以上の相手の美しさに、ダゴの欲望の炎がより激しく燃え上がる。
手に入れて自分のおもちゃにしたいと強く思う。
「がっはっは!聖女様自らお出ましとはな!」
ダゴの言葉を真正面から受ける少女。その後ろに守られるように立った兵士達が声を上げる。
「せっ聖女様!」
「なりませぬ!今出てきては!」
慌てふためく兵士たちを前に、レティスの表情は日頃の少女らしいものではなかった。
レメネン聖教会の十六聖女として毅然とした態度で振る舞う。
「みなさん。申し訳ありません。ですがこれ以上黙って見ていることは出来ません」
「しかし!」
「レメネン聖教会の十六聖女の名の元に命じます。下がりなさい」
「くっ!」
レティスの言葉に兵士たちが押し黙る。それは命じられたからではない。
そもそもと教会と軍の命令系統が違うため、レティスに彼らを従える権限はない。
彼らにもレティスの命令に従う義務はない。
だが、レティスの纏った聖女としての威厳が彼らを従わせた。
その佇まいが、目の前の少女が伊達や酔狂ではなく、選ばれた16人の内の1人である事を物語っていた。
自分の目の前に立ちはだかった少女を見下ろすダゴ。
その視線が少女の全身を値踏みするように舐めまわす。
触れられてもいないのに全身を這うような不快感を感じながらもレティスはダゴに向かい合う。
「私はレメネン聖教会の十六聖女が1人、レティス・レネート。あなたが野盗達の頭目ダゴですね」
「いかにもぉ、ワシがダゴだぁ。今日はこの村に聖女を頂きにきたぁ」
悪びれる様子もなく堂々と言い放つダゴの言葉をレティスも真正面から受け止める。
激しく鼓動を打つ自身の体を抑えつけて少女は決意を口にする
「我が身が欲しいならば差し出しましょう」
「聖女様!」
レティスの放った言葉に兵士達に動揺が走る、そんな事をすればどうなるか皆分かり切っている。
予想外の申し出にダゴは自分の優位を確信し舌なめずりをする。
「ほぉう。いい心がけだなぁ。では早速・・・」
「ただし、1つ条件があります」
少女に手を伸ばそうとするダゴを制するレティス。
ダゴは怪訝な表情を浮かべるが、ひとまず相手の出方を伺う事にする。
「ん?なんだぁ。言ってみろぉ」
「私以外の誰にも・・・これ以上手を出さないと約束してください」
「あぁ・・・そんな事かぁ。さて、どうしたものかなぁ」
少女の要求にニヤニヤと笑いながらダゴが顎髭を撫でる。
勿論ダゴに聖女の願いを聞き入れる理由などないし、聞くつもりもない。
思案するようなそぶりを見せるダゴに向かってレディスは言葉を続ける。
「約束を守っていただけるならこの身はどうなろうとかまいません。ですが約束を守っていただけないなら・・・」
レティスは隠し持っていた短剣を素早く引き抜いて自身の喉元にあてがう。
予想だにしていなかった事態に場が一瞬にして凍り付く。
「約束を守っていただけないならば・・・私は、ここで自害します」
「っ!?」
「なにぃ!」
ダゴ、それにリシッドの部下たちも騒然となる。
当然の事だろう。ダゴにしてみればわざわざ攫いに来た相手が死んでしまうのは本末転倒。
彼女を失ってしまえば村で暴れて何人殺した所で僅かな金銭が得られる程度だ。
リシッドの部下達も彼女の護衛が任務なのだから護衛対象に死なれては任務失敗。
ここを無事生き延びられたとしても兵士として、いやこの国では生きていけなくなりかねない。
味方をも巻き込むレティスの覚悟を前に場が完全に膠着する。
一転して優位を失ってしまったダゴはない頭を使って考える。
(くそぉ!完全に小娘と侮っていた。こんな時にデゴがいればいい知恵を出してくれるのだろうが・・・)
今傍にいない弟の事を思い浮かべ歯噛みする。
このまま目的を果たせずに帰るような事があっては野盗の名折れ。
苦々し気に表情を歪ませるダゴ。
その時、ダゴはある自身の前に立つ少女の異変に気付いた。
それは彼女の手に持った短剣の先端。その切っ先が僅かに震えている事に。
(十六聖女と言えど所詮は小娘という事だなぁ)
少女も自分自身で気づいていないのだろう。
だが、その心が奥底で死を恐れている事がその切っ先に表れている。
ダゴはその事実に余裕を取り戻し笑みを浮かべる。
「聖女の身柄は頂くぅ。そして・・・・村の奴らは皆殺しだぁあああああ!」
「っ!?」
大声で吠えると、ダゴがレティスに向かってその手を伸ばす。
向かってくる手にレティスが意を決して刃を握るが、その手はそれ以上動かない。
(どうしてっ!)
死ぬ覚悟をしてその場に立ったはずの少女は思い通りにならぬ自分の体に絶望する。
その時、一陣の風が吹いた。
空を切り裂いて闇の中を飛ぶ銀色の物体。
風を切り裂く轟音が自分に近づいている事を察し、ダゴが咄嗟に持っていた巨剣をぶつける。
ギイィイイイイイイイインッ!
ダゴの持っていた巨剣にぶつかった銀の塊が大きな火花と共に甲高い金属音を辺りにまき散らす。
「ぬおっ!」
不意を突かれたダゴの巨剣が僅かに跳ね上がり、その巨体を仰け反らせる。
巨剣にぶつかった物体は、空中で何度か回転して地面へと突き立つ。
固い砂の地面の上に突き立ったそれは両手持ちの大剣。
「なんだこれは・・・一体どこから」
巨剣が飛んできた方へと視線を向けるが誰の姿もない。
だが、先ほどまでになかった人の気配を確かに感じた。
「ったく。レティス様は危なっかしいなぁ」
不意に聖女のいた方から聞こえた声にダゴが慌てて視線を向ける。
そこには見たことのない黒服に身を包んだ見慣れない少年の背中。
まるでダゴなど存在しない様に男は少女に優し気に語り掛ける。
その少年の右手は聖女の持つ短剣を握り止めている。
「あっ・・・・」
刃を握る手からは赤い血が滴り、短剣を握るレティスの手を伝って落ちる。
その血の感触と温度を手に感じ、慌てて手を離そうとするが固く握りすぎた為に指が開かない。
「なんで・・・手が・・」
「ああ、それね~。あるある。俺もガキの時何回かやったよ~」
まるで手から流れる血など気にも留めずカナタは笑う。
この場の空気に似つかわしくない笑顔を浮かべた少年の手が震える少女の手に優しく振れる。
固まった指を一つずつ優しくほどき、少女の手から短剣を取り上げる。
「ほいっ。これで元通りだ」
「あ・・・あああ」
手の中から短剣がなくなった事でレティスの中で張りつめていた緊張の糸が解ける。
体中から力が抜けてレティスはその場に座り込む。
自分の両手を見下ろす。手には自分ではない他者のカナタの血が覆っている。
「私・・・私は・・・」
「おつかれさん。中々格好良かったよレティス様」
自分の不甲斐なさに涙しそうになる少女にカナタは笑顔でそう告げた。
この危機的状況の中で、はにかんだ様なその笑顔に少女の心が少しだけ癒される。
少女の頭に血のついていない左手をのせて優しく撫でる。
されるがままに頭を撫でられた少女がくすぐったそうにする。
そんな二人の時間を遮るようにカナタの背中に向かってダゴの声が響く。
「随分と舐めた真似をしてくれるなぁ小僧ぉ」
「ウルセ―よボケ。今、いいとこなんだから邪魔すんなよ」
レティスの中で自分の評価がそれなりに上がっていくるのを感じ、
内心で狂喜乱舞していたところに水を差されたカナタが不機嫌そうに首を向ける。
「空気が読めよ。雑魚」
「雑魚?雑魚だと!このダゴを!悪欲三兄弟の長兄をぉおお!」
激昂するダゴだが、カナタはまるで気にした様子がない。
むしろ当然の如く相手を煽る。
「他に誰がいるんだよマヌケ。つか口がくせぇからこっち向かないでくんない」
「くち・・・くさっ・・なんだと!」
「確かに」
「ああ、生ごみのにおいだ」
「よかった。そう思ってたの俺だけじゃなかったんだ」
「くっさ」
「人間の出していい臭いじゃないな」
カナタの言葉に若干の動揺を見せるダゴ。
周りの兵士も同じ思いだったらしく口々に意見を口にする。
そこにはもう先程まであったはずの絶望的な緊張感はどこかへと吹き飛んでいた。
言いたい放題に言われたダゴが額に青筋を浮かべて高らかに吠える。
「もう、許さねぇぞぉ小僧ぉ!野郎共ぉ!集まれぇええええええええええっ!!」
夜の闇の中に向かってダゴの声が広がる。
村中に響き渡る程の大声だったが、それに応じる者は誰もいない。
誰一人、その闇の向こうから姿を現さない。
その予期していなかった事態にダゴが眉を顰める。
「どうなってんだぁ。なんで誰もこねぇ」
「当たり前だろ。テメェの手下と兄弟ならここに来る途中で片付けて来たんだから」
『っ!?』
目の前の少年が放った衝撃の一言に、ダゴを含めた場の全員が言葉を失う。
普通ならば正気を疑う内容だが、既に目の前で起こっている事態がそれが真実だと告げている。
「うそっ」
「信じられない。あの人数をたった1人で」
「なんて人だ」
先程までの状況から一変、本人も知らぬ間に仲間を全て失い孤立無援となったダゴ。
対してカナタはほぼ無傷。リシッドの部下達も怪我はあるが戦える。
つまり数の上の有利を完全にひっくり返した事になる。
「やれる!やれるぞ!」
「ああ、これなら勝てる!」
戦況が一気に好転し、兵士達の目に再び光が灯る。
即座に手にした武器を構えてダゴへと挑みかかろうと態勢を整える。
対するダゴも怒りに震える手で巨剣を握りしめる。
「よぐも可愛い俺の弟や手下を・・・小僧ぉ!貴様だけはゆるさぁあああんっ!」
「吠えるなよ。心配しなくても相手ならしてやるからよ!」
ダゴの咆哮に応じてカナタは手に持っていた短剣を、ダゴの顔面目掛けて投げつける。
矢のようなスピードで目の前に飛んできた短剣を寸での所でダゴが躱す。
「ぬぐぅっ!」
本能で咄嗟に回避したが、ほとんど予備動作のない攻撃に肝を冷やした。
今まで自分が血の海に沈めてきた相手とは明らかに違う戦い方である。
(反応が遅ければ今のは危なかった)
攻撃にダゴが怯んでいる間にカナタは背後に廻したレティスと兵士達に告げる。
「こいつの相手はしとくからレティス様を連れて離れてくんない」
「いいえ、私達も戦います!」
カナタの意思に反して共闘を申し出る兵士達、その眼には士気が満ちている。
そんな彼らにカナタは目を細め頷く。
「邪魔だからイラネ」
即断で拒否するカナタに今度は兵士達の目が点になる。
あまりの速さに兵士達も後に続く言葉を見つけられない。
それでも何か言いたげな彼らの視線にカナタがため息交じりに告げる。
「こっちに残るぐらいなら何人か村の入り口に行けよ。クソ貴族様が多分まだ生きてるから」
「!?」
「はいっ!わかりました」
「ではカナタ殿。ご武運を!」
カナタに言われるがまま各々の役割を目配せのみでやり取りした後、兵士達がそれぞれに動き出す。
2人が村の入り口のリシッドの方へ、残りの3人がレティスを伴い集会所の方へ向かった。
あっという間に周りから人が消え、その場にはカナタとダゴの2人が取り残される。
「さて・・と」
静かになった村の真ん中でダゴとカナタの2人が対峙する。
先程まで怒りに荒れていたダゴだったが、今は怒り残したまま動かずカナタを見ている。
目の前の少年を最大限警戒してかむやみに仕掛ける様子はない。
(流石に親玉だけあって弟達程簡単じゃないか)
短気を起こして襲い掛かってきた弟達との違いに、目の前の敵への脅威判定を書き換える。
「小僧ぉ・・おまえはぁ何者だぁ?」
「あん?何だよ急に?」
ダゴの質問の意図が分からずに首を傾げるカナタ。
これから殺し合う相手にそんな事を聞いても何の意味もない事は互いに分かっているはずなのに。
だが、ダゴの方は知りたくなっていた。
自分の弟や手下の悉くを倒し、これから自分と殺し合おうと立ちはだかる目の前の少年の事を。
「聖女の護衛かぁ?それとも王国の騎士かぁ?」
「い~んや全然違うけど」
「だったらおまえは何なんだぁ」
「そうだな・・・なんだろうな?」
「・・・」
首を傾げて見せるカナタにダゴも呆れて言葉が出ない。
だが仕方ない。ダゴの質問を考え始めてみた時、カナタ自身にも分からなかったからだ。
金の為に雇われた傭兵というのが一番しっくりくる気もするが、
別に無理して戦わずに逃げてもよかったと今更ながら思う。
誰もカナタを責める権利はないし、責められた所で異世界の人間の言う事だと割り切ってしまう事だってできた。
ならば、何故自分はこんな命の危険を冒してまで戦うのだろう。不思議だ。
記憶を辿り理由を考えてみた時、1人の少女の顔が浮かんだ。
(ああ、なんだ。意外と単純だな~オレってば)
自分の頭に浮かんだ答えに思わず笑い声が漏れる。
突如笑い始めたカナタにダゴが苛立たしげに表情を歪める。
まあ、目の敵が突然笑いだしたら誰だって不気味だし不快に思うだろう。
「ハハハッ。いや、待たせて悪い。質問は・・・俺が何者かだったっけ?」
「・・・おぉ」
「俺は・・・俺は聖女レティス様のファンだ!」
「・・・はぁ?」
カナタの口から吐き出された言葉にダゴは思わず気の抜けた声を出す。
ファンという聞きなれない言葉の意味は分からないが、
目の前の男が言った言葉がどうしようもなくしょうもないという事だけは理解できた。
(この俺を馬鹿にしている!)
再び体の内で憤怒の炎が燃え上がらせるダゴ。
一方のカナタは、自分が言った言葉の恥ずかしさに顔を赤くして俯いている。
(くっそー!もうすぐぶっ殺す予定とはいえ人に言うのは恥ずかしかったぁああああ)
あまりの羞恥心に心の中でのたうち回りながら悶絶する。
「もういい。おまえは今すぐに死ねぇっ!」
我慢の見解に達したダゴが巨剣を振りかざして襲い掛かる。
相手の殺意を受けてカナタは即座に戦闘態勢に切り替えて相手の動きから攻撃の軌道を予測する。
(真上からの振り下ろし・・・となると回避コースは!)
ダゴの攻撃に合わせて回避行動に映るカナタ。
振り下ろされた刃がカナタの予想通りの軌跡を描いて空を切る。
自分の体の横を通り抜ける刃を確認し、カナタが前に出ようとした瞬間、
全身を駆けあがってくる悪寒。
理性ではなく本能が直感的に危険を知らせている。このままではやられると。
理由は分からなかったが自身の直感を信じて、地面を蹴って巨剣から距離を離す。
ほんの一瞬、僅かな移動距離ではあったがこれが明暗を分けた。
振り下ろされた巨剣の先が地面につく瞬間、その刀身が脈打ったようにうねった。
「ビィイイストォオレイダァアアアア」
獣の様なダゴの咆哮と共に、振り下ろされた刃から狼の様な獣の形をした黒い影が四方へ飛ぶ。
放たれた獣の形をした影は家の壁や地面にぶつかると、あちこちに獣の喰いついた様な跡を残して消えた。
態勢を変えたことでかろうじて影の直撃こそ免れたカナタだったが、
右腕を袖から食い破られ、牙が切り裂いた様な跡が腕に走り血が滴る。
「くっ!」
獣の影に引き裂かれた右腕を見て、カナタは即座に地面を転がって建物の影に逃げこむ。
直後、カナタのいた場所をダゴの持った剣が風切り音を立てて通り過ぎる。
「ふん!今のを避けるか・・・だがぁ!」
ダゴが手に持った巨剣を上段に振りかぶり先程技を放った時と同じように構える。
「ビーストレイダァアアア!」
ダゴが再び刃を振り下ろすと同時に、生み出された8つの獣の影がカナタの隠れた物陰に向かって走る。
(追ってくる!)
即座に立ち上がってその場を離れ、背に帯びた長剣を抜く。。
4匹の影が地面に突っ込んで大地を抉って消え、残り4匹がカナタに追いすがる。
手にした剣を影に向かってぶつけると、獣の影が内側から弾ける。
その衝撃は凄まじく手に持った剣ごと後ろへと弾き飛ばされる。
剣に振り回される形で地面に倒れるカナタに残った影が襲い掛かる。
「舐めんな!」
咄嗟に手に持っていた長剣を獣の影に投げつけ、飛びのく。
3つの影に食いつかれた剣がその衝撃を一身に受けて砕け散る。
パラパラと転がる金属片を前に、カナタは急ぎその場を離脱する。
ダゴに見つからない様に闇の中を移動する。
先程いた場所からダゴのいた位置を中心に大きく迂回し、民家の影に隠れる。
右腕から流れ出る血は移動中に民家の軒先につるされた布で縛って止血する。
「はぁっ・・・はぁっ・・・くそっ!完全にミスった!」
今まで倒した敵が使ってこなかったから完全に失念していたが、
ここは魔法が存在する異世界こういった攻撃方法が出てくる事も想定すべきだった。
魔法での攻撃方法をもったリシッドが敗北したのだから、この展開は当然考慮すべきだった。
「はぁ~こんなドジやらかすなんて・・・かっこ悪いなぁ」
ジンジンと痛む右手を見下ろして敵の攻撃について考えを巡らせる。
最初の攻撃は剣を中心に放射状に放たれた、だが二度目はまるでカナタを追うように向かってきた。
(一撃目とにニ撃目の違いは俺の負傷の有無。恐らく血に反応して追尾している)
追尾能力は恐らくあの攻撃が獣の形を取っている事と関係しているのだろうと予測される。
そして手数と連射性能、一撃目で出現した獣の数は4匹で2撃目は8匹。
最大数は分からないが一度に出せる攻撃の数はコントロールできるらしい。
連射性能は1撃目と2撃目間のインターバルはさほど長くなかった。
だが、2撃目の後に追い打ちを撃ってこなかった事から何かしらの制限はあると思われる。
(今の手持ち情報だとこれが限界か・・・さてとどう崩すか・・・)
もし血に反応するのであれば隠れていてもあまり意味がない。いずれ見つかる。
早期決着が望ましいが、だからと言って真正面から飛び込めばあの影に一斉に襲われて即死ぬだろう。
勝つための条件は気付かれずに接近し、奴にあの妙な技を撃たせる前に一撃で葬る必要がある。
(ヤツの注意を惹きつつ集会所からも離れないとなぁ・・・)
そう考えて移動しようと腰を上げた瞬間、身を隠していた家の壁面がミシリと音を立てて軋む。
嫌な予感が全身を駆け巡るが、今回は完全に手遅れだった。
直後、巨大な像の様な獣の影が家の壁ごとカナタの体にぶつかってその体を吹き飛ばす。
宙を為す統べなく回転しながら、4m近く吹き飛ばされたカナタの体が道の真ん中に転がって動きを止める。
家の壁が衝撃を緩和してくれたとはいえ、まるで車にはねられた様な衝撃を受けてカナタが地べたを這う。
「くっそいってぇえええ」
全身を強く打ちつけられて体中が悲鳴をあげるが、動けないほどではない。
裂傷や擦過傷は多いが致命傷には至らず。手足は問題なく動く。
体を起こし立ち上がるカナタの方に向かってダゴがゆっくりと近づいてくる。
「ガッハッハッハッ!弟や手下をやったというからどれほどかと思えばこんな程度か」
「うるせぇよ。おまえのはその武器のおかげだろ」
「ぐふふ。バレたか確かにこの魔獣結晶剣は手に入れるのに随分苦労したからなぁ」
「へぇ・・・そいつはなんか凄そうだな」
聞き覚えのない単語が出たが、今はそれは置いておく事にする。
そんなつまらない話を冥土の土産にしたいとは思わない。
どうせ地獄に行くのなら、こんなゲス野郎の手ではなく。美少女の腕の中で終わりたいものである。
(こいつを倒したら彼女に膝枕でもおねだりしてみるかな)
頭に思い浮かべた下らない欲望。その欲望を阻む目の前の敵。
下らない敵との下らない戦いに決着をつけ、チャチな願望を叶えるためにカナタの目がダゴを見る。
先の一撃で、相手の武器の特性の一つが獣の数が減ると攻撃力が高くなる仕組みをだと予測を立てる。
(そして攻撃力が高い攻撃程次の攻撃へのインターバルが大きい)
態勢が整っていないカナタに同じ技を撃ってこない事からそう判断をする。
ある程度情報が出揃ったと判断し、武器を確認する。
コンバットナイフが一本と、スローイングナイフが一本。後は懐に短剣が一本。
武器の長さや強度としてはダゴの命に届くかどうか不安が残るところだが、後は自分を信じるのみ。
「いくぞ!」
こちらに歩み寄るダゴとカナタの視線が交わり、最後の攻防が始まる。
「ビイイイイイイストッ!レイダァアアアアアアアッ!」
ダゴが放ったのは8匹の狼型の獣の影がカナタに向かって突進してくる。
カナタに襲い掛かるべく接近する影にカナタは真正面から突っ込む。
衝突する刹那、止血に使っていた布を解いて中空に投げ出し、
踏み込んだ足に力を込めて強引に進行方向を変える。
直角に曲がったカナタの後、残された布に群がるように影が殺到し、布を食いちぎっていく。
「なにっ!」
思いがけぬ方法で攻撃をかわしたカナタに動揺をするが、
すぐに切り替え、止めを刺すべく再び技のモーションへと移る。
ニ撃目の前に懐に飛び込みたかったカナタだがまだダゴへの距離が遠い。
(くっ!間に合わないか・・・)
次の一撃が放たれた場合の時分が受けるダメージを予測する。
だが、最悪腕一本になってでもこの男を倒す決定に変更はない。
一歩でもダゴの命に迫るべく足を止める事無く進める。
「ビィイイイイイストッ!っ!?」
技を放とうと巨剣を振り上げたダゴに向かって何かが風を切って近づく。
しかもその音は先程カナタが投げた両手剣よりも大きい。
音のする方に目を向けると目の前に迫る2m程の大鎌。
ゴギィイイイイイイイインッ!!!
技を繰り出しかけた巨剣を使って咄嗟に防御して真上に弾く。
凄まじい衝撃を受けて屈強なその体がたたらを踏む。
「クソがぁっ!」
叫び声を上げて鎌が投げ飛ばされた方へと首を向ける。
そこには2人の兵士と共に地に手を突いたリシッドの姿。
距離を縮めるカナタとダゴに向かってリシッドが叫ぶ。
「トドメをさせぇえええええええっ!」
リシッドの声を受けてカナタの走るスピードが加速する。
「余計なお世話だよ。・・・だがいいフォローだぜクソ貴族様!」
「やらせるかよ!クソガキ共ぉおおおお!」
崩された態勢の状態で、ダゴが力づくで巨剣を操り、目前に迫ったカナタに向かって振るう。
だが、カナタの顔面目掛けて振りぬいた刃は空を切る。
直前でダゴの足元へ向かってスライディングで飛び込んだカナタが、ダゴの股下を抜けて背後に出る。
すれ違いの瞬間、手にしたコンバットナイフをダゴの右膝裏に突き刺す。
「ぐぅおおおおっ!」
右ひざを破壊されて体を支えられなくなったダゴが片膝をつく。
前のめりになって崩れ落ちるダゴの背中に加わる重み。
態勢を崩したその背を踏み台にしてカナタが上に向かって駆け上がる。
「まだだぁ!こんなものでぇええええ!」
背を駆けあがるカナタを振り落とそうとダゴが上体を逸らす。
天を仰ぐように反り返ったダゴの頭上。
先程リシッド達が投げつけ、ダゴ自身が跳ね上げた大鎌が落下する。
星の光を浴びて三日月のに輝くその刃に向かって手を伸ばす人影。
地に足がついた状態ではとても扱う事が出来ないその大鎌の柄にカナタの手が届く。
「これで終わりだ」
「貴様ぁあああああああ!」
掴んだ大鎌の背を蹴って勢いをつけ、柄の石突に近い部分へ体重を掛けたカナタが大鎌を振り下ろす。
絶叫を上げ迎撃しようと頭上に巨剣を振り上げるダゴ。
ほんの一呼吸程度の差であった。
大きな刃の重量と落下のスピードで加速がかかった三日月の刃がダゴの体を左肩から真下へと走り抜ける。
地面へと大鎌の刃が突き刺さり、カナタがその柄から手を離すと同時に、
ダゴの体が切断面を中心に真っ二つに割れていく。
「ごの・・・俺が・・・悪欲三兄弟が・・・・」
「・・ハァッ・・・ハァッ・・・アンタの負けだよ」
「ア"ァッ」
カナタに敗北を突き付けられたダゴが絶望の表情を浮かべて崩れ落ちた。
文字通り真っ二つに引き裂かれた男の骸を前に、カナタも両膝をつく。
「ハァッ・・・手こずらせんなっての・・・でもまぁこれで。全部終わりだ!」
息を整えながら小さくガッツポーズするカナタ。
こうして長くカラムク領を恐怖へと陥れてきた悪欲三兄弟とその一味は滅びた。
そしてこの出来事をきっかけにカナタを取り巻く環境が大きく動き始める。
ヘソン村編これで最後にするはずでしたが、
書いてたら例の如く長文になったので分けます。